第20話 歪
白。
どこまでも続いているかのような、白い廊下。
壁も。
床も。
天井も。
余計な装飾は何一つ存在しない。
ただ一定の間隔で灯された白い光だけが、無機質な空間を照らしていた。
コツ――。
コツ――。
静寂の中。
一人の女が歩いている。
銀色の髪。
白い外套。
清水レイ。
先日の会議を終えたレイは、ただ一人、長い廊下を歩いていた。
その時。
背後から何かが近づいてくる。
足音。
――というより。
ぴょん。
ぴょん。
何かが跳ねているような音。
レイが足を止めた。
次の瞬間。
「おねぇっさまぁっ!」
「――」
背中に衝撃。
金色のツインテールをぴょこぴょこと跳ねさせながら、小柄な少女がレイの背中へ抱きついた。
「…………」
「えへへー」
頬を押しつけ、嬉しそうに笑っている。
レイは驚く様子もなく。
「どうした、サザメ」
振り返ると、その頭に手を乗せた。
サザメ。
ナンバーズの一人。
先日。
第四番隊隊長クナトと刃を交えた、巨大なギロチンを操る少女だった。
「聞いて聞いて!」
サザメがレイから離れる。
「少し前にね、面白いオモチャを見つけたの!」
満面の笑み。
「私の攻撃、全部防がれちゃったんだぁ!」
「…………」
レイはサザメを見る。
負けかけたという話をしているはずなのに。
落ち込むどころか。
むしろ――嬉しそうだった。
「嬉しそうだな」
「うんっ!」
即答。
サザメは両手を背中で組むと、その場で身体を揺らした。
「だって――」
無邪気な笑顔。
「殺しがいがあるオモチャって、ワクワクするもんね!」
「…………」
レイは何も言わず。
その頭を撫でた。
「遊ぶのはいい」
「?」
「だが、命令は絶対だ」
レイの声が僅かに低くなる。
「それを忘れるなよ」
「はぁーい!」
サザメが元気よく片手を上げた。
本当に理解しているのか。
レイには分からない。
だが。
これはいつものことだった。
「でも――」
サザメが再びレイの腕へ抱きつく。
「よかったぁ」
「何がだ?」
「また、おねぇさまとこうして話せるようになって!」
「…………」
「少し前まで、レンとかいう女につきっきりで、ぜーんぜん相手してくれなかったから」
「レン……」
レイの足が止まった。
脳裏に浮かぶ。
通信基地局。
刃を交えた黒髪の青年。
その前へ飛び出した、一人の女。
自分の剣が。
レンの身体を――貫いた。
「…………」
レイは僅かに目を伏せる。
「あれは……惜しいことをした」
「お前たち」
背後から。
男の声がした。
二人が振り返る。
そこに立っていたのは――。
ファーストと呼ばれていた男。
サザメがレイから離れる。
「なぁに?」
ファーストは答えず。
右手を払った。
空中に一枚のホログラムが展開される。
そのまま。
レイとサザメの前へ滑るように移動した。
「密偵から連絡があった」
「…………」
レイの目が細くなる。
ホログラムに表示された情報。
作戦日時。
そして――。
標的。
《第七物流センター》
「次のターゲットは第七物流センターだ」
ファーストが告げる。
「今回は、お前たちに行ってもらう」
一瞬。
サザメが固まった。
そして。
「えっ!?」
レイを見る。
「おねぇさまと一緒!?」
「ああ」
「やったぁぁぁ!」
ぴょん、と飛び跳ねる。
「わーい! わーい!」
「…………」
レイはそんなサザメを横目に。
ホログラムの報告書へ視線を落とした。
密偵から送られてきた情報。
第七物流センター。
Genesis。
そして――作戦内容。日時。
レイは一通り確認すると。
「承知した」
それだけを返した。
*
Genesis――地下実験場。
巨大な機械音が響き渡る。
ドンッ!!
アカツキ・マークIIの拳が床を叩いた。
「っ!」
カイが横へ飛ぶ。
直後。
マークIIの巨体がカイを追う。
巨大な腕が持ち上がった。
そして。
振り下ろされる――。
その瞬間。
「――っ!」
カイの目が、僅かに見開かれた。
意識を集中する。
頭の中に浮かべるのは。
逆。
マークIIが振り下ろそうとしている腕。
その動きを――。
反対へ。
直後。
ギギッ!!
「……!」
振り下ろされるはずだったマークIIの腕が。
真逆の方向へ跳ね上がった。
巨大な身体が、その反動に耐えきれない。
ドゴォン!!
マークIIが派手にひっくり返った。
床が揺れる。
だが。
カイは止まらない。
「ーーっ!」
走る。
倒れたマークIIの装甲へ飛び乗る。
手を当てた。
一度。
深く息を吸う。
そして。
「――《CODE:ZERO》」
数秒。
駆動音が一つずつ消えていく。
腕。
脚部。
制御系。
最後に。
動力音が消失した。
完全停止。
「…………」
カイは息を吐いた。
「今日はここまでにしよう」
声がした。
実験場の扉が開く。
「……アキラ」
端末を片手に、アキラが入ってくる。
その後ろにはレンもいた。
「お疲れさまです、カイ」
「ああ。ありがとう」
カイがマークIIから飛び降りる。
アキラは端末を確認しながら歩いてくる。
「......いいな」
「何が?」
「今回のデータだ」
アキラがログを表示する。
「かなり速くなってる」
「本当?」
「ああ。小規模なデータ改ざんなら、ほとんど間を置かずに干渉できるようになってる」
表示を切り替える。
先ほどの完全停止までの時間。
「システム全体を完全停止させるには、まだ少しタイムラグがある」
「…………」
「だが、良い時なら五秒を切るようになってきた」
カイが自分の手を見る。
「これなら」
アキラが言った。
「実戦でも問題なく使っていけるだろう」
「……そうだな」
カイは少し嬉しそうに笑った。
自分の手を見つめ。
ぐっと握りしめる。
「今だったら……少しは戦える気がするよ」
「カイ」
レンが微笑む。
「かっこよかったですよ。前よりも、ずっと逞しくなったように見えます」
「そ、そうかなぁ……」
カイは照れくさそうに頬を掻く。
アキラが二人を交互に見た。
「…………」
「何?」
「いや、別に」
「なんだよ……」
アキラは端末を閉じる。
「作戦はもう明日だ」
その言葉で。
少しだけ空気が変わった。
「今日はもう上がって、身体を休めとけ」
「ああ」
「俺も今日はもう寝る」
「まだ昼だけど?」
「関係ない」
大きな欠伸。
「ふぁぁ……」
気だるそうに片手を振る。
「じゃあな」
「……お疲れ」
アキラはそのまま実験場を出ていった。
残されたカイとレン。
「…………」
「…………」
少しの沈黙。
「カイ」
レンが口を開いた。
「ん?」
「このあと……少しいいですか?」
「いいけど」
カイがレンを見る。
どこか。
いつもと様子が違う。
「どうしたの?」
「……相談したいことがありまして」
「…………」
カイは少しだけ心配そうにレンを見る。
「分かったよ」
*
チリン――。
ドアベルが鳴る。
「こんにちは、アンナ」
カイとレンが店へ入る。
いつもの穏やかな喫茶店。
「あら」
カウンターの奥からアンナが顔を出す。
「二人とも、こんにちは」
いつもの優しい笑顔。
「座って、座って」
「お邪魔します」
二人はカウンター席へ並んで腰掛ける。
アンナが二人を見る。
「カイはコーヒー」
「うん」
「レンはミルクティーでよかったかしら?」
「はい。それでお願いします」
「はーい」
アンナは笑顔で返事をすると。
店の奥へ消えていった。
「…………」
カイは隣を見る。
レンは両手を膝の上で重ねていた。
「レン?」
「……カイ」
「うん」
「その……」
レンは視線を落とす。
「内通者の話です」
「…………」
カイの表情が変わった。
「私が疑われてるって……」
「レン」
「聞きました」
「…………」
カイは小さく息を吐いた。
「その話なら、前にも説明したけど」
レンを見る。
「アキラの監視プログラムで、そういう兆候は見つかってない」
「…………」
「だから大丈夫だよ」
「でも……」
レンの手に力が入る。
「私、怖いんです」
「…………」
「何も覚えていないから」
レンの声が震える。
「自分が政府にいたことも」
「カイと戦ったことも」
「セントラルに操られていたことも……」
「レン……」
「何も覚えてない」
俯く。
「だから……」
小さく。
「もし、今も何か残っていたらって」
カイの目が僅かに揺れる。
「自分でも気づかないうちに、セントラルと繋がっていたら……」
「…………」
「私が――」
声が掠れる。
「みなさんを危険に晒してしまっているんじゃないかって……」
ぽたり。
涙が落ちた。
「怖いんです……」
「…………」
カイは何も言わなかった。
ただ。
椅子から立ち上がる。
「……え?」
レンが顔を上げた。
そのまま。
カイはレンの身体を抱き寄せた。
「カ、カイ……?」
「大丈夫」
「…………」
「大丈夫だから」
強く。
抱きしめる。
「でも……」
「レンじゃない」
「……!」
カイが言った。
「俺はそう信じてる」
「…………」
「だから」
震えるレンの背中に腕を回す。
「大丈夫」
「……カイ……」
レンの手が。
恐る恐る。
カイの服を掴んだ。
そして。
顔を胸元へ押しつける。
「…………っ」
小さな嗚咽。
カイは何も言わず。
ただ、その身体を抱きしめ続けた。
その頃。
カウンターの向こう。
壁一枚を隔てたキッチン。
「…………」
アンナは立ち尽くしていた。
トレイの上には。
淹れたばかりのコーヒー。
そして。
ミルクティー。
二人の声は。
ここまで聞こえていた。
『私が――みなさんを危険に晒してしまっているんじゃないかって……』
「…………」
アンナの手が震える。
カップの中で。
コーヒーの表面が、小さく揺れた。
『レンじゃない』
カイの声。
『俺はそう信じてる』
「…………っ」
アンナは唇を噛んだ。
強く。
それでも。
何も言わなかった。
言えなかった。
ただ。
二人分の飲み物を載せたトレイを。
胸元へ抱き寄せる。
そして。
目を閉じた。




