第14話 力の使い方
Genesis地下居住区。
昼を少し過ぎた頃。
アンナの店には、いつもの穏やかな時間が流れていた。
カウンターの向こうではアンナがグラスを磨き、店内には淹れたてのコーヒーの香りが漂っている。
そのカウンター席で――。
「俺、このままだと……死ぬかもしれない……」
カイは完全に潰れていた。
両腕を枕にして、カウンターへ頭を乗せている。
顔だけを横に向け、虚ろな目で何もないところを見つめていた。
隣の席では、ラックがメロンソーダを飲んでいる。
「またキリカさんにボコされたのか?」
「いや……」
カイは力なく首を振った。
「キリカさんも確かにスパルタだけど……それよりもアキラだ……」
「アキラ?」
「今日でもう三週間……」
カイの顔が青ざめる。
脳裏にあの光景が蘇った。
巨大な拳。
吹き飛ぶ床。
轟音。
赤く光るセンサー。
自分を追い回す五メートル近い鉄の巨体。
そして。
嬉々として戦闘データを採取するアキラ。
「もう限界だ……。あんなこと続けてたら、近いうちに絶対死ぬ……」
「でもカイ、頑張ってますよ」
隣からレンが顔を覗き込んだ。
「すごいです」
「…………ありがとう」
慰められても、カイの顔は死んだままだった。
ラックがストローから口を離す。
「アキラか」
珍しく、露骨に嫌そうな顔をした。
「俺、あいつあんまり得意じゃないんだよな」
「そうなの?」
カイが僅かに顔を上げる。
「何考えてるか分かんねぇ」
ラックはメロンソーダの氷をストローで突く。
ガラガラと音が鳴った。
その様子を見ていたカイが、カウンターの向こうにいるアンナを見る。
「ラックって、アキラとなんかあったの?」
「あー……」
アンナは苦笑した。
「まあ、性格が真逆だからねぇ」
「真逆?」
「ラックは職人肌でしょ? 自分の手で作って、触って、確かめるタイプ。アキラは理論とか計算とか、そういうのから入るタイプだから」
「なるほど……」
カイは少し考える。
そして。
頭の中に、この三週間で嫌というほど見たアキラの姿が浮かんだ。
巨大ロボットを前に目を輝かせ、
その出力がどうだ。
駆動機構がどうだ。
タービンがどうだ。
とにかく楽しそうに語り続ける姿。
「……そうか?」
カイが首を傾げる。
「結構、気が合いそうな気がするけど……」
「合わねぇよ」
ラックが即答した。
「たまに親方のとこに来るんだよ、あいつ。何が目的か知らんけどな……」
ズズズ――。
ラックが不機嫌そうにストローを吸う。
すでに中身はほとんど残っていない。
アンナがその様子を見て、小さく笑った。
そして。
「カイ」
手招き。
「?」
カイが顔を近づける。
アンナも身を乗り出し、ラックに聞こえないよう声を潜めた。
「前にね、ラックが自分で作った武器をジンのところに持っていったことがあるの」
「うん」
「その時、たまたまアキラもいて……」
アンナがさらに声を落とす。
「そんなナマクラじゃ何の役にも立たないって、思いっきり突っぱねられたのよ」
「…………」
カイがラックを見る。
ラックは不機嫌そうにストローを噛んでいた。
「それからずーっと冷戦状態」
「……そうなんだ」
カイは苦笑した。
なんとなく。
ラックがここまで露骨にアキラを嫌う理由が分かった気がした。
その時だった。
――コンコン。
店の入口を叩く音。
全員がそちらを見る。
扉が開いた。
「どうも」
「…………」
アキラだった。
ラックの顔が、一瞬で険しくなる。
「うっわ……」
「なんだ、半人前」
アキラがラックを見る。
「お前もいたのか」
ラックの眉が跳ねた。
「誰が半人前だコラァ!」
椅子から立ち上がりかける。
「もー、やめなってば二人とも!」
アンナが慌てて間に入った。
「せっかく静かだったんだから!」
「こいつが先に――」
「俺は事実を言っただけだけど?」
「やっぱ表出ろテメェ!」
「はいはいはい!」
アンナがラックを押し戻す。
その光景を見ながら。
カイは思った。
どうやら。
仲が悪いというのは、本当らしい。
「カイ」
突然、名前を呼ばれた。
「……え?」
アキラがこちらを見ている。
「時間だ」
カイの顔が固まる。
「実験の続きをするぞ」
「…………」
数秒。
沈黙。
カイは何も言わなかった。
静かにカウンターから頭を上げる。
椅子から立つ。
「お?」
アキラが少し意外そうな顔をした。
「今日は素直じゃん」
カイは無言。
一歩。
二歩。
アキラの横を通り過ぎ――。
店の出口へ向かって歩き出した。
「…………」
レンが瞬きをする。
アンナも瞬きをする。
アキラだけが、その背中を見つめていた。
「どこ行くんだ?」
カイの歩く速度が上がる。
「…………」
「カイ」
さらに速くなる。
そして――。
走った。
「逃げた!」
アンナが声を上げた。
「…………!」
カイが扉へ手を伸ばす。
あと少し。
その時。
――ガシャン!
金属音。
「え?」
アキラの右腕に取り付けられた装置が展開した。
折り畳まれていた金属製のアームが一気に伸びる。
「ちょっ――」
ガシッ!
カイの胴体を掴んだ。
「うわっ!」
身体が宙に浮く。
「捕まえた」
「な、何これ!?」
カイが暴れる。
だが外れない。
「ちょうど試作品の動作確認もしたかったんだ」
「俺で確認しないで!」
アキラが歩き出す。
ロボットアームに捕まったカイも、そのまま運ばれていく。
「どこに行く。早く行くぞ」
「離せぇぇぇぇぇ!!」
「カ、カイ……!」
レンがあわあわと二人を見比べる。
アキラは店を出る直前、振り返った。
「こいつ借りてくぞ」
「え、あ……」
アンナが返事をするより早く。
アキラはカイを吊り上げたまま店を出ていった。
「ま、待ってくださいぃ!」
レンも慌てて追いかけていく。
扉が閉まった。
「…………」
店内に静寂が戻る。
ラックはストローを咥えたまま、呆然としていた。
「……なんだ、あれ」
「……さぁ」
アンナも同じ顔で、閉じた扉を見つめていた。
◆
Genesis地下――実験場。
――ドゴォォォン!!
巨大な拳が床を砕いた。
「っ……!」
カイが横へ飛ぶ。
アカツキ・マークII。
この三週間。
毎日のようにカイを地獄へ叩き落としてきた巨大人型兵器。
初めて対峙した時とは違う。
恐怖が消えたわけではない。
拳が直撃すれば、今でも普通に死ねる。
だが――。
「っ!」
振り下ろされた腕を避ける。
カイはすぐには能力を使わない。
待つ。
アカツキ・マークIIが踏み込む。
床を蹴る。
カイは横へ走った。
巨大な身体が方向転換する。
その瞬間。
僅かに動きが止まる。
「――今だ」
カイが右手を向けた。
集中する。
頭の奥。
何かへ触れる感覚。
だが。
アカツキ・マークIIが動いた。
「っ!」
集中が途切れる。
巨大な腕が迫った。
カイは地面を転がって回避する。
「くっ……!」
すぐに起き上がる。
焦るな。
もう一度。
避ける。
待つ。
アカツキ・マークIIが再び停止する瞬間。
今度は――。
長い。
カイが手を向ける。
頭の奥に痛みが走った。
そして。
あの感覚。
巨大な機体の中に存在する情報へ、指先が届く。
0。
――プツン。
赤いセンサーが消えた。
アカツキ・マークIIが完全に停止する。
「…………」
カイは数秒その場に立っていた。
そして。
「はぁ……っ」
膝をついた。
「はぁ……っ、はぁ……」
そのまま仰向けに倒れる。
「……疲れた……」
天井を見上げた。
この三週間。
何度やっても。
慣れる気がしない。
――ガコン。
実験場の隔壁が開いた。
「はい、いったんそこまで」
アキラが端末を片手に戻ってくる。
「カイ!」
レンがその横を駆け抜けた。
大の字になっているカイのそばへしゃがみ込む。
「大丈夫ですか……!?」
「……うん」
カイが荒い呼吸のまま答える。
「今日は……まだ、生きてる……」
「まだって……」
レンの表情がさらに心配そうになる。
アキラはそんな二人の横を通り過ぎ、停止したアカツキ・マークIIを見る。
「よし」
端末に指を滑らせる。
「カイ」
「…………」
「ここまでの戦闘データで、お前の異能が大体分かってきたぞ」
カイが僅かに顔を動かした。
「……本当?」
「ああ」
その言葉を聞いて。
カイは少しだけ安心した。
これで。
もしかしたら。
この地獄から解放されるかもしれない。
カイは身体を起こす。
レンも隣に座った。
アキラが端末にデータを表示する。
「まず一つ」
空中に簡単な図が表示された。
中央にカイ。
そこから円状に広がる範囲。
「お前の異能は、思ってたほど範囲が広くない」
「範囲……?」
「ああ」
アキラが表示を拡大する。
「この三週間、発動時の距離を全部記録した」
数値が並ぶ。
「安定して干渉できてるのは、せいぜい二十から三十メートル」
「……それだけ?」
「ああ」
カイは眉を寄せる。
「でも……」
思い出す。
通信基地。
あの時。
自分の異能は基地のシステムだけではなく、周囲にいた政府兵たちの装備までまとめて停止させた。
「あの時は……もっと広かった」
「そう」
アキラが頷く。
「俺もそこが気になってる」
端末を操作する。
通信基地で採取されたログと、今回の実験データが並ぶ。
「以前、通信基地を止めた時みたいな広範囲への干渉は――」
画面に表示された三週間分の記録。
「今回、一度も確認されてない」
「…………」
「理由は分からん」
アキラが言う。
「精神状態なのか、別の条件があるのか。それとも俺たちがまだ知らない何かがあるのか」
カイは黙って自分の右手を見る。
「今の段階じゃ、二、三十メートルが安定して使える範囲だと思った方がいい」
「……分かった」
「次」
表示が変わる。
今度は時間。
「発動までの時間だ」
カイが画面を見る。
「お前、さっき攻撃を避けた後、マークIIの動きが止まる隙を狙って異能を使っただろ?」
「うん」
「この三週間、同じことを何度もやってる」
アキラがログを並べる。
成功。
失敗。
成功。
失敗。
大量の記録。
「成功した時と失敗した時で、明確な差があった」
「……時間?」
カイが答えた。
アキラが笑う。
「正解」
画面中央に数字が表示された。
《5.02 sec》
「約五秒」
「…………」
「お前が対象を捉えてから異能が発動するまで、最低でも五秒前後必要になってる」
別の記録。
《3.84 sec――FAIL》
次。
《2.71 sec――FAIL》
「それより短い時間では、全部失敗」
カイは少し考える。
確かに。
戦闘中。
止まれと念じても、すぐにアカツキ・マークIIが動けば何も起きなかった。
だが。
隙が大きく長く集中できた時だけ――。
あの感覚に届く。
「範囲と……発動までの時間……」
カイは右手を見つめる。
二十から三十メートル。
そして約五秒。
戦闘中の五秒は、あまりにも長い。
「これじゃ……実戦だと使うの難しいな」
「まあな」
アキラはあっさり認めた。
「今のお前が一人で使うなら、かなり条件は厳しい」
「…………」
「でも」
アキラの口元が上がった。
「面白いのはここからだ」
カイが顔を上げる。
「この三週間、お前とマークIIの戦闘を全部解析した」
画面にアカツキ・マークIIの動作ログが表示される。
「動作ログ」
次。
「システムログ」
さらに。
「駆動系の出力変化」
数字とグラフが次々に並ぶ。
「その中に、妙な記録があった」
「妙な記録?」
「ああ」
アキラが一つを拡大する。
「マークIIが、俺のプログラムでは指定してない動作をしてる」
カイの表情が変わった。
「……どういうこと?」
「例えばこれ」
戦闘映像が再生される。
アカツキ・マークIIがカイへ接近。
拳を振り上げる。
だが――。
途中。
一瞬だけ。
腕の動きが鈍る。
「…………」
「こっちも」
別の映像。
カイを追跡していたアカツキ・マークII。
突然、右脚の出力が低下する。
姿勢を崩す。
その隙にカイが逃げている。
さらに別の映像。
旋回速度が落ちる。
腕部出力が低下する。
関節の反応が遅れる。
「これ……」
カイが画面を見る。
「最初は俺もプログラムのバグだと思った」
アキラが言う。
「だから何度も確認した」
画面に正常なプログラムが表示される。
「でも違った」
「…………」
アキラがカイを見る。
「カイ」
その声から。
いつもの軽い調子が少しだけ消えた。
「お前だ」
「……俺?」
「ああ」
アキラが映像を止める。
そこには。
アカツキ・マークIIへ必死に手を向けるカイの姿。
「お前は無意識のうちに――マークIIの動きを制限してた」
「…………」
カイは意味を理解できなかった。
「それって……どういう……?」
「今まで俺たちは、お前の異能をこう考えてた」
アキラが画面に表示する。
《1 → 0》
「1を0にする」
「……うん」
「でも」
アキラが別の表示を出した。
《OUTPUT:100》
その数字が変化する。
《OUTPUT:37》
次。
《MOTOR RESPONSE:100》
《MOTOR RESPONSE:21》
「完全に0にしなくても――お前は情報に干渉してる」
カイの目が僅かに見開かれる。
「それって……」
アキラは笑った。
「前にジンさん話してた仮説に、一歩近づいたってことだ」
0以外。
異能による情報の書き換え。
カイはもう一度、自分の手を見る。
自分には。
そんなことをした記憶はない。
それでも。
アカツキ・マークIIは確かに、本来とは違う動きをしていた。
「だから――」
嫌な予感。
カイが顔を上げる。
アキラが満面の笑みを浮かべていた。
「次の実験だ」
「…………」
アキラが停止したアカツキ・マークIIを指差す。
「カイ」
赤いセンサーが――再び点灯した。
「次からは、マークIIの動力炉を止めるんじゃない」
――ヴォォォォォン……!
巨大な身体が起き上がる。
カイの頬が引きつった。
「誤った動作をさせて――」
アカツキ・マークIIがカイを捉える。
アキラが笑った。
「マークIIを止めるんだ」
「…………」
カイはゆっくり立ち上がった。
目の前では。
アカツキ・マークIIが巨大な拳を構えている。
その横でレンが不安そうにカイを見る。
カイはしばらく巨大な鉄の塊を見上げ――。
深く息を吐いた。
「……やっぱり俺、近いうちに死ぬ気がする」




