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第26話 アンナの過去

「アンナ……お前が内通者……だったのか」


 ジンはそう呟くと。


 力が抜けたように、近くのソファへ座り込んだ。


「ごめんなさい……」


 アンナが俯く。


「ごめんなさい……ごめんなさい……」


 何度も。


 何度も。


 謝り続ける。


「…………」


 ジンは何も言わなかった。


 しばらくして。


 静かに口を開く。


「仲間が……家族が死んだ」


「…………」


「一人、二人じゃない……何人もだ」


 アンナの肩が震える。


「それは……事実だ」


「……はい」


 小さな声だった。


「覚悟は……できています……」


「……」


 アンナの震える手が、ポケットへ伸びる。


 取り出したのは。


 折りたたみ式のナイフ。


 ――カチッ。


 刃が開いた。


「アンナ……?」


 アンナは両手でナイフを握ると。


 その刃を――自分の首元へ持っていく。


「ごめんね――アキトっ」


「アンナ! あんた!!」


 ゴウが声を荒らげた。


 直後。


 ジンが勢いよく立ち上がる。


「――っ!」


 アンナの元へ駆け寄り。


 その刃を――素手で握りしめた。


「……っ!」


 ジンの手から。


 血が流れる。


「たしかに……仲間が、家族が死んだ」


「…………」


「それは……アンナのせいなのかもしれない」


「ジン……血が……」


 アンナの手から。


 ナイフが離れる。


 ――カラン。


 血のついたナイフが、床を転がった。


「――だけどな、アンナ」


 ジンがアンナを見る。


「お前も俺の大切な――家族なんだ」


「――――っ!」


 アンナの目に。


 涙が溢れる。


「話してくれ、アンナ」


「…………」


「何があったんだ」


 アンナはその場に座り込んだ。


 そして。


 静かに話し始めた。


「……あれは三年前」


「私が十八歳の時だった……」


     *


 第五スラム。


 ゴミ溜めと。


 腐敗と。


 悪臭の街。


 そこで私は。


 一つ年下の弟と二人。


 ひっそりと暮らしていた。


 でも――。


 最初から、そうだったわけじゃない。


 私の父はLEVEL4だった。


 裕福な家庭だったと思う。


 何不自由のない生活。


 父も母も優しかった。


 そして。


 どこへ行くにも私の後をついてくる弟が。


 とても可愛かった。


『お姉ちゃん!』


『待ってよ!』


『もう、アキト遅いよ』


『だって、お姉ちゃんが速いんだもん!』


 幸せだった。


 あの頃は。


 それがずっと続くものだと思っていた。


 でも。


 弟が五歳になった年。


 そのすべてが――壊れた。


《SPEC:LEVEL1》


「…………」


 弟は。


 LEVEL1と判定された。


     *


『どうするのよ!!』


『俺に聞くな!!』


 それまで幸せだった家は。


 地獄になった。


 父と母は毎日のように喧嘩した。


 LEVEL1。


 その言葉が出るたびに。


 アキトは小さくなった。


『……お姉ちゃん』


『アキト』


 私は弟の手を握った。


『公園行こっか』


『でも……もう夜だよ?』


『いいの』


 私は笑った。


『いっぱい遊ぼ』


『……うん!』


 そんな日は。


 弟の手を引いて、近くの公園へ行った。


 二人で遊んだ。


 夜遅くまで。


 家の中が静かになるまで。


 何度も。


 何度も。


     *


 そして。


 アキトが教育機関へ入学する日。


 父と母が――自殺した。


 残された遺書には。


 たった一言。


『ごめん』


 それだけが書かれていた。


「…………」


 それから。


 私にとって。


 弟を守ることだけが――生きがいになった。


     *


『LEVEL1だ!』


 石が飛んでくる。


『やめなさい!』


 私はアキトの前に立った。


 投げられる石を払いのけ。


 弟を守った。


 幸いにも。


 私のSpecはLEVEL3だった。


 教育機関でも優秀な生徒だった私に。


 直接手を上げようとする人はいなかった。


『お姉ちゃん……』


『大丈夫』


 私は。


 アキトの手を握った。


『私がいるから』


     *


 そして。


 十五歳になった私は。


 弟より一足先に教育機関を卒業した。


 中央都市に近い街で。


 経理の仕事を任された。


 朝から夜まで働いた。


 慌ただしい毎日だった。


 アキトのために。


 少しでもお金を稼ごうと思った。


 だけど。


 気づけば――。


 弟のことを考える時間すら。


 少なくなっていた。


     *


 三年後。


 アキトが十五歳になり。


 教育機関を卒業した。


 Specは。


 変わらずLEVEL1。


 そして。


 久しぶりに会った弟の顔を見た瞬間。


 私は――言葉を失った。


『……アキト?』


 顔が腫れていた。


 何かで殴られたのか。


 頬は赤黒く変色している。


 身体中に。


 いくつもの痣があった。


『……お姉ちゃん』


 アキトは。


 それでも笑った。


『久しぶり』


「…………」


 私は。


 酷く後悔した。


 私は。


 こんな場所に。


 この子を一人――置き去りにしてしまった。


     *


 私は仕事を辞めた。


 そして。


 アキトと一緒にスラムで暮らすことにした。


 一日に二回だけ支給される。


 貧しい食事。


 四畳ほどしかない。


 薄汚れた手狭な部屋。


 生活は。


 最悪だった。


 それでも。


『お姉ちゃん』


『ん?』


『今日、何食べる?』


『昨日と同じよ』


『また?』


『文句言わないの』


『はーい』


「…………」


 私は幸せだった。


 弟と。


 二人で暮らせていたから。


 それだけで。


 よかった。


 そんなある日。


 あの――恐ろしい事件が起きた。


     *


 ――ダダダダダダッ!!


「……っ!?」


 銃声。


 ――ドォォォン!!


 爆発音。


 火災。


 悲鳴。


『逃げろ!!』


『助けて!!』


『LEVEL1が殺されてる!!』


 街が。


 地獄に変わった。


 ――LEVEL1掃討作戦。


 その第一回目。


 それが。


 ここ第五スラムで行われた。


『アキト!!』


 私は弟の手を掴んだ。


『走って!!』


『お姉ちゃん!』


 逃げた。


 逃げて。


 逃げて。


 ただひたすらに走った。


 弟の手だけは。


 絶対に離さなかった。


 でも。


 ――逃げ切れなかった。


『止まれ!!』


「――っ!」


 全身を黒い装備で覆った政府兵たちが。


 私たちを取り囲む。


『LEVEL1を確認!』


『確保しろ!』


『やめて!!』


 兵士が。


 アキトを掴んだ。


『お姉ちゃん!!』


『離して!!』


 私は叫んだ。


『私はLEVEL3よ!!』


『この子を離して!!』


『アキトを離せ!!』


 でも。


 政府兵は耳を貸さなかった。


『お姉ちゃん!!』


『アキト!!』


 弟へ手を伸ばした。


 次の瞬間。


 ――ゴッ!!


「――っ」


 小銃の柄が。


 私の頭に叩きつけられた。


 視界が揺れる。


 膝から力が抜ける。


『お姉ちゃん!!』


 アキトの声が。


 遠くなる。


「アキ……ト……」


 そして。


 私の意識は――閉じられた。


     *


「…………」


 目を覚ました時。


 私は。


 真っ白な部屋にいた。


 手には錠。


 足にも錠。


 四方を囲む――鉄格子。


「……アキト?」


 身体を起こす。


「アキト……!」


 その時。


『おはよう』


「――!」


 鉄格子の向こうに。


 一人の男が立っていた。


 真っ白な軍服。


 腕には。


 政府軍の腕章。


『七瀬アンナさん』


「……誰……?」


 男は。


 静かに微笑んだ。


『私は――ファースト』


「…………」


『政府軍 《ナンバーズ》の一人だ』


 そして。


 男は尋ねた。


『弟を――助けたいかい?』


「――っ!」


 私は鉄格子へ飛びついた。


『弟は!?』


『アキトはどこ!?』


 鉄格子を掴む。


『弟を……アキトを返して!!』


 ファーストは。


 クスリと笑った。


『返すことはできない』


「……っ」


『でも』


 男が続ける。


『もし君が、私たちの言うことを聞くのなら』


「…………」


『弟の身の安全は保証しよう』


「……ほんと……?」


『本当さ』


「…………」


『どうする?』


 答えは。


 決まっていた。


「……何をすればいいの?」


 ファーストは。


 僅かに笑みを深めた。


『それは――』


     *


 それから。


 私は命令された。


 第一スラムへ潜入すること。


 そして。


 政府に反抗する動きがあれば。


 その中へ潜り込み。


 定期的に情報を送ること。


 ファーストから。


 一つの小型通信機を渡された。


 ブレインアーツを介してこの通信機を接続することで。


 遠距離でも。


 秘匿されたプライベート通信ができる。


 そして。


 最後に。


 こう言われた。


『通信が途絶えた時は――』


「…………」


『弟の命はないと思ってくれ』


     *


「…………」


 アンナは。


 すべてを話し終えた。


 ゆっくりと目を閉じる。


「許されないことだって……分かってたわ」


「…………」


「でも……」


 アンナの声が震える。


「私がやらなければ……弟が……」


 医療室に。


 沈黙が落ちる。


「……胸糞の悪い話ね」


 ゴウが呟いた。


 その声には。


 珍しく。


 はっきりとした怒りが滲んでいた。


「…………」


 ジンは。


 黙ってアンナを見ていた。


 やがて。


「アンナ」


「……?」


「安心しろ」


 ジンが言う。


「お前も――」


「…………」


「お前の弟も」


 真っ直ぐ。


 アンナを見る。


「絶対に助ける」


「…………っ」


「でも……!」


 アンナが声を上げる。


「…………」


 ジンは。


 静かに立ち上がった。


「――俺に考えがある」


 アンナはジンを見つめた。

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