第4話_神からの誘い――シシャカイという名のオーバーキル
――……っ、もう、本当に何なのあの人!!
百貨店を出て、駅前のロータリーに飛び出したあたしは、5月末のちょっと生ぬるい夜風に吹かれながら、自分の両頬をパシパシと叩いた。 手元には、大事に大事に抱えた2枚の色紙。
『闇が俺を包んで意識が途絶えそうになった時、お前という光が、お前の声が俺を助けた』
誰もいない夜空を見上げて、もう一度、あたしの名前だけが書かれたそのセリフを心の中で繰り返した。
――おっさん達に届けたいって、そういう、ガチで重厚な人間ドラマを書いてるからこそ……あたしは、スタドロが、ノスフェルが、大好きなんだよ……バカ。
まだ熱の引かない耳元で、さっき聴いたフルムーンさんの……アレックス先生の、あの低くて優しい声がずっとリフレインしていた。
――まさかガチャガチャの前で愚痴ってた冴えない大人が、あたしの人生を狂わせた作品の創造主で、しかも推しの一人の声帯そのものだったなんて、未だに夢なんじゃないかって思う。
ポケットの中で、スマホが小さく震えた気がした。 メッセージアプリの画面を開くと、そこにはフルムーンさんの満月を被ったシュールなアイコンと、『alexsan』の文字。
あたしは唇をきゅっと結んで、まだ少し震える指先で返信を打ち始めた。
【あたしの名前、結太のついでに1枚目にも書いちゃったから、結局あの色紙はあたしが部屋の特等席に飾ることにしたし。結太にはノーマル版のアクキーだけで十分だしね。……あ、勘違いしないでよ? あくまで、紛失防止のためだから!】
そこまで打って、一瞬ためらう。 でも、画面の向こうで今頃、あのおもしろい先生が「やれやれ」って笑いながらコーヒーを飲んでいる姿を想像したら、なんだか無性に胸がくすぐったくなった。
【あと、来週の最終回……フルムーンさんやノスフェルが喋ったら、テレビが割れるくらいの勢いで実況送るから。引かないでよね、アレックス先生】
送信ボタンをぽちっと押して、あたしはスマホをすぐにスクバに突っ込んだ。
――あーあ、来週の金曜日まで、あと1週間もある。 オタク趣味を隠して過ごす学校の毎日が、明日からは、少しだけ、本当に少しだけ、待ち遠しいものに変わりそうな気がした。
【ありがとう楽しみにしてる。ちなみに今更なんだけど俺のペンネーム「アレックスさん」だからね、分かりづらくてごめん】
スマホの画面にポップアップしたその通知を見て、あたしは駅の改札前で、危うく盛大にズッコケそうになった。
「……はぁっ!?」
慌ててスクバからスマホをひったくるように取り出して、画面を二度見、三度見する。
――アレックス、じゃなくて……『アレックスさん』が、ペンネーム……!? つまり、さっきあたしが連呼してた『アレックス先生』だと、『さん』が足りてなかったってこと……!?
「ちょっと、マジで意味わかんないんだけど……っ!!」
改札を通る周りの人たちにジロジロ見られたけど、今のあたしにはそんなの気にする余裕なんて1ミリもない。 顔がさっきとはまた違う、恥ずかしさとツッコミどころの多さでブワッと熱くなった。
―― 何が「アレックス先生、マジで神です!」だよあたし!! 完全に一人で空回って、間違った名前で大熱弁してたじゃん! 恥ずかしすぎて百貨店の地下の食品売り場に埋まりたい……っ!!
即座にスマホをタタタタと叩いて、怒りと羞恥の混ざったメッセージを打ち込んだ。
【はぁ!? そんなの今更言われても困るんだけど!! ぶっちゃけ、めちゃくちゃ分かりづらいし! じゃあ何? あたしがさっきまで、必死に『アレックス先生!』って呼んでたの、心の中で草生やしながら見てたわけ!? ほんと性格悪い、サイテーだし!!】
一気に打ち込んで、送信ボタンを親指で思いっきり叩きつけた。
……でも。 スマホを胸元に抱きしめながら、夜のホームへと続く階段を上っていると、なんだか急に、可笑しさが込み上げてきた。
『アレックスさん先生』。
その、ちょっと抜けてて、でもどこか愛嬌のあるペンネームが、さっき個室で不器用に微笑みながらサインを書いてくれた、先生の飾らない人柄そのものみたいで。
「……、……ぷっ」
誰もいない階段の途中で、あたしは口元を袖で隠して、小さく吹き出した。
ピコン、とすぐに返ってきたフルムーンさんの満月アイコンを見つめながら、あたしは小さくため息をついて、でも、今度はあえて、ちょっとだけ意地悪なメッセージを送ってあげることにした。
【まぁ、間違えたのはあたしじゃなくて、そんな紛らわしい名前にした先生のせいだしね。……でも、いっか。来週からは、ちゃんと『アレックスさん先生』って呼んであげる。……だから、最終回、あたしの声に負けないくらいの、最高のフルムーンさんとノスフェルを、あたしに見せてよね】
電車のドアが開く音と一緒に、あたしのスマホから、小さな送信音が夜の駅舎に響いた。
―――――
翌日から今か今かと指折り数えながら、ノスフェル様のアクスタを飾り、色紙を眺め、愛でに愛でて過ごしたが、ついに……ついに! 運命の金曜日がやってきた!
期待を裏切る金曜日の夜が……
その日の深夜、テレビの前のあたしは呆然としていた。
完全にただの「物言わぬ肉塊」と化していた。
「……嘘、でしょ……?」
画面に流れるエンドロール。ついに最後の1秒まで、ノスフェルの『ノ』の字も、あの約束の未公開セリフも、何ひとつとして出てこなかった。
――な、なななな、何これ!? あのセリフは!? ノスフェルの復活は!? 先生、あたしに嘘ついたわけ!? 泳がせて、期待させて、最後の最後に最高の絶望に叩き落とすとか……どんだけドSな悪魔の脚本書いてんのよバカじゃないの――っ!!!
裏切られた。完全に、弄ばれた。 怒りと悲しみとパニックが限界突破したあたしは、涙目でスマホをひったくると、フルムーンさんの満月アイコンに向かって、狂ったように文字をガタガタと打ち込んだ。
【ちょっと待ってよアレックスさん!!!!! ノスフェル出てきてないじゃん!!!!! あたしの名前の横に書いたあのセリフどこ行ったわけ!?!? 嘘つき!! 詐欺!! ぶっちゃけ本当に最低サイテーだし!!! あたしの純情とパッションを返してよ、今すぐ謝罪に来てよね!!!!!】
画面が割れるくらいの勢いで送信ボタンを連打した、まさにその直後だった。 テレビの画面が、突如として真っ暗な闇に包まれた。
『……闇が俺を包んで意識が途絶えそうになった時』
「……え、」
心臓が、ドクン、と跳ねた。 スピーカーから響いてきたのは、間違いなく、あの低くて、切なくて、でも絶対的な愛を孕んだ、ノスフェルの……推しの声。
画面に映し出されたのは、燃え盛る業火の中に立つノスフェルの、アニメ1期では見たこともない新規カットの神作画。
『お前という光が、お前の声が俺を助けた』
そして、画面いっぱいに躍り出るドデカい文字。
【『スタドロ』スピンオフ・ノスフェル主役作:完全オリジナルアニメ化決定!!!】
【さらに、本編『スタドロ』第2期、制作決定!!!】
「ひゃ、…………あ、う、嘘……っ、嘘でしょおぉぉぉぉぉぉぉぉっ!?!?!?」
2度目の、裏切り。 だけどそれは、あたしの貧困な想像力なんか宇宙の彼方まで吹き飛ばす、最大級の、超ド級の、愛に満ち溢れた「サプライズ」だった。
――最終回(本編)に出てこないわけだよ。だってこれ、スピンオフアニメの、主役としての、完全な新セリフ(PVのメインディッシュ)だったんだから……!!
「う、あ、あ、……無理、尊死、無理、キャパオーバーでマジで憤死する……っ!!!」
あたしはスマホをベッドに放り出して、自分の頭を抱えてゴロゴロとのたうち回った。 ツブヤイター(SNS)を開けば、公式の予告PVの投稿が、秒単位で何万、何十万とリツブヤキされて大炎上(大お祭り騒ぎ)していた。
ピコン。
ベッドの上で、スマホが短く跳ねた。 震える手で画面を見ると、フルムーンさんの満月アイコンから、たった一言、メッセージが届いていた。
【ね? 誰にも見せちゃダメ、って言ったでしょ。お待たせ。】
「……っ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっっ!!!!」
声にならない悲鳴が喉の奥で爆発する。 あたしは枕に顔をギューッと全力で押し付けて、ジタバタと足をバタつかせた。 恥ずかしい、嬉しい、尊い、ずるい、意味わかんない、感情のフルコースでもう脳みそが完全に溶けてドロドロだ。
しばらくして、真っ赤になった顔を枕から上げると、あたしは涙目のまま、でも、今日一番の、一生分の「ありがとう」を込めて、フルムーンさんの画面に向かって、震える指で返信を打ち始めた。
あたしの最大級のパッションを叩きつけたメッセージを送り終えた。夜も遅い上、テンションMAXで妖怪濡れ女状態だったのでお風呂に入り、汗を流すことにした。
湯上りにスマートフォンを見た。とんでもない爆弾が投下されていた。
画面に表示された、フルムーンさんのアイコンからの新着メッセージ。
【よろしければ1話公開試写会に結太くんと2人できませんか?】
「……へアッ!?」
あたしの喉からギャルが、JKが出してはいけないような声が出た。息の根が止まるかと思った。 湯上がりでせっかく落ち着きかけていた体に、さっき以上の、いや、これまでの人生で最大級のドーパミンが、一気にドバドバと駆け巡った。
「し、試写会……っ!? 1話の……関係者とか、メディアしか入れないやつ……!? しかも、結太と2人で……って……」
あたしはスマホを握りしめたまま、液晶画面に顔がくっつくんじゃないかってくらい凝視した。 あまりの衝撃に、頭のてっぺんからつま先まで、ゾクゾクとした電流が走った。
――待って、待って落ち着けあたし……っ! 試写会に招待されるとか、そんなの完全に一般のファン(オタク)の域を超えてるし、神の領域の特別待遇じゃん! 想像しただけで死ぬ! 尊死する! 試写会会場に行く前にここが死者会会場になってしまう。
だけど、ひとしきり脳内でサイレンが鳴り響いた後、あたしは最大にして最悪の「問題」に気がついた。
――……あ。結太……って、あたしが作った『イマジナリー従兄弟』じゃん……っ!!!どうしよう。名前を連名で書いてもらうためだけに咄嗟にデッチ上げた、この世に存在しない幻の従兄弟・結太。 まさか原作者本人から「一緒に試写会にどうぞ」なんて言われるなんて夢にも思わなかったから、完全に自分のついた嘘がブーメランになって、あたしの首元に突き刺さっていた。
「う、嘘でしょ……結太なんてどこを探してもいないんだけど……っ!」
顔が再び茹でダコみたいに真っ赤になった。
――本当のことを言って、最初からガチ勢だったって白状するか? いや、そんなの恥ずかしすぎて今更絶対に無理! それとも、適当な男友達を「結太」に仕立て上げて連れていく……? いやいや、アレックスさんに嘘の身代わりを会わせるなんて、オタクのプライドが許さない!
パニックになりながら、あたしはベッドの上で布団を顔までかぶり、悶絶した。
――でも、1話試写会に行けるチャンスなんて、一生、いや来世まで待っても二度とないかもしれない。何より、またあの人に会えるかもしれないんだ。ってああ! 何考えてんだ! あたし!
「……っ〜〜〜〜、もう、本当にこの人は、最後の最後まであたしの心臓を弄ぶ天才すぎだし……っっ!!」
あたしはハアハアと荒い息を吐きながら、震える指先で、必死に「ギャルのプライド」と「嘘の言い訳」を織り交ぜたメッセージを打ち込んだ。
【は、はぁぁぁ!?!? 試写会って……ちょっと、急に何言ってんのあんた!!! ぶっちゃけ、そんな国家機密レベルのイベントに一般人のあたしらが行っていいわけ!? 結太のやつ、誘ったら嬉しすぎてその場でショック死すると思うんだけど!!!】
そこまで打って、一呼吸置く。心臓の音がトクン、トクンと耳元でうるさかった。
【……でも、まぁ。あんたがそこまで、あたしらに一番に見てほしいって、直々に招待してくれるなら? スケジュール、調整してあげなくも、ない、けど……。あ、まだ結太の予定(塾とか部活とか!)聞いてないから、い、行けるかどうかは、また後で連絡するし! 勘違いしないでよね!!】
送信ボタンをぽちっと押して、あたしはスマホを布団の海に放り投げ、両手で顔を覆って叫んだ。
いない従兄弟の予定をどうやってやりくりするか、そして、この激ヤバな状況をどう切り抜けるか。 あたしの頭の中は、ノスフェルの復活と、アレックスさんからの甘すぎる招待状のせいで、今夜は一晩中、完全にパンク状態が続きそうだった。
―――――
翌朝、あたしは鏡の前で自分の酷いクマを見て、本気で泣きそうになっていた。
――……一晩中、あの、くたびれたおっさんの顔が頭から離れないとか、マジで人生のバグなんですけど!
ベッドの上で何度も身悶えして、結局ほとんど眠れなかったせいで、頭はまだ少しぼーっとしている。だけどスマホを握りしめると、昨夜のあの『最高の記憶』が蘇るみたいで、ぶっちゃけ直視するだけでも心臓が爆発しそうだった。
でも、試写会への返信はしなきゃいけない。 あたしは通学路の途中で立ち止まり、震える指を必死に動かして、昨日思いついた「天才的(だと思いたい)作戦」をメッセージアプリに打ち込んだ。
【結太に確認したら塾も部活もありませんでしたー! 私も付き添いで行くんだけど、こういうのってドレス来たりキレーなカッコで行く方がいいんでしょ? ルールとかってある? 結太の服も選ばなきゃだから早めに返事してよね!?】
「……よし。これで完璧だし」
――当日、ロビーかどこかで待ち合わせした時に、『あ、ごめーん! 結太のやつ急に塾の補講が入っちゃってさ、結局あたし一人で来ちゃった!』って言えば、アレックスさんにだって何ひとつ怪しまれずに、完全合法的に試写会を堪能できる。 嘘に嘘を重ねてる罪悪感はちょっとだけあるけど、いない人間を連れてくるなんて物理的に不可能なんだから、これがオタクとして、いや女子高生としての生存戦略ってやつだし。
――それに……
――ドレスコード……。試写会なんて行ったことないから、何着ていけばいいかマジで分かんないし……。あ、あんたに、ちょっとでも『可愛い』って思われたいから聞いてるわけじゃ、絶対に、1ミリもないからね……!
スマホを制服のポケットに突っ込んだ。
空を見上げた、清々しい空だった。少し暑いくらいだった。
あたしはまた顔を真っ赤にしながら、足早に学校へと向かった。
ピコン、とポケットの中で通知が鳴った。 フルムーンさんのアイコンから、どんな大人の余裕に満ちた返信が来るのか……それを想像するだけで、あたしの胸の奥は、昨日流したシャワーのお湯よりも熱く、ドクドクと高鳴り始めていた。




