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第8話 選択

「…………」


遠くで誰かの声がする。


足音。


呻き声。


何かを引きずる音。


「包帯持ってきて! そっちじゃないわよ、止血剤! 早く!」


聞き覚えのある声だった。


カイはゆっくりと目を開いた。


「……ここ……」


見上げた先にあったのは、剥き出しのコンクリートの天井。


身体を起こそうとする。


「っ……!」


全身に鈍い痛みが走った。


腕。


脚。


腹部。


基地局であの女に斬られた傷が、まだ激しく疼いている。


どうやら傷口は処置されているらしい。


カイは周囲を見回した。


そこはGenesisが拠点として使っている廃ビルの大ホールだった。


だが。


いつもの光景とはまるで違った。


床一面に簡易ベッドが並べられている。


その上に横たわっているのは――。


負傷したGenesisの仲間たち。


腕を吊っている者。


頭に包帯を巻いている者。


血の滲んだ布を腹へ押し当てている者。


意識を失ったままの者。


「…………」


百人近い人数で。


政府軍の重要施設へ正面から攻撃を仕掛けたのだ。


無事で済むはずがなかった。


その間を。


一人の男が慌ただしく走り回っていた。


「そっちの子、傷開いてるじゃない! 動いちゃダメよぉ!」


ゴウだ。


髪は乱れ。


額には汗。


いつもの華やかな姿とは違い、手袋も服も血で汚れていた。


「ゴウ……さん」


カイが呟く。


ゴウが振り返った。


「…………」


目が合う。


次の瞬間。


「カイちゃぁぁん!!」


「うわっ」


ゴウが駆け寄ってきた。


「良かったぁ……目が覚めたのねぇ!」


「ゴウさん……」


「もう心配したんだからぁ!」


その目には本当に安堵が浮かんでいる。


「本当はあっつ〜いキッスの一つでも食らわせてあげたいんだけどぉ」


「……それは大丈夫です」


「あいにく大忙しで余裕がないのよぉ……ごめんなさいねぇ」


「いや、だから――」


「あとで傷の具合見に来るわねぇ!」


ゴウはカイの言葉を最後まで聞かず、立ち上がった。


「絶対安静よ! 勝手に動いちゃダメだからねぇ!」


そう言い残し。


再び負傷者たちのもとへ駆けていった。


「…………」


カイは少しだけ笑った。


「元気だな……」


だが。


その笑顔は。


すぐに消えた。


「…………!」


記憶が蘇る。


基地局。


振り下ろされる刀。


そして。


自分の前へ飛び込んできた――。


『――やめてっ!!!!!』


「レン……!」


カイは跳ね起きた。


「いっ……!」


傷口が痛む。


それでも構わなかった。


ベッドから降りる。


「レン……」


最後に聞いた。


『その女も生きてる!』


確かに。


そう言っていた。


「どこだ……」


カイは歩き始めた。


◇


ホールは。


想像していた以上に酷い有様だった。


「…………」


カイは負傷者たちの間を歩く。


知っている顔もいる。


食料工場の作戦で一緒だった男。


食堂で何度か見かけた女性。


鍛冶工房へ材料を運んでいた青年。


みんな。


傷ついている。


「……これが」


戦争。


その言葉が。


急に現実味を持った。


基地局では必死だった。


自分とレンのことしか見えていなかった。


その間にも。


ここにいる人たちは戦っていた。


「…………」


カイは拳を握る。


それでも。


今はレンを探したかった。


ホールを見回す。


いない。


「レン……」


その時。


少し離れた通路で。


二人の姿を見つけた。


ジン。


そしてキリカ。


二人とも険しい表情をしていた。


「……あの女、どうするつもりですか」


キリカの声。


カイの足が止まる。


「怪我も酷い」


ジンが答える。


「今は薬で眠らせてる」


「念のため手錠はしてるけど……起きたらまた暴れるかもしれない」


「…………」


「少なくとも、かなり汚染が進んでる」


キリカが続ける。


「早めにワクチンを投与しないと手遅れになる」


「…………?」


汚染。


ワクチン。


聞き慣れない言葉。


だが。


誰の話をしているのか。


分かった。


「ジンさん」


二人が振り返る。


「……!」


ジンの表情が変わった。


「カイ!?」


キリカも目を見開く。


「起きたの?」


ジンがすぐに近づいてくる。


「お前、傷は大丈夫なのか?」


いつものジンとは違う。


明らかに動揺している。


「はい……傷は大丈夫です」


本当は痛い。


だが。


今はどうでもよかった。


「それより」


カイは二人を見る。


「レンは」


一瞬。


沈黙。


「……政府兵の女性は、どこですか?」


ジンとキリカが顔を見合わせた。


キリカが何か言おうとする。


だが。


ジンが先に口を開いた。


「……そうだな」


小さく息を吐く。


「隠しても仕方ねぇ」


「ジン」


キリカが低い声で呼ぶ。


ジンは答えない。


カイを見る。


「ついてこい」


「……はい」


ジンが歩き出す。


キリカは何か言いたげな表情を浮かべた。


それでも。


何も言わず。


二人の後を追った。


◇


Genesis本部。


そのさらに地下。


カイも。


ほとんど来たことがない場所だった。


階段を下りる。


また下りる。


地下街の喧騒が遠ざかっていく。


空気が冷たい。


やがて。


鉄格子が並ぶ区画へ辿り着いた。


「……ここは」


「地下牢だ」


ジンが答える。


「…………」


Genesisに。


こんな場所があったことすら知らなかった。


ジンが最奥へ進む。


一つの扉の前で止まった。


鍵を取り出す。


ガチャ。


重い鉄扉が開く。


中は。


真っ暗だった。


ジンが照明を点ける。


パッ――。


「…………!」


カイの息が止まった。


部屋の奥。


一人の少女がいた。


「レン……」


両手。


両足。


太い拘束具で固定されている。


胸元には厚い包帯。


その一部が赤く滲んでいた。


「レン!!」


カイが駆け出そうとする。


ガシッ!


肩を掴まれた。


「離してください!」


ジンだった。


「ダメだ!」


「でも!」


「ダメだ!!」


怒声。


地下牢全体に。


ジンの声が響いた。


カイが動きを止める。


ジンの顔から。


いつもの軽さが完全に消えていた。


「この女は政府軍の人間だ」


「…………」


「それに」


レンを見る。


「かなり汚染が進んでいる」


「……汚染」


また。


その言葉。


「前にキリカさんも言ってました」


カイが振り返る。


「なんなんですか」


声が震える。


「汚染って……!」


ジンはしばらく黙っていた。


そして。


「セントラルとの同期率だ」


「……同期率?」


「ああ」


ジンがレンを見る。


「俺たちがブレインアーツを使えるのは、セントラルと脳を接続しているからだ」


カイは黙って聞く。


「同期率が高ければ高いほど、セントラルの演算能力を強く引き出せる」


処理速度。


認識能力。


情報取得。


ブレインアーツの精度。


その恩恵は大きい。


「だから政府は、高い同期率を優秀さの証みてぇに扱ってる」


「だったら……」


カイはレンを見る。


「何が問題なんですか?」


「代償がある」


ジンが答える。


「…………」


「セントラルと深く繋がるってことは、自分とセントラルの境目がなくなっていくってことだ」


「……え?」


「同期率が上がりすぎれば」


ジンは自分の頭を指差す。


「自我までセントラルに食われる」


カイの表情が凍った。


「自我を……?」


「ああ」


自分の意思。


感情。


判断。


それらが。


セントラルから送られてくる情報と区別できなくなっていく。


「最終的には、セントラルから与えられた命令を自分の意思だと思い込むようになる」


カイの脳裏に。


あの日のレンが浮かんだ。


赤い瞳。


『カイ。死んで』


そして今回。


『LEVEL 1は抹殺する』


「じゃあ……」


声が震える。


「あれは……レンの意思じゃ……」


「断言はできねぇ」


ジンが答える。


「だが、少なくとも正常な状態じゃなかった」


「…………」


「汚染が一定以上進んだ人間は、死ぬまでセントラルの命令を無視できない」


「そんな……」


カイはレンを見る。


眠っている。


苦しそうな表情。


「どうしたら……」


呟く。


「どうしたら助けられるんですか……」


「手がないわけじゃない」


「……!」


ジンが懐へ手を入れた。


取り出したのは。


一本の注射器。


透明な液体が入っている。


「これは?」


「ワクチンだ」


「ワクチン……」


「ブレインアーツの一部機能を著しく低下させる」


つまり。


セントラルとの接続そのものを弱める。


「うまくいけば、セントラルからの命令を遮断できる」


カイの表情が明るくなる。


「じゃあ、それをレンに――」


「最後まで聞け」


ジンの低い声。


カイが止まる。


「こいつは万能薬じゃねぇ」


「…………」


「汚染が進みすぎた人間には――猛毒になる」


「……え?」


キリカが壁にもたれたまま続ける。


「セントラルと自我の境界が曖昧になりすぎた状態で接続を強制的に切れば……本人の人格まで一緒に壊れる可能性がある」


「人格……」


「最悪の場合」


ジンが言った。


「自我は完全に崩壊する」


「…………」


「誰が仲間かも」


「自分が誰かも」


「何も分からなくなる」


ジンの手の中。


注射器の液体が揺れる。


「そして」


「目についた人間を無差別に襲う――人じゃない何かになる」


カイは言葉を失った。


助かるかもしれない。


でも。


レンがレンではなくなるかもしれない。


「…………」


ジンがカイを見る。


「カイ」


「……はい」


「お前はどうしたい」


「え……」


「このまま薬で眠らせ続ければ、少なくとも今のレンのままだ」


「…………」


「だが目を覚ませば、またセントラルの命令に従ってお前を殺そうとするかもしれねぇ」


カイの拳が震える。


「あるいは」


ジンが注射器を持ち上げる。


「人じゃない何かになる可能性があっても」


静かな地下牢。


「一握りの可能性に賭けるか」


「…………」


そんなこと。


決められるわけがない。


自分が。


レンの人生を。


「俺は……」


その時。


「…………打って」


小さな声。


三人が振り返った。


「…………!」


レンの瞼が。


ゆっくりと開く。


「レン……?」


赤い瞳ではなかった。


昔と同じ。


レンの目。


「……聞いてたのか」


ジンが尋ねる。


「……少しだけ」


掠れた声。


レンがカイを見る。


「カイ……」


「レン!」


カイが一歩踏み出す。


ジンは今度は止めなかった。


「大丈夫なのか?」


「…………」


レンは答えない。


ただ。


カイを見つめる。


「ごめん……」


「え?」


「私……」


目に涙が浮かぶ。


「また……カイを殺そうとした」


「…………」


「あの日も」


「今回も」


「違う」


カイが言った。


「でも……!」


「最後に俺を助けてくれた」


レンの目が揺れる。


「君が俺を庇ってくれたから、俺は生きてる」


「…………」


「だから」


カイは笑おうとした。


うまく笑えているかは分からなかった。


「ありがとう」


「…………」


レンの頬を。


涙が流れた。


そして。


ジンを見る。


「……打って」


「レン?」


「ワクチン……」


ジンの目が細くなる。


「意味を分かって言ってんのか?」


「……はい」


「失敗すりゃ、お前はお前じゃなくなる」


「…………」


「二度と戻れねぇかもしれない」


レンは。


それでも。


小さく頷いた。


「それでも……」


カイを見る。


「私は……」


声が震える。


「もう……カイを傷つけたくない」


「レン……」


「自分の身体なのに……」


涙。


「自分の言葉なのに……」


「自分じゃない誰かに動かされて……」


「カイを殺そうとするくらいなら……」


レンは拘束された手を。


わずかに握った。


「私は……賭けたい」


沈黙。


ジンはレンを見つめていた。


やがて。


「……分かった」


カイが振り返る。


「ジンさん……」


ジンは牢へ入る。


レンの隣へしゃがむ。


注射器のキャップを外した。


「一度始めたら止められねぇ」


「…………はい」


「これから地獄の苦しみがお前を襲うことになる」


レンの腕へ針を当てる。


「後悔するなよ」


レンは目を閉じた。


そして。


ほんの少しだけ。


笑った。


「……後悔なら」


カイを見る。


「もう……いっぱいしたから」


「レン……」


「カイ」


「……何?」


「そこにいて」


「…………」


カイは頷いた。


「いるよ」


レンの表情が少しだけ安らぐ。


ジンが。


注射針を刺した。


プシュ――。


透明な液体が。


レンの体内へ入っていく。


数秒。


何も起こらない。


「…………」


「レン?」


次の瞬間。


ビクンッ!!


レンの身体が大きく跳ねた。


「――っ!!」


拘束具が激しく鳴る。


ガシャン!!


「レン!?」


「来るぞ!」


ジンが叫ぶ。


レンの瞳が見開かれた。


「――ぁ……」


身体中の血管が浮き上がる。


「ぁ……あ……!」


ガシャン!


ガシャン!!


手錠が激しく揺れる。


「レン!!」


カイが駆け寄ろうとする。


キリカが腕を掴んだ。


「ダメ!」


「離してください!」


「今近づいたら危険!」


「でも!」


レンの視界に。


大量の警告が溢れ出す。


《CENTRAL CONNECTION――ERROR》


《SYNC RATE――UNSTABLE》


《BRAIN ARTS――CONNECTION LOST》


《RECONNECT》


《RECONNECT》


《RECONNECT》


「いや……!」


頭の中に。


声。


『接続を維持せよ』


「やめて……!」


『命令に従え』


「出ていって……!」


『LEVEL 1を排除せよ』


「嫌……!」


『殺せ』


「嫌だ……!」


『殺せ』


「やめて……!」


『KILL』


「うるさい……!」


そして。


レンは。


肺の奥から。


声を絞り出した。


「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」


絶叫が。


地下牢全体を震わせた。


「レン!!」


カイの叫びと。


レンの悲鳴が重なる。


ガシャン!!


ガシャン!!


拘束具が軋む。


そして。


レンの瞳が――。


赤。


元の色。


赤。


元の色。


激しく明滅する。


まるで。


一つの身体を巡って。


二つの意思が。


奪い合っているかのように。


セントラルと。


西条レン。


その戦いが――。


始まった。

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