第38話 招待状
Genesis。
居住区の一角。
いつもなら。
食事をする者。
仕事の合間に休憩する者。
くだらない話で笑う者。
そんな人々の声で満ちている小さな店。
だが。
今は。
静かだった。
「…………」
アンナはカウンター席に一人で座っていた。
両腕を重ね。
その上に頭を乗せる。
「…………」
店の入口へ。
ちらりと視線を向ける。
扉の向こう。
Genesisの団員が一人。
壁に背を預けて立っている。
あれ以来。
アンナの店の前には常にGenesisの団員が交代で配置されていた。
アンナの行動を監視するために。
当然だった。
自分は。
Genesisを裏切ったのだから。
「…………」
アンナが。
ゆっくりと目を閉じる。
どうして。
どうしてこんなことになってしまったのだろう。
「…………」
ラックがいて。
アキラがいて。
カイがいて。
Genesisのみんながいて。
いつも。
楽しかった。
それは嘘ではない。
本当に、家族のように思っていた。
だからこそ。
辛かった。
ずっと。
ずっと。
ずっと。
「…………」
でも。
私には使命があった。
たった一人の。
大切な弟。
アキト。
あの子を守るという。
使命が。
「…………」
アンナはカウンターへ頬を預けたまま。
ふと、思い出していた。
自分がGenesisへ来た日のことを。
*
――第一スラム。
灰色の空。
薄汚れた建物。
狭い路地。
鼻を突く、ゴミと排水の臭い。
そこにアンナはいた。
「…………」
大きなゴミ袋を。
両手で抱える。
周囲では。
LEVEL1の人々が。
同じようにゴミを運んでいた。
「よい……しょ……」
重い。
腕が痛い。
それでも。
運ばなければならない。
生きるために。
「…………」
汚い部屋。
少ない食事。
身体に染みついた。
ゴミの臭い。
でも。
アキトがいた頃は。
なんてことなかった。
二人なら。
狭い部屋だって。
笑えた。
少ない食事だって。
分け合えた。
貧しくても。
弟が隣にいるだけで。
耐えられた。
でも。
今は。
「…………」
一人。
夜。
部屋へ帰っても。
誰もいない。
「…………」
怖い。
辛い。
悲しい。
「……アキト」
呼んでも。
返事はない。
布団に入る。
目を閉じる。
それでも。
眠れない。
「…………っ」
誰でもよかった。
とにかく。
誰かに。
縋りたかった。
そんな日々を。
アンナは過ごしていた。
そして。
ある日。
私は――
あの人と出会った。
*
「なぁなぁ、お嬢ちゃん」
「…………」
狭い路地。
アンナの前に。
数人の男が立っていた。
「…………」
「ちょっと俺らと遊ばねぇ?」
アンナが。
後ろへ下がる。
「……やめてください」
「いいじゃん」
男の一人が。
アンナの腕を掴む。
「……っ!」
「離して!」
「暴れんなって」
「やめ――」
その時。
「あらぁ~~~?」
「……?」
男たちが。
振り返る。
そこに。
一人の男が立っていた。
奇抜なピンク色の髪。
側頭部には剃り込み。
無精髭。
そして。
何より目を引く。
ピンク色のキャミソール。
「ボーイたちぃ」
男が。
腰へ手を当てる。
「ダメじゃな~い」
そして。
アンナへ。
熱烈なウインク。
「女の子にそんな乱暴しちゃっ!」
「…………」
男たちが。
固まる。
「……なんだ、てめぇ」
「やだ」
口元へ手を添える。
「怖ぁい」
「ふざけてんのか!」
男の一人が。
拳を振り上げる。
「死ね!」
――ブンッ!
「…………」
――ガシッ!
「な……!?」
拳が止まった。
ゴウの手。
男の拳を軽々と受け止めている。
「…………」
ゴウが、にっこりと笑った。
「せっかく手を握ったんだもの」
「……は?」
ゴウの指が、するりと動く。
掴んだ男の手を開き。
自分の指を。
男の指へ絡ませる。
「な、何を――」
次の瞬間。
――ギリッ。
「ぎゃあああああああっ!?」
男の身体が。
膝から崩れた。
「いっ……いてぇぇぇ!!」
「うふっ」
ゴウが。
さらに指を絡める。
「痛い?」
「離せ! 化け物!!」
「…………」
ゴウの眉が。
ピクリと動く。
「……化け物?」
笑顔のまま。
――ギリッ。
「ぎゃああああああ!!」
「ひっ……!」
残った男たちが。
後ずさる。
「に、逃げろ!」
男たちは。
倒れた仲間を引っ張り。
路地の向こうへ、一目散に逃げていった。
「まったく」
ゴウが腰へ手を当てる。
「人を化け物みたいに呼んじゃって」
頬を膨らませる。
「失礼しちゃう」
「…………」
アンナは呆然としていた。
その時。
ゴウが振り返る。
「あなた」
「……!」
「大丈夫?」
先ほどとは違う。
優しい声。
「…………」
アンナは小さく頷いた。
「……はい」
「そう」
ゴウが笑う。
「なら良かったわ」
それが。
ゴウとの出会いだった。
*
それから。
不思議とゴウとはよく会うようになった。
「アンナちゃ~ん!」
「…………」
「またそれだけ?」
ある日。
アンナの食事を見て。
ゴウが顔をしかめた。
「これで十分よ」
「十分なわけないでしょ!」
自分の食事を勝手にアンナの皿へ移す。
「ちょ、ちょっと!」
「若いんだから食べなさい!」
「でも……」
「いいの!」
「…………」
「オネェさん、こう見えて少食なの」
「絶対嘘でしょ」
「あら?」
「この前、私の三倍食べてたじゃない」
「…………」
「…………」
「女の秘密よ」
「何それ」
少しだけ笑った。
「…………」
アキトがいなくなってから。
初めてだった。
誰かと食べる食事が。
少しだけ、楽しいと思えた。
そして。
ーーある日。
ゴウが言った。
「ねぇ、アンナ」
「なに?」
「あなた――」
ゴウが。
いつになく真剣な顔で。
アンナを見る。
「私たちの仲間にならない?」
「…………え?」
差し出された手。
アンナはその手を、じっと見つめた。
「私……」
ゴウは強引にアンナの腕を掴む。
「一人で泣いてる子を放っておく理由にはならないわ」
「…………っ」
アンナの瞳が。
揺れる。
「おいで」
「…………」
「アンナ」
その日。
ゴウに手を引かれ。
私は。
Genesisへやって来た。
そして。
Genesisの一員になった。
*
――ピピピピ。
「…………」
――ピピピピ。
「……ん」
――ピピピピ。
「…………?」
アンナが。
ゆっくりと目を開ける。
「私……」
身体を起こす。
「寝ちゃってた……」
いつの間にか。
カウンターで眠っていた。
――ピピピピ。
「…………」
音。
「――っ!」
アンナの表情が。
一瞬で変わった。
椅子から立ち上がる。
店の奥へ。
急ぐ。
――ピピピピ。
棚。
その奥。
布に隠された、小さな黒い通信機。
「…………」
アンナの顔から。
血の気が引く。
また。
連絡が来た。
「…………っ」
すぐに。
別の通信端末を取り出す。
Genesis内部回線。
接続先ーージン。
「ジン……」
『どうした』
「また……」
息を呑む。
「また連絡が来たわ」
短い沈黙。
『分かった』
ジンの声は。
落ち着いていた。
『その通信機はアキラが監視してる』
「…………」
『内容はこっちでも確認できる』
「……ええ」
『構わず取ってくれ』
「…………」
アンナが。
黒い通信機を見る。
手が。
震える。
「分かったわ」
ジンとの通信を切る。
――ピピピピ。
「…………」
大きく息を吸う。
ーー吐く。
そして、黒い通信機を手に取った。
――ピッ。
「…………」
「もしもし」
『アンナ』
「…………っ」
低い、男の声。
聞き間違えるはずがない。
ファースト。
『定期連絡だ』
「…………」
『状況を報告しろ』
アンナは、唇を結ぶ。
「今のところ……」
「…………」
「何も動きはないわ……」
『…………』
長い沈黙。
「…………」
心臓の音が、やけに大きく聞こえる。
やがて。
『……そうか』
「…………」
『アンナ』
「なに……?」
『お前は――俺に嘘をついたな』
「――っ!」
アンナの目が大きく開いた。
『…………』
「な、何を……」
『芝居は必要ない』
「…………」
『もう分かっている』
アンナの手が震える。
『お前は我々を裏切った』
「…………っ」
『そしてそちら側を選んだ』
「…………」
アンナは何も言えない。
『安心しろ』
「……え?」
『今すぐお前をどうこうするつもりはない』
「…………?」
ファーストの声。
怒りは。
感じられなかった。
だからこそ。
怖かった。
『むしろ――』
一拍。
『お前のお仲間にも伝えるんだ』
「…………」
『政府第一収容所で待つ――とな』
「…………っ!」
アンナの呼吸が。
止まる。
『そして』
「…………」
『ここに――お前も来い』
「……私も?」
『そうだ』
「…………」
そしてファーストは言った。
『アキトに会わせてやろう』
「――――っ」
アンナの目が見開かれる。
「アキト……っ!?」
『ああ』
「…………っ」
通信機を握る手に。
力が入る。
「アキトは……」
声が震える。
「アキトはそこにいるの……?」
『…………』
ファーストは答えなかった。
代わりに、淡々と告げた。
『五日後の夜』
「…………」
『中央都市第一ゲートを開放する』
「……!」
『認証もなにも必要ない』
「…………」
『正面から堂々と来るがいい』
アンナの背中を冷たい汗が流れる。
これは。
招待ではない。
罠。
誰にでも分かる。
あまりにも露骨な罠。
それでも。
『君のお仲間――』
「…………」
『天城カイも』
一拍。
『そこで待っている』
「――っ」
――ブツッ。
「…………」
通信が、一方的に切れた。
「…………」
アンナはその場から動けなかった。
黒い通信機を、両手で握り締める。
「アキト……」
その名前だけが。
震える唇から。
零れ落ちた。




