8月4日に出会った彼女 10
今日も細やかな緊張から解放されて昼を待たずに帰宅の準備をする者、常にダルそうな者は机に突っ伏したままだ。窓を全開にした教室は午前中の陽の領域と蛍光灯による領域とを、区別のつきにくい明るさであれ、斜めの角度で分ちあっていた。少しばかり吹き込む梅雨明けの風も、生徒の話し声みたく清々しく華やいだ。
朝の踏切で自転車のチェーンが外れちゃってね、という笑い声が窓際の方から聞こえていたので、あぁそうだったのか、とぼくは思った。チェーンくらい訳もなく嵌められるのだから、勇気を持って声を掛けていれば夏休みを目前にしてぼくの株は急騰したかもしれなかったな、と後悔した。
「ねぇ、柳、あんた今朝さ、ミユキが自転車のチェーン外れて押してたのに無視したでしょ?」
隣の席の女子から話しかけられたのはこの半年間で、二度目か三度目だった。隣の席の子は彼女と仲の良いい一人だ。
「あぁ、あのロードキングね」
ぼくは絶対に「受ける」と思った。手を叩いて笑い、それを彼女に伝え、彼女は怒りながらも、やはり笑ってしまうに違いない。彼女との距離を幾らかでも縮められると思った・・・・・・
「ロードキングってなによ?」その名詞に対する隠しようのないわくわく感が見て取れた。
「ハーレ―だよ。アメリカのデカイバイク」両腕を広げ、ワイドなハンドルの形態模写をした。
隣の友達は両手で顔を覆い、肩を揺らしながら黙って笑ったにも拘らず、学活が終わると飛び跳ねるように彼女の席へ行き耳打ちしたのだ。
彼女は強い目でぼくをずっと睨み続けたわけだ。それは全くその通りだろう。
新学期が始まると彼女の自転車は水色で細いフレームの、爽快そのものの、こ洒落た新車になっていた。でもぼくは卒業するまで通学路を遠回りしたので、登校時間に追われる、透明な風のようになったに違いない素敵な姿を目撃することはなかった。もちろん二年生が終わるまでの半年間は、一部の女子からぼくが透明になったのは言うまでもない。
口の悪い仲良したちと転がるように笑う高校生の彼女が、苦労している家庭にバイト代の一部を入れていること、去年中学生になった妹に自転車を買って上げていたこと、そういうことを知ったときぼくは彼女に謝る勇気すらなかった。
「ならさ、その彼女の代わりに、私に謝りなよ。似てるんでしょ私?」
噴水の縁に座る 彼女は不思議なことを言い出した。でもぼくは心を込めて謝ってみた。
「どう、スッキリした?」彼女はこっちを見ないで聞いた。
「どうかな?」ぼくも隣を向かず、宙のどこかであのクリーム色の古い自転車を思い出していた。
「まぁ、そりゃそうだっ」
ぼくは目の前にいる彼女のことを本当に素敵な人だな、と思った。心の底って、ここにあるんだな、と思ったほど心の底から素敵な女の子だと、ぼくには思えた。




