第二章 七話
柔らかな印象を与えるオフホワイトの壁にかこまれた、しかし生活に必要な調度品など何ひとつ見当たらない部屋で、シルクスは窓に背を向けて立っていた。
部屋の中央には、空になったグラヴィール細工の大きな硝子ケースだけが置かれ、それを両脇から挟むように二人の人間が佇んでいた。
神妙そうな表情を浮かべているのは、先ほど街の門でフィアセルを送り出してきたロン。
もう一人は、どこかのほほんとした表情の、昨夜この部屋のあるゼルトゥの館を見張っていた青年衛兵ノルトゥースだ。
「……捜索は極秘裏にやってもらいたい。フォンシュ・シンキは必ず取り戻さなければならないが、表立って行動すると"彼ら"に目をつけられるだろうからな。王宮から出すのはお前たち二人だけだ」
シルクスは低い声でそう言うと、鋼玉のような瞳に強烈な意志をたちあがらせた。
そうすると、彼の気さくな雰囲気はがらりと変わる。賢王としての顔が鮮やかに浮かび上がってくるようだ。
「この部屋での出来事を知っているラルスには、別の任務を与えることになっている。申し訳ないとは思うが……まあ、人数を割いたから見付かるというような代物ではないしな、アレは」
シルクスは強い眼光をたたえたまま、目の前にいる二人を交互に見やる。
「はあ。陛下がそうおっしゃるのなら、そうなんでしょうねえ」
そばかすが実に良く似合う青年衛兵ノルトゥースは、くせのある紅茶色の髪をくしゃくしゃとかき混ぜながら、少し困ったよう笑った。
「同じ職場のみんなには、自分は故郷に帰るとでも言って誤魔化しておいた方が良いですか? 宝珠を探すとなれば、しばらくクレスセルトを離れることもあるでしょうし、衛兵の宿舎にいる身としては、みんなに黙って出掛けるわけにもいかないですよね」
シルクスは軽く腕を組み、窓に寄りかかった。
一応ラルスが事情を知っているとはいえ、他の同僚たちの目もあるだろう。そう考えると、何か理由をつけた方がよさそうだった。
「ふむ。ノルトゥース。おまえは転属だ」
シルクスは何かを思いついたように硬い表情を崩し、僅かに口端を上げた。にやりと笑ったその表情は、どこかの悪戯な子供のようにも見える。
「明日からは王都警備ではなく、これの護衛についてもらおうかな」
楽しげに言いながら、さっきから何を一人で考え込んでいるのか、ずっと下を向いたままひとことも発しない少年の頭にぽんと手を置いた。
「…………」
その大きな手の感覚に、ロンは驚いたように顔を上げた。
「どうした? ロン。おまえがここで黙っているなんて、珍しいな」
「あ ―― 陛下? な、なんでもありません。ぼーっとしちゃってすみません」
ぺこりとロンは頭を下げる。
いつものように眼鏡の位置を直そうと軽く持ち上げた指が、しかし壊れて掛けていないことを思い出し、手持ちぶさたげに頬を掻いた。
「それにしても、どうして僕に護衛が必要なんです? たかが学者に専属の護衛が付くなんて前代未聞ですよ」
ロンは呆れたように溜息をつき、敬愛する国王に黒い双眸を向けた。聞いていないように見えて、周囲の会話はしっかりと聞いていたようだ。
思った通りの反応をする少年に、シルクスは楽しそうに目を細めた。
「うん? もちろん方便だ。ほ・う・べ・ん。別におまえが華奢だから"か弱そう"だとか、体力的に頼りなさげだからとか、そんなことを言ってるわけではない。だからそう怒るなロン」
「……言ってるじゃないですか、陛下。いいですけどね。別に。体力無いのは本当ですから。今回のフィアセルさんの件で自覚しましたし」
にーこりと、しかしどこか棘のある微笑をその頬に浮かべ、ロンはじっとりとシルクスを見やる。
「まあ、なんだ。それはそれ。これはこれだ」
シルクスは訳の分からない弁解をしながら可笑しそうに目を細め、少年の長い髪をくしゃくしゃと右手で大きくかきまわした。
「まったく、もう」
ロンは仕方なさげに溜息をついて、がっくりと肩を落とした。
この人が政務を執れば賢王と呼ばれるのだから、人の才能というのは不思議なものだ。
「ええと、じゃあ自分は、ロン様の護衛になるっていうことで良いんですね?」
交互に国王と主任学者の少年を見やっていたノルトゥースは、確認するように声をかける。
「そういうことだな。もうじき遊学に出る主任学者さまの護衛だ。他からの文句はなかろう」
「……宜しくお願いします。ノルトゥースさん」
ロンは諦めたように青年衛兵に頭を下げた。
遊学に出るという名目で、自分は宝珠を探しに行くことになるのだろう。やっかいなことに巻き込まれたという思いもあるが、国家の存亡とあっては仕方がない。
しかし、いろいろと考えずにはいられなかった。
シルクスが審議の間に居たラルスではなく、ノルトゥースを捜索の任に付けた理由は何なのか。
このどこか道化のような、のほほんとしたそばかす衛兵が見掛けと違って腕が立つことも知っている。
シルクスが砂漠の国ヴォードに招かれた時に見出した精鋭。町外れで楽しそうに幼子たちに剣を教えていたノルトゥースに一目で惚れ込んで、ヴォード国王に頼み込んで移住を許可させたほどの人材だ。
ロンは父シンリィへの用事があってちょうどヴォードに居たので、そのときの経緯は良く覚えている。
フォンシュ・シンキという宝珠を捜すことはそれだけ危険を伴うのかもしれないけれど、それでもどこか腑に落ちなかった。
「まあ、だがすべては明日からだな。ロン、今日はもう執務室に顔を出さなくていいから、ゆっくり昨日の疲れを取りなさい。ファーラント・ビューロからここまで休み無く歩いたのだってな? 船代など無くたって、王の使いだと言えば、おまえなら乗せてもらえたろうに」
ロンからいつもの生彩が消えているのを感じ、シルクスは気遣うように顔を覗き込む。
「そうはいきませんよ。彼らだって仕事なんですから」
「ふむ。おまえらしいといえばそうなのだがな。まあいい。とにかく今日はゆっくり休むんだ。元気のないロンをからかっても面白くないからな」
快活に王は笑い、若いロンの背を出口に向かってぽんっと押した。
「……ありがとうございます。お言葉に甘えて、今日は休ませていただきます」
からかっても面白くないという言い草には引っかかるものがあったけれど、ロンは素直に礼を言い部屋からゆっくりと出る。
確かに疲労が泥のように身体の奥底に沈殿し、気を抜くとひどい目眩がした。
「 ―― ノルトゥース」
ロンの白い外套が完全に視界から消えるのを見届けてから、シルクスは深い息を吐きだした。
「"あれ"から目を離すなよ。絶対にだ。あれに何か変わった様子やおかしな言動があったら、たとえ些細なことでも私に報告しろ」
「……それじゃあ、自分は護衛というよりも監視ですねえ」
ノルトゥースはひょいっと肩を竦め、おどけるように笑った。
シルクスは黙っていた。
不意に、うしろで固く髪を束ねていたリングが壊れ、シルクスの濃紺の髪が顔に落ちかかるようにばさりと解けた。
その髪の隙間から、鋼玉のような瞳が殺気を孕んで凛と光る。
「そう ―― 解釈してもらっても構わん。私は、あれを失いたくないのだよ」
壊れて床に落ちた髪留めを拾い上げながら、ため息をつくようにシルクスは言う。
「…………」
そばかすの衛兵は絶句した。それが、あまりに苦衷に満ちた声だったからだ。
その言葉が何を意味するのか、ノルトゥースは知り得なかったけれど、その真意を問うことも憚られた。
だから彼は、ただ頷いた。自分が知らなければならないことは、いずれ知れる。無理に聞き出す必要はないだろう。
ノルトゥースはそう自分自身を納得させた。




