7-2
みんなと別れて徒歩で宿に帰り着いたのは午前四時だった。東の空が明るくなってきていた。
宿から人が歩いてくるのが見える。酒で気分が良いまま、小高い山にあるオートキャンプ場から下りの九十九折の舗装道路を一時間以上歩いたせいで、さすがに足がぱんぱんだった。
「よう、伸也。今帰ってきたのか」人影の正体はカヲルさんだった。毎日の日課で朝の散歩に出るところだという。カメラを肩から提げていた。
「六時には出発するそうだから、今から寝たら寝過ごしちまうだろ、どうだ? 朝飯まで一緒に歩くか?」
それもそうだと思ったので、いい機会だと思って僕はカヲルさんにつき合うことにした。漁港が近いこの街は朝も早い。疲れているはずだったが、妙にテンションは高かった。
「カヲルさんは写真を撮る時にテーマって決めてるんですか」
「そりゃ決めてるよ。だけどどっちかっていうと後付けかもしれない。撮るだけ撮ってあとから考えるって方が正確かも」そう言ってカヲルさんは民家の脇に生えている朝顔の花をファインダーに捉えた。
「じゃあテーマ決めてないんじゃないの?」
「無意識だよ。その時の自分が撮ろうと思ったモノを撮るから、そこには自ずと何らかの自分の意識が反映されている。だから撮るときは余計なことは考えない」シャッターを小刻みに押す。
「なんかそれって都合いい考え方ですね」背中を丸めて朝顔を狙い続ける彼の後ろで、僕は昇り始めた太陽の光に目を細めた。
「そうか? 俺は大事だと思うけどな。同じ写真でも現象に対して真摯に向き合いテロップを添えるのがジャーナリストなら、視界の一部を切り取って絵にしてみるってのがアーティストだと思うからさ」
ここに来て初めて写真家KAWORUと会話をしたことに気づく。何気ない、なにげ無さ過ぎる動機でこの彼は写真を撮っているに過ぎない。大仰なテーマを抱えて世の中に訴えようとしているわけではない。そういう意味では皆川さんとは対極にあるカメラマンなのだろう。僕は果たしてどっちなのだろうか。
「正直、俺も写真がなんなのかなんてわからねぇ。ただ面白くてやってたら評価されたってだけだ。嫌味に聞こえるかもしれんけど」
「悔しいけど嫌味に聞こえますよ、十分」
お盆の時期だからだろうか、朝早くから墓参りに行く人がちらほらと見受けられる。そういえばどこからかよく響く鈴の音が継続的に聞こえている。昔ながらの漁港らしく細い路地が入り組んでいて、建物自体も築年数はかなり経つように見受けられる。
ずっとロケでゆっくり地域の景色を見ている暇なんてなかったから、改めて南辺の町にはない北岸独特の風情を感じていた。奥田の実家もこういうところなのだろうかと考えながら。
「家族揃って日の出にお墓参りに行くのがこのあたりの風習なんだろうな」すれ違う人を見ると、おそらくお盆休みに田舎に帰ってきた息子や娘だろう、初老の両親と肩を並べて歩く姿が多く見受けられた。
「世の中が文化や風習を忘れていって、人と人とのつながりが希薄になってるって言っても、こういう光景を見るとなんだか安心しますよね」
「伸也は行ったのか? 墓参り」
「いえ、田舎は南洋の島なんで、なかなか。両親は今日から行ってるはずですけど」
「俺も人のことは言えねぇけど、墓参りなんて全然行ってねぇ。まあ、忙しくて行けないってのが本音だけどな。ただなんだ、墓参りっていやぁ耳障りはいいけど、実際は誰の上にもいつでもいるんじゃないかなって、俺は思ってる」
「何が……いるんですか?」
「死んだ人間だよ。生きてる人間は、死んだ人間は墓にいると思いがちだが実際はそこにはいやしない。そう思いたい、生きてる人間のために墓という形として現世に残しているに過ぎないんだ、そういう装置なんだよ」カヲルさんは墓参りに歩いてゆく人々を振り返りながら言う。
「じゃあ、死んだ人はどこに?」
「この辺。この辺じゃなきゃ、あのへんかな」カヲルさんは自分の頭の上をゆびさし、それから視界の先の雲を指差した。「そのあたりのどこからかいつでも見られている。俺たちがその人のことを忘れない限りはずっと近くにいるんじゃないかってね」
忘れない限り、近くにいる、か。
「あの……昨日、覚えてるかって、カヲルさんが言ってたこと……僕は覚えてないんだけど」
「ああ、あのことなら別に……覚えていないならそれでも」
「僕と前に会ったことがあるってことだよね? もし、そうだとしたら、多分この北岸のどこかの街で僕らは会ったんだと思う、四年前に。だけど僕はその、あの日の記憶が一部を残して消えていて……一日目からなんだか変だと思ってはいた。カヲルさんが電車に乗れなくなったって話聞いたのもあるけど、空気のようで実体はないけど、なんだかざらついた感覚がこの街に来てからずっとそばにあった。変な表現だけど、そんな気分だった」
カヲルさんはしばらく黙って、そして静かに息を吐いた。「……伸也、樫尾町に行ったんだってな。昨日お前が出て行ったあと、皆川さんが話してくれた。あの写真のことも」
「……そうです。ただ、僕にはその場の記憶しか残されていない。なんで僕は彼女に花を届けになんて行ったんだろうって、どうしてあんなところまで行けたんだろうって、ずっと考えてた」カヲルさんには話したのか。じゃあマネージャーである加賀さんが僕の口から知ったのも昨日だから同じことだった。
「なんてこった、やっぱり本当なのか……」カヲルさんのそのつぶやきが何を意味しているのかは解らなかった。けど、ふつうに考えれば誰だってそういう反応をするだろう。
僕らは歩くのをやめ近くの公園のベンチに腰掛けた。カヲルさんはさっき立ち寄ったコンビニの袋から缶コーヒーを二本取り出し一本を僕に手渡した。
「あ、ブラック買っちまった。飲めるか?」カヲルさんは笑って言った。
「子供じゃないですから飲めますよ、いただきます」
「今日、樫尾町に行く予定だよな。今日のロケで話す内容だが、俺は樫尾町治安維持部隊の生き残りだ。そう、あの全滅部隊のな。伸也とは行きがけの兵員輸送列車の上で会っている」カヲルさんはプルトップを引いたまま地面を見つめて言った。
「カヲルさんがあの部隊の? それに僕が何故国防軍の列車なんかに?」
「そんな防衛隊の戦闘服なんて着てたから間違われたんだよ、うちの分隊長のオタ軍曹にな。俺は一部始終見ていたから知ってる。突然民間人が軍人と間違われて呼ばれてホイホイ軍用列車に乗る訳ないと思ったら、喜び勇んで乗り込んでくるからおかしな奴だと思ったよ。そんときの俺は他人なんて関係ねぇって思ってたからさ、さほどに気にも留めなかった」
それから小一時間、カヲルさんは列車の上で僕がどんなことをしていたのか、何を話したのかを克明に語ってくれた。
「伸也はな、言ってた。“なんもできねぇかもしれないけど、友達がいるから行くんだ”って。俺達愚連隊はな、死ぬのは嫌だ、戦争なんてしたくねぇって、誰か代わってくれるなら代わってほしいって思ってた。なんならこんなくだらねぇ人生なんてこのまま終わっちまってもいいなんて考えてたフシもある。戦争なんて他人事だって思っていた俺たちはその伸也の言葉に殴られた。みんな生き残りたいって、帰る場所があるってことを本当の意味で考えた」
「けど、カヲルさんは俳優になるって夢があったんじゃないか……だから」
「夢を追っかけてるって、そのために生き残るって言やぁかっこよく聞こえたかもしれないけどな。実はあの時俺は生きて帰れるとは思ってなかった。だけどよ、お前がいたから無理にでもかっこつけなきゃあんまりにもかっこ悪くてよ」そう言ってカヲルさんはコーヒーを一口のんだ。
「実際戦場じゃほとんど盲滅法に撃ちまくってただけだ。仲間がどんどん死体になってゆく中で残った者たちはお前の言葉を思い出してな“俺たちは生きのびるんだ、家族や友達がそこにいるから、待っているから”ってな」
「僕が……言ったこと?」
「ああ、おかげでな、かろうじて生き延びたやつらは腕一本失ったりしながらも望み通り戦場から帰還した。夢中で目の前の敵を倒した。両手上げて命乞いする敵兵士まで撃ち殺した、やられる前にやる、敵を倒す、とにかく目の前の敵を……目の前の人間を、殺して、殺されて……みんな……俺だけ……五体満足生き残っちまって」
カヲルさんの言葉は最後にはほとんど聞き取れないほど小さく萎縮してしまっていた。そしてがっしりとした筋肉質の肩が震え、うつむいた顔をくしゃくしゃと両手で拭った。僕は何も言えなかった。そして何もできなかった。
僕の体は震えていた。北岸の早朝の寒さのせいじゃなく、心が震えている、そんな感じだった。首から上は真っ赤になっているのではないかと思うほど暑いのに、体には悪寒が走っていた。その心地の悪さに目を伏せた時、薄暗い闇から浮き上がってくる記憶があった。
あの嫌な軍曹や、照れ屋なホストの兄さんやお笑い芸人はどうなったのだろうか、生きて帰ることができたのだろうか。彼らも誰かを殺してしまったのか、殺されてしまったのだろうか。
カヲルさんも彼らも僕を北岸市に降ろすことは本意ではなかったはずだった。だけどみんな僕のことを応援してくれた。だけど、そんなみんなはほとんど死んでしまった。僕は生き延び、彼女、奥田美和も死んだ。殺された。
なんで、なんで人は、何のために、誰のために、戦争なんてするのだろう。どうして分かり合うことができなかったんだろう。同じ人間なのに。何故殺しあわなければならなかったんだ。目の前にいたのは敵なんかじゃない、人間なんだ、人間だったんだぞ。
「このロケが終わったら芸能界は引退しようって思ってる。だからすべてを話そうと思って企画に参加した。皆川さんには割と早い時期から俺があの全滅部隊の生き残りだってことを知られていたけど、その時期が来るまで誰にも話すなって言われてた」
「その時期って、今なんですか」
「そういうことだと思う。暴露されちまった樫尾町の掃討戦を語れるのは実際に戦場にいた俺を含むごく一部の人間だけだ。お前も、皆川さんも含めてな。政府は樫尾町の悲劇を矮小化して永久に封印してしまうつもりだったんだろうけどな。それじゃあ、俺はどうなるんだって。気づいているとは思うけど、生還した人間及び樫尾町で被害にあった遺族はそれぞれ政府から恩給という名で莫大な口止め料を渡されている。黄金色の饅頭をな。民間からリークしなかったのはそいつが原因さ」
「政治のことはよくわかりません、だけど、そのために夢を捨ててしまっても構わないんですか?」
「じゃあ、黙ってろっていうのか?」
「そういうことは皆川さんのような人がやるべきであって、何もまたわざわざ傷を広げるようなことをしなくても……もう、カヲルさんは充分傷ついてる……いえ、すみません」僕の言い方は適当ではないと思いながらも言ってしまった。
「皆川さんだって何度も殺されかけてるんだ、だからあえて注目されるメディアへの露出を増やしている。周りからなんと言われようとな。悔しいが俺がスターダムにのし上がれたのもそのせいだと、つまり口止めの一環だと思うと腸が煮えくり返るけどな」
「まさか、そんな」
「当時北岸市の報道規制にマスコミは抗議したか? 樫尾町の惨状を捉えた映像が一つでもあったか?」
「違う、なんか違うんだ。そうじゃないよ」皆川さんが言っていた標的を射抜くという意味とは少し違うと思う。カヲルさんがこんなことを世の中に話せば世界はまた混乱する。もう “島田薫”は“嶋田カヲル”として平和な世の中に未来を築く、希望に満ちた未来の担い手になってもいいじゃないか。それにカヲルさんは実力で今の地位を勝ち取った才能のある俳優だ、そして作家だ。彼は世界に認められ、そして僕らを魅了している。そんな汚い不文契約の担い手とは思えない。
「戦争を経験して、その現場を見てきた俺に出来ること。今の俺に出来ることはそれを包み隠すことなく語ることだ。それでこの世界が現実に目をそらすことなく向き合うようになればそれでいい。それがあいつらに対する俺からの手向けだ」
結局この話は加賀さんからの呼び出し電話で中断されて、不完全燃焼のまま僕らは宿に戻った。僕はここでどうすればいいのだろう。力づくでも今日のロケで話をする島田薫を止めたい気分だったが、僕にそんな権限があるはずもなかった。




