夢破れた先
俺は再び森の中を歩いている。
聞こえてくるのは、耳からというより、記憶の奥から湧き上がってくる声。
「奥野は、やっぱ一つ頭抜けているよな」
「監督、奥野にはめちゃくちゃ期待してるらしいぞ」
「正道くんスゴイわよね! 一年生でもうレギュラーだなんて!」
「プロ行ったら、有名人になっちゃうんじゃない?」
「今のうちにサインもらっておこうかしら!」
「奥野くんって素敵よね! もう数チームから声をかけられているんだって。
今のうちにアタックしておこうかな」
また風景が変わる。
綺麗に整えられたサッカーグラウンド。
スカウトの方から誘われて、プロチームの練習に参加させてもらった時の光景のようだ。
「桐山高校から参りました奥野です。
今日一日よろしくお願いします」
俺は緊張しながら頭を下げる。
「桐山か〜、サヤの後輩か!」
「おぉ、背高いね。何センチ?」
気さくに話しかけて来てくれるプロの選手たち。
それに少し緊張はほぐれる。
しかし、穏やかだったのはそこまでだった。
パスの鋭さ。チャージの強さ。プレイ一つ一つのセンスの高さ。
当たり前だが、どれを取っても高校のサッカーとは段違いだった。
展開も早く、必死に食らいつくのがやっとの状態。
「なかなかガッツあるな」
そう言って可愛がってくれたが、それは明らかに未熟な相手に向けている対応だった。
休憩になり、やっと一息つける。
大きくため息をついていると、隣から同じようなため息が聞こえる。
横を見ると、同じ高校の先輩にあたる佐山さんだった。
俺はお辞儀をする。
「佐山先輩。こうしてお会いできて嬉しいです。
桐山のジャックナイフという異名と共に、未だに部内で語り継がれていますよ」
佐山さんは俺の言葉に苦笑する。
「恥ずいから、それやめて。
その異名、自分から言い出したものだし。それにもう……」
佐山先輩は鋭く切り込むドリブルからシュートを放つ、数々の勝利に貢献したサイドアタッカーだった。
プロになって二年経つが、未だ試合には出られていない。
「やはりプロの皆さん、すごいですね。もう圧倒されています」
俺の言葉に先輩は目を細め、戦術やプレイの流れについて話し合っているチームメイトたちを見つめる。
眩しいものを見るように。
「ああ、ここで毎日練習していても思うよ。敵わないって……」
同じ高校でトップクラスのプレイヤーだった人でも、プロの世界ではこんな感じだ。
「お前は、この段階でちゃんと食らいついていけてたから、やっていけるんじゃない?
俺と違って体格もいいし」
佐山先輩は俺の肩を叩いて、そう言って立ち上がった。
佐山先輩は、その二ヶ月後、J3のチームへ移籍していった。
俺自身、自分が才能あるプレイヤーだなんて思ってはいない。
人より少し高い嗅覚とセンスを持っただけのサッカー選手。
まず草サッカーチームから、プロチームのジュニアユースの世界に入り、上には上がいるというのを痛感した。
与えられた環境で足掻き、そこでのトップを目指し続けて、ここまで来ている。
環境を超越した、輝いた存在になんか、とてもではないけどなれない。
サッカーをする事は好きだ。身体を鍛えることも。
しかし、いつか期待してくれている人を失望させてしまう状況になるのではないか?
それが怖い。
前にプロの選手が言っていた、「サッカーを好きでい続ける事」。
これがシンプルなようで難しい。
数多くの挫折や葛藤を乗り越えて、無邪気に好きでい続ける事はできない。
怖くなること、嫌になる瞬間は度々訪れる。
俺は大きく深呼吸して立ち上がった。
ゆっくり目を閉じて、そして開くと、部屋の中だった。
目の前には、眼鏡をかけた白衣姿の男性が座っている。
俺をまっすぐ見て、口を開く。
「非常に申し訳ないのですが。
貴方の足は……もう、競技レベルでの復帰は難しいでしょう」
医師の言葉は静かに俺の心に響いた。
終わった……。
真っ白になった頭に、最初に浮かんだ言葉はそれだった。
プロへの夢は完全に絶たれた。
こんな形でダメになるなんて、なんて情けないのか。
バカみたいだ。
無力感に苛まれる。
だけど、心の奥の奥で、何故かホッとしている自分がいた。
……ああ。もう頑張らなくてもいいんだ。
何思っているんだろ? 俺。
心を守るために逃げているだけじゃん。
みんなの期待を、こんな形で裏切っておきながら……。
ピッ! ピッ、ピッ——
電子音が響く……。
『何、いつまで寝てんだよ。
明後日の婆ちゃんの葬儀、バックれる気か?
あんだけ可愛がってもらってただろ』
いつもより、聞こえてくる人の声が鮮明に響く。兄の声だ。
俺を心底心配している声。
兄との会話を思い出す。
『お前って、俺の弟か? って思うほど出来いいよな。
何もしていない俺よりも、良い大学に進学できるって』
小・中でお世話になったユースでは、成績が悪いと練習に参加させてもらえないというペナルティーがあった。
そのせいもあり、勉強はサッカーをしながらも結構頑張ってきた。
兄は何もしていないというが、地元の町内会の手伝いで祭りなどの行事に参加していたり、ボランティアで災害支援に駆けつけたりと、アクティブに行動している。
明るくて社交的で、人からの信頼も厚く、頼られる存在で、スゴイと思っている。
逆に俺は、サッカーと勉強しかしてこなかった。
「お前ももう少しで二十歳か! 一緒に酒飲みに行けるな!」
怪我をしてから、母親や父親は落胆したというより、俺が落ち込んでいるだろうと気を遣ってか優かった。
逆にそれが少し申し訳なかった。
しかし兄は、今にして思えば、変わらず俺に接してくれていた。
「こういう事するの久しぶりだな。お前も受験も終わって暇できたからか」
マルコカートとか金太郎鉄道とかで、昔のように一緒に遊んでいた。
あれ?
俺が勝手に“皆の夢を背負っている”と気負って、一人で抱え込んで悩んでいただけ?
サッカーを出来なくなって、ガッカリした人はそんなにいなかったのでは?
サッカー部の監督は明らかに落胆していたが、それは監督自身がかつて夢敗れた人だから。
それだけに、自分の手でプロになる子供を育てる事を生き甲斐にしていたから。
祖母も両親も兄も、俺が頑張っているから応援していただけで、大学受験に挑む時も同じように見守って応援してくれていた。
もっとシンプルに、サッカーを頑張ればよかったのでは?
誰かの為とかではなく、好きだから。
それで良かったのかもしれない。
ピッ、ピッ、ピッ、ピッ——
電子音と、兄が俺に話しかけている声が聞こえる方へ歩く。
俺は、森に戻っていた。
森の一本道を歩くと、開けた場所に出る。
目の前に広がるのは、白い砂浜と海。
前と違うのは、そこに祖母がいないこと。
砂を踏む音で振り返ると、松尾が立っていた。
「お疲れ様。森の探索はどうだった?」
ニッコリと笑い、話しかけてきた。




