第101話:クローズド・サークル
「あああああぁぁぁぁ!!」
断末魔となっていたであろう悲鳴、その後に来る鈍い音の代わり、甲高い音を立てながら水飛沫が舞う。
葵からすれば、突如として水中にぶち込まれた様なものだが、それに混乱してる暇もない。葵達と球は真っ直ぐ落ちてきたもの同士、頭上から来る脅威からまだ逃れきれていない。
「っぶ、はぁ!!あがって!早く!!」
「了解」
球の落下地点から逃れる様に少女を先に地上に上げ、先に上がった少女もすかさず葵の手を引く。濡れて重くなった身体を引きずり、葵自身の力も使って地上に上がってから背後を見る。一瞬の間の後、2人の落ちてきた場所に球が着水し、それによって発生する飛沫が水場の水を全て吐き出さんとする様にすら思えた。
「──や、や、やばかった」
「同意。しかし、我々は助かった」
彼女の言う通り助かりはしたが、元の階層に戻れるかどうかも分からない所に落ちてきた事実がジワジワと葵の中で存在感を放ち始めていた。
「……どこだろう、ここ」
「推定。遺跡、下層」
「うん、それはそうだろうけど」
上着を絞りながらあたりの観察を始める。
地面や壁の材質は上層の物と特に変化はない。目の前に階段自体は見えるが、少し上の段差にある部屋に行く為の階段という意味合いの物で、上層に行く手段にはなり得そうにはない。無論、進行方向とは言えるが。
次に落ちてきた水場。広さだけ見る分には湖というには狭く、池というには広すぎるぐらいの広さ。水深は底が見えない程度には深い様だ。
葵は水泳が特別得意なわけではなく、むしろ苦手意識すらある。異世界の身体能力という前提があるとしても、潜って新たな道を探すのは困難を極めるだろう。
(水中で呼吸する魔術、なんてものはどこになかったな……水、というよりも水中というのがこの世界においては特別な領域なのかな)
そう考えながら、ふと人魚の事を思い出す。クライルが人魚を生み出すにあたって、人魚という種に与えた能力だったのであろう魔術。水中でもあの泡の中なら水深も関係なく安全に移動が出来た。あの術を使えさえしたら、ここも探索出来たのかもしれない。
あれから葵もその魔術を再現しようとした事はあったが、成功に至る事はなかった。人魚にのみ与えられた魔術とエリアが言っていた通りだったのだろう。
『──ありがとうございます、すごく大事にしますね!』
ふと、その最中に連想ゲーム的に葵の中でエリアの笑顔がよぎった。
人魚の街そのものが罠であり蜘蛛の巣の様なものだったとはいえ、そこで過ごした時間も、そこへ導いたエリアという存在も、今もふとした弾みに心の傷跡として疼く。
彼女にも間違いなく罪はあった。使徒と似たベクトルの。しかし、それでも彼女は使徒ですらない普通の女性で、葵はそれを救う道を自ら手放した。
それも、彼女との決別、その戦いをミア達に押し付けた。罪悪感によって抉れた傷が生傷のままそこにある。
「……」
「疑問、疲労?」
「ん……あぁ、ごめん。ちょっと考え事してたんだ」
「そう」
(こんな状況で関係のない事を考えるなんて、俺はまだ楽観的なのかもしれないな……)
関係のない事なのは事実かもしれないが、思い浮かべた直後にその言葉で割り切るのがとてつもなく薄情に思えて、葵は手首を少しだけつねった。
大きな後悔と小さな自傷もそこそこに、少女の方に視線を向ける。
「ちょっと考えたけれど、やっぱり見た通りの道を行くしかなさそうだね」
「同意、進む事をわたしも推奨する」
同行している彼女からも同意を得られた事で葵は進もうとするが、急に足を止め、荷物を下ろす。
「っと、その前に少しだけ待って」
ひっくり返った上に水にぶち撒けて容量が減ってしまったが、その中に目的の物はないかと葵は荷物を探る。
不思議そうに両膝を揃えてその様子を側で少女は見守り、見守られている葵は目的の物を見つけ得意げに掲げる。
「良かった〜!これはまだまだ濡れてなかった!」
「マント、確かに貴方の体温低下は問題だと、わたしも──」
そう言ってる最中に、葵はそのマントを少女に羽織らせる。
「これで良し。俺の上着はまだまだびしょびしょだから、余計逆に寒くなりそうだなって思ったから。予備のマントがあって良かった」
「……」
「ほら、俺は長袖だし」
マントと葵の顔、交互に視線を向けた後に少女はマントを少しだけ握る。葵が使うべきと考えていたにも関わらず、彼の行動に疑問を呈するでもなく、根拠としては弱い葵の発言に無言で頷きながら瞳を緩やかに細めていた。
意外な反応かつ、女の子らしい反応、人間味の薄かった少女の見せた一瞬の素直な反応に、葵は視線を逸らしてしまった。敵意を維持することの厳しさを感じつつ、照れ隠しを交えて。
「あれぇ?こんな所にも転移者がいらっしゃったのですか?」
その空気を割くように現れた第三者の声。その声のする方に視線を向けると、実は化け物だったという事もなく、愛想の良さそうな笑顔が目立つ亜麻色の髪の男性が立っていた。
まさか生存者の方から葵を見つけるとは思わず、なにより生存者が五体満足でそこにいる事に葵は驚きを隠せずにいた。
「せ、生存者の方ですか!?」
「生存者?あぁ、ある意味で我々は運の悪いサバイバーと言えるかもしれませんね」
「良かった──」
の後に、俺は貴方達を助けに来ましたと言うつもりだったが、ミイラ取りがミイラになっている可能性の高い今、助けに来たと言う言葉も正確ではない。言葉に詰まってしまったが、相手はどの様にかは置くとしても、何かを察してもう片手で奥へと進む様に促す。
「どうぞこちらへ、この奥は安全な場所ですから」
(ここに安全な所ってあると思う?)
(不明。判断材料の不足。しかし、人間であると見てほぼ間違いない)
(なら、良いか。ここで見かけた俺達を騙しても利点は少なそうだし)
「お二人とも?どうかされましたか?」
「あぁ、いえ!何も。さて、行こう」
「分かった。ついていく」
とりあえず、他に道がないなら同行する以外の手はなく、ましてや使徒がそばにいるのに一般人も近くにいるこの状況はどんな爆弾が爆発するかも読めない。様々な方向の緊張感に胃を痛めていた。
(踏ん張れよ俺、しくるなよ俺……すごく嫌な予感するけど……)
*
男性に案内され、ここに至るまでは一本道で罠の類も一切なかった。それ自体は間違いなく良い事のはずなのに、上層の罠の多さと比較した時に不安感が勝る。夜に山中を歩いている様な感覚、静かな時であっても隣り合う不穏な気配が錯覚ではなく肌で感じられる様な雰囲気がある。
葵は辺りの気配に意識を集中させてはいたが、特に大きな変化はない。
(第六感にだけ頼ってる様な感じなのは良くない気がするけど、これはこれでちょっと不安だ……)
「着きました。ここが我々の避難所です」
男性の声で意識を目の前に戻した葵は避難所の方に視線を向ける。
石で出来た小さな劇場跡の様な場所を中心に、円形状に観客席代わりの階段が広がり、葵達が今出てきた場所はその階段の1番上、その段にはぐるりと円の形に沿って3つの部屋がある。舞台がある1番下の地面から奥にも扉はある様だが、それを塞ぐ様に床から突き出た魔石のせいで奥まで調べられない。構造としてはこれまでよりも妙にシンプルだ。
「ここのどこにも罠はなかったのですか?」
「奇跡的に。お陰で我々はここまで長らえておりますからね」
「こんな風に普通に生きられるスペースがあるなんて……」
「ふふっ、生きてここまで辿り着いた貴方達も珍しいですがね」
(言われてみればそうだな……)
「皆さん、少し集まってくれませんか」
劇場跡を広場代わりにしていた先住民の面々が、男性の一声でこちらに視線を向ける。
「視線が斜めに向いてる、恐怖?」
「俺はあがり症っていう不治の病があるんだ」
「緊張なさらないで下さい。皆さん怖い人じゃありませんから」
集まってきた人数は7人。この遺跡の構造を考えたら仕方ない上にその為に作られた場所と比較するのは間違っているとはいえ、ノアほどの避難民の人数ではない。ここまで辿り着けずに死んだ人間がどれほどいるのか、道中の遺体を思い出せば、それが数えられる人数に収まっていない事は間違いないだろう。
それ故だろうか、興味深そうな目を向ける者も当然いるが、大半は警戒の色が濃い。この遺跡の危険性を全く知らない者などここにはいないだろうから、その中で新しい人間が来たら新手の罠かと思うのも仕方のない事だと、葵もよく分かっていた。こうした普通ではない状況に置かれていると、理論的に思考を巡らせる事など普通は出来ない。葵だっていまだにそれは出来ないのだから。
「……そうやってヒョイヒョイ知らねぇ奴を連れてくるんじゃねぇよ」
「申し訳ありません。でも放っては置けないではありませんか」
「はっ、どうだかな──」
「ねぇねぇ!新しい人!?しかもウチと歳が近そうな子達じゃん!マジ上がる!!」
「ちょっと。そんな簡単に心を許しちゃって良いのかな。私どうかと思うけど」
「ほら、怖いどころか愉快な方々なんですよ」
「愉快は大分失礼に両足突っ込んでる気がするけど皆さん気にしないのかな?」
「見せもんじゃねぇんだよ殺すぞ!!」
「何で俺は怒られてるの!?文句ならこっちのニコニコしてる人に言ってよ!?」
「ユルシテ……」
「いやそんなビビるのに言ったんですか!?後俺を盾にしないで押さないで!!」
「こらこら、仲良くなるのは結構だけれど、その子をわたし達にも早く紹介して欲しいわ」
混沌と化す寸前……いや、混沌と化したこの場を落ち着かせたのは絵画からそのまま飛び出してきた様な綺麗な女性だった。ウェーブのかかったプラチナブロンドの髪に、サファイアをそのままはめた様なつり目の青い瞳。豊満な胸を強調しつつも上品に着こなされた真っ赤なドレス姿は非常に目を引く。
「失礼しました、ミスアーリア。彼等はあの水辺に居た……」
言葉が途切れ、男性は葵達の方を一度振り返る。その瞬間、彼が何を言いたかったのか察した葵は咳払いをしてから口を開く。
「俺は滝沢葵と言います。ノアに所属していて、ノアっていうのは地球への帰還を目標にしている組織みたいなものなんですけど、そこで戦闘員の1人として戦ってます」
ノアについても首を傾げ、中には更に疑うように眉を寄せる者もいるだけに、ここで自分は勇者であると名乗るのはやはり早そうだと考えて、色々と濁しつつ当たり障りのない紹介をした、つもりだ。この世界にまだ馴染めていない人達にこれ以上変に思われる情報を葵は増やしたくなかった。ここは閉じられた場所で脱出の目処についてまた聞いてない場所ならば、人間関係を円滑に進めるのは最優先だ。
それでも当然、強まる警戒まではどうしようもなかったが、1人が率先して声を上げる。
「マジで!?勇気あんねぇ〜!君顔も良いし、えっ!?君の背後の子もお人形さん!?美人じゃん!平均値たっか〜〜!!あっ!ウチは日向。ひ・な・た!超よろしくよろしく!!」
珊瑚色の髪を編み込みポニーテールにした髪型、蜂蜜色の丸い瞳の少女。着崩して胸をちらつかせてあるミニスカの制服姿、手首に巻いたシュシュ、葵が地球にいた頃だとあまり関わる機会のなかったタイプの人だろう。
葵の手を両手で掴んで上下に振りながら笑顔で接してくる彼女の様子は非常に毒気が抜ける。思わず当の葵も緊張で強張っていた顔が緩んで、笑みが自然と浮かぶ。
「ってわけで!皆も挨拶しよ!ガンガンいこ!」
「じゃあ、次はボク。ミゲルだ。ジロジロ見てしまってすまないね、ボクもそうだが皆キミの事が気になるみたいなんだ」
無造作な白髪混じりの黒い髪と、紫色の瞳をした男性が葵の肩を叩く。ガタイの良い体型をダークブラウンのスーツで包み、黒いコートを羽織った男性は、アーリアもはまた違う品のある雰囲気を感じさせる容姿だ。
「……私は若葉杏菜。そんなにベタベタ仲良くする必要はないし、そっちも別に無理しなくて良いから」
茶髪のミディアムヘアに彼女の名前の様な若葉の色をした瞳。日向の近くにずっといる事と、カーディガンを羽織ってるから分かり辛いが同じ制服を着てる事から、彼女と同じ学校に通っている少女の様だ。
そして、異世界にいる中で貴重な元の世界からの縁だからなのか、日向を庇う様に前に出て葵を見ている。無害か否か、警戒と観察をしている様だ。
「……ちっ、ニントだ。あんま馴れ馴れしくすんなよガキ」
スキンヘッドに鋭い三白眼の黒い瞳、擦り切れた革の鎧姿の男性。最も葵達を警戒し、明らかに敵意すら向けている。仕方ないと分かっていても葵もどう接するか困ってしまう。
そんな空気を感じてか否か、ニントの不機嫌が強まる前に辺りを見回したミゲルが口を開く。
「エーデルの婆さんはどうしたのかな?」
「あら、わたしが起きた時にはいたのだけれど。多分またお祈りをしているのだわ」
「こんな世界で拾う神なんぞありゃしねぇだろうによ」
(それに関してならほぼ同意だけど、俺達には味方をしてくれる女神様がいるからなぁ)
眠るリンドの姿が頭によぎる。入れ違いでもし意識が戻っていたら、彼女は心配するだろう。あるいは、何も言わずに一時的にとはいえ勝手に離れた事に対して怒るだろうか。その両方かもしれない。
せめて、彼女のルーツに関わる存在に示された場所に来ているのならば、彼女の記憶のヒントになる情報を持ち帰りたいと葵は考えていた。今は脱出方法の方が先かもしれないが。
「はいはい、では最後は僕ですね。僕はルイ、それだけです。よろしく滝沢葵君、と──」
「……デアンタ・ベルタ」
「滅茶苦茶ニックネームですねぇ」
(ルイさんが先に言ってなければ危うく俺がいうところだった)
これまで出会った使徒の中で偽名を使っていた事例はなかった。魔王は確かに魔王と名乗っていたが、葵に名前を口にした時の彼は偽名を名乗ってる様子はなかった。確かにこの異世界という状況で知らない人に対して、本名を名乗りたくないという人がいてもおかしくはないだろう。
ベルタに対する葵の違和感が、ただそれを脳内で強調しているだけなのかもしれない。しかし、彼女が葵を助けてくれて、彼女が気遣ってくれている事は前提としてあっても、何故ここに現れて、何故葵に接触してきたのかはまだ謎なままなのだ。
ただ偶然だったで済む関係ではない、なにせ2人の関係はあくまで勇者と使徒なのだから。
その葵の微かな感情の動きにベルタは気付いたのか否か、ぐるりと葵の方に真っ直ぐと視線を向けてきた。妙にバツの悪さを感じた葵は、何もないと言う様に首を横に振ってから、彼女の方に向けていた視線をルイの方に戻す。
「あの、ルイさん。皆さんずっとここにいらっしゃるんですか?」
「ええ、ここ以外で活動のしようもないですから」
「時間経ったらここから出られるんじゃないかな〜って!ウチはまだドッキリ説推してる!」
「日向は楽観的すぎ……」
「ははは、ボク達の置かれた状況は極めて非現実的だからね。そう考える方がむしろ自然かもしれない」
「地球への帰還つったか?そんなもんあり得るわけねぇしな……けっ」
皆の様子を見ていても、脱出に対して積極的な人はいない。それもそうだろう、他のルートとなるのは水辺の上、登るには現実的ではない高さのある穴。未知数であろう奥の扉。それ以外の部屋は既に皆も調べてあるのだろうから、希望が持てないのも仕方がない──
「しかし、そうですね……ここにはまだ3つの不思議な点が残っているんです」
「え?」
「1つ目は奇妙な奥の扉、2つ目は読んだら気を失う不思議な本、そして3つ目……これが最もおかしな物かもしれませんし、僕の頭が疑われるかもしれません」
「ルイ、外から来た人にわざわざ聞かせる事はないわ」
「う、ウチも反対だなぁ……アレはなかった事にした方が良くない?マジで疲れてた時の幻聴かもだし……」
「しかし、それは彼等にとってフェアではないでしょう。我々だけが知ってる方が、危ないかもしれない」
それはなにやら剣呑な空気に変わる話題の様だ。皆がそれぞれ好きに話し、賑やかな空気だったこの場所が突然沈黙のみが支配し、水の流れる音だけが無機質に背後から響く。
葵には聞かないという選択があり、それを自ら言い出すのがルイ以外の意に沿う、ここでのやり取りを円滑にするのに有効かもしれない。しかし、葵はここに籠り続けるわけにはいかない以上、貴重な情報は聞いておきたい。皆が隠しておきたい共通の情報を皆の前で聞ける方がまだ彼等の印象としては悪くなりにくいかもしれないから、今が1番良い。
「──3つ目、とは?」
「3つ目は、レディエーデルがお聞きしたらしいとある言葉なんです。レディエーデルは我々と同じ避難してきた方なのですが、この場にはいません。基本的に部屋に篭っている不思議な方です」
「さっき言ってたお婆さんですよね?その方が聞いたって、誰から何を」
「とても神々しい声だったそうですが、誰なのかまでは……でも我々の内の誰かではないと思うんです。その言葉は、底に眠る答えを求めし者、舞台にて忠実なる者の血を捧げた時、扉は開かれん。だとか」
葵にはその言葉の正確な意味はすぐには分からなかった。
ただ、確かな事があるとすれば、邪なる者が介入しようとしている。あるいは既にしているという事だろう──




