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第53話 亡者の足音

薄暗い部屋。


窓はない。


天井に取り付けられた照明も、その役目を果たす気がないかのように弱々しく明滅していた。


部屋の中央には――


一つの遺体が横たわっている。


女。


その傍らへ、二つの足音が近づいてきた。


コツ……。


コツ……。


一人は、鮮やかな赤髪を揺らす女。


ナンバーズ――クイーン。


そして、もう一人。


腰まで伸びた白髪の少女。


小さな身体には不釣り合いなほど巨大なクマのぬいぐるみを、両腕で抱きしめている。


――イツキ。


二人は遺体の前で足を止めた。


クイーンが静かに見下ろす。


「…………」


そして、横に立つ少女へ視線を向けた。


「イツキ」


「……ん?」


イツキがクマのぬいぐるみから顔を覗かせる。


「やりなさい」


「…………」


少女は返事をしなかった。


ただ、抱えていたクマを片腕だけで支え直す。


空いた右手を――遺体へ向けた。


小さな掌。


その指先が、ゆっくりと開かれる。


そして。


「――起きなさい」


その一言が響いた瞬間だった。


ボッ――!


遺体が青白い炎に包まれた。


「…………」


炎は激しく燃え上がっている。


だが。


肉が焼ける音はしない。


煙もない。


あるのは、異様なほど静かな青白い炎だけ。


やがて――


ゆらり。


遺体の中から、何かが浮き上がった。


人の形をしている。


しかし、それは人ではない。


輪郭は青白い炎で形作られ。


身体の向こう側が透けて見えるほど、淡い。


女の姿。


それが遺体から剥がれ落ちるように浮かび上がっていく。


その瞬間。


サァァァァ……。


床に横たわっていた身体が崩れ始めた。


皮膚が。


髪が。


服が。


まるで長い年月を一瞬で駆け抜けたかのように朽ちていく。


そして。


あとに残ったのは――灰だけだった。


青白い人影が、ゆっくりと顔を上げる。


肩まで伸びた髪。


細い輪郭。


見覚えのある顔。


――七瀬アンナ。


虚ろだった瞳に、青白い光が灯った。


クイーンはその顔を見つめる。


そして。


口元を、わずかに吊り上げた。


「あなたなら知っているでしょう?」


アンナは答えない。


ただ静かに浮かんでいる。


「私たちを――」


クイーンが一歩近づいた。


「奴らのところへ、連れて行って」


アンナの瞳が。


ゆっくりと――動いた。



――Genesis・第二食堂。


昼時。


広い食堂には、多くの住民たちの声が響いていた。


食器の触れ合う音。


談笑する声。


厨房から聞こえてくる調理音。


以前のGenesisでは当たり前だった光景が、少しずつ戻り始めている。


食堂で提供される料理の多くは、Genesis内部の栽培区画で育てられた野菜を使っている。


それに加え。


食料倉庫から確保された肉や魚。


保存の利く加工食品。


それらを組み合わせながら、限られた食材で食事が作られていた。


その一角。


四人が一つのテーブルを囲んでいた。


カイ。


レン。


アキラ。


そしてラック。


「おっ」


ラックがカイの皿を覗き込む。


「今日の日替わり、天ぷらかぁ。うまそうだな……」


カイの皿には、数種類の野菜と魚の天ぷらが盛られている。


カイは即座に皿を自分の方へ寄せた。


「やらないぞ」


「まだ何も言ってねぇだろ」


「顔に書いてある」


「一個ぐらいいいじゃねぇか」


「自分の食えよ」


「俺のはもう食った」


「早いんだよ」


ラックは未練がましく天ぷらを見つめる。


その様子を見ていたレンが、小さく笑った。


「良かったら、私のやつあげましょうか?」


「えっ」


ラックの顔が一瞬で明るくなる。


「いいのか!」


「駄目に決まってるだろ」


「え?」


次の瞬間。


ピンッ!!


「いってぇっ!!」


カイのデコピンがラックの額に炸裂した。


ラックが額を押さえる。


「何すんだよ!」


「人の善意につけ込むな」


「レンがいいって言ったんだろ!」


「じゃあ俺の食え」


「くれんの!?」


「衣だけな」


「ケチすぎるだろ!」


レンが耐えきれずに吹き出す。


「ふふっ……」


「笑うところじゃないぞ、レン」


「だ、だって……」


今度はアキラが大きくため息を吐いた。


「お前ら……」


箸を止める。


「静かに飯も食えないのか」


カイとラックが同時にアキラを見る。


「お前は静かすぎるんだよ」


ラックが言う。


「食事中に騒ぐ必要がどこにある」


「楽しく食った方がうまいだろ」


「味覚に騒音は関係ない」


「お前ほんと面倒くせぇな」


「お前にだけは言われたくない」


「…………」


数秒。


カイとレンが顔を見合わせる。


そして。


「ははっ……!」


「ふふふっ……!」


気づけば、四人とも笑っていた。


騒がしく。


くだらなく。


どこにでもありそうな食卓。


戦いばかりだった日々の中で。


こんな時間がどれほど貴重なのか。


カイは、いつの間にか忘れかけていた。


周囲を見る。


子供たちが食事をしながら騒いでいる。


大人たちが、その姿を見て笑っている。


厨房では、今日の夕食について誰かが言い争っている。


兵士たちでさえ。


今だけは武器を手放していた。


「…………」


カイの表情が少しだけ柔らかくなる。


――Genesisに。


日常が帰ってきた。


そう思った。



――郊外。


日が沈み。


都市から遠く離れた道路を、闇が覆っていた。


街灯はない。


廃墟となった建物が、左右に並んでいる。


風が吹く。


ヒュウウウウ……。


誰もいないはずの道路。


そこを――


何かが歩いていた。


ズッ……。


ズッ……。


足を引きずるような音。


一つ。


また一つ。


暗闇の中から、人影が現れる。


その姿は青白い。


輪郭がぼやけ。


身体の一部が炎のように揺らめいている。


一人ではない。


十人。


二十人。


五十人。


そして――


百を超える。


闇の向こうから、次々と姿を現していく。


兵士。


男。


女。


老人。


戦いの中で死んだ者たち。


かつて命を失ったはずの者たちが。


青白い死霊となり――歩いていた。


一切の声を発することなく。


ただ。


前へ。


前へ。


その数は、時間が経つごとに増していく。


道路を埋め尽くすほどの――


死者の軍勢。


その先頭付近。


一体の死霊が歩いている。


七瀬アンナ。


生気のない瞳を前へ向けたまま。


彼女は迷うことなく歩みを進めていた。


向かう先を。


知っているかのように。


そして。


軍勢から少し離れた最後尾。


二つの人影が並んで歩いていた。


巨大なクマのぬいぐるみを抱きしめる、白髪の少女。


――イツキ。


その隣には。


赤い髪を夜風になびかせる女。


――クイーン。


クイーンは、目の前を進んでいく死者たちを見つめる。


数えきれないほどの亡者。


その先にあるものを想像するように。


目を細めた。


そして。


「はぁ……」


小さく息を吐く。


口元に。


愉しげな笑みが浮かんだ。


「――戦争を始めよう」


夜の街道を。


死者の軍勢が進む。


その先にあるのは――


Genesis。


取り戻したばかりの日常へ。


亡者たちの足音が。


ゆっくりと近づいていた。

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