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虚空のレクイエム ―絶望の魔法世界で、少女は機械の記憶を歌う―  作者: 畠山ゆな@姉弟で小説共作✏️
夜明けのレクイエム

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語り継がれる銀の伝説




 龍脈が動き始めてから、一ヶ月が経った。


 世界は、静かに変わり続けていた。


 ゼノビアの街に、新しい看板が立った。


 帝国の公式告知だった。白い木の板に、丁寧な文字で書かれていた。


『全種族の居住権、労働権、及び商業権を同等に保証する。帝国暦一〇七年、皇帝勅令第一号』


 奏は、その看板の前に立った。


 看板を、読んだ。もう一度、読んだ。


 隣で、カイルが腕を組んでいた。


「信じられないな」


「うん」


「帝国が、こんな法律を出す日が来るとは」


「来た」


「来た」


 二人で、同じ言葉を繰り返した。


 その繰り返しが、おかしくて、可笑しくて——二人同時に、笑った。




 街の変化は、看板だけではなかった。


 東区画の古い宿屋が、改装されていた。帝国が費用を出した。宿の主人——あの気のいい獣牙族の女性——は、最初は受け取るのを渋っていた。でも、「気に入らなければ、返してもいい」というゼクスの言葉で、受け入れた。


 古代図書館の三階が、全種族に開放された。係員が変わった。今度は、どの種族にも同じ口調で話していた。


 市場の区画が、一部混在するようになった。天人族の隣に、獣牙族の露店が出た。最初は、ぎこちなかった。でも、三日経つと、値段の交渉が始まった。一週間経つと、他愛ない話をするようになった。




 変化が一番大きかったのは、子供たちだった。


 タオが、学校に行き始めた。


 新しい学校だった。三種族が一緒に通う、この街で初めての学校。建物は古かった。先生も、まだ少なかった。


 でも、タオは毎朝、走って行った。


「今日ね」


 ある日、タオが帰ってきて、奏に話した。


「天人族の子と、一緒に昼飯食べた」


「どうだった?」


「最初、ぎこちなかった。でも、ルニの話をしたら、盛り上がった」


 奏は、ルニを見た。


 ルニは、澄ました顔をしていた。


「ルニが、また橋渡しをした?」


「直接じゃないよ。でも——ルニのことを話したら、あの子も守護卵が欲しいって言って、それで話が続いた」




 マリンは、地上に出てくる時間が増えた。


 地下水路の住人だった海鱗族の何家族かが、東区画に部屋を借りた。最初は、遠巻きにされていた。でも、マリンが毎日広場で歌うようになってから、少しずつ変わった。


 歌を聞きに来る人が増えた。


 天人族の老婦人が、マリンに声をかけた。


「あなたの歌、毎朝聞こえてくる。目が覚める前に、聞こえてくる」


「うるさかったですか?」


「いいえ」


 老婦人は、笑った。


「おかげで、気持ちよく起きられる。ありがとう」


 マリンは、その夜、奏に報告した。


「天人族のおばあさんに、ありがとうって言われた」


「よかった」


「なんか、変な感じ。悪い意味じゃなくて」


「慣れてないから?」


「うん。でも——慣れたい」


 マリンは、はにかんで笑った。




 ゼクスは、帝国の行政施設で働き続けていた。


 仕事の内容が変わった。魔力徴収の管理ではなく、法律の施行補助と、種族間のトラブル調停だった。


 向いているのかどうか、傍目にはわからなかった。


 でも、奏がある日、施設の廊下を歩いていた時、ゼクスの部屋から声が聞こえてきた。


 天人族の商人と、獣牙族の老人が、口論をしていた。


 ゼクスが、両者の言い分を、順番に聞いていた。


 感情のない声だった。でも、どちらの話も、最後まで聞いていた。


 やがて、ゼクスが言った。


「商人。あなたの言い分は理解した。では、一つ聞く。この老人の言い分に、一点でも正しいところはあるか」


 商人は、黙った。


「正直に答えてくれ」


 しばらく沈黙があった。


「……ある」


 商人が、小さく言った。


「それを、老人に伝えてくれ」




 奏は、廊下を歩き続けた。


 笑いをこらえながら。


 ゼクスなりの、やり方があるらしかった。




 リナは、水路の住居と地上を、半々で過ごすようになっていた。


 老族長が地上に出るのは、長老たちの中でも珍しいことらしく、海鱗族の若者たちが驚いていた。


 でも、リナは淡々と言った。


「世界が変わるなら、私も変わる。それだけだ」


 奏が会いに行くと、リナはいつも水路の記録を読んでいた。


「族長、何を調べているんですか」


「龍脈の完全回復には、どれくらいかかるか、だ」


「どのくらいですか」


「早くて、十年。長ければ、五十年」


「長い」


「長い。でも、動き始めた。方向が決まった。あとは、続けるだけだ」


 リナは、記録から目を上げた。


「お前は、ここに残るのか」


 奏は、少し考えた。


「まだ、決めていない。でも——行くところがない気もする」


「帰れないのか? 元の世界に」


「わからない。でも——今は、戻りたいとも思っていない」


「正直だな」


「族長に嘘はつけない」


 リナは、低く笑った。


「セラも、そう言っていた」




 ある日の夕方、カイルと街を歩いていた。


 東区画の路地を抜けると、見覚えのある場所に出た。


「ここ」


 奏は足を止めた。


「最初に、タオを助けた路地だ」


「そうだな」


 今は、誰もいなかった。


 路地の石畳は、いつもと変わらなかった。でも、奏には、少し違って見えた。


「あの日から、どれくらい経ったんだろう」


「二ヶ月ほどか」


「二ヶ月で、こんなに変わるんだな」


「変わるのは早い。でも、続けるのが難しい」


 カイルは、路地の奥を見た。


「俺の村も、変わるかな」


「バルガ村?」


「ああ。ゼノビアが変わっても、辺境の村には、まだ届いていない」


「届く。時間はかかっても、届く」


「根拠は?」


「龍脈が、届いているから。魔力が戻れば、生活が変わる。生活が変われば、人も変わる」


 カイルは、少し考えてから言った。


「……お前が言うなら、信じる」




 ルニが、路地の石畳の上に降り立った。


 そして、くるりと一回転した。


「何してるの」


 ルニは、また回転した。


「喜んでるの?」


 ルニが、鳴いた。


「確かに、喜ぶ場所かもしれないな」


 カイルが言った。


「ここで、最初に動いた。それがなければ、何も始まらなかった」


「タオを助けた時?」


「そうだ。お前が、あの時動かなければ——ゼノビアは、今でも同じだったかもしれない」


 奏は、ルニを見た。


「ルニも、そう思う?」


 ルニが、鳴いた。


 今度は、長く。


 まるで、長い物語を歌うような声だった。




 夜、隠れ家に全員が集まった。


 最後の夜だった。


 カイルが、バルガ村に帰る日だった。


 タオと母親も、翌日、新しい住居に移ることになっていた。東区画に、帝国が提供した部屋があった。


 マリンは、地上の部屋を借りることになっていた。


 ゼクスは、施設での仕事が続く。


 リナは、水路と地上の間を行き来する生活を続ける。


 奏は、まだ決めていなかった。




 夜、全員でテーブルを囲んだ。


 宿の主人が、御馳走を用意してくれていた。


 約束通りだった。


 テーブルの上に、料理が並んだ。温かいスープ。焼いた肉。新鮮な野菜。甘い菓子。


 豪華ではなかった。でも、十分すぎるくらいだった。


 全員が、席についた。


 カイル、マリン、タオ、タオの母親、リナ、ゼクス。


 そして、奏とルニ。


 こんな顔ぶれで、食卓を囲む日が来るとは——誰も、想像していなかった。




 乾杯の言葉を、誰が言うか、しばらく誰も動かなかった。


 タオが、手を挙げた。


「わたしが言っていい?」


「どうぞ」


 タオは、コップを持って立ち上がった。


 全員が、タオを見た。


「えっと」


 タオは、少し考えた。


「むずかしいことは言えないけど——みんながいてくれてよかったです。世界が続いてよかったです。以上」


 マリンが、吹き出した。


 カイルが、苦笑した。


「以上ってなんだ」


「だってほかに言うことない」


「それで十分だ」


 カイルが言った。


「乾杯」




 食事が、始まった。


 賑やかだった。


 タオが、マリンに質問攻めにしていた。海鱗族の歌の覚え方、水路での生活、鱗はどのくらい硬いのか。


 マリンが、一つずつ答えていた。面倒そうにしながら、でも全部答えていた。


 カイルとゼクスが、珍しく話していた。獣牙族の命脈と、天人族の導法の違いについて。技術的な話で、奏にはよくわからなかった。でも、二人が普通に話しているのが、不思議と嬉しかった。


 リナは、タオの母親と、何か静かに話していた。二人とも、穏やかな顔をしていた。




 食事が終わった後、カイルが奏に言った。


「外に出るか」


「うん」


 二人で、隠れ家の外に出た。


 夜の空気が、冷たかった。


 星が多かった。


 カイルは、空を見上げた。


「明日、帰る」


「うん」


「村のことが、気になる」


「そうだよね」


「でも」


 カイルは、少し間を置いた。


「また来る」


「ゼノビアに?」


「ここには、用事ができた」


「用事?」


「お前が、いる」


 奏は、カイルを見た。


 カイルは、空を見たままだった。


「お前が、この街にいる限り——俺にも、用事がある。それだけだ」


 奏は、しばらく言葉が出なかった。


「……ありがとう」


「また礼か」


「また言う」


「わかった」


 カイルは、短く息を吐いた。


「次に来た時も、何か事件に巻き込まれていそうだな、お前は」


「そうかもしれない」


「間違いない」


 二人で、笑った。




 翌朝、カイルが出発した。


 門の外まで、全員で見送った。


 カイルは、荷物を背負って、振り返った。


「世話になった」


「こちらこそ」


「ルニ、また会おう」


 ルニが、鳴いた。


 カイルは、少し笑った。


「お前は相変わらずだな」


 ルニは、澄ました顔をした。


 カイルは、奏を見た。


「達者でいろ」


「カイルも」


「当然だ」


 一歩、歩き出した。


 振り返らなかった。


 でも、少し歩いたところで、手を一度だけ上げた。


 それが、カイルなりの別れだった。




 奏は、カイルの背中が見えなくなるまで、見送った。


 胸が、温かかった。


 寂しくなかったわけではない。


 でも、また来る、と言ってくれた。


 それで、十分だった。




 その日の午後、奏は古代図書館に行った。


 三階の棚の前に立った。


 お母さんの手紙があった場所。


 今日は、手紙を探さなかった。


 ただ、立った。


 この場所に来るたびに、気持ちが変わっていた。


 最初は、震えながら読んだ。次は、泣きながら。今日は——穏やかに、立っていた。


「お母さん」


 小声で言った。


「少し、形になってきたよ」


 壁は、答えなかった。


「まだ、途中だけど。法律が変わっても、心が変わるには時間がかかる。また、誰かが傷つくかもしれない」


 ルニが、肩で静かにしていた。


「でも——始まった。お母さんたちが信じていたものが、ここにある」




 窓から、ゼノビアの街が見えた。


 広場に、人が集まっていた。


 何をしているのか、ここからはわからなかった。


 でも、三種族が混在して見えた。


 お母さんが見たかった光景が、あそこにある。


 奏は、その光景を、しばらく見ていた。




 図書館を出た後、マリンが待っていた。


「呼んでないのに」


「なんとなく、ここに来る気がした」


「そういうこと、よくあるの?」


「カナリアに関しては、よくある」


 奏は、笑った。


「一緒に歩く?」


「歩く」


 二人で、夕暮れのゼノビアを歩いた。


 マリンが、ぽつりと言った。


「ねえ、カナリアは——この先、どうするの」


「まだ、決めていない」


「元の世界には、戻れないの?」


「わからない。でも——今は、戻りたいとも思っていない、かな」


「なんで?」


 奏は、少し考えた。


「あっちには、戻る場所がない気がする。でも、ここには——いていい場所ができた気がするから」


「そっか」


 マリンは、前を向いたまま言った。


「ならよかった」


「よかった?」


「カナリアが、どこかに行っちゃったら——寂しいから」


 奏は、マリンを見た。


 マリンは、少し恥ずかしそうにしていた。


「友達が、いなくなるのは嫌だよ。普通に」


「友達」


「違う?」


「違わない」


 奏は、前を向いた。


「わたしも、同じだよ」




 夕暮れの光が、石畳を橙色に染めていた。


 マリンが、歌い始めた。


 歩きながら、小さく歌った。


 龍脈の歌だった。


 奏は、その歌を聞きながら、歩いた。


 ルニが、肩の上で目を細めていた。


 白銀の毛並みが、夕暮れの光に輝いていた。




 その夜、奏は日記を書いた。


 ゼノビアに来てから、ずっと書き続けていた。


 今日のことを書いた。カイルが帰ったこと。マリンと歩いたこと。図書館でお母さんに話しかけたこと。


 書き終えてから、最初のページを開いた。


 バルガ村で目を覚ました日のことが、書いてあった。


 空が、青くて、きれいだった。


 名前がなかった。記憶がなかった。孤独の感触だけがあった。




 奏は、そのページを読んだ。


 あの日の自分を、思った。


 何もわからなくて、震えていた。


 でも、あの日から——カイルに出会った。ルニが孵化した。ゼノビアに来た。タオに出会った。マリンに出会った。リナに出会った。ゼクスと向き合った。お父さんとお母さんの手紙を読んだ。暴走した。精神世界に行った。三種族が揃った。龍脈が動いた。


 全部が、繋がっていた。


 あの日、草原で目を覚ましたことから——今日まで、全部。




 奏は、日記を閉じた。


 ルニを見た。


「ねえ、ルニ」


 ルニが、顔を上げた。


「わたしたちの話、誰かが語り継いでくれると思う?」


 ルニは、少し首を傾げた。


「銀のカナリアと、白銀のルニの話。三種族を繋いだ、記憶のない少女の話」


 ルニが、鳴いた。


「語り継がれなくてもいいか、とも思う。でも——」


 奏は、窓の外を見た。


「タオが、大きくなった時、自分の子供に話してくれるかもしれない。マリンが、歌にしてくれるかもしれない。リナが、水路の記録に残してくれるかもしれない」


 ルニが、また鳴いた。


「そうなったら、嬉しいな」




 窓の外で、誰かが歌っていた。


 マリンではなかった。


 知らない声だった。


 でも、龍脈の歌だった。


 マリンが教えた歌を、別の誰かが歌っていた。


 奏は、その歌を聞きながら、目を閉じた。


 胸の中が、静かだった。


 波立っていなかった。


 ただ、温かかった。



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