誰の夢なのか?
木々の隙間を抜けた先にあったのは、明るい青空の下の広い空間だった。
芝の香り。子供の声。ボールが蹴られる音。
俺は兄貴の背中を追いかけるように走っている。
ああ、これは幼稚園の時に参加したイベント。
地元のプロサッカーチームの選手と一緒にサッカーできるという夢のような企画。
兄貴が追いかけるのは、ボールというより憧れのサッカー選手。
ワラワラとまとわりつくように向かってくる子供たちの中で、その選手は華麗にボールを操っている。
兄が必死に選手に喰らいつくが、所詮、小学一年生のアプローチ。簡単に躱される。
俺はその動きを読んで回り込み、ボールを奪うことに成功する。
「正道! よくやった」
兄に褒められ、嬉しくてパスを返すが、兄はトラップミスをし、ボールは再び選手が支配した。
今にして思えば、その選手は子供相手でも随分容赦ないことをしていた。
サッカー教室という名の、単なるボールを使ったゲームが終わり、質問タイムになる。
兄が一番に手を上げる。
「プロのサッカー選手になるには、どうしたら良いですか?」
キラキラした目で、元気に質問する兄。
俺は質問者に選ばれた兄を、尊敬の眼差しで見てしまう。
「誰よりもサッカーが好きでいることかな?」
その言葉に、兄は満面の笑顔で頷く。
「はい! 俺、サッカー大好きです!」
「それは、いいね」
プロのサッカー選手と対等に会話している、そんな兄が誇らしかった。
「俺、サッカー一生懸命頑張って、プロになります!」
兄は選手に向かって、そう高らかに宣言した。
その光景を見ていた俺の胸が、わずかに痛む。
景色は変わる。サッカーグラウンドのある河川敷。
小学生対象のサッカーチームの練習場だった場所。
「え? 俺がジュニアユースの試験を?」
近所のサッカーチームの監督は、ニコニコと俺を見下ろしている。
「正道くんはもっと良い環境でサッカーした方がいいと思うんだ。
チャレンジしてみる価値はあると思うよ」
俺は、監督の言葉が嬉しくてドキドキする。
少し離れたところにいた兄に気がつき、俺は声をかける。
「兄ちゃん、ジュニアユースの試験を勧められたんだけど、どうしたらいいと思う?」
『すごいな、チャレンジしてみろよ!』
笑ってそう応援してくれると思っていた。
だが兄は、なぜか俺を睨みつけている。
「好きにすれば」
そう冷たく言い放ち、プイッと顔を背けて去っていった。
大好きな兄がやっていたから始めたサッカー。
同じ地元の少年サッカーチームに入り、二人でサッカーを楽しんでいた。最初は。
しかし、だんだん会話が減り、家にも一緒に帰ってくれなくなっていった。
俺がプロサッカーチームのジュニアユースの試験に受かり、そちらで活動するようになったあたりで、兄はサッカーを辞めてしまった。
俺がサッカーを始めたことで、兄からサッカーの喜びを奪ってしまった。
俺の方も、ジュニアユースに入れたからといって、そんなに甘い世界ではなかった。
それなりに頑張ってきたと思っていたのに、U-18の昇格試験には落ちた。
それで、サッカー部の強い高校に拾ってもらい、そこに進学した。
景色が変わっていく。
俺は河原を走っているようだ。
ランニングを終え家に帰ると、頭を掻きながら階段を降りてきた兄と遭遇する。
高校で寮生活をしていた俺だが、春休みのタイミングで帰省していた。その時の記憶のようだ。
起きてきたところなのか、ボサボサの頭を掻きながら兄が階段を降りてきていた。
俺の姿を見て、目を見開く。
「おぉ、走ってきたのか。休みなのにスゲえな」
「一年も入ってくるから、負けられないしね」
兄は優しく笑った。
俺に対して、こういう顔で笑ってくれたのも久しぶりな気がする。
「久しぶりに、一緒にボール蹴る?」
「俺じゃ、もう相手にもならないだろ」
兄は苦笑する。
「でも、兄貴とサッカーしたいんだ」
「おっけ! 俺も受験勉強でなまった身体を動かしたいから、やるか!」
そう言って、誘いに応じてくれた。
昔はよく二人で遊んでいた河原に行く。
会話ではなく、ボールが二人の間を行き来する。
「やっぱ、お前うめえな」
兄の言葉に、俺は首を振る。
「そういう兄貴こそ、まだまだイケてるじゃん」
兄は苦笑する。
「お前、こないだスカウトと話をしたって聞いたぞ。
プロ、目指してるのか?」
返事に少し戸惑う。
「ん、まあ」
兄は笑う。
「“まあ”じゃねえだろ」
そう言って、ボールを軽く蹴り返してくる。
「なれるよ、お前なら」
まっすぐな声だった。
「応援しているから」
その言葉が、胸に刺さる。
嬉しいのに、苦しい。
だから、俺は笑うしかなかった。
「うん、頑張る!」
「おう! 夢を叶えてくれ!
俺はお前の一番のサポーターでいるから」
兄貴のまっすぐな笑顔が、言葉が、心に焼きつく。
強く、そして深く。
そして俺は、逃げることができなくなった。
「プロになって、活躍して、海外とか行っちまうのかな〜」
楽しそうに、俺の未来を語る兄の言葉が、俺の中にゆっくり積もっていく。
俺は軽口を言いながら、ボールを蹴り返すことしかできなかった。




