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センチな君は戦地へ向かう 2  作者: 相楽山椒


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6

「おい、伸也。コンビニ行って酒買ってこい」大島さんが夕食を終えたあとで僕に言った。


 ロケも五日目になると僕はスタッフから名前で呼ばれすっかり顎で使われるパシリになっていたが悪い気はしなかった。


 僕は飲ませてもらえなかったけど、連日の夜の酒席でみんな砕けた挙句、嶋田カヲルのことをカヲルちゃん、加賀さんを忍ちゃんと呼ぶようになり、最年少の僕がそれに倣ってそうしても嫌な顔も不自然な空気も流れないほど、この撮影班はチームとしての団結力が出来上がっていた。


 これまで北岸市のあらゆる場所を回った。北岸市は東西に長い都市で、東は軍の戦略で橋を落とした雁龍川をめぐり、若宮町の原発にも出向き、東側の樫尾町まで、軍本部の戦略図を検証するという作業も一通り行うそうだ。


 北岸最大の都市とはいえ中心部は面積としてはさほどに大きくはなく、歩いても一日で一周はゆうにできる。僕らは樫尾町に程近い常宿をとり、そこを拠点に毎日行動していた。


「おう、俺も行く。つきあうぜ」驚いたことにカヲルさんが僕の遣い走りについてくるという。


 実際、この状況ほど考えられない状況はないんじゃないだろうか。僕がこんな北岸の街で嶋田カヲルとコンビニに夜食を買いに行っているなんて。


「なんか悪いですね、うちのスタッフみんな酒癖悪くて」


「いやいや、こういうのは慣れてるから。気にしてないよ」


 それに、すっかりスタッフになってるって? ああ、そのことなんだけどまあ、いろいろと僕の中でも方向転換というか方針転換というか、そんな感じだ。というのも“何かに使えるかもしれないから”って理由でスチールの担当をさせられている。


 つまり写真係だ。とんだ撮影旅行になってしまったけど、この際そのことは忘れようと思う。今はこの番組のスタッフとして滅多なことでは経験できない場に居合わせている喜びを噛み締めようと思う。皆川さんが許可してくれるならこれを課題の製作にしてもいいわけだし。


「おまえ、俺のこと覚えてないだろ?」コンビニからの帰り道でカヲルさんは突然真剣な顔で言った。


「え?」


「まったく、生きて帰ったら覚えておけって言ったろ」


「な、なんの……?」


「お前の名前、きだしんや、だろ。俺は、しまだかおる」


「うん……そう、だけど?」あれ? 僕はこのロケ中に木田っていう苗字で呼ばれたことなんかないはずだ。皆川さんがずっと“伸也”って呼んでたから、みんなもそう呼ぶようになっただけで。


「マジかよ……おぼえて、ないのか?」


 頭をフル回転してみたけど、それはすぐに無駄なことだと気付かされる。僕がもし嶋田カヲルに会っていたのなら、十中八九この北岸市の中での出来事だ。詳しく話を聴きたかったけど宿についてしまった。


 結局僕たちが宿に戻った時には皆は既にドンちゃん騒ぎだった。仕方がないので僕は彼らに買出ししてきたものを渡して部屋を出た。カヲルさんは別室で仕事の打ち合わせの電話をしなくちゃいけないとかで僕は取り残された。


 さっきコンビニに行く途中でメールが入っていたのをすっかり忘れていたんだ。樫尾町ツアーの連中からだった。


【こっちは昨日着いたところだけど伸也はどこにいる? 近くにいるなら合流しないか? いまバーベキューやってるぜ】


 ちょうどいい。時間はまだ午後八時だった。どうやら彼らは隣町のオートキャンプ場にいるらしかった。ここからならそれほど遠くもないし、バスもまだ動いている。いけそうだった。


 ロケの手伝いも、スタッフの皆といるのも楽しくてすごく勉強にもなる。だけど僕は無意識のうちに自分の歩いてきた道をトレースしていることに気づいてしまった。


 まだ全部を思い出したわけじゃないけど、当時戦場にいたカヲルさんが僕に「おぼえてるか」って訊いてきたのも何かの縁があるに違いなかった。正直なところ、このまますべてを思い出していいものかと迷う部分もある。


 皆川さんの写真展に初めて足を踏み入れた時の自分に戻りそうだった。もうあんな思いはしたくない。だけど、あえてそれを思い出すために僕はここに来るつもりだった。


 このロケに参加している五日間、僕は過去回想の中にいた。だけど写真学校の皆といる僕は現在の僕だ。今は学校のみんなに会えることが嬉しい。


「あのぉ、皆川さん。ちょっと僕、出てきます」


「んだぁ? こんな夜中にどこ行く? 風俗でも行くのか?」


「ちがいますよ、近くに例の写真学校の奴らが来てるんで顔出してきます、朝には戻りますから」


「ああ、彼女に会いに行くのかぁ、いやいやいや、若いってのはいいもんだ、フリーセックスだねぇ、ふっりぃせっくすぅぁ、ねぇ桐生さん!」


「スリーシックスぅ? てめぇ譲二、お前はもう四十だろが!」


「じゃ、僕はこれで!」


 酔っぱらいの連中を適当にあしらって宿を急いで出た。時刻表を見るとキャンプ場に向かうバスが今にも発車しそうだった。


 僕は駆けだそうとして宿の扉を勢いよく開く。途端に一瞬ふくよかな肉感と共に目の前が真っ暗になって尻餅をついた。


「ってぇ……」


 顔をあげるとそこには同じように尻餅をつく加賀さんの姿があった。


「……ああっ! すみません、大丈夫ですか」僕は顔をしかめる加賀さんに這い寄った。


「もうっ、どこを見てるの!」そう言いつつも顔は怒っていなかった。少し強めの言葉にドキッとしたけど、すぐにいつものおっとりとした加賀さんの顔に戻った。


「急いでるみたいだけど、気をつけなさい」埃を払いながら言う加賀さんはこの時間でも黒いパンツスーツのままだ。


「はい、すみません。あの……」と、言っている間に目の前の道をバスが走りすぎて行った。「ああ、間に合わなかったー」


「これからどこかに? よかったら乗せて行ってあげようか?」


 ラッキーだった。ぶつかったことは申し訳なかったけど、車で送ってもらえるなら差し入れを買っていく余裕もできる。なんか加賀さんに遣いっ走りみたいなことさせるようだけど、このロケの間随分僕もパシらされたわけだし、まあ、そこんとこはおあいこという事で。


「へえ、写真学校の?」


「ええ。でも、結局撮影旅行だなんて言ってもほとんど遊びなんでしょうけど」


 通りすがりの開いていた酒屋で一番安い一升瓶の酒を調達しようとしたら、加賀さんに「こっちにしなさい」って、北岸地方の銘酒を手渡された。会計は彼女もちで。


 一応、そんなの悪いですって断りを入れたのだけど、こういうの、たぶん遠慮するところじゃないんだろうな。


 僕はありがたく彼女の好意を受け取った。その代わり、どれだけ飲んでも明日の朝食までには帰って来いと釘を刺されたけど。


「いいなぁ、みんなで旅行なんて」ハンドルを握りながら加賀さんはつぶやく。


「でも、加賀さんもカヲルさんといろんなとこ行けるじゃないですか」


「それは仕事。遊びじゃないんだから。今回だってね」


 加賀さんが運転する車はいかにも高級車って感じで程よくエアコンが効いていて、シートもコシがあって、サスペンションの良さに相まって乗り心地がいい。どこかの誰かのオンボロとは大違いだ。


「あの、訊きたかったんですけど……その」


「何? 答えられることなら」改めてこんな風に加賀さんと二人で車に乗ってる不自然さを今更感じていた。


「このロケにカヲルさんが出演するのって、問題にならないんですか?」


 すると加賀さんはふと短いため息をついた。やっぱり訊いたのまずかったかな。


「まあね。事務所も渋々だったからね、正直なところ望ましくはないわね。けど、後になって外部から漏れて“黙っていた、隠していた”なんて言われることを考えたら数倍ましなのよね。わかるでしょ?」


「ええ、たしかにそうですね。時間の問題かもしれませんよね……北岸戦争の隠匿に政府は失敗してますからね。皆川さんのせいで」


「そうね、あの人のおかげでずいぶんかき回されたものね」


「でも、リトルフラワーズが発表されなかったら、すべてなかったことにされた可能性もあるわけでしょ。僕らはさ、何も知らないまま今を過ごしていた可能性だってあったんだから――」僕は自分の口調の強さに、自分が皆川さんサイドに立っていることを思い知らされる。


「知らなくていいことだってあるわ。あの写真に写った女の子の遺族の方の気持ちはどうなるの? もし君がその立場でもそんなことが言える?」加賀さんも少し強めに僕に返した。「それに、私も気になってたんだけど、君は皆川さんとはどういう知り合いなの?」


 僕が訊けばおのずと訊かれるに違いなかった。けど、ちゃんと問題のない答えは用意してある。「写真学校に入ったのをきっかけに知り合って、カメラの事を教えてもらってるんです」そう、何気ないどうでもいい知り合いだ。


「弟子って感じ?」


「いえ、そういうのじゃないですね」応えながら、何だろうかと考えた。僕の命の恩人っていうほど単純ではない。今後関わらなければ二度と会う事もない、その必要もない人ともいえる。


「でも、うらやましいわ、彼。あんな風に自分の思いを堂々と口に出して憚らないなんてことができるんだもの」加賀さんは口調を和らげて、息を吐きながら言う。


「そういうものなんですか?」加賀さんの見た目年齢は三十半ばってところ、独身らしいし、いわゆるキャリアウーマン的な、独り身で分譲マンション暮らしで、飼ってる室内犬が唯一の癒し、みたいな感じだ。偏見だけど。


「あたしね、以前は新聞社に居たんだ。報道のほうでね」加賀さんの口調はさらに崩れて近所のお姉さんみたいだった。


「辞めたのは、やっぱり北岸戦争の……」


「あら、察しいいわね。その通り、官邸の番記者が変な正義感だしちゃってね。曲げればいいものを曲げなかった」


 皆川さんが新聞社に持ち込んだ火災現場のドキュメントの話を思い出した。それが加賀さんの場合はあの北岸戦争だ。疑惑と疑念が渦巻いたあの中に、曲げなければいけなかったものなど山ほどあるだろう。


 真実は皆川さんらの手によって暴かれつつはあるが、長いものに巻かれることを嫌って、そこから抜け出した加賀さんのような人もいるのだ。


「あの、加賀さん」


「なに?」


「新聞で書かれていることが全て本当だとは僕も思っていません、けど、北岸戦争の実状が晒された現在においても、死亡者や行方不明者の名前が載らないなんてことはあるんですか?」やはり奥田の名前がないことには引っかかりがあった。


「それはないわね。死亡者リストは警察を通じて伝えられるし、公共性の高いものだから、仮に誤植だったとしても他の新聞が同じように間違うことは考えにくい。もし死亡者リストに名前が載らない人がいたならば、その人は生きているとしか考えられない。もしくは……もともと存在していない人か、なんてね」加賀さんは冗談めかして言ったが、その言葉は僕に響く。


 まさか奥田がもともと存在していなかったなんてことはない。だが奥田、北岸市から来た奥田美和がいる。死んでいないと仮定すれば、今僕が接しているあの奥田は奥田美和かもしれないんだ。


 僕の記憶があまりに不鮮明で、確かめることも出来ないだけで、だけどもしかしたら、南辺の町の同級生……いや、美咲に見てもらえばはっきりするかもしれない。じゃあ、どうして皆川さんは判らないのか。堂々巡りだ。糸口が見えない。


「どうしたの? 黙りこくって」


「実は、僕の友達が北岸戦争で犠牲になって死んだんです。僕は彼女をこの手で看取ったはずなのに、彼女の名前はないんです。すべての新聞に目を通しました。公開されている公の文書にも。だけどありません。その代わり……いえ、その代わりというのは変ですけど、彼女の名と同じ女の子が僕の学校の同級生にいるんです。北岸市から来たって……」


「伸也君……君は……もしかして」


「加賀さんが思っていること、それで合っていると思います。僕には当時の記憶がまばらにしかありません。だから彼女が死亡したと僕が思っているだけで、実は彼女は生きているんじゃないかって……」


「でも、その子の顔を見ればわかるんじゃないの? その子の側から君だってことも認識できるでしょう?」


「似ているんですよ、多分。僕の記憶の中だけかもしれないけど。言われてみれば彼女が僕を判らないのはおかしいんですけど、僕と同じように彼女も記憶を失っているとも考えられるし、あの時のことは忘れたくて、僕の前ではわざと知らないふりをしているのかもしれない」


「訊いていないのね、その子には……君は優しいね」


「いえ、そんなことないです……そもそも彼女と彼女が同一人物だって考える方が不自然なんですよ。ただちょっと……」


「……わかったわ、明日新聞社の同僚だった人に訊いてみるわ。何か情報をくれるかもしれないし、私のほうでわかることがあれば君に教えるわ。今晩は楽しんでらっしゃい!」


 車はいつからか停まっていた。キャンプ場の入り口だ。


 僕は礼を言い、笑顔で送り出してくれた加賀さんの車を見送った。もしかしたら明日僕の旅は終わるかもしれない。僕の中の北岸戦争は終わりを告げるかもしれない。


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