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407号室の男  作者: 黒瀬雷牙


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第二話 奈落の瞳

 路地裏に転がる連中から、使えそうな物は全部回収した。


 現金。

 ドラッグ。

 拳銃。

 ナイフ。


 生きるってのは金がかかる。向こうから持ってきてくれたんだから、ありがたく頂戴するだけだ。


 デイブが封筒を振った。


「今日は儲かったな」


「襲撃のお詫びだろ」


「優しい奴らだ」


 二人で笑った。夜風が少し冷たい。

 時計を見ると午前二時を回っていた。


 俺達は車に乗り、マンションへ戻った。

 古びた建物が暗闇の中に浮かんでいる。


 相変わらず気味の悪い見た目だ。

 だが俺にとっては家だった。


 一階のロビーへ入る。蛍光灯がチカチカと明滅している。


「じゃあな、キング」


 デイブが欠伸をした。


「おう」


 デイブの部屋は二階。俺はそのまま階段を上る。ギシギシと軋む音が響く。


 三階。

 四階。


 ようやく辿り着いた。


 俺の部屋は408号室だ。


 廊下を歩く。そして隣の407号室の前を通った。


 ドアの下から灯りが漏れている。まだ起きているらしい。


「こんな時間まで起きてんのか」


 思わず呟く。だがすぐに鼻で笑った。


「……いや、俺も人のこと言えねぇか」


 午前二時だ。まともな人間なら寝ている時間だろう。もっとも、このマンションにまともな人間なんてほとんどいない。


 俺は鍵を回し、部屋へ入る。


 薄暗い室内、酒の臭い。

 いつもの空間だった。


 服を脱ぎ捨て、浴室へ向かう。

 熱いシャワーを浴びた。


 今日の汗、埃、血の臭い。

 全部洗い流していく。


 しばらく壁にもたれたまま湯を浴びる。気が抜ける。戦いの後というのは、妙に疲れるものだ。


 シャワーを止め、タオルで頭を拭く。


 冷蔵庫からビールを取ろうとして、何も残っていないことを思い出した。


「最悪だな」


 仕方なく水を飲み、ベッドへ倒れ込んだ。


 疲れていた。今日も色々あった。


 みかじめ料の回収、クラブ、襲撃。

 考えるのも面倒だった。


 目を閉じる。眠気はすぐにやって来た。


 そして俺は、ほとんど何も考えることなく眠りに落ちた。隣の407号室から、奇妙な音がしている事も気付かずに。


 翌日。


 俺が目を覚ました時には、時計の針は正午を過ぎていた。


 相変わらずの生活だ。


 ベッドから起き上がる。頭は少し重いが、昨日ほどじゃない。


 冷蔵庫を開ける。何もない。


「クソが」


 悪態をつきながら服を着る。


 昼飯でも食いに行くか。


 一階へ降りると、管理人の老人がロビーをうろついていた。珍しく落ち着きがない。


「どうした」


 俺が声を掛けると、老人は困ったような顔をした。


「住人が一人いなくなった」


「へぇ」


「昨日から連絡がつかない」


「誰だ?」


「五階のロジャー」


 知らない名前だった。いや、顔くらいは見たことがあるかもしれない。このマンションには百人近く住んでいる。


 全員覚えているわけじゃない。


「警察は?」


「まだ呼んでない」


「ならそのうち帰ってくるだろ」


「そうかねぇ……」


「珍しい話じゃない」


 実際その通りだった。このマンションじゃ人が消えることなんて珍しくない。


 ドラッグで飛ぶ奴もいる。

 借金から逃げる奴もいる。


 死んでても数日気付かれない奴だっている。


「じゃあな」


 俺は話を切り上げた。


 ロビーではデイブが煙草を吸っていた。


「よう」


「おう」


「そういやキング」


「なんだ」


 デイブがニヤリと笑った。


「隣の新入りからも金取るか?」


「みかじめ料か」


「住んでる以上はルールだからな」


 俺は少し考えた。


「まぁ、そのうちだな」


「了解」


 二人でマンションを出た。


 昼飯。


 その後はいつもの仕事。

 いつもの一日だった。


 夜になる。


 今日は仲間達との遊びの日だった。


 倉庫街の外れ。


 十台近いスポーツカーが並んでいる。

 改造車ばかりだ。

 エンジン音が響く。


「今日は勝つぞキング!」


「前回も聞いた」


「前回は惜しかっただろ!」


「最下位だったろ」


 笑いが起きる。


 俺達の遊びは単純だった。

 警察に見つかる、逃げる。

 それだけだ。


 馬鹿げている、だが面白い。


 エンジンを吹かす。

 合図と同時に車が飛び出した。


 タイヤが悲鳴を上げる。


 赤色灯、サイレン、怒鳴り声。

 最高だった。


 結局、明け方近くまで走り回った。

 帰る頃には空が少し白み始めていた。


 マンションへ戻る。


 俺とデイブは欠伸をしながらロビーへ入った。


 その時だった。

 一人の男が階段を降りてくる。


 黒縁眼鏡、安物のコート。

 407号室の住人だった。


 男は大きな黒い袋をいくつも抱えている。

 ゴミ袋に見えた。だが妙に重そうだった。


「おい」


 デイブが声を掛けようとする。


「新入り」


 男は立ち止まらない。


「おい聞いてんのか」


 デイブが苛立った声を出した。


「みかじめ料の話だ」


 その瞬間。


「やめとけ」


 俺はそう言った。

 デイブが振り返る。


「なんでだ?」


「……知らん」


 自分でも上手く説明できなかった。


 だが、男がこちらを見た。

 ほんの一瞬、目が合った。

 そこには恐怖も怒りもなかった。 


 何もない。 


 まるで底の見えない穴だった。

 奈落。そんな言葉が頭をよぎる。


 人を何人も見てきた。


 ギャングも、殺人犯も、ヤク中も。

 だが、あんな目は見たことがなかった。


「……行かせろ」


 俺はもう一度言った。デイブは不満そうな顔をしたが、それ以上は何も言わなかった。


 男は無言のままマンションを出ていく。


 大量の黒い袋を抱えたまま。

 俺はその背中を見送った。


 理由は分からない。だが、その時だけは、407号室の男と関わるべきではない。


 そんな気がした。

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