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第25話 内通者

 ――カタカタカタカタカタカタ。


 薄暗い部屋に、キーボードを叩く音が響いていた。


 錆びついた鉄柱。


 剥がれ落ちた壁。


 天井から垂れ下がる、無数のケーブル。


 研究所と呼ぶには、あまりにも薄汚れている。


 その中央。


 一人の男が、モニターの前に座っていた。


 無造作に伸びた髭。


 手入れされていない、ぼさぼさの髪。


 目の下には深い隈。


 それでも。


 その指だけは止まらない。


 凄まじい速度でキーボードを叩き続けている。


 男の横には、大小様々な機械が積み上げられていた。


 剥き出しの基板。


 絡み合った配線。


 点滅を繰り返すランプ。


 そして。


 その上に――。


 一つの小瓶が置かれていた。


 複数の細いケーブルが、小瓶へと繋がっている。


 中では。


 薄い黄緑色の液体が、微かな光を放っていた。


「もう少し……」


 男が呟く。


「もう少しで……完成する……」


 震える指が。


 再びキーを叩く。


 モニターを流れていく、膨大な文字列。


 その中で。


 一つの文字が映し出された。


 男は。


 それを見つめる。


「BRAINコネクト……」


 その声は。


 祈るようだった。


「――人類の希望……」


 その瞬間。


 ――ドォォォン!!


 研究所全体が揺れた。


 天井から埃が落ちる。


 男の背後。


 閉ざされた扉の向こうから。


 銃声が聞こえた。


 ――ダダダダダダッ!!


 爆発。


 怒号。


 そして。


 人の悲鳴。


「うわああああああっ!!」


「下がれ!!」


「撃てぇぇぇ!!」


 男は振り返らない。


 ただ。


 目の前のモニターを見つめ。


 キーを叩き続ける。


「あと……少し……」


 銃声が近づいてくる。


「頼む……」


 黄緑色の液体が。


 小瓶の中で。


 静かに揺れていた。


     *


 Genesis本部。


 医療室。


「…………」


 ゴウはテーブルに腰を預けながら、一枚のカルテを眺めていた。


 数日前の戦闘から。


 負傷者は途切れていない。


「まったく……」


 小さく息を吐く。


 手にしたカップを口元へ運び。


 コーヒーを一口。


「…………苦っ」


 眉を顰める。


 その時。


 ――コンコン。


 医療室の扉が叩かれた。


「はーい」


 ゴウがカップを置く。


「開いてるわよ――」


 言いながら。


 扉を開ける。


「…………」


 ゴウの表情が止まった。


「……アンナ?」


 そこに立っていたのは。


 アンナだった。


 俯いたまま。


 何も言わない。


 いつも綺麗に整えている髪も、今日は僅かに乱れている。


 両手は。


 スカートの裾を強く握りしめていた。


「どうしたの?」


「…………」


「アンナ?」


「ゴウ……」


 消え入りそうな声。


「わたし……」


 その先が出てこない。


 ゴウはアンナの顔を見る。


 そして。


 廊下の左右へ視線を走らせた。


「……入りなさい」


 アンナの肩へ手を添え。


 医療室へ招き入れる。


 静かに。


 扉を閉めた。


 ――カチャ。


「…………」


 ゴウは何も聞かなかった。


 アンナを椅子へ座らせる。


 自分もその前に立つ。


「…………」


 沈黙。


 時計の音だけが。


 小さく響いていた。


「……わたし」


 アンナが。


 ようやく口を開いた。


「どうしたら……」


 震えている。


「どうしたらいいのか……分からなくて……」


「…………」


「わたし……」


 握ったスカートに。


 さらに皺が寄る。


「わたしが……っ」


 声が詰まる。


「…………」


「内通者なの……」


 ゴウの目が。


 僅かに見開かれた。


「…………」


 アンナが顔を上げる。


 涙で。


 ぐちゃぐちゃになっていた。


「アンナ……」


「あんた……」


 ゴウの手が上がる。


「……っ!」


 アンナは反射的に。


 ぎゅっと目を瞑った。


 肩を竦める。


 だが。


 何も起こらなかった。


 代わりに。


 ぽん。


 大きな手が。


 アンナの頭に置かれた。


「…………え?」


 ゆっくり。


 引き寄せられる。


 そして。


 ゴウは。


 アンナを優しく抱きしめた。


「…………っ」


「辛かったわね」


 その一言で。


 アンナの顔が歪んだ。


「ゴウ……」


「いいのよ」


 背中を。


 ゆっくり撫でる。


「オネェさんになんでも話しなさい」


「…………」


「ちゃんと聞くから」


「……っ」


 アンナの手が。


 ゴウの服を掴んだ。


「ごめんなさい……」


 涙が落ちる。


「ごめんなさい……っ」


「…………」


 ゴウは。


 何も言わず。


 しばらくそのままアンナを抱いていた。


 やがて。


 アンナがゆっくり離れる。


 手の甲で。


 涙を拭う。


「ゴウ……」


「ん?」


「ジンを……」


 息を整える。


「ジンを呼んできてもらえない……?」


「…………」


「私……」


 アンナが俯く。


「ジンのところに行く……勇気がなくて……」


 ゴウは。


 アンナを見つめた。


 それから。


 静かに頷く。


「分かったわ」


「…………」


「ここにいて頂戴」


「……うん」


 ゴウが。


 医療室を出ていく。


 ――カチャ。


 一人。


 残されたアンナは。


 膝の上で。


 両手を強く握りしめた。


     *


 しばらくして。


 ――カチャ。


 扉が開いた。


 アンナが。


 びくりと肩を震わせる。


 入ってきたのは。


 ゴウ。


 そして。


 その後ろに――。


 ジン。


「…………」


 アンナの呼吸が止まる。


 ジンは。


 何も知らない顔で。


 いつものように頭を掻いた。


「……アンナ」


 椅子に座る彼女を見る。


「どうした」


「…………」


 答えられない。


 昨日。


 中央広場で聞いた言葉が。


 頭の中で蘇る。


『今すぐじゃなくてもいい』


『俺のところに来てくれ』


『訳を聞かせてほしい』


「…………っ」


 逃げたい。


 今からでも。


 何も言わずに。


 この部屋を飛び出してしまいたい。


 でも。


 もう。


 逃げたくなかった。


「ジン……」


「ん?」


「私……」


 声が震える。


 ゴウは。


 何も言わず。


 アンナの隣に立っていた。


「…………」


 アンナは。


 一度だけ。


 大きく息を吸った。


 そして。


 ジンを見る。


「私が――」


 唇が震える。


「…………」


「――内通者です」


 ジンの表情が。


 止まった。

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