第10話 西条レン
あれから数日が経過した。
通信基地襲撃の際に負傷したGenesisのメンバーたちも、大方の治療を終えていた。
臨時の治療所として使われていた廃ビルのホールからは簡易ベッドが一つ、また一つと片付けられていく。
家族のもとへ帰っていく者。
「お父さん!」
「おおっ!」
駆け寄ってきた小さな娘を、片腕を包帯で吊った男が抱き上げる。
「痛い痛い! そこ怪我してるって!」
「だって、お父さん帰ってきたんだもん!」
「ははは! そうだな!」
その少し先では、年老いた母親が帰ってきた息子の頬を何度も叩いていた。
「この馬鹿! 心配させて!」
「痛ぇよ、母ちゃん!」
「死ぬよりマシだろ!」
怒鳴りながら。
母親は泣いていた。
そして夜になれば、Genesisの酒場から大きな笑い声が聞こえてくる。
「見ろよ、この腕!」
包帯だらけの男がジョッキを掲げる。
「政府兵三人を相手にした名誉の負傷だ!」
「嘘つけ! お前、爆発にビビって転んだ時に折ったんだろ!」
「なんで知ってんだよ!」
「俺、隣にいたからな!」
「言うなよ!」
ドッと笑いが起きる。
傷ついた腕を肴に。
昨日まで死にかけていた者たちが、酒を飲み、笑っている。
Genesisは。
少しずつ日常を取り戻し始めていた。
◇
「…………」
その光景を。
一人の少女が不思議そうに眺めていた。
黒い髪。
政府軍の制服はすでに脱がされ、今はGenesisから借りた簡素な服を着ている。
西条レン。
数日前まで。
LEVEL 1を抹殺するために刀を振るっていた少女。
そして今は。
自分の名前すら、他人から教えてもらわなければ分からない少女。
その隣を。
カイが歩いていた。
「……すごい」
レンが呟く。
「何が?」
「人がいっぱい」
「そりゃ……千人くらい住んでるから」
「千人……」
レンは周囲を見回す。
地下に造られた街。
廃材を組み合わせた家。
露店。
食堂。
工房。
走り回る子供たち。
決して裕福ではない。
地上の都市のような美しいホログラムもない。
壁には配管が剥き出しになっている。
天井から水が漏れている場所すらある。
それでも。
人がいる。
生活がある。
笑い声がある。
「ここにいる人たちは……」
レンが尋ねる。
「みんなLEVEL 1なの?」
「うん」
「…………」
レンの足が止まった。
カイも止まる。
「どうした?」
「分からない」
「え?」
レンは頭を押さえた。
「LEVEL 1って聞くと……」
眉をひそめる。
「頭の奥が、変な感じになる」
「痛い?」
「ううん」
レンは首を振る。
「痛いんじゃなくて……」
自分の胸に手を当てる。
「嫌な感じ」
「…………」
「殺さなきゃいけないような……」
カイの表情が僅かに強張った。
レンは慌てる。
「あっ……違うの!」
「…………」
「私がそう思ってるわけじゃなくて……!」
「分かってる」
カイは静かに答えた。
「…………」
「大丈夫」
レンはカイを見る。
「……怖くないの?」
「何が?」
「私」
その言葉に。
カイは答えられなかった。
「私、あなたを殺そうとしたんでしょ?」
「…………」
「それなのに」
レンは少し寂しそうに笑った。
「なんで普通に隣を歩けるの?」
カイはしばらく考えた。
気の利いた答えなんて。
浮かばなかった。
だから。
「……レンだから」
「…………?」
「レンはレンだから」
「…………」
レンは目を瞬いた。
「それ、答えになってる?」
「……なってないかも」
「ふふっ」
レンが笑った。
カイは驚いた。
記憶を失ってから。
初めて見た気がした。
レンの。
自然な笑顔。
「…………」
「なに?」
「いや……」
「?」
「なんでもない」
カイは前を向いた。
けれど。
少しだけ嬉しかった。
◇
カァン!
カァン!
工房から。
金属を叩く音が聞こえてきた。
「ここは?」
レンが覗き込む。
「鍛冶屋」
「鍛冶屋?」
「俺の……」
カイが一瞬考える。
「友達がいる」
自分で口にして。
少し照れた。
昔なら。
簡単には言えなかった言葉。
「友達」
レンが繰り返す。
工房へ入る。
「ラック」
「ん?」
鉄を叩いていた青年が振り返る。
ラックだ。
「おう、カイ」
その視線が。
隣のレンへ移る。
「…………」
レンもラックを見る。
「…………」
妙な沈黙。
「……その人が?」
「ああ」
カイが頷く。
「レン」
「…………」
ラックは少しだけ警戒した目をした。
無理もない。
彼女は政府兵だった。
そして。
Genesisを襲った側の人間。
「初めまして」
レンが頭を下げた。
「西条レン……らしいです」
「らしい?」
「記憶がないので」
「…………」
ラックはカイを見る。
カイが小さく頷く。
「そうか」
それだけだった。
再び。
鉄へ向き直る。
カァン!
「…………?」
レンが首を傾げる。
「それだけ?」
「何が?」
ラックが聞く。
「私……政府軍だったらしいんですけど」
「そうらしいな」
カァン!
「怖くないんですか?」
「今、俺を殺すつもりあるか?」
「ありません」
「ならいい」
カァン!
「…………」
レンが呆気に取られる。
カイは。
少しだけ笑った。
「ラックって、こういうやつだから」
「お前に言われたくねぇよ」
「え?」
「お前も似たようなもんだろ」
「…………」
レンが二人を交互に見る。
そして。
小さく笑った。
「やっぱり友達なんだね」
カイは。
少し照れながら。
「……たぶん」
「たぶんじゃねぇ」
ラックの声。
カイが振り返る。
「友達だろ」
「…………」
カイは一瞬。
何も言えなかった。
「……うん」
小さく。
でも。
はっきりと答えた。
◇
次に向かったのは。
アンナのカフェだった。
「いらっしゃ――」
アンナの声が止まった。
レンを見る。
「…………」
空気が。
少しだけ固くなる。
店にいた何人かも。
レンへ視線を向けた。
当然だった。
基地局の戦闘に参加した者もいる。
彼女の顔を知っている人間もいる。
「…………」
レンは。
その視線に気づいた。
俯く。
「カイ」
「ん?」
「私……外で待ってようか?」
「どうして?」
「みんな……私がいると嫌だと思う」
「…………」
カイが何か言おうとした時。
「座って」
アンナが言った。
「……え?」
「二人とも」
いつもの穏やかな声だった。
「飲み物出すから」
「でも……」
「いいから」
アンナはレンを見る。
「あなた、何飲む?」
「……分かりません」
「好きなものは?」
「それも……覚えてなくて」
「そっか」
アンナは少し考える。
「じゃあ最初から探せばいいよ」
「……最初から?」
「うん」
アンナが微笑む。
「今から好きなもの増やしていけばいいじゃん」
「…………」
レンは。
その言葉を。
しばらく考えていた。
「……はい」
やがて。
小さく頷いた。
◇
「苦い!」
数分後。
レンの声が店内に響いた。
「ははっ」
アンナが笑う。
「コーヒーはダメか」
「これ……みんな本当に好きなんですか?」
「好きな人はね」
レンがカイを見る。
「カイは?」
「俺は飲める」
「美味しい?」
「……砂糖入れれば」
「それコーヒーが好きって言うの?」
「…………」
カイは答えられない。
アンナが吹き出した。
「ふふっ」
レンも笑う。
カイは。
二人を見ながら。
少しだけ困った顔をした。
◇
その後も。
カイはレンを連れて歩いた。
食堂。
工房。
小さな市場。
子供たちが遊ぶ広場。
アキラの作業部屋にも寄った。
「これ全部あなたが?」
レンが大量のモニターを見る。
「まあ」
アキラがキーボードを叩きながら答える。
「すごい……」
「普通」
「普通じゃないと思う」
「そう?」
「私には全然分からない」
「じゃあ教えようか」
「いいの?」
「別に」
レンが少し嬉しそうにモニターを覗き込む。
カイは。
少し離れたところから。
その姿を見ていた。
不思議だった。
記憶はない。
話し方も。
少し違う。
昔のレンなら。
もっと積極的だった。
自分の手を引っ張って。
勝手にどこかへ連れていくような子だった。
今のレンは。
知らない世界を怖がりながら。
一つ一つ確かめるように歩いている。
同じ顔。
同じ声。
でも。
少し違う。
「…………」
それでも。
レンだった。
◇
夕方。
二人は地下街を見下ろせる高台に座っていた。
頭上に本物の空はない。
代わりに。
地下街の天井に設置された照明が。
夕暮れを模した淡い光を放っている。
「今日は疲れた?」
カイが聞く。
「少し」
「ごめん」
「なんで謝るの?」
「歩かせすぎたかなって」
「楽しかったよ」
「……そっか」
沈黙。
でも。
嫌な沈黙ではなかった。
二人で。
街を見る。
「ねえ」
レンが言った。
「カイ」
「ん?」
「私たちって……」
「…………」
レンがカイを見る。
「どんな関係だったの?」
カイの心臓が跳ねた。
「え……」
「ラックさんが言ってた」
「何を?」
「カイが、私のことずっと心配してたって」
「ラックが?」
「うん」
「…………あいつ」
あとで文句を言おう。
そう思った。
「それに」
レンは続ける。
「私が目を覚ました時も」
「…………」
「ずっと手を握ってた」
「それは……」
カイが目を逸らす。
「だから気になって」
レンが少しだけ近づく。
「私たちって、どんな関係だったの?」
「…………」
言えない。
好きだった。
ずっと。
孤児院にいた頃から。
自分を庇ってくれた時から。
多分。
ずっと好きだった。
でも。
レンは覚えていない。
そんな彼女に。
昔の気持ちを押しつけていいのか。
「……友達」
カイは答えた。
「友達?」
「うん」
「ただの?」
「…………」
「…………」
「……幼馴染」
レンが笑う。
「答え変わった」
「ごめん」
「また謝った」
「…………」
「カイって、よく謝るんだね」
「そうかな」
「うん」
レンは。
少しだけ考えた。
そして。
「でも」
「?」
「私……」
地下街を見る。
「ここ、嫌いじゃない」
カイの目が僅かに見開かれる。
その言葉。
どこかで。
聞いた気がした。
「…………」
「どうしたの?」
「いや」
カイは微笑んだ。
「俺も」
二人は。
再び街を見る。
しばらくして。
レンが呟いた。
「ねえ、カイ」
「ん?」
「記憶……」
少し不安そうな声。
「本当に戻ると思う?」
カイは。
すぐには答えられなかった。
ジンも言っていた。
保証はない。
Genesisへ辿り着いたとしても。
そこにレンの記憶があるとは限らない。
「……分からない」
レンがカイを見る。
「でも」
カイは続ける。
「戻せる可能性があるなら」
「…………」
「俺は諦めたくない」
「……そっか」
レンが膝を抱える。
「私も……戻したいと思う」
「うん」
「でもね」
「?」
少し間を置いて。
レンが言った。
「ちょっと怖い」
「…………」
「記憶が戻ったら」
自分の胸に手を置く。
「今の私は……どうなるのかな」
カイは。
答えられなかった。
「昔の私に戻ったら」
レンは笑った。
少しだけ。
寂しそうに。
「今日のことも、忘れちゃうのかな」
「…………」
「ラックさんと話したこと」
「アンナさんのコーヒーが苦かったこと」
「アキラ君に教えてもらったこと」
そして。
カイを見る。
「カイと歩いたことも」
「…………」
カイは何も言えなかった。
レンの記憶を取り戻したい。
ずっと、それだけを考えていた。
昔のレンに戻ってほしい。
また自分の名前を呼んでほしい。
二人で過ごした日々を思い出してほしい。
でも――。
目の前にいるレンも。
笑って。
悩んで。
新しいものを好きになって。
今日という一日を生きている。
それを「昔のレンじゃない」の一言で消してしまっていいのだろうか。
「……レン」
「なに?」
「俺は……」
言葉が続かなかった。
レンは急かさなかった。
ただ、カイの言葉を待っている。
「…………」
しばらくして。
カイは小さく息を吐いた。
「やっぱり、なんでもない」
「なにそれ」
レンが少し笑う。
「ごめん」
「あ、また謝った」
「……ほんとだ」
二人の間に。
小さな笑いが生まれた。
そして再び、地下街を見つめる。
「ねえ、カイ」
「ん?」
「明日も……どこか案内してくれる?」
「…………」
カイは少し驚いてレンを見る。
レンは地下街を眺めたままだった。
「まだ知らないところ、いっぱいあるから」
「……うん」
カイは答えた。
「もちろん」
「そっか」
レンが微笑む。
その笑顔は。
カイの記憶の中にいるレンとは、少し違って見えた。




