第二章 三話
「あーっ、もう信じらんない」
フィアセルは眉を逆立てるように叫びながら、自分とは対照的に、大きく伸びをしながらのんびりと付いてくる金髪の少年を睨みつけた。
「なーにが国家の存亡よ。人が珍しく真剣になったっていうのに」
どうやってもこの腹立たしさが収まらないとばかりに、フィアセルはだんっと足を踏み鳴らした。
「何、国家の存亡って?」
「関係ないの、あんたには!」
少年がのんき顔で口を挟んできたことが腹立たしいというように、彼女は頬をふくらませたまま言いたい放題に雑言を吐き捨てる。
自分が今こんなにも腹立たしいのはすべてシルクスと、そしてあの大馬鹿者なロンのせいなのだ。
その顔を思い出すだけで、腹が立つことこの上ない。
「まったく、とんでもない王様なんだから」
フィアセルはもう一度大きく足を踏み鳴らした。
憧れのティスリーヴが審議の間から立ち去ったあと、フィアセルは自分が招かれた理由を聞くことになった。
もちろん、暑いさなかをわざわざ王都くんだりまでやって来たのだから、それに否応はない。けれども、その後が問題なのだった。
司祭である自分が呼ばれたのは、ゼルトゥの館と呼ばれるあの建物から消え失せてしまった宝珠に深い関りがあるのだと、その時シルクスは静かに語ったものだ。
その宝珠は『フォンシュ・シンキ』と名付けられ、その存在は神代からの伝承として、代々セルトの国王家に伝えられきた。
しかし所詮は架空の話であり、実際に存在するなんて思う者は誰ひとりとしていなかった。
もちろん、シルクスとて例外ではない。
けれどもそんな伝承上の宝珠を、あろうことかシルクスは都市開発を進める街の地下で、偶然発掘してしまったのだった。
最初はただの宝石だと思っていたシルクスだが、調べていくにつれて、これは紛れもなくフォンシュ・シンキなのだと結論を出さざるを得なかった。
そうなれば、到底自分の手に負えるものではない。
この宝珠は意志を持っていると言われ、場合によってはセルト王国を一瞬にして壊滅させることが出来るくらい、凄まじい力を持った代物なのだという。
だからこそ無信心者として知られているシルクスは、熟考したうえで己の信念を抑え、優秀な神官をフォン=ティエン神殿から借り受けるために、ロンをファーラント・ビューロに派遣したということだった。
フィアセルにしてみれば、大司教ロイルの力を借りればいいのにと思いもしたが、そうは行かない理由がシルクスにもあるのだろう。
シルクスは、宝珠についてそれ以上の説明を一切語らなかった。
ただ、存在自体が危険なので出来ることならば破却したい。それが無理なら封印し、再び地中深くに沈めたかったのだと、王は語った。
その宝珠が消失してしまったのだから、探さなくてはならない。
しかしまだ準備が整っていないので、いったんファーラント・ビューロに帰るようにと、フィアセルはそう言われたのだ。
捜索が始まる際は改めて迎えに行くからと、あっさりとそう言われて、フィアセルは不本意ながらこうして帰路に就いているのである。
シルクスの話がどこまでが本当なのかは眉唾ものだと、フィアセルは内心で悪態をついた。
意志を持つ宝珠だなんて馬鹿げた話だ。ましてや珠ひとつで国が滅ぶなんて、どうして信じられようか?
もちろんその話をシルクスから聞かされた時は、フィアセルだって殊勝にも『行方を捜すのにどんな協力でもしよう』と意気込んだのだ。
それなのに普段とまったく変わりなく平穏な空気が国中に流れ、ましてや王宮内でもあわただしい動きは一切ない。
仮にもしシルクスの話が本当だったとしたら、もっと大騒ぎになるはずだと思うのに。それで信じろという方が無理な話だった。
「ロンもロンだよね。『僕は体力がもたないので、帰りは送りません』ってどういうこと? 信じらんないわよ」
その代わり信用できる人物に送ってもらうから。
そう言ってロンが連れてきたのが、カルアーク・フェニックス。食事処でフィアセルのプリンを食べたあの少年だった。
「僕は昨日の疲労がまだ取れていないので、申し訳ありませんが君のことは彼に任せます。道中、気を付けてお帰りくださいね。また置き引きにやられたりして、帰路も歩きなんてことのないように」
などと、にーっこり笑って言ったのだ。まったき笑顔で嫌味を言うとは、性格が悪いにもほどがある。
あの暑さの中を半日も歩き続けたのは私だって同じだ。そう思わないでもなかったけれど、まったく疲れていない自分の元気さが呪わしい。
「なに怒ってんのさあ。そんなにロンに送って欲しかったのか?」
彼女の悪口雑言に辟易したカークは、困ったように金色の頭髪を無造作にかいた。
いちおう街の門までは見送りに来たロンが、さっさと挨拶を済ませて帰っていったあとから、ずっとフィアセルはこの調子なのだ。
「じょ、冗談じゃないわよ! あんな体力無しの嫌味男が一緒に居たら、息が詰まっちゃうでしょ。変なこと言わないでよね!」
とんでもない勘違いを言う少年に、フィアセルはぎんっと目を怒らせて反論する。
「そんな、つんけんされても困るよお。俺だって、訳も分からずセルを送ることになってたんだから。まあ、ロンに頼まれちゃイヤとは言えないけどさ」
勝手に人の名前を『セル』などと簡略して、カークは苦笑するような、けれどもどこか無邪気な笑顔を浮かべて肩をすくめて見せた。
「…………」
フィアセルはちらりとカークを一瞥し、軽く吐息を漏らした。
確かに、彼も被害者のようなものかもしれない。そう思うと、今までカークに投げた悪口雑言が申し訳なくなってくる。
「……ごめん。八つ当たりだったよね」
「ははっ。いいって。確かにあのロンの言いようじゃあ、セルが怒っても仕方ないもんなぁ。でもまあ、俺は無料でファーラント・ビューロ観光が出来ると思えば、得した気分にもなるしなっ」
カークはぺろりと舌を出して笑った。
どんなことでも、マイナス思考ではなく明るい方向へと考える性格らしい。
大らかそうな顔で嫌味を言ってくる誰かさんとは大違いだと、フィアセルはくすりと笑った。
「ねえ、カーク。このまま真っ直ぐに帰るのも癪だから、寄り道して行かない? 王様が船代だってくれたお金、いっぱいあったし。チケット代を除いて全部使っちゃおうよ」
フィアセルはシルクスやロンへの腹立ちをそれで帳消しにしようと言わんばかりに、とんでもない提案をする。
これが神に仕える司祭の思考だとは、呆れ返るばかりだ。
一緒に居たのがロンだったなら即座に大反対されて、嫌味の一つや二つ……十や二十は言われたに違いない。
しかし幸いと言っていいものかどうか。ここにいるのはカークだった。
「別にいいよ。どうせ、暇だし」
カークは事もなげに同意してみせる。
「じゃあ決まりね。さっき、街の人が話してたんだ。今日はモルトン川の方でマーケットが開かれてるんだって。異国のものがたくさん並んでるらしいし、すっごい楽しそうじゃない?」
湖の船着き場に向かっていた足をくるりと方向転換して、フィアセルはにこにこにこと満面の笑顔を浮かべた。
大陸を渡り歩いている隊商たちが年に幾度か、王都クレスセルトの周辺でマーケットを開くことがあった。そこでは珍しい品々や綺麗な装飾品など多くの買い物が出来るのだという。
フィアセルはその様子を考えるだけで嬉しくなった。
神殿に居る時は、いくら自由とはいえ今度のような特別なことでもない限りはなかなか街の外には出られない。
だから、今まで行きたいと思いつつも訪れる機会が無かったのだ。
「マーケットは初めてか?」
「うん。話には聞いていたんだけどねえ」
「よし。じゃあ行こう。何か欲しいもんあったら、俺が値切ってやる」
買ってやる、と言えない懐具合が哀しい気もするが、ないものは仕方ない。カークはそれでも任せろとばかりに胸を張った。




