28話 記憶
俺が踏み込んだ瞬間、彼の手元がぶれた。
それはまるでカメラ先の対象がぼやけたかのようだった。
気付いた時には俺が振るう剣に微かな衝撃が走っていた。
俺に知覚できたのはそれだけだった。
やがて一連の動きが全て雪の積もった街路のように静止すると、俺は自身の持つ剣に視線を戻した。
おもちゃの剣でしかないそれは、半ばから上半身を失っている。
やがてその半身が
ポテッ。
という可愛い音を立てながら、体育館の床に落下した。
生徒たちは皆一様にその地面に落ちたおもちゃの半身を見つめていた。
あまりの技量の高さに、誰も声を上げることすらできない。
目前で起きた光景の末端さえ、理解することができなかったんだと思う。
プラスチックを同じプラスチックで、それも刃など存在しない剣身で切断するその離れ業が誰にも理解できなかった。
やがて静寂を遮るように、織田先生が声を出した。
「さて、今回は俺の勝ちだな。」
「…参りました。」
勝ち誇った顔が多少ムカつくが、ここまでの差を見せられては納得するしかない。
何よりも今後も学校に織田先生がいるのであれば、ここらが折れ時だろう。
周囲の生徒もようやく意識を取り戻したのか、感嘆の声を上げつつ彼を称賛していた。
「おい、俺は授業を中断した記憶は無いぞ?みんな授業に戻るんだ。」
織田先生の指示で、生徒たちはすぐにみんな模擬戦に戻った。
俺がそんなみんなを見送っていると、織田先生が突然声を上げた。
「うん?一色、お前怪我をしているじゃないか。やってしまった。手加減はしていたがすまない。よし、先生が保健室に連れて行こう。みんなはそのまま、授業を続けていてくれ。」
芝居がかったセリフでそういうと、彼は俺の腹を生徒たちから見えない角度で思い切りぶん殴った。
「うぐッ!?」
「う~ん、体調まで悪そうだな。仕方ない、俺が運ぶから朝比奈もついてきて、保健室で処置をしてくれ。」
「え?は、はい。分かりました。」
織田先生がくの字に曲がった俺に肩を貸し、一歩踏み込んだ。
俺はその瞬間に全体重をかけ、彼の足を踏んでおいた。
「くッ!?一色~、お前気を付けなくちゃだめじゃないかぁ~。先生の足を踏んでいるぞぉ~?」
「すみませぇん織田せんせ~。ちょっとバランスが崩れましたぁ~。」
「あれれぇ?さっき決着はぁ~着いたと思うんだけどぉ~?」
「年下をぉ~あんなに不利な状況に追い込んでおいてぇ~?いやぁ、織田先生の度量のなさには尊敬しちゃうなぁ~。」
俺と織田先生が睨み合っていると、描絵手が呆れた顔で声をかけてきた。
「…あの、二人とも。早く行こうよ。」
「…。」
俺と織田さんは睨み合いつつ、保健室へと向かった。
●
「それで?どうしてわざわざ保健室に?」
描絵手と織田先生と三人で保健室に来た。
どういう仕組みかはわからないが、保健室の先生まで変わっていた。
見覚えのある金髪に、少しだけ耳の長い男。
描絵手の襲撃に来た最後の一人、"千里 リヒト"その人だった。
描絵手がいることで、要件はある程度想像できるが。
「無論、朝比奈についてだ。通学中に見てきただろ?明らかにおかしい。」
「そうですね、まるでみんな描絵手の正体を知らないみたいでした。」
「少なくとも俺たちシェルターは何も知らない。だが彼女を守ると決めた以上、俺たちも理由は知っておくべきだ。で、お前は何をしたんだ?」
「確かに消去法的に俺が怪しいのも分かりますが、俺は何もしていませんよ。」
「…そうか。不自然な点はいくつもある。例えばお前は彼女の正体を世間が知らないようだと表現した。だが世間は日本のどこかに"遺産"がいることを認識していて、例の一件の記憶もある。おかげでシェルターは大変だ。」
「つまり"魔王の娘"が日本にいることは知っているけど、それが描絵手だと誰も知らないっていうことですよね。」
俺はすぐにスマホを開き、例のライブ放送を見る。
やはり描絵手の顔は映っており、そうした加工処理をした記憶はない。
余談だが今はライブの動画を公開していない。
見ることが出来るのはアカウント所持者の俺だけだ。
公開しておいた方がいいとも思えるが、人間同士の殺し合いをいつまでも公開しておくのは良くないことだと思った。
描絵手の今後にも、夢霧無の今後にも。
世界融合以前の話は知らないが、メディアにおける表現の規制はかなり緩和されている。
魔物が活動するこの世界では一瞬後に何が起こるかは分からない。
結果的に生き物の生死に耐性を付ける必要があると、政府が考えたからだ。
ただ流石に殺人動画は規制の対象になりえるコンテンツで、俺は公開後すぐに自身のアカウント内に封印した。
そうした動画コンテンツは公開しなければ運営が介入することはない。
実際に殺人が起きた動画ではないが、危険なことに変わりはない。
「…待ってください。」
「どうかしたのか?」
「おそらくこれって、魔法の影響ですよね?」
俺はなんらかの魔法で描絵手の顔の記憶だけ世界中から消したのではないかと思案していた。
論理的に考えて、一番可能性が高いのは魔法だろう。
「…断言はできないが、それが一番大きな可能性だろうな。」
「もし仮に魔法による大規模な記憶の改竄が行われていたとして、そもそも俺たちはなぜ描絵手が"遺産"だと理解できているんですか?」
以前織田先生の発言にあったように、魔法による大規模な記憶改竄が可能なのだとしたら、影響が出ている人間と出ていない人間の差が分からない。
「魔法における記憶改竄の基礎だな。瞬間的に記憶した事実と、継続的に記憶している事実を改竄するのでは差がある。現にあの一件の数日前から朝比奈の正体を記憶している我々(シェルター)は、未だに彼女が"遺産"だと認識できている。これは俺たちが敵が行った魔法の指定範囲の外だったという証拠だろう。もっとも、そんな魔法は聞いたことがないがな。ここまでの規模で、極一部の記憶を消すなんて。」
「でもそうした魔法の性質が現れているのなら、やっぱり何者かの魔法によって人々の記憶が変えられているっていうのが正しい気がします。」
万が一の場合が俺の脳内によぎった。
神々の介入だ。
トットの説明では描絵手が死んだ方がいいと考えている神々がいるらしい。
しかし"試練"と"力"の法則同じく、神々は直接人々には干渉しない。
ただ確認する前から可能性を排除するのは良くないので、トットに一度確認してみた方がいいだろう。
仮に神々の仕業だったとしても、その目的は分からないが。
俺の公開した情報に後から制限をかけられたかのような状況だ。
日本に"遺産"がいるという事実を残しつつも、描絵手の正体に関しては今のところ隠されているあたり、敵か味方かで言ったら味方である可能性もある。
描絵手の生活そのものが阻害されないように、あえて必要な情報だけを世間に与えたという見方もできる。
織田先生の言った通りなら、今世間は何の害もない"魔王の子供"が日本にいることを知っているだけで、騒ぎにはなっていない。
俺はスマホでネットニュースをあらかた確認した。
シェルターへの問題視が話題のニュースはあるが、魔王の子供を詮索するようなニュースは上がっていない。
それぞれのニュースの見出しは、「シェルターの行き過ぎた正義」であり、「魔王の子供とその正体」ではない。
何者かが描絵手を守ろうとしているのか。
あたかも描絵手についての言論統制が行われているかのようだ。
俺はとりあえず考えを整理するために、織田さんに一番重要なことを質問することにした。
「どちらだと思いますか。敵か味方か?」
「…さぁな。今のところ何とも言えない。そもそも大規模な魔法が行使されれば、それを察知することが出来る者達は何人もいる。だが誰もそんな事実を報告していない。俺たちにも何が起きているのかさっぱりだ。」
「魔法…なんですよね?」
「そう考えるのが自然だが、断言はできない。もしもこれが魔法によるものだったとしても、さっきも言ったがかつてこんな魔法は経験がない。」
「…新大陸側の魔法に詳しい人の意見が聞きたいですね。」
俺はチラリと織田先生の方を見た。
もちろん俺にそんな人脈はないので、"帰還者"である彼に頼るしかない。
彼は一瞬だけ困った顔をするも、直ぐに頷いた。
「わかった。何人か知り合いを当たってみる。限定的な記憶改竄…か。全く何が起こっているんだか。」
「でももしも大規模な魔法だったら、それなりに人数が必要ですよね。」
「それは間違いないだろうな。世界規模の魔法を数人でできるわけがない。記憶を改竄するには、その記憶の鮮度が命だからな。深く根付けばそれだけ改竄するのは困難になるはずだ。」
「…あのう。」
描絵手がおずおずと手を挙げた。
この話し合いに挙手性はなかったはずだが、彼女らしいと言えばらしい。
「そんなに記憶の鮮度が重要なら、少なくとも魔法が使われた日は分かるんじゃないかな?」
「…なるほど、確かにそうだな。一色を疑いすぎて、基本的なことを見逃していた。恐らくライブ配信当日か、遅くても翌日か。リヒト、頼めるか?」
「わかった、ちょっと本部に電話してくるよ。」
そういうと千里さんは席を外した。
外から電話の音が聞こえる。
数分後すぐに彼は戻ってきた。
「今"魔力反応局"から聞いてきた。大きな魔力反応はなかったらしいよ。」
「そうか、そうなると…手詰まりだな。」
「ちょっと待ってください。何ですかそれ?」
「ん?あぁ、世界中の魔力反応をただ見ている部署だ。」
「…それ、世間に公表されてないですよね?」
「まぁ一応そうだな。だが政府は知っている。魔法的脅威から身を守るために、地球側のそれぞれの国が合意して成り立っているからな。ただグランディア側に対する外聞が悪いから情報を隠しているだけだ。」
「でもそんなのがあるならシェリーの意味って…なくないですか?」
「馬鹿言うな。確かに高魔力の魔物なら索敵できるが、人間と同程度の魔力しか持たない魔物の方が多いんだぞ?それに人の目の方が確実だ。」
「なるほど、確かにその通りですね。」
世界融合以来、近代兵器の一部よりも魔法の方が優れていることは"帰還者"たちが堂々と証明した。
だからこそ銃を持つ者よりも剣を持つ者の方が多い。
ペンは剣よりも強しじゃないが、少なくとも近代兵器を路上でぶっ放すよりも遥かに安全だし、銃が通じない魔物の方が多い。
つまるところ人間の技量に重きがかかる剣の方が、有用性があるわけだ。
それは世界の力関係にも言えることで、魔法というイニシアチブをグランディア側が持っているので、警戒するのは当然なのかもしれない。
グランディア側が本当に警戒しているのは"核爆弾"くらいだろう。
ある意味あれだけは"抑止力"としてグランディア側にも成立している。
「でも反応がないならつまり、魔法じゃない…っていうことですか?」
「…わからん。状況証拠的には魔法ではない。だが魔法以外に世界中の記憶を改竄するすべがあると思うか?」
「…確かにそうですね。…だめだ、さっぱり分からない。」
俺は考えることを放棄し、天井を見上げた。
その後の話し合いにも進展はなく
キーン・コーン・カーン・コーン。
最終授業終了のチャイムが鳴った。
教師同行のサボりだから十分に免罪符になるだろう。
そもそも俺は教師からサボるように誘導された。
その日はそれ以上話し合うことなく帰宅することになった。
今話し合っても何も進展しないことだけが明らかだったからだろう。
今回のパワーフレーズ
「雪の積もった街路のように静止」
雪は迷惑な反面、美しいと思えてしまう瞬間も十分にありますよね。




