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第9話 新たな目的

暗闇。


どこまでも続く、深い闇。


その中を、無数の配線が這っていた。


太いもの。


細いもの。


まるで血管のように枝分かれし、暗闇の奥へと伸びている。


時折、青白い光が配線の内部を走る。


その中心。


巨大な装置に囲まれるようにして――


一人の少女がいた。


長い髪が力なく垂れ下がっている。


少女の頭部には、何本ものケーブルが接続されていた。


首。


背中。


腕。


身体の各所から伸びたコードが、周囲の巨大な機械へと繋がっている。


眠っているようにも見える。


だが。


少女の唇が、わずかに動いた。


「……はやく……」


掠れた声。


「この世界を……」


少女の瞼から。


一筋の涙が流れる。


「――0に返して……」


そして。


ほんの少しだけ顔を上げる。


「あいたい……」


誰もいない暗闇の中。


少女は、その名を呼んだ。


「――カイ」


直後。


無数の配線に。


一斉に光が走った。


《GENESIS》


暗闇の奥で。


巨大な文字が浮かび上がった。



あれから丸1日が経った。


ワクチンを投与してから。


レンは何度も目を覚ました。


そして。


そのたびに――苦しんだ。


「ぁ……あぁ……!」


ガシャン!


拘束具が鳴る。


「レン!」


「頭……頭が……!」


目を覚ましては。


苦しみ。


叫び。


そして気を失う。


数時間後。


再び目を覚ます。


また苦しむ。


また眠る。


それを。


何度も。


何度も繰り返した。


ゴウによれば、身体そのものは少しずつ安定しているらしい。


しかし。


意識だけは戻らない。


正確には。


戻っても、すぐに失われる。


だからカイは。


時間が許す限り、レンのそばにいた。



三日目。


地下牢。


「…………」


カイはベッドの横に置かれた椅子に座っていた。


レンは眠っている。


もう拘束具が激しく鳴ることもなくなった。


静かだった。


カイは。


レンの手を握っていた。


温かい。


その温もりを確かめるように。


ずっと。


握っていた。


「…………」


いつの間にか。


カイは眠ってしまった。



「…………」


誰かに。


見られている気がした。


カイはゆっくりと目を開く。


「……ん……」


ぼやけた視界。


最初に見えたのは。


黒い髪。


そして。


こちらを見つめる少女の瞳。


「…………」


数秒。


理解できなかった。


「……レン?」


少女は。


不思議そうにカイを見ている。


「…………?」


「レン!!」


カイは跳ね起きた。


「目が覚めたのか!?」


「…………」


「大丈夫!? どこか痛い!?」


返事がない。


「レン……?」


何かがおかしい。


これまでとは違う。


赤い目でもない。


苦しんでもいない。


むしろ。


とても穏やかだった。


だが。


その瞳。


カイを見る目に。


何もない。


懐かしさも。


安心も。


罪悪感も。


まるで。


初めて見る人間を見ているような――。


「……あの」


レンが口を開いた。


「…………?」


首を傾げる。


そして。


「あなた……」


小さな声で。


「だぁれ?」


「…………」


カイの表情が止まった。


「……え?」


レンは。


本当に分からないという顔をしている。


「レン……?」


「レン?」


「……俺だよ」


カイは笑おうとした。


「カイだよ」


「…………」


レンが少し考える。


そして。


「カイ?」


「……うん」


「それが……」


レンはカイを指差した。


「あなたのお名前?」


「…………」


笑えなかった。


「何……言ってるんだよ」


「…………?」


「俺だよ」


声が震える。


「天城カイ」


「…………」


「孤児院で……ずっと一緒だっただろ?」


「孤児院……?」


「学校……じゃなくて、育成機関でも……」


「…………」


「俺がLEVEL 1だって分かった時も……」


「レベル……ワン?」


「…………」


カイの声が止まる。


レンは。


何一つ。


覚えていなかった。


「……嘘だろ」


カイの手から。


レンの手が離れる。


「レン……」


「ごめんなさい」


レンは困ったような顔をした。


「私……」


自分の胸に手を当てる。


「自分の名前も……分からない」


「…………」


「ここがどこなのかも」


「…………」


「あなたが誰なのかも」


カイの喉が詰まった。


レンは。


生きている。


話している。


自分を殺そうともしていない。


なのに。


カイの知っているレンが。


どこにもいない。


「…………」


それでもカイは。


必死に笑った。


「……そっか」


「…………」


「大丈夫」


レンがカイを見る。


「俺が……覚えてるから」


「……?」


「君のこと」


カイはもう一度。


レンの手を握った。


「俺が全部覚えてるから」


レンは。


その手を振り払わなかった。



「ふぅん……」


ゴウがレンの瞳を覗き込む。


「ちょっとこっち見てぇ」


「……はい」


「次は指を目で追ってねぇ」


ゴウが指を左右に動かす。


レンの視線が追う。


「気持ち悪くない?」


「大丈夫です」


「頭痛は?」


「ありません」


「吐き気」


「ないです」


「手足の感覚は?」


「普通だと思います」


「じゃあ……」


ゴウはレンの腕を軽く叩いた。


「これは?」


「痛っ」


「あら、ごめんなさぁい」


「……なんで叩いたんですか?」


「確認よぉ」


少しだけ不満そうなレン。


ゴウは笑った。


だが。


すぐに表情を戻した。


「身体に異常はないようね」


カイが顔を上げる。


「本当ですか?」


「ええ」


ゴウは頷く。


「精神的にも……今のところは安定してるように見えるわ」


「じゃあ……」


「ただ」


ゴウがレンを見る。


「記憶がない」


「…………」


「それが一時的なものなのか」


ゴウは少し間を置く。


「それとも……永続的なものなのか」


カイの表情が曇る。


「今の段階では判断が難しいわね」


「…………」


「ごめんなさい」


ゴウの声が。


いつもより静かだった。


「そう……ですか」


レンはベッドの上で。


三人の会話を聞いている。


だが。


本人にも。


それがどれほど重大なことなのか実感できていないようだった。


「まさか……」


部屋の奥。


壁にもたれていたジンが口を開いた。


「こんな状態になるとはな」


「ジンさん」


「俺も初めて見る症状だ」


ジンは腕を組む。


「ワクチンでセントラルとの同期が切れた影響だろうが……」


「…………」


「記憶だけがここまで綺麗に抜け落ちるとはな」


カイは。


俯いた。


「……どうしたら」


「ん?」


「どうしたらレンの記憶は戻るんでしょうか」


誰も答えない。


「何でもします」


カイが言った。


「俺にできることなら……何でも」


「…………」


「だから……」


ジンを見る。


「教えてください」


長い沈黙。


ジンは。


カイを見つめていた。


そして。


「……一つだけ」


「!」


「可能性はある」


カイが顔を上げた。


「なんですか!?」


ジンは答えた。


「――Genesis」


「……え?」


カイは目を瞬く。


「Genesis?」


周囲を見る。


「この組織……ですか?」


「違う」


ジンが即答した。


「俺たちじゃねぇ」


「……?」


「この組織の名の――」


ジンの目が鋭くなる。


「元になったものだ」


「…………」


カイは。


初めて聞く話だった。


「Genesis」


ジンは続ける。


「それは、セントラルの根幹」


「根幹……?」


「そして」


「セントラルの母体だ」


カイの表情が変わる。


「セントラルの……母体?」


「ああ」


ジンが壁から身体を離す。


「俺たちが普段セントラルと呼んでいるものは、巨大な情報網だ」


あらゆる情報。


ブレインアーツ。


都市インフラ。


通信。


教育。


政府機構。


そして。


人間の脳。


「その全てを統括している中枢が存在する」


「…………」


「超巨大な原子コンピュータ」


ジンは言った。


「その名が――」


一瞬。


冒頭の暗闇が重なる。


無数の配線。


青白い光。


そして。


そこに繋がれた少女。


「《Genesis》」


カイは息を呑んだ。


「…………」


「じゃあ……」


「俺たちの組織がGenesisを名乗ってる理由も、そこにある」


ジンは続ける。


「俺たちの最終目標はセントラルを破壊すること」


「…………」


「ひいては」


ジンの声が低くなる。


「その母体であるGenesisを破壊することだ」


カイは。


何も言えなかった。


今まで。


Genesisという名前について深く考えたことなどなかった。


それが。


敵の中枢と。


同じ名前。


「でも……」


カイは尋ねる。


「それとレンの記憶に、何の関係が?」


「Genesisには」


ジンが答える。


「セントラルに接続している何億もの人間のデータが保管されている」


「何億……」


「個人情報なんてレベルじゃねぇ」


ジンは自分の頭を指差す。


「思考パターン」


「行動記録」


「感情」


「そして――記憶」


「……!」


カイがレンを見る。


「じゃあ……!」


「ああ」


ジンが頷く。


「その子がセントラルと長期間同期していたなら」


「Genesisのどこかに」


「西条レンという人間の記憶が残っている可能性がある」


「…………!」


カイの目に。


光が戻る。


「それを……」


声が震える。


「それを手に入れれば……」


「保証はできねぇ」


ジンが遮った。


「データが残ってるのか」


「取り出せるのか」


「取り出したとして、それを本人に戻せるのか」


「何一つ分からねぇ」


「…………」


「だが」


ジンはレンを見る。


「もしそのデータを入手できれば」


「その子を元に戻せるかもしれない」


「…………」


カイは。


レンを見る。


レンも。


カイを見ていた。


「私……」


レンが呟く。


「西条レンっていうんですね」


「……うん」


「あなたと……仲が良かったんですか?」


カイは。


少しだけ考えた。


そして。


「…………うん」


微笑む。


「俺にとって」


言葉を探す。


「一番大事な人だった」


「…………」


レンは目を丸くする。


そして。


少し困ったように笑った。


「ごめんなさい」


「…………」


「何も……覚えてなくて」


胸が痛んだ。


でも。


カイは首を振った。


「謝らなくていいよ」


「……?」


「俺が取り戻す」


レンがカイを見る。


「君の記憶」


カイは。


今までとは違う目をしていた。


怖くないわけじゃない。


自信があるわけでもない。


それでも。


「Genesisに行く」


「…………」


「そこにレンの記憶があるなら」


拳を握る。


「俺が必ず取り戻す」


ジンは。


そんなカイを黙って見ていた。


「……そうか」


そして。


踵を返す。


「なら」


出口へ歩きながら。


「覚悟しとけ、坊主」


カイが振り返る。


ジンは立ち止まらない。


「Genesisに辿り着くってことは」


低い声。


「この世界の心臓まで――」


一歩。


「敵に回すってことだ」


「…………」


カイは。


自分の右手を見る。


あの時。


施設全体を停止させた。


自分でも理解できない異能。


そして。


脳裏に。


あの声が蘇った。


『世界を――0に戻して』


「……0」


カイが呟く。


「カイ?」


レンが首を傾げる。


「……いや」


カイは首を振った。


「なんでもない」



暗闇。


無数の配線。


その中心で。


少女の瞼が。


ゆっくりと開いた。


「……カイ」


涙が流れる。


「はやく……」


《GENESIS》


「この世界を……」


青白い光が。


少女の身体を包む。


「――0に返して」


そして。


小さく。


「会いたいよ……」


呟く。


「――カイ」

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