第24話 傷
「…………」
冷たい。
最初に感じたのは、それだった。
「……ここは……」
カイがゆっくりと目を開ける。
ぼやけた視界。
白い天井。
白い壁。
真っ白なコンクリートに囲まれた、何もない空間。
「…………っ」
身体を起こそうとする。
その時。
ガシャン――。
金属音が響いた。
「……?」
両手。
そして両足。
重い手錠が嵌められている。
さらに。
カイの四方を取り囲んでいるのは、太い鉄格子。
「ここ……は……」
頭が重い。
意識に靄がかかっている。
自分がなぜここにいるのか。
すぐには思い出せない。
その時。
『目が覚めたようですね』
「――っ!」
突然。
声が響いた。
男とも女ともつかない。
感情の薄い声。
そして――。
『――天城海』
カイが顔を上げる。
目の前。
白い光が集まっていく。
やがて形成されたのは――。
巨大な、人の顔。
真っ白な顔だけが。
空間に浮かんでいる。
「……なんだ……」
カイが息を呑む。
白い顔は静かにカイを見下ろしていた。
そして。
口元を動かす。
『私は――セントラル』
「…………!」
『この世界を管理し、運用し、維持するもの』
カイの瞳が揺れる。
セントラル。
その名前を。
知らないはずがない。
この世界を支配する存在。
そのセントラルが。
今、自分の目の前にいる。
『よくお越しくださいました』
白い顔の口元が。
ゆっくりと歪む。
『マイ・マスター』
「…………?」
カイは眉を寄せた。
「……マスター?」
何を言っている。
意味が分からない。
「お前は……いったい……」
立ち上がろうとする。
だが。
ガシャンッ!!
「くっ……!」
手足を繋ぐ錠が動きを阻む。
身体の力も。
まだ戻っていない。
バランスを崩し。
そのまま床へ倒れ込んだ。
ガシャン――!!
金属音だけが。
白い空間に響き渡る。
「……っ」
痛む頭を押さえる。
少しずつ。
記憶が戻ってくる。
第七物流センター。
待ち伏せ。
サザメと呼ばれていた金髪の少女。
清水レイ。
『――《Arts》』
氷。
凍りついていく身体。
遠くから聞こえた。
仲間たちの声。
「…………!」
カイが勢いよく顔を上げた。
「ここはどこだ……」
白い顔を睨む。
「みんなは……」
声に焦りが混じる。
「みんなは無事なのか……!」
セントラルは。
変わらぬ表情のまま答えた。
『ここは中央都市に存在する、とある監獄施設です』
「中央……都市……」
『逃げ出そうとは考えないでください』
白い顔が微笑む。
『ここには無数の監視システム。そして強固な防衛システムが存在します』
「…………」
『あなた一人での脱出は、不可能です』
カイの手が握られる。
だが。
今知りたいのは。
そんなことではない。
「……みんなは」
『ええ』
セントラルが答える。
『誠に残念なことに――』
ほんの僅かに。
笑みが深くなる。
『あなたのお仲間は無事なようです』
「…………!」
カイの目が見開かれる。
『私が手配した兵を全て無力化し、その場から撤退したとの報告を受けています』
「…………」
力が抜けた。
「……そっか……」
みんなは無事。
ヒナタ。
アズサ。
キリカ。
クナト。
ジン。
みんな――。
生きている。
「……よかった……」
その言葉と同時に。
張り詰めていたものが切れた。
どっと疲労が押し寄せる。
身体が重い。
瞼が落ちてくる。
『今は、よく休んでください』
「…………?」
『あなたのメインブレインは、かなり消耗しています』
「メインブレイン……?」
また聞き慣れない言葉。
カイが顔を上げようとする。
だが。
もう身体に力が入らない。
『時が来れば、迎えを寄越します』
白い顔が。
少しずつ薄くなっていく。
「待て……」
聞きたいことがある。
レンの記憶のこと。
自分を生きたままここに幽閉する理由。
自分を主人と呼ぶ理由。
そもそもなぜレベル1を殺すのか。
キリがない。
『それまでは』
白い顔が。
不敵に微笑む。
『ゆっくりと……』
「…………」
『ゆっくりと――おやすみください』
「待……て……」
白い光が消えた。
同時に。
カイの視界も。
闇へ沈んだ。
*
Genesis本部。
エントランス。
「そっちのベッド空けて!」
怒号が響く。
「歩ける人は自分で医務室まで行って! 重傷者を優先するわよ!」
「ゴウさん! 包帯が足りません!」
「倉庫から持ってきて! 消毒薬も一緒に!」
そこは。
数日前までのエントランスとは。
まるで違う場所になっていた。
簡易ベッド。
医療器具。
血のついた包帯。
壁にもたれかかる者。
床に横たわる者。
呻き声。
泣き声。
負傷したGenesisの団員たちで。
広いエントランスが埋め尽くされていた。
その中心。
「次!」
ゴウが声を張る。
普段の柔らかな雰囲気はない。
次々と運び込まれる負傷者へ指示を出しながら。
休む暇もなく動き続けている。
その時。
「ゴウ……!」
声がした。
ゴウが振り返る。
大きな袋を抱えたアンナが立っていた。
「食料を持ってきました」
「アンナ」
「まだ店に少し残ってるから、あとで――」
言葉が止まる。
「…………」
目の前。
負傷した団員。
血に染まった服。
床に落ちた赤い雫。
また。
その向こうにも。
血。
「…………っ」
アンナの顔から。
血の気が引いた。
視界が揺れる。
「アンナ?」
「……っ」
身体が傾いた。
「危ない!」
ゴウが素早く受け止める。
「…………」
「ありがとうね、アンナ」
ゴウがそっと肩を支える。
「あんた、顔真っ青じゃない」
「……大丈夫……」
「大丈夫じゃないわよ」
ゴウが静かに首を振る。
「ここはあんたにはキツいわ。早く戻りなさい」
「…………」
アンナは。
目の前の光景を見る。
苦しそうに横たわる者。
傷口を押さえる者。
仲間を心配して寄り添う者。
その手に。
力が入った。
「ありがとう、ゴウ……」
食料を。
強く抱え直す。
「でも……私も手伝います」
「アンナ」
「みんな、お腹空いてるでしょ?」
「…………」
「だから」
無理に笑う。
「せめて、ご飯くらい作らせて」
ゴウは何も言わなかった。
数秒。
アンナを見つめる。
「……分かったわ」
「ありがとう」
アンナは食料を抱えたまま。
奥へ向かった。
調理場。
食料を置き。
震える手で。
準備を始める。
その時。
「あいたたたたたっ!!」
大声。
「ゴウさん!! こっちお願いします!!」
「はいはい、今行くわよ!」
ゴウが声の方を見る。
「ったく、今度は誰よ!」
腹部に包帯を巻いた男が。
痛みに顔を歪めながら喚いている。
その腕には。
Ⅳ
第四番隊を示す文字。
アンナの店にも。
よく飲みに来ていた男だった。
「痛ぇって! これ絶対ヤバいって!」
ゴウが頭を抱える。
「はいはいはい!」
ため息。
「死にゃしないから安心して!」
「本当かっ!?」
「そんな元気に喚けるなら大丈夫よ!」
「いてぇもんはいてぇんだよ!」
「うるさい!」
周囲から。
僅かに笑いが漏れる。
ほんの一瞬だけ。
張り詰めていた空気が緩んだ。
だが。
ゴウの視線は。
調理場へ向かう。
「…………」
アンナ。
あの日から。
明らかに様子がおかしい。
脳裏に。
数日前の光景が蘇った。
*
「カイが……」
アンナの手から。
持っていた包帯が落ちた。
「攫われた……っ!?」
声が。
エントランスに響いた。
第七物流センターから。
ジンたちが帰還した直後。
そこは今以上に混乱していた。
傷だらけの隊員たち。
担架。
血。
怒号。
アンナ。
ラック。
アキラ。
そして多くの非戦闘員たちが。
帰ってきた仲間を必死に支えていた。
その中で。
ジンが告げた。
カイが。
政府に連れ去られたことを。
「…………」
アンナの身体が揺れる。
「アンナ」
ラックがすぐに肩を支えた。
「……大丈夫か」
「…………」
アンナは答えない。
ラックがジンを見る。
「カイが攫われたって本当なのか……」
声が低くなる。
「どこに?」
「……分からねぇ」
ジンの声は。
いつもより重かった。
「奴らがどこへ運んだのか、まだ掴めてねぇ」
「そんな……」
「最悪―― もう手遅れになってるかもしれねぇ」
ジンが。
顔を顰める。
拳が。
強く握られた。
「…………」
アンナが俯く。
その隣。
アキラも。
唇を噛んでいた。
「……すまん」
「…………?」
「俺のミスだ……」
アキラが。
悔しそうに顔を歪める。
「俺が敵の電波干渉に、もっと早く気づけてれば……」
「アキラ」
ジンが遮る。
「お前のせいじゃねぇ」
「でも――」
「あれは俺の判断ミスだ」
ジンが。
傷だらけの仲間たちを見る。
「もっと……ちゃんと考えなきゃならなかった」
「…………」
誰も。
言葉を返せなかった。
やがて。
ジンが顔を上げる。
「動ける奴は――」
声を張る。
「このあと中央広場に集まってくれ」
周囲の視線が集まる。
「聞いてほしいことがある」
*
Genesis中央広場。
戦闘員。
非戦闘員。
老人。
若者。
多くのGenesisの人間が集まっていた。
中央に設けられた舞台。
そこへ。
ジンが一人で上がる。
周囲に浮かぶホログラムモニターへ。
その姿が映し出された。
ざわめき。
不安。
負傷者の呻き声さえ混ざっている。
ジンが。
全員を見渡した。
「みんな、聞いてくれ」
ざわめきが。
少しずつ小さくなる。
「今――俺たちは、未曾有の危機に晒されてる」
「…………」
「俺たちの行動が、政府軍に漏れている」
広場が静まる。
ジンは。
一度だけ息を吐いた。
そして。
告げる。
「――内通者がいる」
「…………!」
空気が。
一変した。
「内通者……!?」
「誰だよ……!」
「まさか、本当に……」
「お前じゃないよな!?」
「ふざけんな! 俺じゃねぇよ!」
「じゃあ誰なんだよ!」
疑い。
怒声。
不安。
それまで隣に立っていた仲間同士が。
互いの顔を見る。
「静まれッ!!」
ジンの怒声。
広場が。
再び静まり返る。
「不安なのは分かる」
ジンが全員を見る。
「俺だって同じだ」
「…………」
「でもな」
一人。
また一人と。
その目を見る。
「俺らは仲間だ」
ジンの声が。
広場に響く。
「家族だ」
「…………」
「俺はお前らのことを、本当にそう思ってる」
アンナが。
俯いたまま立っている。
「だから――」
ジンは続ける。
「どうか、周りの奴を信じてやってほしい」
「…………」
「もし本当に内通者がいたとしても」
一拍。
「そいつには、そいつなりの理由があるはずだ」
アンナの指先が。
僅かに震えた。
「ここには――」
ジンが。
笑った。
「本当に悪い奴なんて、いねぇんだから」
「…………っ」
アンナが。
ゆっくりと顔を上げる。
壇上のジンを見る。
何も言えない。
唇だけが。
僅かに震えた。
ジンは。
そんな広場を見渡しながら続ける。
「もし――」
「本当に俺らを裏切ってる奴がいるなら」
「…………」
「今すぐじゃなくてもいい」
ジンの表情から。
笑みが消える。
だが。
その声は責めるものではなかった。
「俺のところに来てくれ」
そして。
「訳を聞かせてほしい」
「…………」
誰も。
声を上げなかった。
ジンはしばらく待った。
それから。
静かに頷く。
「――以上だ」
背を向ける。
「解散」
壇上を降りる。
同時に。
周囲のホログラムが消えた。
「…………」
だが。
人々はすぐには動かなかった。
「内通者って……」
「本当にいるのか……?」
「でも、今回の待ち伏せ……」
小さな声が。
あちらこちらから聞こえ始める。
アンナは。
その中で一人。
何も言わず。
俯いていた。




