第53話 ロザリアの信頼 2
あれは、五年ほど前のことだ。
俺がロザリアの部屋を訪ねて、ベットに寝転んで本を読んでいる彼女から、研究結果をレクチャーして貰っていた時。
突然、彼女の尻から、ブブッという破裂音が響いた。
…………。
――さて、こういう時に、俺はどうリアクションを取るべきだろうか?
聞かなかったことにする。
――というのが一番無難で紳士的だとは思うが、無反応というのもそれはそれで、如何かと思う。
明らかに聞こえていたわけだしな。
それだと、変に気を使われたみたいで、逆に恥ずかしい気もする。
相手の性格や、関係性によっても正解は変わるだろう。
……んー、わからん。
俺はとりあえず、ロザリアの表情を見てから、対応を決めることにした。
俺はさり気無く、彼女の顔をチラっと盗み見る。
ロザリアはまったく悪びれもせずに、本を読んでいる。
――何事もなかったかのように。
……ふむ。
彼女が恥ずかしさに苛まれていないのであれば、それでいいのだが――
全く気にも留めていない、というのはどうだろう?
俺は一応、この国の第一王子だ。
いくら、俺が礼儀とかに五月蠅く言わない、と言っても限度はある。
王子に向かって屁をこき、気にも留めないとか――
不敬だよね?
ここは、ちゃんと彼女に注意しなければ――
しかし、さて――
どう諭せばいいものか。
「ロザリア、親しき中にも礼儀ありという『ことわざ』を知っているか?」
俺は前世の記憶にある、『親しい間柄でも礼儀を重んじなければいけない。相手への気遣いは大切だよ』という意味の訓戒を、彼女に教えた。
そうすることで、彼女は自分の無礼に自然と気付くだろう。
彼女は頭がいい。
俺はロザリアが、自分で気付くように促した。
俺が彼女の無礼を指摘したことで、ロザリアは少し恥ずかしい思いをすることになってしまう。しかし、『聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥』ともいう。
この一時、恥ずかしい思いをすることで、彼女は礼儀を手にすることが出来る。
俺はロザリアが恥じらいながら、謝罪をするのを待つ。
――しかし彼女は
謝るどころか余裕のある笑みを浮かべて、逆に俺を諭してきた。
「アレス様はお子ちゃまだね。――良いことを教えてあげる」
そういうとロザリアは、偉そうにニヤリと笑って、俺に教えを授ける。
「同棲して一年目くらいのカップルの――男の悩みって知ってる? それはね、『彼女のオナラを聞いたことが無い』っていう悩み。これがね、意外と多いんだよ。彼女から距離を取られている。信頼されていないんだって、そういうふうに悩むんだ」
へえ、そうなんだ。
つまりロゼリアが、自身の放屁を気にしないのは、俺を信頼している証なのか。
――そう言われると、なんだか悪くないな……。
…………。
……いや。
俺は一瞬、騙されそうになったが……。
「だからね。私がアレス様にオナラを聞かれても平気なのは、こんな事くらいで私達の仲は壊れたりしないっていう――『信頼』があるからなんだ。これはね、信頼の音色なんだよ!」
そう言いながら、彼女はまた屁をこいた。
プ、プ~~と、少し甲高い音が鳴り響く。
その音が面白かったのか――
ロザリアは、フヒャヒャ、と笑う。
「――いや絶対、トイレ行くのが面倒くさいだけだろ、お前……」
俺はそう言って、ロザリアの尻をパシンと叩いた。
何が面白かったのか、ロザリアは尻を叩かれて、ウヒャッヒャッ、と笑う。
そして、こっちを向き、悪戯っぽく笑いながら――
「――バレたか」
といって、白状した。
どうやら俺をからかって、遊んでいたようだ。
まあ、俺はそんな彼女のことを、可愛いと――
思わないでもない。
――とまあ、そんなことがあった。
そして、俺はロザリアのオナラの音を、ここ数年聞いていない。
そのことに思い至ったので、尋ねた訳だ。
――俺は彼女からの信頼を、失ったのだろうか?
俺はロザリアの見解を聞こうと、彼女を見る。
ロザリアは枕に顔をうずめて、見悶えていた。
そして――
「わ、私そんな事してないもん。そんなの、捏造だし。言ってないし――くッ、……なんでそんなこと、覚えてるのよ。アレス様のバカ、アホ、おたんこなす! てゆーか何よ。信頼の音色って、無駄に詩的な言い回ししないでよ。余計恥ずかしくなるじゃん。バカッ!!」
信頼の音色は、そっちが言い出したことなんだが――
いや、止そう。
誰にでも、思い出したくない過去はある。
親しき仲にも礼儀ありだ。
俺はロザリアの信頼の音色の記憶を、心の禁書庫に仕舞う。
――封印完了。
「そうだな、よく考えたら俺の記憶違いだった」
俺はそう言って、ロザリアの頭を撫でて機嫌を取った。
数日後――
俺はピレンゾルへと出発する。
一向に進まないピレンゾルとの外交交渉。
ローゼリア事件の始末を付けるために、全権大使に任命されたからだ。
面倒だが、捕らえている捕虜の管理にも費用は掛かり、負担になっている。
さっさと、返還したいので、直接言って話を付けてくる。
隣国へと旅立つ俺を、ソフィ達が見送りに来てくれた。
そして俺も、王都へと旅立つソフィを見送る。
王都にある神殿から、『聖女ソフィ』に招待状が届いた。
『ぜひ聖女であるソフィ様に、神殿で祈りを捧げて欲しい』という要請だ。
――そう、公式にソフィはまだ聖女という肩書のままなのだ。
その建前があるからこそ、彼女は俺の婚約者でいられる。
それを崩すわけにはいかない。
神殿側も、ソフィが聖女ではないことは、すでに分かっているはずだ。
おそらく、神殿内の権力闘争と政治的な駆け引きから、建前を利用してソフィを引っ張り出そうとしている。
具体的な狙いは判らないが――
きな臭い匂いがする。
今回の神殿からの要請は、病気という事にして断った方が良いだろう。
しかし俺は、その判断をソフィに委ねた。
ソフィはローゼリア事件後に目を覚ましてから、療養のためこれまでずっと後宮で暮らしてきた。
しかし、彼女は将来――
この国の、王妃になる。
いつまでも、外界から隔離して護る訳にもいかない。
世話をする者や、護衛も付けた。
死神からもたらされた情報も、信憑性がある。
いざとなれば彼女は、自分の身は自分で護れる。
――そんな事態にならない方が良いのだが、これから何をどう判断し行動するのかを、彼女自身が判断して、動いていかなければいけない。
「今回の王都行は危険だと思うが……どうするかは、君に決めて欲しい」
「心配はいりません。それに――お祈りは得意なんです!!」
そう言って、ソフィは朗らかに笑った。
そして――
「アレス様も、お体に気を付けて下さい」
逆に、俺の身を案じてくれる。
「ああ、しばらく会えなくなるのは寂しいが、お互いの使命を全うしよう」
「はい、王都の方は、私にお任せください」
ソフィは自信に満ちた顔で、力強く請け負った。
俺が自分の運命を自分で切り開いて来たように、彼女も自分の運命と戦ってきた。
俺一人では、この国の運命は変えられなかっただろう。
たぶん、俺たちは二人で一人。
二人で同じ困難を乗り越えて、今がある。
勿論、心配ではあるが――
俺は彼女の困難に立ち向かい乗り越える力を信じて、王都へと送り出した。




