第5話_神への挑戦状――オタク娘の最強の味方
【わかりました。来週金曜日18時にお台場の駅まで来てください。ドレスコードですが制服でもいいですし、カジュアルなドレスとかでもいいです。あるもので大丈夫ですよ。】
アレックスさんからドレスコードの情報が来た。
「お、お台場……!? しかも、カ、カジュアルな、ドレス……っ!?」
スマホの画面を見つめたまま、あたしは通学路のど真ん中で完全にフリーズした。 来週の金曜日、18時。お台場の駅。 東京の、あのおしゃれスポットの代名詞みたいな場所に、試写会っていうか……ぶっちゃけ、これじゃあまるで、ガチのデートの待ち合わせじゃん……っ!!
「『あるもので大丈夫』って……そんなわけないでしょバカ! あんたのその大人の余裕、本当にムカつくし……っ!!」
普段の学校用の制服で行けば、一番「無難」で、従兄弟の付き添いっていう言い訳も立ちやすい。 立ちやすい、んだけど……。
――……やだ。せっかくあの人に、アレックスさんに、もう一度会えるのに。……『おっさん』のくせに、あんな最高に格好いい笑顔で見送ってきたあいつの前に、いつも通りの、ただのガキっぽい制服で行くなんて……絶対に、絶対にヤダ……っ!!
――あの去り際の笑顔に、完全に「女」にされちゃったんだ。だったら、子供扱いの制服なんて着ていけるわけがない。でも、あたしのクローゼットにある服なんて、普段ギャル友と遊ぶときのミニスカとか、ちょっと派手めなカジュアル服ばっかり。原作者を唸らせるような、お台場の雰囲気に合う「カジュアルなドレス」なんて、逆立ちしたって持ってるわけがない。
「……あ。そうだ、いるじゃん。最強のプロが」
あたしはスマホを握りしめたまま、ハッと目を見開いた。 あたしの母親は、アパレル業界で芸能人とかの衣装も手がけてる、ガチのスタイリストだ。
その日の放課後、あたしは駅からの帰り道を文字通り猛ダッシュして、家に帰るなりリビングのドアを勢いよくぶち開けた。
「お母さん!!! ちょっと今すぐ緊急家族会議!!! ぶっちゃけ人生かかってるからマジで話聞いて!!!!」
「なによ急に、騒がしいわねぇ……」
ソファでファッション雑誌をめくっていた母親が、おっとりとした口調で振り返る。あたしはスクバを床に放り出すと、母親の前に膝詰めで詰め寄った。
「あのさ、来週の金曜日……その、友達(仮)に誘われて、お台場でアニメの……関係者用の、超プレミアムな試写会に行くことになったの。で、ドレスコードが『カジュアルなドレスでもいいよ』って言われたんだけど……あたし、そんな服持ってないし、何着ればいいかマジで分かんなくて……っ!」
「あら」
母親は雑誌を閉じると、値踏みするような、でもプロの鋭い目で、あたしの顔をじっと見つめてきた。ニヤニヤとした意地の悪い笑みが、その唇に浮かぶ。
「『友達』ねぇ……。結愛、あなた今、顔がものすごく真っ赤よ? 服の心配っていうより、その誘ってくれた『男の子』に、少しでも綺麗に見られたいって顔をしてるわね」
「ち、違うし!! 相手はおっさん……じゃなくて、ただの、その、業界のすごい人だし! 趣味の、オタク友達の延長線みたいなやつだから、お母さんが思ってるような変な関係じゃ絶対にないし!!」
必死に手をぶんぶん振って否定するあたしを、母親は楽しそうにクスクスと笑いながら見つめ、それから「よし」と勢いよく立ち上がった。
「いいわ、スタイリストの血が騒ぐじゃない。お台場の夜、18時、業界関係者の試写会……。よし、あなたのそのちょっとツンとしたギャルっぽさを活かしつつ、品が良くて、その『大人の男の人』が思わずドキッとしちゃうような、最高の一着をプロデュースしてあげるわ。今すぐ採寸するわ!」
「だ、だからドキッとさせたいわけじゃないってば……っ!」
母親に背中を押されながら、あたしは顔を真っ赤にしたまま自分の部屋へと走った。 嘘に嘘を重ねて、結太は当日来ない。 だけど、あたしの着ていく服だけは、あのおっさんを、アレックスさんを本気で驚かせるための、ガチの勝負服へと変わり始めていた。
―――――――
「ちょっと、お母さん……これ、ぶっちゃけ気合い入れすぎじゃない……っ!?」
お台場にある、お母さんの知り合いの撮影スタジオ。会場のすぐ近くにあるスタジオで大きな三面鏡の前に座らされたあたしは、鏡の中に映る「自分」を見て、完全に声を失っていた。
髪は、いつもの巻き髪を少しほぐして、ハーフアップのニュアンスシニヨンに。お母さんのプロのメイクで、ギャル特有の強さは残しつつも、肌の透明感と唇のツヤが引き立つ、めちゃくちゃ大人っぽいアンニュイな表情に仕上げられている。 そして身にまとっているのは、お母さんがこの日のために用意してくれた、深みのあるシアー素材のネイビーのミディ丈ドレス。歩くたびに裾が軽やかに揺れて、品が良いのに、どこかドキッとするような抜け感がある。
「何言ってるのよ、結愛……」
お母さんはあたしの肩に手を置いて、鏡越しに満足そうに不敵な笑みを浮かべた。
「お台場の18時なんて、これから夜の帳が下りる一番綺麗な時間帯よ? スタイリストの娘が、そんな場所で男の人を待たせるのに、妥協なんて許されるわけないじゃない。……ほら、リップ直したから、もう触っちゃダメよ」
「だから、デートじゃないってば……っ!」
そう言い返すあたしの顔は、メイクの上からでも分かるくらいに真っ赤だった。お母さんの仕事用の車に便乗して送ってもらう車内でも、心臓はずっとバックバクだったのに。こんな芸能人並みのフルメイクと勝負ドレスを仕込まれたら、もう緊張で息がまともにできなかった。
――……っていうか、結太のやつが直前で来れなくなった(存在しない)って言い訳、この格好で言ったら……あたし、めちゃくちゃ張り切って2人きりになりたがってたみたいで、ぶっちゃけ死ぬほど恥ずかしいじゃん……っ!!
時計の針は、17時45分を回ろうとしている。
「さあ結愛、時間よ。その『業界のすごい人』とやらを、あんたのその可愛さで、完全にノックアウトしてきなさい!」
お母さんに背中をポンと叩かれた、あたしはもう一度鏡を見た。
――本当にすごい……あたしじゃないみたい。こんな大人な雰囲気が出せるんだ……まるで映画に出てる女優……アニメの主人公みたい……
あたしは立ち上がって、入り口に向かった。一度振り返り、お母さんに手を振って、スタジオを後にした。
お台場の駅へと向かう道すがら、5月の少し涼しい夕風が、ドレスの裾を揺らす。すれ違う人たちが、チラチラとあたしを見ていくのが分かる。
ポケットの中で、スマホが短く震えた。 フルムーンさんの、アレックスさんのアイコンからの通知。地図が送られてきた。
【そろそろ駅に着きますが、ちょっと立ち寄る場所ができました。場所はここですので直接会場のロビーに来てください。後で合流します】
「……っ〜〜〜〜、もう、行くしかないんだし……っ!」
あたしはスマホをきゅっと握りしめ、お台場の潮風が吹く夜景の綺麗なプロムナードを直接会場に向かって歩いた。 嘘の従兄弟の言い訳、お母さんに魔法をかけられたこの特別なドレス。 すべてを抱えたまま、あたしは、夕暮れに染まる約束の場所へと向かった。
――――
試写会の会場へと続くエントランスを、あたしはヒールの音を小さく響かせながら歩いていた。
すれ違うスーツ姿の業界人っぽい大人たちや、おしゃれした人たちが、みんな一瞬だけ足を止めて、あたしのことをじっと見ていく。
――……あ、見てる、見てる
ふっと振り返って視線を流してあげると、見てた人たちが慌てて目をそらしたり、ちょっと見惚れたような顔をしたりするのが分かった。 いつも学校でやってるギャルの強気な視線と、お母さんがプロデュースしてくれたこの極上のネイビーのドレス。それが合わさった今のあたしは、ぶっちゃけ自分で言うのもなんだけど、そこらのモデルにも負けてないと思う。
――……ふん、いい気味だし。よし、このままの勢いで、あのくたびれたおっさんのハートをズキューン! って撃ち抜いて、あたしの虜にしてやるんだから……っ!
――……って、ちょっと待ってあたし!! 何考えてんのよバカ!! あんたが今日ここに来たのは、推しのノスフェル様の、世界最速の1話試写会を見るためでしょ!? あのおっさんを誘惑するためじゃ絶対にないし、っていうか「ハートを射抜く」とか、あたしはあいつのことが好きなわけじゃ……
「……っ〜〜〜、もう、邪念デリート、デリート……っ!!」
あたしは慌てて両頬を軽く叩いた。危ない、メイクが崩れる。
そんな一人コントを繰り広げながら、アレックスさんに指定された待ち合わせの場所に到着した。 少し開けたロビーの端、ガラス窓からお台場の夕暮れの海が見える綺麗な場所。
だけど、そこにはまだ、誰もいなかった。
「……あ、まだ来てないんだ」
ちょっとだけホッとしたような、でも、なんだか急にハシゴを外されたみたいに、胸の奥がすうすうと寂しくなった。 周りを見渡しても、いるのはビシッとした格好の大人たちばかりで、あのよれっとした服を着た、ちょっと猫背の、くたびれたおっさんの姿はどこにも見当たらなかった。
――そのすうすうする感じが何なのか、あたし自身にも分からなかった。
あたしはガラス窓に近づいて、外の景色を見つめた。 だんだんとネオンが灯り始めるお台場の夜景が、ネイビーのドレスを着たあたしの姿を薄暗く映し出していた。
結太は来ない(存在しない)。あたしは一人。 お母さんに「男の人をドキッとさせてきなさい」って送り出された、この特別な格好。 まだ見ぬノスフェルの新しい物語への期待と、それ以上に、もうすぐここに現れる「アレックスさん」への緊張で、あたしの心臓は、静かなロビーの中に響き渡りそうなくらい、トクン、トクンと激しく脈打ち始めていた。
「見違えたね、もともときれいだとは思ったけど。モデルや女優みたいだね」
静かなロビーに、あの低くて、耳の奥に心地よく響くフルムーンさんの……アレックスさん先生の声が降ってきた。
――……勝った!!
その言葉を聞いた瞬間、あたしの心の中でガッツポーズが炸裂した。オタク軍もギャル軍も拍手喝采だった。スタンディングオベーションだ。お母さんのプロの技と、あたしのギャルとしてのプライドの完全勝利。あのおっさんに「きれい」って言わせた、その事実だけで、背筋がゾクゾクするような最高の快感が全身を駆け巡る。
あたしは、振り返った。これ以上ないくらい自信に満ち溢れた「いい女」の笑みを浮かべて、ゆっくりと振り返った。
「ふふん、当然だし! あんたに見せるのがもったいないくらい――」
言いかけたセリフが、喉の奥で完全に氷結した。
「……え、……あ、……え?」
そこに立っていたのは、あたしの記憶にある、あのカフェの個室でよれっとした服を着て猫背でコーヒーを啜っていた、あのくたびれたおっさんじゃなかった。
上下のサイズが完璧にフィットした、品のある深い紺のストライプスーツ。 ボサボサだった髪は綺麗に整えられて、おでこを出した大人っぽいオールバック。 そして、その切れ長の瞳を縁取るのは、めちゃくちゃ理知的な雰囲気を醸し出している丸メガネ。カフェでの『おっさん』の面影は、その優しげな口元くらいしか残っていない。フルムーンさんが人間の姿をして現れたんじゃないかってくらい、洗練されていて、知的で、狂おしいほどに格好よかった。
――な、なななな、何これ、意味わかんない……っ!? 誰、この超絶イケメンな紳士……っ!?
ずきゅん――。
胸の奥を、目に見えない光の矢が音を立てて貫通していった。 心臓が、まるでスピーカーの重低音を至近距離で浴びたみたいに、ドクンッ!! と激しく暴れ出す。
「せ、……せ、んせ……アレックス、さん……っ?」
顔が、一瞬で耳の裏まで真っ赤に染まっていくのが分かった。 せっかくお母さんに大人っぽくメイクしてもらったのに、こんなの、ただの余裕をなくした初心なガキじゃん……っ! でも無理、本当に無理。こんな破壊力抜群の姿で現れるとか、ぶっちゃけ反則だし、殺す気満々すぎる……っ!
「な、なによそれ……っ! あんたこそ、なに変装してんのよバカ……っ!!」
あたしは、ラグジュアリーな姿に変貌したアレックスさんから必死に目をそらした。心臓が飛び出しそうでドレスの胸元をぎゅっと片手で押さえた。 そうしないと、内に秘めた思いも全部飛び出してしまいそうだったから。
「ゴメン……キョウ……ユイタ……コラレナクナッタヨォ……アハハ……」
頭の中の思考回路が完全にショートして、あたしの口から飛び出したのは、自分でも引くくらいカタコトでロボットみたいな棒読みの言葉だった。
――あ、あ、頭が真っ白で言い訳のストーリーが全部吹き飛んだ……っ! 塾がどうとか部活がどうとか、用意してたセリフ何ひとつ出てこなかったじゃん、あたしのバカ!!
あまりの不自然さに、絶対に「こいつ、嘘ついて2人きりになりたがってたな」ってバレた。そう思って、恥ずかしさのあまりお台場の海に飛び込もうとした、その時。
「そうかい、残念だね」
アレックスさんは、あたしの下手くそすぎる嘘を責めるでもなく、困ったようにそう言って、ガラス窓の向こうの夜空を小さく見上げた。 その横顔、丸メガネの奥の優しい瞳があまりにも絵になりすぎていて、あたしは眩暈がした。
それから、彼は視線をあたしに戻すと、ふっと、あのカフェの時と同じ、柔らかくて温かい笑みを浮かべた。
「まあ、月白さんに見て貰えるなら嬉しいさ。ファンが楽しんでいるのを横で見られるなんて、作者冥利に尽きるよ」
「……っ、〜〜〜〜〜っっ」
その声。その、ちょっと低くて、フルムーンさんの気高さと、アレックスさん先生の不器用な優しさが混ざり合ったみたいな、ずるすぎる響き。
『月白さん』って、初めて、ちゃんとした大人のレディみたいに名前を呼ばれた。 しかも、結太が来ないことを怒るどころか、あたしと2人きりで見ることを、そんな風に優しく受け入れてくれるなんて。
――なんなの……本当に、なんなのこの人……。くたびれたおっさんだと思ってたのに、スーツ着てそんな顔で笑うの、マジで卑怯だし……!
顔が熱くて熱くて、お母さんにしてもらった最高級のメイクが全部お湯みたいに溶けちゃいそうだった。 でも、不思議と嫌な熱さじゃない。むしろ、胸の奥からじわじわと、カフェでのドキドキがよみがえるようだった。
「……、……んなの、当然だし」
あたしは、真っ赤になった顔を隠すように、ふいっとそっぽを向いて、ドレスの裾を小さく握りしめた。
「あたし、めちゃくちゃ目が肥えてるからね。スピンオフだからって、作画がちょっとでも乱れてたり、ノスフェル様のキャラがブレてたりしたら、あとでアレックスさんに直接ダメ出し連発するから。覚悟しといてよね……!」
強がって、いつものギャルっぽい口調で捲し立てたけど、声が少しだけ震えちゃうのを隠せなかった。




