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森は静かな幻想迷宮  作者: 風祭
第二章 『水の都レジス』
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第二章 四話

 王都クレスセルトの北東を流れるモルトン川は、広大な草原の真中をゆるやかに流れ、多くの草花の生命を潤している。

 玉石が転がる川底には、たくさんの魚が気持ち良さげに泳いでいるのが見えた。

 この澄みきった水面に朝日が反射すると、あたりは朱金の霞がかかったように見える。

 その金色の霞の中をくゆるように流れる川の様が優美な竜の姿のようだと云われ、モルトン川は『微睡(まどろ)みの金竜』だの『朝霞の竜道』などという大層な別名まで持っている。

 誰が付けたのかは知らないけれど、昔の人は随分とこっ恥ずかしい名前を付けたものだと、フィアセルは思った。

 なにせ「微睡みの金竜で露店が開かれているから行こう」とか、「朝霞の竜道に買い物に行こう」などとは誰も言わない。

 別名としてはけっこう有名なのに皆が口に出してそう呼ばないのは、あまりに気恥ずかしい呼名だからじゃないかと思うのだ。


「ふわあ。人がいっぱいだねえ」

 賑々しく華やぐ川岸の様子に、フィアセルは歓声を上げた。

 旭日の景勝地と名高いモルトン川もこの時間になれば溢れる人の波におされ、美しさは影を潜めてにぎやかさが勝っていた。

 大陸を渡り歩く隊商たちが年に何回か開く露店祭(マーケット)には異国の珍しいものがたくさん並び、多くの人を呼ぶ。

 民がこんな買い物に興じることが出来るのも賢王シルクスのおかげだと、人々は楽しげに市場を闊歩していた。

「さーあ、砂漠の国ヴォードで仕入れたタペストリー。まずは手に取って見てごらん。そんじょそこらじゃの物とは比べ物にならないよ。買わなきゃ絶対に後悔するって」

「こっちは珍しい宝石だ。あのレジス=クルセイド皇国で死ぬ思いで仕入れた水の花。本来なら水神レジスを信仰しなけりゃ手に入らない代物だ。限定二つだ。買わなきゃ損だぞ」

 隊商の面々は浪曲でも歌うように、またがなるように客引きを始めている。どこまで本当なのか。眉唾ものの品物も有りそうな、怪しい口上も聞こえていた。


「あ、このペンダント可愛い。この髪飾りも素敵」

 そんな周囲の声には目もくれず、フィアセルはくるくると動き回りながら自分の見たいものだけを確実に見てまわる。まるで甘やかな蜜に引かれて花々を行き渡る蝶のようだ。

「なんか、女の子の買い物って忙しそうだなあ」

 カークはにこにこと、買い物に興じる司祭の少女を見た。

 あんなにたくさん買うわけでも無いのに、ひとつひとつ手に取って自分に当ててみる仕草がとても可愛いと思う。

「ちぇ、お金溜めておくんだったな」

 そうしたら一個くらい何か買ってあげられたのに。そう思いながらポケットのジャラ銭を手のひらに出して、カークは溜息を吐いた。

 十セード硬貨が四枚。これで買える物といったら昨夜の食事処のプリンくらいなものだ。装飾品などとても手が出るものじゃない。

「カーク、これどう?」

 淡い桜色の貝を幾つも合わせて花形にした髪飾りを髪にあてながら、フィアセルはくるりと振り返った。

 清楚な感じのするその髪飾りは、どちらかといえば元気な彼女のイメージではない気もしたけれど、そう感じるのは彼女の性格を知っているからかもしれない。

「うん。俺は女の子のものって良く分かんないけど、ロンとかは好きそうだな、そういうの付けた女の子」

 正直にカークは応え、しかし最後に「似合うと思うよ」と言葉を付け加えた。

「あ、ありがと。でも、なんでそこでロンが引き合いに出るのよお」

 フィアセルはちょっと赤くなったようだった。

 似合うと言われたことに赤くなったのか、それともロンが好きそうだと言ったことで赤くなったのか? カークは判断に迷った。

 なんだかんだ文句を言いながら、彼女はよくロンのことを話題にのせるのだ。もちろん、二人の共通の話題といえばロンのことしかないからなのかもしれないが。


「それ、買うの?」

「うん」

「じゃ、ちょっと待って」

 カークは彼女が頷くのを見ると、簡易椅子に座っている良く日に焼けた老人の前に屈み込んだ。

「三二〇セードだよ」

 老人はカークが何か言うよりも早く、白い歯を見せて、にっと笑った。

「そりゃ高い。おっさん、いたいけな少女からそんなにぼったくるのか?」

「なあに、ぼうずが買ってやるんだろう? 可愛い彼女に値切った品はいけないな」

 店のおやじはからかうように二人を交互に見やる。

「ふんだ。俺は最初から値切り役でここに来たんだからいいんだよ。買ってやるお金なんて、もとから無いんだからさ」

 カークは胸を張ってそう応えた。

 あまりに堂々としたその言葉に、老人は面食らったようにまじまじと少年を眺めやった。

「わ……はははは!! 値切り役ねえ。よしよし。気に入ったぞ、ぼうず。こうなりゃ赤字覚悟の二〇〇セードで持ってけ泥棒!」

「買った!」

 叫んだのはカークではなく、フィアセルだった。ピンと手を高く上げて、にこにこと笑っている。

「威勢が好いねえ。お嬢ちゃん」

 良く日に焼けた老人は呵々大笑し、嬉しそうに椅子から立ち上がる。

 けっきょく彼は髪飾りをそれより四十も安い、一六〇セードという半値で売ってくれた。

 つまるところ、本当はそんなに高価(たか)い物でもなかったのだろう。

「ありがとう、おじいさん」

 それでも得した気分には変わりなく、フィアセルは満面の笑顔で髪飾りを身につけた。自分が気に入ったものをとても安く買うことが出来たので、彼女はもう幸せいっぱいの表情だ。

 そんな彼女の喜ぶ顔に、カークも嬉しくなってくる。

「良かったな、セル」

「うんっ。カークのおかげだよお。付いて来てくれてありがとねっ」

 意味もなく、二人は顔を見合わせてニコニコと笑いあった。


「こらあっ!! てめえ、何しやがる!」

 突然、耳をつんざくような大きな怒声が市場中を駆けた。

 それまで買い物を楽しんでいた人々は驚き、きょろきょろと辺りを窺っている。フィアセルもカークも、きょとんと声のする方に顔を向けた。

 三軒ほど向こうの店先で、ガタイのいい若い男が小さな男の子の襟首を引っつかんでいる姿が目に飛び込んでくる。

 子供はバタバタともがきながらも、負けじと男を睨み据えていた。

「万引きとはいい度胸じゃないか、小僧」

「……水の花(リオニア)は売り物じゃない! レジス様を信仰する敬虔な信者だけが持てる聖なる護りなんだ。それを!」

 毅然と叫ぶ少年と、その近くでおろおろしている母親らしき女性。

「あれ? あの子、昨日の……」

 フィアセルはカークと目を見あわせた。

 あれは確かに、昨夜食事処でカークと自分に対して怒ったレジス=クルセイド皇国の少年だった。なんとも奇妙な縁があるらしい。

「だからって勝手に持って行って良い法はないだろうが」

 若い男は少年の抗議に心打たれたふうもなく吐き捨てるように言い、憎々しげに子供を睨みすえている。

「す、すみません。この子にはよく言って聞かせますから。……信仰のことになると見境がなくて……だから放してください。……お願いします」

 母親らしき女性は逃げ腰でおろおろとしながら頭を下げた。

 そういえば、昨日もこの女性は何もせず、ただおろおろしているだけだった。

 フィアセルは呆れたように彼女を見やった。母親なら、もっと他にやりようが在るだろうに。あんな態度では何も変わらないと思うのだ。

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