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第2話 Genesis

――暗い。


何も見えない。


身体が、沈んでいく。


深い、深い海の底へ。


どこまで落ちても底には辿り着かない。


そんな感覚だった。


『――世界を、ゼロに戻して』


まただ。


あの声。


「……誰だ……?」


答えはない。


代わりに、暗闇の向こうに何かが見えた。


白い光。


その中に、無数の何かが並んでいる。


棺桶。


そう見えた。


数十。


数百。


いや――。


地平線の彼方まで続くほどの、無数の棺。


その一つ一つから伸びたケーブルが、巨大な塔のような機械へ繋がっている。


これは……なんだ?


なぜか。


知っている気がした。


『――カイ』


声がする。


「誰なんだ……?」


『思い出して』


「何を……?」


『あなたが――』


ノイズが走った。


景色が歪む。


『この世界を――――』


そこで。


意識が途切れた。


◇


「……っ」


カイは目を開けた。


知らない天井だった。


薄汚れたコンクリート。


何本もの配管が剥き出しになり、古びた照明が不規則に明滅している。


「……ここ……どこだ……?」


身体を起こそうとした。


「ぐっ……!」


激痛。


腹部から全身へ、一気に痛みが走る。


「いってぇ……」


そこでようやく自分の身体を見る。


上半身には包帯が乱雑に巻かれていた。


腹部。


肩。


腕。


何重にも巻かれた包帯には赤黒い血が滲んでいる。


酷い処置だった。


だが。


生きている。


「俺……」


記憶が戻ってくる。


炎。


銃声。


政府兵。


《レベル1掃討作戦》。


そして――。


「レン……!」


カイは飛び起きようとした。


「痛っ……!」


「だめだめぇ!!」


突然。


部屋の奥から野太い声が響いた。


「いい子に寝てないとダメでしょ!」


「……は?」


カイの思考が停止した。


カーテンの向こうから人影が現れる。


大きい。


身長は優に百八十を超えている。


太い腕。


分厚い胸板。


無精髭。


どう見ても。


おっさんだった。


ただし。


ピンク色のキャミソールを着ていた。


「…………」


「…………」


数秒。


沈黙。


カイはもう一度目を閉じた。


「……まだ夢か」


「失礼ねぇ!」


バシン!


肩を叩かれる。


「痛ってぇぇぇぇぇ!!」


「あらやだ! ごめんなさぁい!」


「怪我人! 俺、怪我人だから!」


「分かってるわよぉ。だって治療したのアタシだもの」


「治療!?」


カイは自分の包帯を見る。


妙に雑だと思った。


「アンタねぇ、運び込まれた時は本当に酷かったのよ? お腹ぱっくり。血はドバドバ。顔なんて真っ青!」


「……俺、どれくらい寝てた?」


「二日よ」


「二日……」


そんなに。


男は腰に手を当てる。


「ま、でも元気そうで安心したわ」


ニコッ。


強烈な笑顔だった。


「……あなたは?」


「あら」


男は人差し指を唇に当てた。


「女の子にいきなり名前を聞くなんて、積極的ねぇ」


「女の子……?」


「何か言った?」


「何でもありません」


「よろしい」


圧がすごい。


「アタシはゴウちゃん。ここの医療担当よ」


「ゴウ……ちゃん」


「そう。可愛く呼んでね♡」


「…………はい」


逆らわない方がいい。


カイの本能がそう告げていた。


ゴウはカイの身体を一通り確認すると、満足そうに頷いた。


「傷も塞がってきてるし、これなら大丈夫そうね」


そして扉へ向かう。


「ジンちゃん達、呼んでくるわね」


「ジン……?」


聞き覚えがある。


あの時。


意識を失う直前に見た男。


「じゃ、動いちゃダメよぉ」


バタン。


ゴウは早々に部屋を出ていった。


「……なんだったんだ、あの人」


一人になった部屋で、カイは呟いた。


だが。


すぐに表情が曇る。


「レン……」


あの赤い眼。


そして。


『カイ。死んで』


腹部が疼いた。


傷の痛みなのか。


胸の痛みなのか。


カイ自身にも分からなかった。


◇


十分ほど経った頃。


扉が開いた。


三人の男女が入ってきた。


先頭にいる男を、カイは覚えていた。


黒いコート。


無造作な黒髪。


鋭い眼。


そして。


「よう」


口元には煙草。


「死に損ない」


「……あなたは?」


男は煙草に火をつけた。


「ジン」


煙を吐く。


「相葉ジン」


カイを見て、ニヤリと笑った。


「ここの大黒柱やってる。よろしくな、坊主」


「坊主って……俺、二十歳なんだけど」


「俺から見りゃ坊主だ」


ジンの後ろには二人いる。


一人は長い赤髪を束ねた女。


年齢は二十代半ばほど。


腰には二丁の拳銃。


鋭い目つきでカイを観察している。


もう一人は眼鏡をかけた細身の男。


手元に複数の仮想ウィンドウを展開し、何やら操作している。


「そいつらは俺の側近だ。詳しい自己紹介はまた今度な」


ジンは近くにあった椅子を引き寄せた。


「身体は?」


「……痛いです」


「そりゃ腹斬られて二日なら痛ぇだろ」


他人事のように言う。


カイは少し迷ってから尋ねた。


「あの……」


「ん?」


「ここは……どこなんですか?」


ジンは答えなかった。


代わりに。


窓を親指で指した。


「見てみろ」


カイは身体を引きずるように窓へ近づいた。


そして。


「…………え?」


言葉を失った。


街があった。


巨大な地下空間。


天井は遥か上。


岩盤をくり抜いて造られた空間に、無数の建物が密集している。


廃材。


鉄板。


コンテナ。


壊れた建築資材。


それらを組み合わせて作られた街。


電線が蜘蛛の巣のように張り巡らされている。


露店が並んでいる。


食事を作っている女性。


走り回る子供たち。


酒を飲む男たち。


洗濯物を干す老人。


武器を整備する者。


負傷者を運ぶ者。


誰も裕福には見えない。


それでも。


生きていた。


「ここは……」


ジンが隣へ立った。


「Genesisのアジト」


煙草の煙が漂う。


「スラムの地下だ」


「地下……?」


「ああ」


ジンは街を見下ろす。


「レベル1、総勢およそ千人」


そして。


少しだけ誇らしそうに笑った。


「俺たちが暮らす、小さな国さ」


◇


しばらく。


カイは窓の外を眺めていた。


おかしい。


レベル1は無能。


そう教えられてきた。


まともな仕事もできない。


社会へ貢献できない。


高度な思考ができない。


だからスラムへ送られる。


なのに。


目の前には街がある。


発電設備がある。


浄水設備がある。


診療所がある。


武器を整備する工房まである。


これを。


レベル1が作った?


「……不思議か?」


ジンが言った。


「え?」


「レベル1がこんなもん作れるのかって顔してる」


「……」


図星だった。


ジンは鼻で笑った。


「その顔、ここへ来た奴は大体する」


「でも……俺たちは……」


カイは言葉を選ぶ。


「処理能力が低いから、レベル1なんじゃ……」


その瞬間。


ジンの表情がわずかに変わった。


「…………」


赤髪の女もカイを見る。


眼鏡の男は操作していた指を止めた。


「何ですか……?」


「いや」


ジンは煙草の灰を落とした。


「今はいい」


「……?」


「そのうち、自分で気づく」


意味が分からない。


だがジンはそれ以上話そうとしなかった。


代わりに。


「それより坊主」


カイを見る。


「あの夜のお前の戦い、見させてもらった」


カイの身体が強張った。


「政府兵のパワードスーツを止めたな」


「……はい」


「ドローンも落とした」


「……」


「通信も照準システムも全部だ」


ジンが身を乗り出す。


「ありゃ何だ?」


カイは自分の手を見る。


あの感覚。


世界そのものがコードとして見えた。


そして。


頭の中に浮かんだ言葉。


《CODE:ZERO》。


「分かりません」


「分からない?」


「本当に……分からないんです」


カイは拳を握る。


「突然、声が聞こえて……頭の中に大量の情報が入ってきて……気づいたら」


「CODE:ZERO」


「……!」


ジンが言った。


「そう言ってたな」


「聞いてたんですか?」


「近くにいたからな」


ジンは煙草をくわえたまま考え込む。


「ゼロ……ねぇ」


眼鏡の男が口を開いた。


「ジン。彼の周囲では一瞬、セントラルとの通信そのものが消失しています」


「消失?」


「遮断ではありません」


男は仮想ウィンドウを表示した。


「存在するはずのコードが、すべてゼロへ書き換えられていた」


カイは息を呑んだ。


「そんなこと……できるんですか?」


「できない」


即答だった。


「少なくとも、通常のブレインアーツでは」


「……」


ジンが立ち上がった。


「ま、いい」


「いいんですか?」


「分からねぇもん考え続けても腹は膨れねぇ」


豪快な理屈だった。


「ただ、一つだけ分かる」


ジンがカイを指差した。


「あの力は使える」


「……」


「天城カイ」


初めて。


ジンがカイの名前を呼んだ。


「俺らの仲間にならねぇか?」


「……仲間?」


ジンは窓の外を見る。


「Genesis」


地下街に黒い旗が揺れている。


白い世界樹。


その下に刻まれた文字。


《Genesis》


「それが俺らの名前だ」


「政府は……テロ組織だって」


「ああ」


ジンは笑った。


「間違ってねぇよ」


「え?」


「政府の施設を襲う。物資を奪う。武器も盗む。セントラルの施設を破壊することもある」


赤髪の女が静かに続ける。


「政府から見れば、私たちは立派なテロリスト」


「……」


ジンは窓の外を指した。


「でもな」


そこには子供がいた。


笑っている。


老人がいる。


食事をしている。


傷ついた男を、仲間が支えて歩いている。


「こいつらはただ、生きたいだけだ」


カイは黙って聞いていた。


「レベル1だから」


ジンの声が低くなる。


「それだけの理由で仕事を奪われる」


「住む場所を奪われる」


「人間扱いされねぇ」


「そして昨日」


煙草を床へ落とした。


踏み潰す。


「とうとう、生きる権利まで奪いやがった」


カイの脳裏に。


あの光景が蘇る。


老人。


女性。


子供。


逃げ惑う人々。


銃声。


炎。


「俺たちの目的は一つだ」


ジンが言った。


「この国を支配してるシステム――《セントラル》をぶっ壊す」


カイを見る。


「そして」


拳を握る。


「自由を手に入れる」


「……自由」


その言葉を。


カイは口の中で転がした。


自由。


考えたこともなかった。


生まれた瞬間からレベル1。


仕事も。


住む場所も。


人生も。


すべて決められていた。


努力した。


十年間。


それでも何も変わらなかった。


変えられないのだと思っていた。


「俺に……」


カイは自分の手を見る。


震えている。


「俺に、できますか?」


ジンは少しだけ目を細めた。


そして。


手を差し出した。


「できるかじゃねぇ」


「……」


「やるかだ」


カイはその手を見る。


怖い。


Genesisへ入れば。


もう戻れない。


政府に追われる。


戦うことになる。


人を傷つけることになるかもしれない。


死ぬかもしれない。


それでも。


昨日までの自分へ戻ることが。


それ以上に怖かった。


何も選べず。


何も変えられず。


ゴミを集めて。


死ぬ。


そんな人生に。


カイは。


ゆっくりと手を伸ばした。


ジンの手を握る。


「……やります」


ジンが笑った。


「決まりだな」


強く手を握り返す。


「ようこそ」


地下街に掲げられた世界樹の旗が揺れる。


「Genesisへ」


◇


ジンたちが部屋を出ようとした時だった。


「あの!」


カイが呼び止めた。


「ん?」


「一つ……聞いていいですか?」


「なんだ?」


カイは迷った。


怖かった。


答えを聞くのが。


「昨日……」


腹部の傷に手を当てる。


「俺を斬った女性」


ジンの目が細くなる。


「黒髪の?」


「はい」


カイは唾を飲み込んだ。


「彼女は……無事ですか?」


沈黙。


ジンは不思議そうな顔をした。


「妙なこと聞くな」


「……」


「お前を殺そうとした奴だぞ?」


「分かってます」


「腹まで斬られてる」


「分かってます」


「下手すりゃ死んでた」


「……それでも」


カイは写真を思い出した。


孤児院。


小さな手。


『カイはカイだよ』


『スペックなんて関係ない!』


「大事な人なんです」


ジンが黙った。


一瞬だけ。


その表情から軽さが消えた。


「大事な人……か」


遠い何かを見るような目。


だが。


すぐにいつもの表情へ戻った。


「安心しろ」


カイが顔を上げる。


「あの後、少し戦闘になったが……こっちの人数を確認して、兵を連れて撤退していった」


「……!」


全身から力が抜けた。


「そう……ですか」


生きている。


レンは。


生きている。


それだけでよかった。


「よかった……」


小さく呟いた。


ジンはそんなカイをしばらく見つめていた。


「西条レン」


「え?」


カイが顔を上げる。


ジンは背を向けたまま言った。


「そういう名前だったな」


「……レンを知ってるんですか?」


返事はない。


「ジンさん?」


ジンは扉を開ける。


そして。


「坊主」


振り返った。


「一つだけ忠告しといてやる」


先ほどまでの軽い雰囲気が消えている。


「次にあの女と会っても――」


カイを見る。


「昔のお友達だと思うな」


「……どういう意味ですか?」


だが。


ジンは答えなかった。


扉が閉まる。


カイだけが残された。


「レン……」


窓の外を見る。


地下の街。


Genesis。


レベル1だけの国。


そして。


自分の右手。


「CODE:ZERO……」


あの時。


確かに世界が見えた。


建物も。


武器も。


ブレインアーツも。


すべてが膨大なコードの集合体として。


どうして自分にそんなことができるのか。


なぜ。


万年レベル1だった自分なのか。


答えは分からない。


ただ。


カイはまだ知らなかった。


この日。


Genesisへ加わったことが。


単なる反政府組織への加入などではなかったことを。


《LEVEL 1》。


その数字が意味するものを。


セントラルがなぜ彼らを恐れるのかを。


そして。


自分が何者なのかを。


まだ。


何一つ知らなかった。


◇


同時刻。


地上。


政府中央管理局。


通常、人間が立ち入ることを許されない最深部。


巨大な暗闇の中で。


無数の光が瞬いていた。


《LEVEL 1 ELIMINATION PROGRESS:18.7%》


数字が更新される。


《19.1%》


《19.8%》


《20.4%》


そして。


別のウィンドウが開いた。


《ANOMALY DETECTED》


《TARGET:AMAGI KAI》


解析が始まる。


《IDENTIFICATION……》


一秒。


二秒。


三秒。


突然。


処理が停止した。


《ERROR》


再試行。


《ERROR》


再試行。


《ERROR》


やがて。


これまで一度も表示されたことのない文字列が浮かび上がった。


《ADMINISTRATOR AUTHORITY DETECTED》


沈黙。


そして。


暗闇の中で。


誰かが目を開いた。


真紅の瞳。


「…………見つけた」


女の声が響く。


《PRIORITY UPDATED》


《AMAGI KAI》


《THREAT LEVEL:UNKNOWN》


一瞬のノイズ。


そして。


《ELIMINATION PRIORITY:MAXIMUM》


赤い文字が。


暗闇を染めた。

挿絵(By みてみん)

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