第2話_神からもらった尊い紙――イマジナリーユイタ
「……へ、」
「……って、えええええっ!? こ、コーヒー……っ!?」
直後に飛んできた爆弾発言に、あたしは思わず素っ頓狂な声をあげて、1メートルくらい後ろに飛び退いた。
――コーヒーって、え、それって、いわゆるお茶に誘われてるってこと!? いやいや待って、原作者の先生とJKが二人で喫茶店とか、どんな神イベント!? 意味わかんないし、あたしの人生のキャパ超えてるってば!!
「な、ななな、何言ってんのあんた……っ!? じ、女子高生をそんな、気軽にナンパみたいなことして……ぶっちゃけ事案だし! 通報案件だからね!?」
真っ赤になった顔を隠すように両手で頬を押さえながら、めちゃくちゃな言い訳を捲し立てた。
「第一、あたしはただの通りすがりのJKだし、さっきから言ってるじゃん、あたしじゃなくて従兄弟がファンなだけだし! あんたとコーヒー飲む理由なんて、1ミリも、これっぽっちも、ないし……!」
――……ない、んだけど。もし、ここで断ったら。 この先、一生、アレックス先生から直接『スタドロ』の、ノスフェルの裏話を聞ける機会なんて、絶対に訪れない。 24話のあのセリフの初期プロットはどうだったのかとか、今後のノスフェルの再登場の可能性とか、ファンなら全財産叩いてでも知りたい神情報が、すぐそこにあるのに……!
「……っ〜〜〜!」
あたしは唇を噛み締めて、葛藤で頭をぐしゃぐしゃにかき回した。 プライドと、ギャルの建前と、オタクとしての魂が、脳内で大戦争を起こしていた。
あたしは空を仰いだ。目を瞑った。あっさりギャル軍が敗北した。むしろノリに任せたギャル軍の一部がオタクに寝返った結果だった。
「……、……でも、まぁ……。あんたが、そこまで言うなら?」
きゅっとスクバの紐を握りしめて、上目遣いで、でも精一杯の虚勢を張ってアレックスさんを睨みつけた。
「その、原作者直々のインタビュー? みたいな? ほら、従兄弟にさ、最高のサイン色紙とか、なんか裏話とか持って帰ってあげたら、あたしの株も爆上がりじゃん? だから、あくまで、従兄弟のため、だしね!」
ふいっと顔を横に向けて、ツンとした態度を崩さないようにしながら、でも歩幅は完全にアレックスさんの隣に合わせるようにして、一歩を踏み出した。
「……べ、別に、あんたと話したいわけじゃないんだから。勘違い、しないでよ……?」
「あー、そっか、サインか、そうだね。じゃあさ……あそこの百貨店の中に雑貨屋があるから、そこで色紙を買って、中にあるカフェに行こうか」アレックスさんは雑貨屋の方を指さした。
「……雑貨屋で色紙、ね。まぁ、従兄弟へのお土産にはちょうどいいんじゃない? ほら、早く行こ…」
先生の後ろをついて歩いて、雑貨屋で色紙を二枚買った。
先生に連れられ、喫茶店のフロアに足を踏み入れた瞬間、あたしは完全にフリーズした。
あたしは気づいた。ここはカップル御用達のめちゃめちゃおしゃれなカフェがある百貨店だった。
間接照明が優しく灯って、ボサノヴァ的なオシャレなBGMが流れてる。周りを見渡せば、デート中のリア充カップルとか、意識高そうな女子大生しかいない。
――いやいやいや! こんな空間に、しがない風貌の原作者先生と、ギャル服の女子高生が二人で入るとか、どう見ても浮きまくりだし、別の意味で事案っぽくてヤバすぎでしょ!!
「ちょ、ちょっと待ってよ、先生……っ!」
あたしは慌てて先生のコートの袖をツンツンと引っ張って、周囲に聞こえないくらいのヒソヒソ声で猛抗議した。
「な、何ここ、オシャレすぎて意味わかんないんだけど……っ!? あたし、こういうリア充の巣窟みたいなとこ、ぶっちゃけ一番苦手だし! ていうか、あんたとあたしがここに並んで座ってたら、周りからどう見られるか分かってんの……!? 勘違いされたらマジで恥ずかしすぎて死ぬしね!」
顔が再び沸騰したみたいに熱くなる。オシャレな空間の気圧に負けそうになりながら、先生が持った色紙を見て、ゴクリと唾を飲み込んだ。
スクバで顔を隠し気味にしながら、あたしはオシャレカフェの入り口と先生の顔を、交互にキョロキョロと見つめていた。
「そう?まあ何とかなるよ?」アレックスさんはオシャレ喫茶の中にはいると店長に声をかけた。二人で話をしていた。談笑していた。
――え、ちょっと……店長さんと知り合い……?
「あ、マスター。ちょっと仕事の込み入った話をしたくて。いつもの奥の席、空いてる?」アレックスさんは慣れた様子で交渉していた。
話し終えると店長とともに、奥のスタッフルームの方に向かった。
先生の後ろを縮こまりながらついていくと、まさかの展開。案内されたのは、ガヤガヤしたフロアから完全に隔離された、奥の静かな個室だった。
「な、何あの店長さん……。っていうか、先生。もしかしてここ、よく使うわけ? さすが原作者、お忍びで打ち合わせとかに使う、行きつけの隠れ家的な場所ってこと……? や、やっば……本物のクリエイターのライフスタイルじゃん……」
感動のあまり、またしてもオタク特有の早口が漏れそうになって、慌てて口元を抑えた。
――いけないいけない。あたしはあくまで「興味のないギャル」のスタンスを保たなきゃいけないのに。
「……あ、いや! 別に感心してないし! むしろ、最初からこういう個室があるって分かってて、あたしをからかったでしょ!? ほんと性格悪いんだけど!」
ツンと上を向いて、ぷくっと頬を膨らませた。 だけど、テーブルの上に置かれたのは、さっき雑貨屋で買った真っ白な色紙。そして、あたしの手の中には、先生から手渡されたシークレットのノスフェルのアクキー。この静かな空間で、ついに『スタドロ』の生みの親と、一対一。
「……ま、まぁ、周りの目が気にならない席にしてくれたのは、感謝してあげなくもない、けど……」
上目遣いでチラッと先生を見て、恥ずかしさを隠すように、少しぶっきらぼうに言った。
「……それで? サイン、本当に書いてくれるんだよね? 従兄弟が……その、マジで泣いて喜ぶと思うから。……どんな風に書くのか、あたしが、ちゃんと横で見張っててあげるし」
「ああ、僕は原作者と言ってもストーリーの方だから絵はかけないからこれでごめんね……」
そこにはAlexsanを筆記体で大きく斜め下から斜め上に駆け上がるように書き、下に線を引き,nの横に太陽を描いたサインだった。このサインは過去に欲しくていっぱい調べた。
そして横にノスフェルの名台詞、『宵闇がお前を飲もうとも、お前の心だけは必ず守る』
と書いてあった
「……っ、」
差し出された色紙を見た瞬間、あたしの心臓は、完全にバックバクの限界メーターを突破した。
――嘘……。筆記体で大きく駆け上がる、この……『Alexsan』のサイン……。それに、このキュートな太陽のイラスト……!間違いない。本物だ。 あたしが前に、血眼になってネットのサイン会レポや展示イベントの写真を漁りまくった……あの憧れの、唯一無二のサインが、いま目の前で、あたしのためだけに……いや、従兄弟のために、生み出された。
しかも。 その横に添えられた、流れるような文字。
『宵闇がお前を飲もうとも、お前の心だけは必ず守る』
「第24話……っ。ノスフェルが光の戦士たちを逃がすために、一人で闇の軍勢に立ち向かった時の、あの……あの伝説の別れのセリフじゃん……っ!!」
もう我慢できなかった。 普段のクールなギャルなんて皮、一瞬で消し飛んだ。 あたしは飛び上がらんばかりの勢いで身を乗り出し、色紙を両手で包み込むようにして、うるうると潤んだ瞳で文字を凝視した。
「尊い……っ、無理、しんどい、文字からノスフェルの魂の波動が伝わってきすぎてマジで直視できない……っ! 先生が紡ぐこの、重厚で切ないんだけど、その奥に絶対的な『愛』があるセリフ回しが、本当に、本当に大好きで……っ!!」
超早口で、一文字も噛むことなく限界オタクの熱弁をぶちまけた。
――原作者自らの手で書かれた推しの名セリフなんて、全オタクが五体投地して有り難がる国宝級の宝物だ。それを、こんな特等席で拝めるなんて、前世でどれだけ徳を積めばいいの!?
「……あ」
熱く語りすぎて、個室の静かな空気に自分の声が響いたことに気づき、あたしはピキッと凍りついた。
――……またやった。っていうか、今のはさすがに、従兄弟の言い訳じゃ苦しすぎる。
顔が、耳どころか首筋まで真っ赤に染まっていくのがわかった。 あたしは慌てて色紙を胸元に抱きしめるように隠し、ソファの奥へともぞもぞと後退りした。
「あ、あ、今の、いまのは……! その、従兄弟がさ、毎日このセリフをリビングで絶叫してて、だから、あたしも勝手に脳内再生されちゃっただけだし……っ!」
スクバの隙間から、涙目で先生を睨みつけた。だけど、抱きしめた色紙を離す気なんて、1ミリもなかった。
「……っ、もう。あんたがそんな、オタク殺し、じゃなくて、ファンの心を揺さぶるようなセリフを急に書くからでしょ! ぶっちゃけ、ずるいんだけど……っ」
フン、とそっぽを向いて、必死に上がろうとする口角を抑え込んだ。 でも、胸の奥から溢れ出る嬉しさと興奮は、どうしても隠しきれていなかった。
その時、扉が開き、店長さんがコーヒーを2杯持ってきた。店長はあたしたちの前にそっと置いた。
アレックスさんは会釈をしていた。
「そりゃあさ……僕は読者の感情を揺さぶって、それでお金をもらってるから……ね?」
アレックスさんはおもむろに2枚目の色紙を出し、サインを書き始めた。
そこにはこう添えられていた。
『闇が俺を包んで意識が途絶えそうになった時、お前という光が、お前の声が俺を助けた』
「え……?」
2枚目の色紙に走る、先生のペン先。 そこに紡がれた言葉を目で追った瞬間、あたしの思考は完全に停止した。
――……何、これ……? 知らない。あたしの記憶に、こんなセリフ、絶対にない……っ!
スタドロの全話、それこそセリフの一言一句まで暗記するほどループ再生したあたしが知らないセリフ。つまり、アニメでも、これまでの原作でも、まだどこにも出てきていない、完全な未公開テキスト。
「……ヒュッ……」
変な音が口から漏れた。
ゾク、と背筋に鳥肌が立った。
――これって、まさか……。
「ちょっと、先生……これ、何……!? まさか、まだ放送されてない、これからやるはずの、第2期のセリフ……!? あるいは、劇場版の……っ!? ノスフェル、やっぱり消滅してなかったんだ……! 生きて、また戻ってきてくれるの……っ!?」
もう従兄弟の言い訳なんて完全に忘れて、先生にガタッと詰め寄っていた。
―― だって、こんなのオタクとして黙っていられるわけがない。推しが生きてるかもしれないっていう、世界の真理が、いま目の前で開示されたんだから。
興奮で頭が破裂しそうなあたしに、先生はさらに追い打ちをかけるように優しく微笑んで、こう言ったんだ。
「従兄弟さんの名前とキミの名前教えてくれるかな?」
「ひゃっ……!?」
名前。あたしの、名前。 それを、原作者であるアレックス先生が、この『世界に一つだけの未公開セリフ入りサイン色紙』に、書き込んでくれるってこと……!?
「な、ななな……何言ってんの、名前なんて、そんな……っ!」
急激に我に返って、顔から火が出るんじゃないかってくらい赤くなった。 先生の優しさと、オタクとしての最高の栄誉に、胸が苦しくてパンクしそうだった。
「……従兄弟の名前は……ゆ、ユイタ! そう、ユイタって言うんだけど……っ」
必死に架空の従兄弟の名前を絞り出して、それから、自分の名前を口にするために、きゅっと唇を引き結んだ。 スクバの紐を千切れるくらいギューッと握りしめて、蚊の鳴くような声で、だけど消え入りそうな声で、精一杯ツンとしながら呟いた。
「……あたしの名前は、……結愛。月白、結愛……」
恥ずかしすぎて、もう先生の顔を真っ正面から見られない。 下を向いて、自分のローファーのつま先を見つめながら、ボソボソと言い訳を付け足した。
「……あ、あのさ! 別にあたしの名前は、ついでだからね! ほら、ユイタのやつが『お姉ちゃんだけズルい!』って後からうるさそうだから、一応、名前を入れてもらって、あたしが貰ってあげた体にしとくだけだから! 勘違いしないでよ、マジで……っ!」
アレックスさんは1枚目の色紙に目をやった。首を傾けた。
「ユイタと、ツキシロ ユアの漢字教えてもらえるかな? 夜空に浮かぶ月に、色の白でいい? ユアは? どうやって書くのかな?」
「……っ〜〜、もう!」
あたしは顔が真っ赤なのを隠すように、片手で前髪をぐしゃっと掴んで、恥ずかしさのあまり消え入りそうな声で答えた。
「そう……『空に浮かぶ月に、色の白』に、結ぶ愛で『結愛』。……月白、結愛。……で、ユイタは、えっと……結ぶに、太い、で『結太』」
――架空の従兄弟の漢字まで一瞬で脳内生成したあたしのオタク的瞬発力を褒めてほしい。
先生が、あたしの教えた漢字を、あの『Alexsan』のサインの下に丁寧に書き込んでいった。ペンが紙を擦るサッ、サッ、という静かな音が、個室の中に響いて、あたしの心臓の音とシンクロする。
一枚目の色紙には「結太くんと、結愛さん江」と書かれていた。
「って、ちょっと待って! なんで1枚目の色紙に、あたしの名前まで連名で書いてるわけ!?」書き込まれた文字を見て、あたしはまたしても個室の天井を突き破る勢いで声をあげてしまった。
―― あたしの名前はただ、伝えただけのつもりだったのに……ばれちゃう……いや、もうとっくに先生にはガチ勢なのご臨終レベルでバレてるんだけどさ。
そこへ追い打ちをかけるように、先生が二枚目の色紙にペンを走らせた。丸眼鏡をクイっと上げていた。
―― その、ちょっと天然入ったクリエイターっぽい仕草が、なんだか無防備で、ずるい。
先生の手が止まった。
「……でき、た……?」
嬉しすぎて、尊すぎて、もうツンツンした言い訳すら喉に詰まって出てこなかった。 あたしはそっと両手を伸ばして、インクが乾いたばかりのその色紙を受け取ると、今度こそ本当に、割れ物を扱うみたいに、胸元に、ぎゅっと、大切に抱きしめた。高揚のあまり中身は見ていなかった。
「……ありがと。……大切に、する。あ、違う! 結太に、大切にさせるから!」
慌てて言い直して、ツンと顔をそっぽに向けた。 だけど、耳まで真っ赤に染まったギャルが、色紙を愛おしそうに抱きしめてる姿なんて、どう見ても言い訳が成り立ってないことくらい、あたし自身も、もう薄々気づいてた。
色紙を見つめた。書かれた文字を見つめて、目を見開いた。
「……、……っえ!?」
――ちょっと待って。
あたしは、今度こそ完全に心臓が停止するかと思った。
そこに書かれていた文字。
『月白結愛さん江』
――……ユイタの名前が、ない。 『結太』の漢字まであんなに必死に考えて教えたのに、この2枚目の、あの原作でもアニメでも見たことがない完全未公開の、ノスフェルの激エモ新セリフが書かれた色紙には、あたしの名前「だけ」が、真っ直ぐに刻まれていた。
これって……。先生、最初から分かってて……あたしのために、これ、書いてくれたってこと……!?
『闇が俺を包んで意識が途絶えそうになった時、お前という光が、お前の声が俺を助けた』
「な……ッ、なななな、何これ、意味わかんないんだけど……っ!!」
脳内が完全に大爆発を起こして、顔だけじゃなくて全身が沸騰したみたいに熱い。 慌てて前を見ると、先生は何食わぬ顔をして、ズズ……っと静かにコーヒーを啜っていた。その、ちょっと抜けたような、でもどこか全てを見透かしているような落ち着いた佇まいが、今のあたしのパニック状態と対比になりすぎて、めちゃくちゃずるい、ぶっちゃけ大人の余裕ずるすぎる……!
「ちょっと、先生……! なんでこっちにはユイタの名前が入ってないわけ!? 嫌がらせ!? あたしをからかって楽しんでるでしょ、絶対そうだし!」
あたしはソファから身を乗り出して、真っ赤な顔のまま、今にも泣きそうな目で先生を睨みつけた。両手は、その2枚目の色紙を汚さないように、でも絶対に誰にも渡さないぞってくらいの勢いで、抱きしめていた。
「気に入らなかったかな?」アレックスさんは肩をすくめていた。
「……っ〜〜〜〜! 勘違いしないでよね! あたし、こんな……こんな特別なセリフ、貰ったからって、別に、あんたのこと見直したとか、そういうの、全然ないから……っ!」
抱きしめた色紙に、トクン、トクン、と狂ったように跳ねる心臓の音が響く。 名前の横に添えられた、優しく微笑むような太陽のイラスト。
そして、あたし以外誰も知らないであろう推しのセリフ。
「……でも、」
あたしはスクバと色紙の隙間から、上目遣いで、消え入りそうな声で、ポツリと呟いた。
「……あたしの名前『だけ』書いてくれたのは、……その、ぶっちゃけ、ちょっとだけ……嬉しくなくも、ない、かも……だし……」
そう言うのが限界だった。あたしは完全にノックアウトされた状態で、顔を色紙の後ろにすっぽりと隠し、耳まで真っ赤に染まったまま、小さくなって震えていた。




