第二章 六話
セシルはぐっと唇を噛み締めた。返してもらわなければ困る。でも、行くのは絶対にイヤだった。
「……僕たちのものだって、分かればいいんだよね」
ふと、何かを思い出したように、少年はじっと警邏隊の女性を見上げた。
「リオニアの花の裏側に『C・L』のイニシャルが彫ってあるはずだ。それが僕ので『A・S』の文字が入ってる方がアンリのだ」
「セシル様!?」
「大丈夫だよ、アンリ。こんなやつらに分かりっこない」
正式に名乗ったわけではないのだからと。隣にいる女性だけに聞こえるように小さく囁く。
アンリと呼ばれた女性はおどおどした姿勢のまま、苦しそうに目を伏せた。
何ごとも控えめに。人目に付かないようにと何度頼んでも、この少年は我の強さで人目を集めてしまうのだ。
もし自分たちが何者なのか知られたらどんな目に遭うか分からない。アンリは僅かに身を震わせた。
「……ええ。確かにあるわね」
確認するように裏側を見やり、キャロラインは頷いた。少年の言葉どおり、珠にはそれぞれイニシャルが彫ってあった。
『C・L』と刻まれた珠にはもうひとつ。何かの模様のように、二本の線が交差した刻印がなされている。
どこかで見たことがある形な気がしたが、それが何なのか、キャロラインはすぐには思い出せなかった。
「これは貴方がたにお返ししましょう。ただ……やはり少しお話を聞かせていただけないかしら? どのような状況で盗まれたのかなど。私には、彼の罪を追求しなければならないという責務もあるの」
「僕たちには関係ないよ。盗った本人に聞けばいいだろ」
取付く島もないというのはこのことだろう。セシルはそんな言葉は聞こえないとばかりに、つんっと横を向いた。
そうして戻ってきたペンダントを大切そうに胸に抱き込むと、ふいっと後ろを向いて、躊躇なく人込みの中へと消えて行く。
「……仕方ないわね。君たちは協力してくれるわよね? カーク君と、フィアセルさん」
やけにあっさりとセシルたちへの協力要請を諦め、キャロラインは肩を竦めて二人を振り返った。
「うん。私達が知ってることは話すけど」
なんで自分の名前を知っているんだろう? ちょっと不思議に思いつつも、フィアセルは軽く頷いた。
気付かぬうちにカークが教えたのかもしれないし、もしかしたらフォン=ティエン神殿をよく訪れている信者なのかもしれない。
「ありがとう。じゃあ、行きましょうか」
「セルは今日中に神殿に帰さなきゃいけないんだけど、間に合うかな? たぶん神殿に知らせてあると思うんだよな。ロンのことだから」
カークは相談するように年長の女性を見やった。
フィアセルを今日中に神殿まで送り帰すことがロンとの約束なのだ。それを違えるような事態にはしたくなかった。
「大丈夫。そう長くはかからないわ」
明るくぱちりとウィンクをして、キャロラインは笑った。
そうしてカークに羽交い締めにされていた男の腕をとると、ゆっくり周囲に視線を向ける。
「それにしても……隊商の皆様方。以後も盗品の売買が発覚するようなことがあれば、この露店祭も出店を監理させて頂くようになるかもしれません。それはシルクス陛下にも本意ではありません。ですから、各々が『商人』としての誇りと責任を持って運営を行ってくださいね」
朗々と響き渡る声でそう告げると、キャロラインは機敏な動作で回れ右をして、のそのそ歩く男の手を引くように歩き始めた。
そのあとを、カークとフィアセルが並んでついて行く。
水をうったように静まり返ったモルトン川の露店祭も、騒ぎの元であった彼らの姿が消えて無くなると再び賑やかな活気に包まれて、人々の楽しげなざわめきが広がっていた。
「……困ったな」
キャロラインは頭を抱えるように息を吐き出した。ひとりで対処するには問題が大きすぎるように思え、再び深い溜息が出る。
先程モルトン川付近の露店祭で起きた些細な揉め事。まさかそれが重要なことに繋がるとは思ってもみなかった。
ただの小さな窃盗事件。そう思ったからこそ、セシルとアンリというあの二人連れに強く協力を依頼することもせず、自分に課せられたもう一方の任務に忠実であろうとしたのだ。
けれども ―― リオニアと呼ばれる護りの珠に刻まれていた『C・L』というイニシャル。そして二本の線が交差したような模様。それを思い出しながら、キャロラインの表情はくもる一方だった。
小さい珠に彫られていたのでパッと見ただけでは線にしか見えなかったが、あれは恐らくレジス=クルセイド皇国の皇族だけが使うことを許された、二竜の紋章だったのだろう。
そのことを今になって気が付いて、さらに深い溜息が出る。
「あの子……セシルと呼ばれていた……」
―― セシルバート・リオネス。レジス=クルセイド皇国の一番末の皇子。
「迂闊だったな。今まで気が付かなかったなんて」
途方に暮れたように呟き、キャロラインは頭を振った。
今年ようやく十歳になるその皇子は、皇族とはいっても母の身分が低い妾腹の子であり、何の権力もない皇子だと言われている。
そんな少年がセルト王国に無断で侵入し、護衛もなしに放浪しているのだという話を聞いたのはつい先日のことだった。
彼はセルト王国にとって非常に危険人物なので、見付け次第"保護"するようにと、シルクスから一部の人間に極秘の指令が出されていた。
だからシルクスに知らせるべきだと思うのだが、いまさら報告しても一刻以上も前に立ち去った彼らの現在の居場所が分かるわけではない。
それにキャロラインは納得がいかなかったのだ。他国の、それも幼い皇子を『危険』とみなす理由が定かではない。
噂では二ヶ月前に見付かったあの秘宝に関係があるらしいとは聞いた。だが、あくまで噂だ。国王からの説明は一切なかった。
国王シルクスを信頼している。尊敬もしている。けれども、最近は不安になることがあった。
近ごろ極秘に出される指令が多い。それも普通ではない。今度のことだってそうだ。
自分が疾風の部隊を外れて警邏隊に移った理由。表向きは疾風の隊員が起こした不祥事の引責ということになっている。
だが実を言えば、極秘任務のためだった。
『こんなことを任せられる人間は限られている。表向きは降格になるが、引き受けて欲しい』
その言葉に、彼女は疾風を抜けた。敬愛する主の信頼に応えたかった。
河川水路警邏隊に身を起いて各河川を視察し、その実レジス=クルセイド皇国の動向を逐一探るようになって二ヶ月が経つ。
そして今朝からは、ロンが連れて来たフォン=ティエンの司祭を監視するようにと命じられていた。
その理由も、やはり定かには聞かされていない。
悪戯少年のような普段の顔。賢王としての顔。そしてもうひとつ、シルクスに違った顔があることを、キャロラインは偶然見てしまった。
―― 見鬼の間。
あれはいけない。そう彼女は思った。
代々の王が不開の間として封印してきた漆黒の部屋。秘宝を見付けたあと、シルクスが開いた空間 ―― 。
あの部屋に居るシルクスが、どこか思い詰めたような表情をしているのを見た。
いつもは凛とした眼光をたたえた鋼玉の双眸が、怖ろしく冷たい、殺気にも似た鋭利な光を宿しているのを見た。
「でも……やはり知らせておくか。陛下は、そんなものに惑わされる御方ではない」
すっと立ち上がり、キャロラインは制服の襟を正す。そしてゆっくりと、警邏隊の派出所を後にした。




