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第3話 初任務

Genesisに加わってから、三ヶ月が経った。


腹部を深く切り裂いていた傷は、すでに塞がっている。


一本の大きな傷痕は残ったものの、日常生活にはほとんど支障がない。


そして。


カイの生活も、少しずつ変わり始めていた。



カァン――。


カァン――。


一定の間隔で、金属を叩く音が響いている。


Genesis地下街の一角。


鍛冶工房。


カイは壁際の椅子に腰掛け、黙ってその様子を眺めていた。


「…………」


目の前では、一人の青年が作業している。


ラック。


十八歳。


鍛冶屋の見習い。


Genesisへ来てから知り合った青年だった。


ラックが熱した金属を叩く。


カァン。


火花が散る。


カァン。


また火花が散る。


カイは何をするでもなく、それを眺めていた。


「……暇なのか?」


ラックが作業を続けたまま尋ねた。


「え?」


「さっきからずっといるだろ」


「あ……」


言われてみれば、一時間近くここにいる。


「邪魔だった?」


「別に」


ラックはそれだけ答えると、また金属を叩いた。


カァン。


カァン。


沈黙。


カイにとって。


このくらいがちょうどよかった。


何を話せばいいのか分からない。


そもそも。


誰かと意味もなく一緒に過ごすという経験が、ほとんどなかった。


幼い頃から。


自分の隣にいたのはレンだけだった。


「……これ」


突然ラックが言った。


「え?」


「そこの工具取って」


「あ、うん」


カイは立ち上がる。


工具が何種類も並んでいた。


「……どれ?」


「赤い柄」


「これ?」


「それ」


手渡す。


「ありがと」


「……うん」


それだけ。


カイは再び椅子へ座った。


少しして。


ラックが口を開いた。


「毎日来てもいいぞ」


「……え?」


「暇なんだろ」


「まあ……」


「だったら手伝えよ。そのうち仕事覚えられるかもしれないし」


「俺でも?」


「知らねぇよ」


ラックは金属を叩く。


「やってみなきゃ分かんねぇだろ」


カァン。


「…………」


カイは少しだけ笑った。


「……そうだな」


それが。


二人の普段の会話だった。


友達。


そう呼んでいいのか、カイにはまだ分からない。


ただ。


ラックの工房にいると。


不思議と落ち着いた。



昼。


地下街の中央に、小さなカフェがある。


古い木材と廃材を組み合わせただけの店。


十席ほどしかない。


カイはいつもの端の席に座っていた。


コトッ。


目の前にスープが置かれる。


「どうぞ」


「あ……ありがとう」


アンナ。


二十一歳。


このカフェで働いている女性だ。


地下街では《カフェのマドンナ》なんて呼ばれているらしい。


カイには。


どう接していいのか、いまだによく分からなかった。


「…………」


アンナがカイを見る。


「……何?」


「いえ」


「……?」


「ちゃんと目を見て話せるようになったなと思って」


「…………」


カイは視線を逸らした。


「やっぱり戻った」


「……ごめん」


「謝らなくていいのに」


アンナは小さく笑った。


「最初なんて、ありがとうも言わなかったものね」


「言わなかった?」


「料理置いたら、こう」


アンナが俯く。


小さく会釈。


「…………」


もう一回。


会釈。


「そんな感じ」


「……俺そんなだった?」


「そんなだった」


恥ずかしい。


「悪かった」


「だから謝らなくていいって」


アンナは空いている向かいの椅子へ腰掛けた。


「少し慣れた?」


「……何に?」


「ここ」


カイは店の外を見る。


人々が歩いている。


子供がいる。


老人がいる。


仕事へ向かう者。


食料を運ぶ者。


洗濯物を干している者。


誰も。


カイを見て笑わない。


誰も。


レベル1だからと石を投げない。


「……分からない」


カイは答えた。


「でも」


少し考える。


「嫌いじゃない」


アンナが笑った。


「そっか」


それ以上。


何も聞かなかった。


それが。


ありがたかった。



店の隅には。


一人の少年が座っている。


アキラ。


十七歳。


Genesisのハッカー。


何枚もの仮想ウィンドウを展開しながら、黙々と作業している。


カイは時々。


その画面を眺めていた。


理解できない。


数字。


コード。


通信経路。


「……すごいな」


思わず口から出た。


アキラが振り向く。


「何が」


「それ」


「普通」


「普通じゃないだろ」


「三年やってる」


「三年やったらできるの?」


「できる」


「……俺でも?」


「知らない」


ラックと同じことを言われた。


アキラは再び画面を見る。


少しして。


「でも」


「?」


「やれば今よりはできる」


カイは黙った。


――やればできる。


そんなこと。


今まで誰にも言われなかった。


学校では。


お前には無理だ。


レベル1だから。


努力しても無駄だ。


そう言われ続けた。


なのに。


ここでは違う。


ラックも。


アキラも。


カイがレベル1だから無理だとは言わない。


「…………」


カイはスープを飲む。


温かい。


この場所へ来て。


三ヶ月。


友達ができた。


……と思う。


まだ。


自信を持ってそう言うことはできないけれど。


少なくとも。


自分がここにいてもいいのだと。


少しだけ。


思えるようになっていた。



その日の夕方。


「カイ」


ジンに呼び出された。


作戦室。


壁一面に地下街と地上都市の地図が表示されている。


ジンはいつものように煙草をくわえていた。


「傷、治ったんだってな」


「……はい」


「ゴウから許可も出た」


「はい」


「じゃあ」


煙を吐く。


「そろそろお前にも仕事してもらう」


「仕事……」


ようやく。


自分にもできることがある。


そう思った。


「何をすればいいですか?」


ジンは答えた。


「強盗」


「…………え?」


しばらく。


理解できなかった。


「政府管理の食糧生産工場を襲う」


「……それ」


カイの表情が強張る。


「犯罪……ですよね」


「そうだ」


「…………」


分かっていた。


Genesisは反政府組織。


政府からはテロリストとして扱われている。


それでも。


実際に自分が犯罪へ加担するとなると話は違った。


「怖いか?」


「……はい」


カイは素直に答えた。


「捕まったら……」


「死ぬだろうな」


「…………」


ジンは机に置かれた資料をカイへ見せる。


食料備蓄量。


そこには。


《残存推定日数――14日》


「政府がスラムへの食料供給を止めた」


「……」


「千人いる」


ジンが言った。


「俺たちが何もしなきゃ、二週間後には食うもんがなくなる」


カイの頭に。


ラック。


アンナ。


アキラ。


そして。


地下街で暮らす子供たちが浮かぶ。


「そうしなきゃ飢えて死ぬだけだ」


ジンがカイを見る。


「お前はそれで、ここの連中が飢え死にしてもいいのか?」


「…………」


そんなわけがない。


初めてだった。


自分を受け入れてくれた場所。


まだ。


ここを自分の居場所と呼ぶ勇気はない。


それでも。


失いたくなかった。


「……やります」


小さな声だった。


それでも。


ジンには届いた。


「そうか」



翌日。


作戦参加者は十二名。


指揮を執るのは。


ジンの側近。


赤髪の女。


キリカ。


「政府第七食糧生産工場へ侵入。備蓄食料を確保して撤退する」


腰には二丁の拳銃。


「政府兵との交戦は可能な限り避ける。目的は食料。戦闘じゃない」


そして。


カイを見る。


「新人」


「はい」


「期待はしてない」


「……はい」


「だから勝手なことしないで。ちゃんとついてきな」


「分かりました」


その後ろから。


「大丈夫よぉ、カイちゃん♡」


聞き覚えのある野太い声。


カイが振り返る。


巨大なバックパック。


戦闘用ベスト。


そして。


その下には相変わらずキャミソール。


「……ゴウさんも行くんですか?」


「あったり前でしょ! 怪我人が出たら誰が治すのよ!」


「……なるほど」


「あら?」


「何ですか?」


「今日は服装に突っ込まないのね」


「慣れました」


「成長したわねぇ」


「それ成長なんですか?」


「はいはい」


キリカが歩き出す。


「行くよ」



深夜。


政府第七食糧生産工場。


一行は裏口から侵入した。


『警備ロボ、通過』


アキラの声。


『次の巡回まで三十二秒』


「行くよ」


キリカを先頭に移動する。


カイの心臓が激しく鳴っている。


怖い。


足が震える。


それでも。


必死にキリカの後を追う。


キリカが拳を上げた。


止まれ。


全員が物陰へ。


警備ロボットの駆動音が近づいてくる。


カイも慌てて身を隠す。


その時だった。


ガッ。


「え――」


足が工具箱へ引っかかった。


ガシャン!!


静かな廊下に。


金属音が響き渡った。


「…………」


全員が。


カイを見る。


顔から血の気が引く。


「ご……ごめんなさい……」


警備ロボットの頭部が回転した。


赤い光。


《INTRUDER DETECTED》


ビーッ!!


警報。


「走れ!」


キリカが叫んだ。



逃げ切れなかった。


シャッターが閉じる。


前方。


政府兵。


後方。


警備ロボット。


左右からも増援。


「囲まれた……」


カイの呼吸が浅くなる。


自分のせいだ。


俺が。


音を立てたから。


キリカが二丁の拳銃を抜いた。


「私が道を開く」


「キリカさん……」


「新人はゴウと下がってな」


政府兵が銃を構える。


《TARGET LOCK》


キリカも構える。


「来い」


銃声。


キリカが横へ跳ぶ。


撃ち返す。


一発。


二発。


警備ロボットが迫る。


「キリカさん!」


カイは何もできない。


ただ。


見ている。


まただ。


昔と同じ。


レンに守られていた頃と。


何も変わっていない。


誰かに守ってもらうだけ。


「くっ!」


キリカの肩を弾丸が掠めた。


血が飛ぶ。


「キリカさん!!」


「来るな!」


キリカが叫ぶ。


その瞬間。


別方向の政府兵が。


キリカの背後へ銃口を向けた。


彼女は気づいていない。


《TARGET LOCK》


照準。


胸部。


《FIRE》


「――危ない!!」


カイが走った。


考えていなかった。


身体が勝手に動いた。


キリカを突き飛ばす。


そして。


政府兵とキリカの間へ。


カイが立った。


「バカ!」


キリカの声。


銃口が。


カイへ向く。


怖い。


死ぬ。


それでも。


逃げなかった。


頭の中に。


一つだけ。


強い感情があった。


――死なせたくない。


その瞬間。


ドクン。


心臓が跳ねた。


「……え?」


世界から。


音が消えた。


カイの視界が変わる。


兵士。


銃。


ロボット。


壁。


床。


すべてに。


無数の数字が流れ始める。


あの時と同じ。


「これ……」


頭の奥に。


言葉が浮かぶ。


《0》


「やめろ……」


銃口。


《0》


「撃つな……」


ロボット。


《0》


「誰も……」


パワードスーツ。


《0》


「死なせるな!!」


そして。


カイは叫んだ。


「――CODE:ZERO!!」


瞬間。


世界が沈黙した。


《WEAPON:0》


《MOTOR:0》


《SECURITY:0》


《NETWORK:0》


《BRAIN ARTS CONNECTION:0》


政府兵の銃が停止する。


「なっ……!?」


パワードスーツが沈黙。


警備ロボットの赤い眼が消える。


ガシャン。


一体。


ガシャン。


また一体。


次々と。


すべてが停止していく。


「動かない……!」


「通信不能!」


「セントラルに繋がらない!」


静寂。


カイは。


その場に立ち尽くしていた。


「…………」


自分の手を見る。


震えている。


「でき……た……」


キリカも。


カイを見つめていた。


さっきまで。


ただの頼りない新人だと思っていた青年。


その青年が。


今。


自分を庇って。


目の前にいるすべての敵を止めた。


「カイ……」


その時。


「ちょっとぉぉぉ!!」


全員が振り返った。


ゴウだった。


「いつまで見つめ合ってんのよ!」


「なっ……!」


キリカが顔を赤くする。


「そんなんじゃない!」


「はいはい! 青春は帰ってからにして!」


ゴウが食料庫を指差す。


「早く取るもの取って、ずらかるわよっ!!」


「…………」


キリカが我に返る。


「全員、食料庫へ!」


「お、おう!」


メンバーたちが走り出す。


カイも後を追おうとする。


その時。


「カイ」


キリカに呼び止められた。


「はい?」


キリカは。


少しだけ迷って。


「……ありがと」


それだけ言って。


先へ走っていった。


カイは一瞬。


その場に立ち尽くした。


「…………」


誰かに。


ありがとうと言われた。


自分が。


誰かを助けた。


「……うん」


小さく笑って。


カイも走り出した。



その夜。


大量の食料を積んだGenesisの部隊が地下街へ帰還した。


人々が集まる。


食料が配られる。


子供たちが笑う。


老人たちが頭を下げる。


アンナが食料を受け取っている。


ラックが箱を運んでいる。


アキラは回収したデータを確認している。


カイは少し離れた場所から。


その光景を見ていた。


「…………」


自分たちがやったことは。


犯罪だ。


それは変わらない。


でも。


今日。


キリカを助けた。


ここにいる人たちの食料を持ち帰った。


生まれて初めて。


自分にも。


誰かの役に立てることがあった。


「カイ」


振り返る。


キリカだった。


「今日は休んでいいよ」


「でも、食料運ぶの……」


「いい」


「……」


「その代わり」


キリカの目が鋭くなる。


「次の潜入までに、足元見る癖つけときな」


「…………はい」


「次やったら置いてくから」


「すみません……」


キリカは歩いていく。


その背中を見ながら。


カイは自分の右手を見た。


CODE:ZERO


まだ。


何なのか分からない。


使い方も分からない。


でも。


もし。


この力で。


誰かを守れるなら。


「…………」


カイは拳を握った。


ほんの少しだけ。


この力を。


怖くないと思えた。


挿絵(By みてみん)


挿絵(By みてみん)


挿絵(By みてみん)


挿絵(By みてみん)



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