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第1話 レベル1掃討作戦

挿絵(By みてみん)


西暦2189年。


人類は、脳という器の限界を超えた。


そのきっかけとなったのは、一つの発明だった。


――《ブレインアーツ》。


人体に投与された数十億ものナノマシンが脳神経へ接続し、人間の思考そのものをネットワークへと繋ぐ技術。


視界に情報を表示するのに、端末はいらない。


誰かと会話するのに、電話もいらない。


知識を得るために、本を読む必要さえない。


目を閉じ、意識を向ける。


ただ、それだけ。


人々は《セントラル》と呼ばれる巨大電脳空間へ接続し、あらゆる情報へアクセスすることができる。


現実と仮想の境界は、とうの昔に消え去っていた。


夜の街には、巨大な蒼いクジラが泳いでいる。


もちろん、本物ではない。


ビルとビルの間を悠然と進むその姿は、ブレインアーツによって人々の視覚野へ直接投影された共有ホログラムだ。


空を見上げれば、無数の星。


道路には色鮮やかな花々。


建物の壁面では、巨大な広告モデルが微笑んでいる。


汚れた壁も。


ひび割れた道路も。


灰色の空も。


すべて仮想映像で覆い隠せばいい。


人類は、美しい世界を手に入れた。


病気は減った。


犯罪も減った。


労働の大部分は機械が担うようになった。


必要な知識は瞬時に手に入る。


誰もが幸福に生きられる世界。


人々はこの時代を、こう呼んだ。


――ユートピア。


だが。


それは、あくまで表側の話だった。


人間の脳には、生まれながらにして差がある。


記憶力。


演算能力。


情報処理速度。


同時処理能力。


そして、ブレインアーツとの適合率。


政府はそれらを数値化し、人間を五段階に分類した。


その数値は《スペック》と呼ばれた。


LEVEL 1。


LEVEL 2。


LEVEL 3。


LEVEL 4。


そして――LEVEL 5。


高いスペックを持つ者には、富と名誉が与えられる。


特にレベル5へ到達した者は《ホルダー》と呼ばれ、国家の中枢に関わることすら許される絶対的なエリートだった。


逆に。


レベル2以下の人間に、まともな人生は与えられない。


清掃。


廃棄物処理。


危険区域での作業。


機械を導入する価値すらないと判断された、最低賃金の仕事。


そして都市の外れに建設された低スペック居住区――通称 《スラム》 。


そこが彼らに許された世界のすべてだった。


人間の価値は平等ではない。


脳の性能こそが、人間の価値である。


それが、この世界の常識だった。


*


天城(あまぎ)カイが初めてその現実を知ったのは、五歳の時だった。


両親の顔は覚えていない。


物心がついた頃には、すでに孤児院で暮らしていた。


だから幼いカイにとって、孤児院が世界のすべてだった。


決して裕福ではなかった。


けれど、それなりに笑っていたと思う。


少なくとも――あの日までは。


五歳になる年。


すべての子供に、一度目のスペック測定が義務づけられている。


白い部屋。


白い椅子。


頭に取り付けられた無数のセンサー。


カイは足をぶらぶらさせながら、検査が終わるのを待っていた。


怖くはなかった。


むしろ楽しみだった。


レベル3なら普通。


レベル4なら優秀。


レベル5だったら、孤児院のみんなが驚くだろう。


そんなことを考えていた。


やがて、目の前に青白いウィンドウが浮かび上がった。


《スペック測定完了》


カイは目を輝かせる。


しかし。


表示された数字は――


《LEVEL:1》


「……いち?」


意味が分からなかった。


隣にいた職員が息を呑む。


検査官が眉をひそめ、もう一度データを確認した。


「再測定を」


検査は三度行われた。


結果は、すべて同じだった。


LEVEL 1。


それも、レベル1の基準値を辛うじて満たす程度。


極端に低い数値だった。


その日から、世界は変わった。


「お前、レベル1なんだろ?」


「近寄んなよ」


「バカがうつるぞ」


「こいつに飯食わせる意味あるの?」


昨日まで一緒に遊んでいた子供たちが、笑わなくなった。


職員たちも変わった。


食事の量が少なくなった。


服はいつも誰かのお下がり。


話しかけても無視される。


何か問題が起きれば、真っ先にカイが疑われた。


そしていつしか。


誰も彼を見なくなった。


まるで最初から、そこに存在していなかったかのように。


ただ一人を除いて。


「カイ!」


床に倒れていたカイの前に、小さな少女が立ちはだかる。


西条(さいじょう)レン。


同じ孤児院で育った、カイと同い年の少女だった。


「もうやめて!」


レンは両手を広げ、カイを庇った。


「なんだよレン。そいつレベル1だぞ」


「だから何?」


「無能なんだぞ?」


「カイはカイだよ!」


レンは迷うことなく言い切った。


「スペックなんて関係ない!」


その言葉を。


カイはずっと忘れなかった。


*


それから十年。


十五歳になったカイは、育成機関の訓練室で床に這いつくばっていた。


「……っ、はぁ……はぁ……」


汗が床へ落ちる。


視界には無数の赤い文字が浮かんでいた。


《処理失敗》


《同期率17%》


《演算領域オーバーフロー》


《訓練続行不能》


「また天城か」


教官の呆れた声が聞こえた。


周囲から笑い声が漏れる。


「何回目だよ」


「今日だけで十一回」


「まだやってんの?」


「努力すればスペックが上がると思ってるんじゃね?」


「ウケる」


カイは拳を握った。


六歳から十五歳まで。


子供たちは政府管理の育成機関で訓練を受ける。


かつて存在したという学校とは違う。


国語も数学も歴史も教わらない。


そんな知識は《セントラル》からダウンロードすれば済むからだ。


ここで学ぶのは、脳そのものの使い方。


並列思考。


高速演算。


記憶領域拡張。


仮想空間構築。


ブレインアーツ同調訓練。


すべてはスペックを向上させるためにある。


そして十五歳の最終測定によって、その後の人生が決まる。


カイは努力した。


誰より早く訓練室へ来た。


誰より遅くまで残った。


頭痛で吐いた。


意識を失ったこともある。


脳神経に負荷をかけすぎ、三日間寝込んだことさえあった。


それでも。


《LEVEL(レベル):1》


数字は、一度も変わらなかった。


「天城」


教官が冷たい目で見下ろした。


「もうやめろ」


「……まだ、できます」


「できないから言っている」


「もう一回だけ……」


「無駄だ」


その一言が胸に突き刺さった。


「努力すれば誰でも上へ行けるわけじゃない。自分の限界を理解することも教育だ」


笑い声が聞こえる。


「先生、そんな言い方したら可哀想ですよ」


一人の男子生徒が笑った。


「天城は来年からスラム行きなんですから」


「やめろ」


「おめでとう、天城!」


教室に笑いが広がった。


その時だった。


「何がおもしろいの?」


笑い声が消えた。


少女が立っている。


長い黒髪。


透き通るような白い肌。


整った顔立ち。


西条レン。


彼女の頭上には、育成機関にいる誰もが知る数字が表示されていた。


《LEVEL:5》


ホルダー。


数万人に一人。


国家から将来を保証された存在。


「レン……」


カイが呟く。


レンは男子生徒を睨んだ。


「カイがあなたたちに何かした?」


「いや……」


「だったら笑わないで」


誰も反論できなかった。


レベル5。


それだけで、この世界では言葉の重みが違う。


レンはカイの前にしゃがんだ。


「立てる?」


「……うん」


差し出された手を握る。


温かかった。


昔と同じ手だった。


けれどカイには分かっていた。


この手を握っていられる時間は、もうほとんど残されていない。


*


卒業の日。


巨大なホールに、数百人の生徒が並んでいた。


一人ずつ名前が呼ばれ、最終スペックが発表されていく。


レベル3。


レベル4。


時折レベル2。


数字が表示されるたび、それぞれの人生が決まっていく。


そして。


「天城カイ」


カイは前へ出た。


心臓がうるさい。


奇跡なんて起きない。


分かっていた。


それでも。


十年間やってきた。


血を吐くほど努力した。


せめて。


せめて、レベル2に――。


《最終スペック測定結果》


数字が表示される。


《LEVEL:1》


静寂。


そして小さな笑い声。


カイは何も言わなかった。


ただ、その数字を見つめていた。


十年間。


人生の半分以上を費やして。


何も変わらなかった。


「西条レン」


次に彼女の名前が呼ばれた。


《LEVEL:5》


大きな拍手が巻き起こった。


国の未来を担うホルダー。


誰もが羨む人生。


カイは拍手した。


誰よりも強く。


笑ってみせた。


レンがこちらを見る。


泣きそうな顔をしていた。


カイは口だけを動かした。


――おめでとう。


その日。


二人の道は分かれた。


*


五年後。


「……くっせぇ」


二十歳になった天城カイは、生ゴミの袋を回収車へ放り込んだ。


腐敗臭。


油。


薬品。


排泄物。


最初は毎日のように吐いていた。


今では何も感じない。


「次、B-17区画」


機械音声が告げる。


「はいはい」


カイは回収車を走らせる。


少し離れた場所には、光り輝く巨大都市が見えた。


空にはホログラムの鳥が舞い、高層ビルには巨大広告が浮かんでいる。


ユートピア。


その美しい景色の手前には、巨大な壁がある。


そして壁のこちら側。


錆びた鉄骨。


崩れかけた建物。


剥き出しの配管。


汚水。


そこが、カイの暮らす世界だった。


仕事を終えた頃には深夜だった。


六畳ほどの部屋へ帰る。


家具はほとんどない。


ベッド。


机。


小さな冷蔵庫。


そして。


壁に、一枚だけ写真が貼られている。


十五歳の自分。


その隣で笑っているレン。


「……」


カイは一瞬だけ写真を見た。


レンが今どこにいるのかは知らない。


ホルダーになった彼女は、きっと自分とは違う世界で生きている。


それでいい。


そう思うことにしていた。


「寝よ」


ベッドへ倒れ込む。


明日もゴミを集める。


明後日も。


十年後も。


二十年後も。


きっと。


死ぬまで。


それがレベル1として生まれた人間の人生だ。


カイは目を閉じた。


*


――ピピピピピ。


「……ん……」


アラームが鳴っている。


「うるさ……」


カイは目を開けた。


まだ夜明け前だ。


だが。


何かがおかしい。


視界中央に、見慣れない赤いウィンドウが浮かんでいた。


《政府緊急通達》


「……?」


寝ぼけた目で文字を読む。


《国家再編計画・第零号を発令》


続いて。


巨大な文字が表示された。


《レベル1掃討作戦が開始されました》


「……は?」


意味が分からなかった。


掃討?


何を――


ドォォォォォン!!


轟音。


部屋が揺れた。


窓ガラスが砕け散る。


「うわっ!」


カイは床へ転がった。


直後。


ダダダダダダダダッ!


銃声。


「ぎゃあああああ!!」


悲鳴。


「助けて!」


「逃げろ!」


「政府軍だ!」


「なんでだよ! 俺たちが何したんだよ!」


カイの眠気が一瞬で吹き飛んだ。


外へ飛び出す。


そして。


言葉を失った。


「…………なんだよ、これ」


燃えていた。


街が。


人が。


すべてが。


百万人近い低スペック層が暮らす巨大スラム。


その至るところから炎が上がっている。


黒い影が屋根から屋根へ飛び移った。


人間ではあり得ない跳躍力。


着地。


アスファルトが砕ける。


黒い外骨格型パワードスーツ。


政府軍だ。


兵士の視界には、住民の情報が表示されている。


《TARGET(ターゲット)》


《SPEC:LEVEL(スペック:レベル) 1》


《目標排除承認済み》


銃口が老人へ向けられる。


「待ってくれ……!」


銃声。


老人が倒れた。


「……っ」


カイの身体が震えた。


夢じゃない。


本当に。


殺している。


レベル1という理由だけで。


「ふざけんな……」


その時。


兵士の一人がこちらを向いた。


赤い光がカイを捉える。


《TARGET LOCK》


「……!」


逃げなければ。


そう思った瞬間。


兵士が消えた。


違う。


速すぎる。


次の瞬間には、カイの目の前にいた。


「対象確認。レベル1」


機械越しの声。


銃口が額へ向けられる。


「排除する」


死ぬ。


カイは理解した。


こんなところで。


何もできないまま。


何者にもなれないまま。


俺は――


『――死なないで』


「……え?」


声がした。


女の声。


聞いたことがない。


なのに。


なぜか懐かしい。


『あなたは――』


頭の奥で何かが弾けた。


「ぐっ……!?」


激痛。


「あああああああああっ!!」


カイは頭を抱えた。


情報。


情報。


情報。


理解できないほど膨大な何かが脳内へ流れ込んでくる。


数字。


言語。


数式。


コード。


ブレインアーツの構造。


セントラルの通信規格。


兵士のパワードスーツを構成するプログラム。


見える。


すべてが、世界がコードとして。


兵士が引き金を引く。


その瞬間。


カイは無意識に右手を伸ばしていた。


そして。


言葉が口から零れた。


「……CODE:ZERO(コード:ゼロ)」


世界から。


音が消えた。


カイを中心に、見えない何かが広がっていく。


兵士のパワードスーツへ触れる。


《SYSTEM ERROR》


《CONNECTION LOST》


《BRAIN ARTS:0》


《MOTOR ASSIST:0》


《POWER:0》


「な――」


兵士の身体から力が抜けた。


ドサッ。


地面へ倒れる。


「…………え?」


カイは動けなかった。


自分の手を見る。


「俺……何を……?」


だが考えている暇はなかった。


「異常発生!」


「対象から未知の干渉を確認!」


「セントラルとの接続が切断された!」


「対象を最優先排除対象へ変更!」


数十人の兵士が振り返る。


カイは走った。


「くそっ!」


路地へ飛び込む。


兵士が追ってくる。


「ーーCODE:ZERO!」


黒い波紋が広がる。


追跡ドローンが墜落する。


兵士の照準システムが消える。


通信が途絶える。


パワードスーツが停止する。


カイにも、何が起きているのか分からない。


ただ一つ分かる。


自分には。


何かがある。


レベル1の自分に。


「はぁ……はぁ……!」


走る。


とにかくスラムを出る。


生きる。


それだけだった。


しかし。


大通りへ出た瞬間。


カイは立ち止まった。


「……嘘だろ」


数百人。


道を埋め尽くす政府兵。


逃げ道はない。


そして。


兵士たちが左右へ分かれた。


その中央から、一人の女が歩いてくる。


白い軍服。


腰に差した刀。


長い黒髪。


カイの心臓が止まりそうになった。


「…………レン?」


五年。


一日だって忘れたことはない。


間違えるはずがない。


西条レン。


幼馴染。


自分を守ってくれた唯一の人。


だが。


「レン……!」


カイは一歩踏み出した。


そこで気づいた。


レンの眼。


赤い。


鮮血のように。


瞳の奥で、奇妙な電子コードが流れている。


「……レン?」


彼女は答えない。


「俺だよ」


一歩。


「カイだ」


もう一歩。


「久しぶりだな……」


声が震える。


「ずっと……会いたかった」


レンの唇が動いた。


「カイ」


懐かしい声。


それだけで胸が締め付けられた。


しかし。


続いた言葉は。


カイが想像していたどんな再会の言葉とも違った。


「――死んで」


閃光。


「え?」


腹が熱い。


遅れて。


激痛。


「が……っ……」


血が噴き出した。


レンの刀が、カイの腹部を深く切り裂いていた。


膝から崩れ落ちる。


「レン……?」


理解できない。


目の前にいるのは。


あのレンだ。


泣いていた自分の隣にいてくれた。


殴られた自分を庇ってくれた。


レベルなんて関係ないと言ってくれた。


「なん……で……」


言葉が出てこない。


もっと言いたいことがあった。


五年間。


何度も考えた。


会えたら何を話そう。


元気だったか。


今どこで暮らしているんだ。


仕事は楽しいか。


俺はゴミ回収なんてやってるよ。


臭いけど、意外と慣れるもんだ。


そんなくだらない話をして。


最後には。


また昔みたいに笑えたら。


それでよかった。


なのに。


「やめて……くれ……」


出てきたのは、そんな言葉だった。


「俺……死にたくない……」


情けなく。


すがるような言葉。


レンは無表情で刀を振り上げた。


赤い瞳がカイを見下ろす。


死ぬ。


今度こそ。


カイは目を閉じた。


その瞬間。


――バンッ!


銃声。


「……!」


政府兵の一人の頭部が弾けた。


倒れる。


「誰だっ!」


レンが振り返った。


暗闇。


崩壊した建物の上。


一人の男が立っていた。


黒いロングコート。


無精髭。


手には旧式の実弾小銃。


その後ろから。


一人。


また一人。


次々と人影が現れる。


男。


女。


老人。


若者。


数十人。


共通しているものが一つだけあった。


彼らの頭上に表示されたスペック。


《LEVEL:1》


黒衣の男が銃を肩に担いだ。


「随分派手にやってくれたな、政府の犬ども」


兵士たちが一斉に銃を構える。


「何者だ!」


男は笑った。


「何者だと?」


小銃の安全装置を外す。


「そんな大層なもんじゃねぇよ」


そして。


カイを見る。


その目だけは笑っていなかった。


「俺たちは、ゴミ箱に捨てられた人間だ」


男の背後。


崩れたビルの壁面に、一つのマークが浮かび上がった。


世界樹を模した紋章。


その下に刻まれた文字。


《Genesis(ジェネシス)》


レベル1だけで構成された反政府武装組織。


政府が《テロリスト》と呼ぶ者たち。


男の名は――


相葉(あいば)ジン。


Genesisを率いるリーダーだった。


「おい、坊主」


ジンが言った。


「聞こえるか?」


カイは答えられない。


意識が遠ざかっていく。


レンが何かを叫んでいる。


銃声。


爆発。


誰かが自分を抱き上げた。


そして。


完全に意識を失う直前。


あの声が。


もう一度だけ聞こえた。


『やっと見つけた』


誰だ。


そう問いかけたかった。


だが声は出ない。


『世界を――』


ノイズ。


『――ゼロに戻して』


視界が。


暗闇に沈んだ。


その日。


世界で最も無価値とされたレベル1の青年が。


世界を破壊する力に目覚めた。


そして同時に。


百年以上続いたスペック社会の崩壊が。


静かに始まった。

挿絵(By みてみん)


挿絵(By みてみん)


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