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407号室の男  作者: 黒瀬雷牙


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第九話 ジニアス・スコット

「大丈夫か!?」


 誰かの声だった。


 遠い。だが聞き覚えがある。


 俺はゆっくり目を開いた。


 天井が見える。

 薬品の臭い。

 血の臭い。


 そして激痛。


「ぐっ……!」


 左腕に走った痛みに思わず呻く。


 視線を落とした。


 そこで現実を理解した。


 左腕がなかった。


 肘より上、そこから先が消えている。

 断面は黒い糸で無理やり縫い合わされていた。


 医者の手術じゃない。工作だ。


 吐き気が込み上げる。


「見るな」


 声がした。

 ジャックだった。

 俺の拘束を解いている。


「ジャック……?」


「喋るな」


 ナイフで縄を切る。

 手首に血が戻る感覚。

 俺は周囲を見回した。


 ラモン、他の仲間達。

 全員生きていた。


 拘束を解かれている最中だった。


 そして部屋の奥。


 そこでは――


 ドゴッ!!


 鈍い音が響いた。


「がっ……!」


 ジニアスだった。


 白衣は血まみれ。

 ガスマスクは砕けている。

 その上に馬乗りになっている男。


 ジェイクだった。


「この野郎!!」


 拳が振り下ろされる。


 ゴッ!!


 顔面が潰れる。

 さらにもう一発。


「何人殺した!!」


 ゴッ!!


「何人解体した!!」


 ゴッ!!


 ジニアスの頭が床へ叩きつけられる。

 だがジェイクは止まらない。


 完全に切れていた。


「おい……何があった……」


 俺は掠れた声で言った。

 ジャックが鼻を鳴らす。


「遅かったんだよ」


「……?」


「お前らが」


 縄が切れる。ジャックは立ち上がった。


「三十分待った、一時間待った、それでも出てこねぇ」


 俺は理解する。外で待機していた二人だ。


 ジャックは続ける。


「だから突入しようとした」


 その時だったらしい。マンション周辺に潜んでいた連中が動いた。


「ジニアスの手下だ」


 俺は目を見開いた。


「やっぱりいたのか……」


「ああ」


 ジャックは頷く。


「しかも結構な数だった」


 盗聴器。

 計画。

 待機組。


 全部筒抜け。ジニアスは最初から外の二人も始末するつもりだった。


「危なかった」


 ジャックは珍しく真顔だった。


「正直、俺とジェイクだけじゃ無理だった」


「じゃあどうやって……」


 そこでラモンが笑った。


「当たり前だろ、俺達を誰だと思ってる」


 ラモンは言った。


「仲間がいるんだよ」


 その瞬間、全て繋がった。

 外では戦闘が起きていた。


 だがジャック達は二人じゃない。


 連絡が回ったのだ。


 ラモンの仲間。

 俺の仲間。

 顔見知り。

 借りを返したい奴。

 恩を受けた奴。


 総勢五十人以上。

 夜中だというのに集まった。


「ジニアスの計算違いだったな」


 ジャックが言う。


「俺達二人は読めても」


 その時、ジェイクの拳が再び叩き込まれた。


 ゴッ!!


 血が飛ぶ。


「五十人以上集まるとは思わなかったみたいだ」


 部屋の奥、床に転がるジニアス。


 その顔には初めて焦りが浮かんでいた。


 計画は完璧だった。

 盗聴も成功していた。

 待ち伏せも成功した。


 だが、人の繋がりだけは計算できなかった。

 そしてジェイクがジニアスの髪を掴み上げる。


「終わりだ」


 ジェイクに髪を掴まれながら、それでもジニアスは笑った。


 血まみれの顔で、まるで勝者のように。


「何がおかしい」


 ジェイクが低く言う。

 ジニアスは笑う。


 ククク、と。不気味に。


「俺を殺しても終わらない」


 誰も答えない。

 ジニアスは続けた。


「お前達ギャングのせいで地獄を見た人間がどれだけいると思っている」


 その声は震えていた。

 怒りで、憎しみで。


「お前達なんか死んで当然だ」


 血を吐きながら叫ぶ。


「いや、死ぬより辛い目に遭って当然なんだ!」


 部屋の空気が張り詰める。


「俺の正義の刃でダルマにする。ギャングに家族を奪われた人間や、変態共に売り飛ばして、地獄を見せる」


 ジニアスの目は狂気に染まっていた。

 だが、その狂気には理由があった。


「俺のパパとママはギャングに殺された」


 部屋が静かになる。


「目の前でだ」


 ジニアスは笑う。

 泣くように。


「俺は何もできなかった。だから誓ったんだ、絶対に復讐するって!ギャングを一人残らず苦しめて殺すってな!」


 叫び声が部屋に響いた。

 沈黙。その後、ラモンが吐き捨てる。


「知らねぇな」


 ジニアスが睨む。

 ラモンは続けた。


「俺達は一般人の殺しなんかやってねぇ」


 ジニアスの顔が歪む。


「嘘だ!」


「嘘じゃねぇ」


 今度は俺が言った。

 左腕の激痛に耐えながら。


「殺るのは同じ種類の奴らだ。縄張りを荒らす奴、人を売る奴、裏切る奴、そういう連中だ」


 ジニアスは首を振る。


「違う!」


「違わない」


「違う!!」


 絶叫だった。


「ギャングなら同じだ!!」


 血を吐きながら叫ぶ。


「全員クズだ!!全員死ねばいい!!」


 誰も答えなかった。

 もう言葉は届かない。

 ジニアスは被害者だった。


 だが、今のこいつはもう違う。


 俺は立ち上がる。


 ふらつく俺をラモンが支えようとした。

 だが手で制した。


 ジニアスの前まで歩く。

 血が床に落ちる、ジニアスが俺を睨む。

 憎しみの目。俺は見下ろした。


「もういい」


 静かに言う。

 ジニアスは笑う。


「何がもういいだ」


 俺は答えた。


「お前もこっち側だ」


 ジニアスの笑みが消える。


「何?」


「アウトローだ」


 部屋が静まり返る。


「自分を正義だと思い込んでるだけでな」


 ジニアスが何か言おうとする。

 だが、もう聞く気はなかった。


「だから――」


 残った右腕を握る。

 全身の力を込める。

 そして、振り抜いた。


 ドゴッ!!


 鈍い音が響く。


 ジニアスの頭が大きく跳ねた。

 身体が崩れ、床へ倒れる。


 動かない。もう二度と動かなかった。


 部屋は静まり返る。

 誰も喋らない。

 聞こえるのは荒い呼吸だけ。


 俺はしばらくジニアスを見下ろしていた。


 そして。


「帰るぞ」


 そう言った。


 長い夜が終わった。

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