7-1
「おお、伸也じゃねぇか!」
オートキャンプ場に着いた僕を最初に迎えてくれたのは大佐古だった。季節柄とはいえ宿泊客は思っていたよりも多く、その中から彼らを探し出すのは困難だと思っていた矢先だった。
大佐古は先を歩きみんなのところに案内してくれる。
「伸也の方はどうだよ、うまくいってるか? っちうか、お前どっから来たんだ、そんな手ぶらで?」大佐古は地方出身者で少し訛りがきつい。
「ああ、近くに知り合いがいてね、そこで荷物は預かってもらってるから」ロケのことは黙っておこうと思った。秘密にしたいという以前に、今はみんなと同じ立ち位置にいたかったからだ。
バーベキューをする皆は僕を見つけて口々に「伸也、伸也」と呼んだ。なんだか照れくさいような、それでいてとても救われたような気がする。ヒサにい、大佐古、永井、ウォン、奥田、それに牧村までいた。
「あれ、六人だったっけ?」
「いや、女の子が奥田だけだと何かとね」ヒサにいが応えた。
「へへ、便乗させてもらっちゃった」牧村はビールを片手に笑った。
「っていうか、牧村も樫尾町行くつもりなのかよ?」
「あたしは別に樫尾町には興味ないよ、場所はどこだっていいもん」牧村は僕にビールをよこした。
「課題では何撮るつもりなの?」早速僕は渡された缶ビールのプルトップを引き、加賀さんと車中で話し過ぎてすっかり乾いてしまった喉に流し込んだ。
「空気」
「くうき?」
「ん、くうき。いろんな場所の空気を撮るんだ。ほらどこにでもその土地その土地に空気感ってあるじゃない。匂いとか風とか、暑さとか、寒さとか、音とか。そういうのって人間意外と記憶しているものでね、例えばある音楽を聴いたりすると一定の情景が記憶から蘇って来るってこと経験あるでしょ? 匂いとかもそうだけど、その人間がわざわざ覚えていないような記憶を呼び起こす感覚器には全て空気が媒介してるのね。音は空気の振動、匂いは空気中に混じった微粒子、温度はそれらが持つ熱、湿度もそう、風は空気の流れ。そう考えるとね、人間の記憶って空気なんじゃないかなって。そう思うんだ」
なるほど、牧村の考え方は言い得て妙だな、と思った。記憶は空気、空気は記憶。禅問答みたいで面白い。
「記憶は空気のようなもの、そう考えるとね、誰にでもあるけど誰にも見えないもの。それぞれの感じ方で形や意味を変えるもの、答えはないけど確実にそこにあるもの。どう?面白くない?」
「すげぇな……牧村は」思わずそんな言葉が口から漏れた。何がすごいと思ったのかはわからないけど、僕の心に光明を射されたような気がした。
「ほら、せっかくだから伸也も肉食っていけよ!」永井が割り箸と紙皿を手渡してくれた。
「なんだかんだ言っても豪勢なことやってるんだな」僕は彼らの貧乏旅行を想像していたからこのバーべキューは意外だった。
「今日だけだよ、明日からは樫尾町でめいめいに個人撮影に入るからさ。ベースキャンプはここに置いておくけど、次にみんながこうして集まれるのはいつになるかわからないしな」ヒサにいが言った。「ところで伸也は撮影始めてるのか?」
その質問には微妙な答えしか浮かばなかった。撮っているといえば撮っている。しかもプロの仕事だ。それを学校の課題にするとなるとやはり問題になるような気もする。
こちら側に来たら来たで、それはそれなりに僕にも写学生としてやらなければいけないことを思い起こされるわけで。そもそも僕が樫尾町に来たのは課題の為、は名ばかりで殆どは自分のために来たようなものだった。
「いや、実際のところ、まだなんとも」そう答えるので精一杯だった。
「私もだよ」僕の言葉に応えたのは奥田。バーベキューの炭火を見つめながら彼女は何かを話したそうだった。
「奥田も決めてないの?」
「うん、なんだか考えがまとまらなくて」
「俺もだよ」
「木田君もそうなんだ」奥田は僕にシンパシーを感じたようだったが、本当にそうだった。樫尾町ロケの仕事は時間が足りないほどある。だけどそれらについて撮影するにしても、撮影のテーマとしては僕の中でも決まらないままだ。
「奥田は実家に帰るのか?」
「うん、明日ここを出るわ。木田くんと次に会うのはまた学校になるよね。とりあえずお互い頑張ろうよ」
なんか、眼鏡の奥の笑顔がやっぱり僕には奥田美和に見えた。みんなは大佐古が地元の農家からもらってきたというスイカに群がっている。夏の風物詩とはいえ至れり尽くせりだな。
彼らが僕らを呼ぶ声がしたので返事をし、立ち上がろうとした。すると奥田は僕のシャツの裾を掴んで小声で言った「ねえ、木田君……あの、明日少しだけ時間とって会えないかな?」と。「え? 時間って……まあ、いいけど?」僕もつられて小声になっていた。とはいえど、なんだけど。
なし崩しとは言え、もはやれっきとしたスチルカメラのスタッフとして働いている身で約束は厳しいけど、少しくらいならなんとかなるだろう、日が落ちてからのロケはないし。
「都合で時間までは約束できないけど、連絡入れるよ。実家は樫尾町の隣町だったよな?」
「うん、せっかくだから久しぶりに街を散策してから実家に向かおうと思ってたし、いいよ北岸市駅の近くで時間潰して連絡待ってる」
どういう風の吹き回しだ、奥田が僕を誘うなんて。でも、男として女の子から誘いを受けるのは悪い気はしない。普通に考えたら、いや、普通なのかな? 奥田が僕に気があるとか……何を妄想してるんだ、中学生じゃあるまいし。
スイカは一玉あるから七人いても十分すぎる。牧村と奥田はともかく他の連中は樫尾町で何を撮る気なのか訊いた事はなかった。まあ、海も山もあるし、レジャーとして訪れるにはいい土地だとは思う。
「ヤンも誘ったんだけど、やめとくって」ウォンが種を飛ばしながら言った。
「人数増えたらレンタカーのグレード上げることができたんだけどなぁ」運転を担当しているらしい大佐古が続く。それに続いて余計な憶測を永井が述べる。
「樫尾町の人たちはやっぱり朝華教国のことを嫌ってるのかな?」僕が余計だって思ったのは、台湊民国と教国はもともとは華南半島で同じ一つの国だった。つまりウォンもヤンたちも同族ととられるのも無理はない。表向きは髪の色も目の色も僕らと同じだけど、やはり話し言葉のイントネーションを完璧にコントロールすることは難しい。それをウォンの前で言うのは無神経だ。
「ねぇ、ウォンはどうして樫尾町に来ようとおもったの?」その意を汲みとってのことだろうが、さらに牧村が質問を被せる。
「……うん、うまく言えないけど、やっぱり僕たちは華南半島の民族だし、国は別れても同じと思っているから。興味があるとかじゃなくて、見ておかなくちゃいけないって、ちゃんと謝らなきゃいけないって思うから」ウォンは真剣な顔で言った。僕らは返す言葉が見つからなかった。
「でも、ウォン一人が謝ってどうなることでもないよ。第一ウォンは当事者じゃない、教国の人間じゃないんだから」ヒサにいが片付けを始めながらボソリと言った。少しイラついた様子だった。「樫尾町の人間でも、教国の人だってだけで他人を責めるのはお門違いってことだよ、国は国、民族は民族、誰も選んで生まれてこれるわけじゃない」そう継ぎ足した。
「そう考えると、実際兵士やってる人間だって、自分の意志で人を撃ったりしてるわけじゃないもんな」大佐古が口を開いた。
「でもそんなこと言ったら誰が責任取るんだよ、それじゃ命令されたら動くだけの機械じゃないか」永井が反論する。
確かにそうだ、兵士は国の機械人形だ。命令のままに動くことを求められ、それを条件としてこそ存在を許される。だけど最後に引き金を引くのは個人のその指先だ。少し考えれば分かることだったはずだ“目の前の少女が兵士である自分の命脈を絶つ可能性”というものを。だから僕は彼らを遮り、言った。
「俺はやっぱり、恨むよ。教国の兵士を。国が悪い、指導者が悪いなんて物分りのいいことでは片付けられない。じゃあ、教国の首をすげ替えたら兵士たちの罪は消えるのかって、記憶から消し去ることができるのか?」酒のせいもあった、僕は半ば感情的に言い捨てた。
それに対し、ヒサにいが僕をなだめるように正面に腰を下ろした。
「それは、仕方のないことだよ。その場所、その時、なおかつその立場に立たされたら俺も伸也も綺麗事言ってられないかもしれない。実際元兵士で精神を患うものは多いし、一生後悔を引きずる事の方が多いとも聞く。それは加害者も被害者も同じで、戦争という災厄の被害者なんだよ」それこそ綺麗事だと思ったから、僕は言わずにはいられなかった。
「じゃあ、何度こんなことを続ければ引き金を引く指先を止められるんだよ。こんなこと馬鹿馬鹿しいって、割に合わないって、後悔するくらいなら最初からやめちまえ。死んだ人間は後悔すらできないんだ」僕はうなだれて言い捨てた。
「おい、伸也。何怒ってるんだよ」大佐古が語気を強めた。場の空気が濁り出すことを抑えきれなくなりそうなところを「ごめん、伸也」というウォンの言葉に僕は一瞬にして冷静さを欠いたことを後悔した。その中で奥田は黙ってみんなの話を聞いていた。
「自分が殺されるかもしれない恐怖」牧村はつぶやいた。「怖くて、恐ろしくて、撃つしかできなかった。私たちは、世界が、人間がそんな究極の選択肢を提示されることのないように努力しなきゃいけない。過去や現状を悲観するより、未来に希望を持てるように努力するしかない。つらくても前に進むしかない」おだやかながら強い調子で言った。
僕は歯を食いしばった。ここに居る誰の意見も本当は痛いほどよく分かる。みんなだってそうだろう。ただ、僕だけはまだ過去に縛られたままだ。ずっと腰にロープを結えられて前に進めないままなんだ。みんなのように戦争を“事件”として過去に分類できない。僕の中では依然として曖昧模糊な謎解きのような“事実”として継続されている。
それにやっぱり奥田は、殺されるような立場ではなかったはずだ。十五歳の何も持たない少女だったんだ。
その後はみんな、元のように笑いを交えたとりとめない会話を続けていたが、僕は内腑に発生させてしまった濁りがとれないまま、ただ隣の奥田美和というメガネっ子とここに肩を並べている奇妙さを考えていた。加賀さんと話したように、彼女はあの時死んでいなくて、ただ記憶を失ってここに居るとか。僕と同じように。
加賀さんが調べるって言ってくれたことだけが光明ではあるけど、もし彼女が本当に“奥田美和”だったら僕はどうすればいいんだ。
いや、確かめる術は他にもあるはずだ。奥田ともっと話せば何かが解るに違いない。僕だって彼女があの時の奥田美和だなんて信じてはいない。そんな出来過ぎた話はないと思いたい。




