第十一話
「……?」
その表情の変化に気付いたロンは、何に驚いたのか問いかけようと、黒髪の青年の方に一歩足を踏み込んだ。
しかし、それを遮るようにフィアセルが目の前に立ちはだかった。
「ねえ、ロン。これ何本に見える?」
いきなりフィアセルは自分の右手を指し示し、ロンの反応をうかがうように声をかけてきた。
その表情は、何故だかとてもワクワクと楽しそうに見える。
「……何の冗談です?」
訝しげに眉をひそめ、ロンは訳のわからない行動をとる神官娘に視線を向けた。まったくもって、彼女のすることの意味がつかめない。
「いいから、これ何本?」
そそそそーと、二メートルほどロンから離れ、彼女は答えを急かす。
「……二本でしょう?」
「なあんだ。見えるのか」
あっさりロンが応えると、フィアセルはがっかりしたように、なげやりに椅子に腰掛けた。
「あのおっきな眼鏡掛け忘れてるから、教えてあげようと思ったのに」
こんなに朝早く呼び出されたから慌てて眼鏡をかけ忘れでもしたのか、裸眼である彼には物が殆ど見えないに違いないと思っていたのだ。
「……別に、視力は悪くないですよ。あの眼鏡のレンズに度は入ってないんです」
ロンは軽く腕を組み、嘆息した。
どうして昨日から、こうも自分の眼鏡について話題になるのか不思議だった。今まであまり言われたことも無かったのに。
「なんだ、つまんない。でも、じゃあなんでかける必要があるの? あんなデザインの眼鏡だからオシャレでかけてるとは思えないし……あっ!! 分かった。その女顔を隠すためでしょ」
フィアセルはきゃらきゃらと楽しげに笑った。
昨日は眼鏡のせいで気が付かなかったけれど、こうしてよく見てみれば彼は少女のように綺麗に整った顔立ちをしていた。
「綺麗なものを隠すこともないのに」
神懸かり的な美しさを持つ"ティスリーヴ様"と比べれば足元にも及ばないけれど……などと可笑しそうに笑って、フィアセルは一人で大いに納得している。
「あのねえ、そういう問題じゃないの! ……もう、陛下と同じようなこと言わないでくださいよ、疲れるから」
ロンはげんなりしたように、天を仰いだ。
女顔と言われるのを気にしていないといえば嘘になるが、理由はそれだけではない。
たまに眼鏡を外すのはいいけれど、ずっと掛けないでいると……素顔や瞳をさらしているのは何故だか気分が落ち着かないのだ。
その理由は、自分自身でも分からなかった。
「ほう。私と会話すると疲れるのか、ロンは。残念だ。実に哀しい。私は心のオアシスと思って楽しんでいたというのに」
「うわあっ!」
いきなり背後で声がして、ロンは飛び上がった。
「へ、陛下!?」
いつもなら王の気配にはかなり敏感に気が付くのに、今日はまったく気が付かなかった。フィアセルと居ると、どうもペースが乱されるようだとロンは苦々しく思った。
「いや、哀しいものだな。報われぬ想いというものは」
演技なのだろうが、ひどく哀しげに俯くあたりシルクスも大概お茶目である。
「僕は陛下と話すと疲れるのではなくて、フィアセルさんと話すのが疲れるって言ったんです! とくに眼鏡のことは説明するのが面倒くさいんです」
妙に力を入れて弁解するロンに、フィアセルは口を尖らせ、シルクスは愉快そうに大きな声で笑った。
「まあ、そうだということにしてやろう」
シルクスはにやりと笑い、胸ポケットからロンの大きな眼鏡を取り出した。
昨夜自分が眼鏡を取り上げたので、今日は無粋な遮蔽物が無くロンの素顔が曝け出されている。それが、何となく楽しい。
「まあ、かけているのを取る楽しみがあると思えば、それも良い。眼鏡を没収したくらいで嫌われたら、割に合わんからな」
わざと意味深な口調でささやくと、シルクスは豪快に笑いながら、ロンにぽんっと眼鏡をかけてやった。
「それに、他人には見せたくない気もするしな。一人占めだ」
「な……なに冗談言ってるんですか、陛下! それより僕が呼ばれた理由は何です? いくら僕でも、理由がこれだけなら怒りますよ、こんな朝早くから」
ロンはいくぶん不満そうに、シルクスを見上げた。
まだ朝食も取っていないし義理の母にはたくさんの心配をかけてしまったのだ。
「申し訳ありません、ロン様。私の不祥事でロン様までこんな早朝にお呼び立てすることになっちゃって」
ラルスは本当に申し分けなさそうに頭を下げた。自分たちがしっかり見張っていれば、こんなことにはならなかったのだ。
「ラルスさんの? ああ、気にしないでください。僕はもうとっくに起きていましたから」
恐縮したように身を縮める髭の衛兵に、にこりとロンは笑った。起きていなければ、いくら呼ばれたからと言ってこうも早くやって来れるはずがない。
「理由があるのなら、それでいいんです。陛下ならただのお遊びでも呼びかねないと思ったので釘を刺しただけですから」
「……人聞きの悪いことを言うな、ロン」
「だって、前にも似たようなことあったじゃないですか」
ロンはきっぱりと言い放ち、シルクスは苦笑した。
このロンは穏やかそうな外見をしているくせに、こうはっきりと言葉を投げつけてくるから楽しいのだと、いつもシルクスは思う。
変に卑屈に臣下臣下している人間よりも、言いたいことをずばり言ってのける人間の方がシルクスは遥かに好きだった。
「……じゃあ、遊びはここまでにして、そろそろ本題に入ろうかな」
シルクスは自分に雲行きが怪しくなってきたので、こほんと咳払いをして話題を変えることにした。
「実はなロン、城に泥棒が入ったらしいのだ。そしてフォンシュ・シンキと呼ばれる宝珠が姿を消した」
まったく事の重大さをうかがわせない軽い口調で、賢王は審議の間にいる四人を見廻した。
あまりに軽快な王の口調に、緊張していたラルスでさえ、もしかしたらあそこに在った物はたいした物ではなかったのかもしれないと気が抜けたほどだ。
「その場に居たのが、彼らだというわけだ」
ぴたりと吸い付くようにティスリーヴの前で一瞬視線を止め、そしてシルクスは再びロンに向きなおる。
「ちょっ、陛下。何をそんな呑気に!」
フォンシュ・シンキという物がどういった物なのかは知らなかったけれど、王宮に泥棒が入ったというだけでも緊迫するべきなのだ。何でこんなに和やかに話していられるのか、シルクスという人間は計り知れない。
「いや、なに。あれが無くなったところで大した事は……あるんだがな。あんまり大袈裟に言うとラルスが恐縮しすぎて石像になってしまうだろう? ロン。ここは王者の度量というやつでな」
賢王と呼ばれるシルクスだが、政務中はともかく普段はどこか悪戯少年のような趣があった。そのせいか、今年四十三歳になるというのに、それよりも十歳は若く見える。
「……確かにそうかもしれないですけど」
大きな身体を縮こまらせて、ちょんと椅子に座っている髭の衛兵を見やり、ロンは浅い息をついた。
忠実な髭の衛兵はこの不祥事に強く責任を感じているらしい。見張り番だった彼に責任が無いわけはないし、責任を感じるのは当然のことだ。
けれども、余りにしゅんとした様子に気の毒だと思わずにはいられない。
「ははは。失くなったのなら捜せばいい。盗られたのなら取り戻せばいい。それだけのことだ。そう気に病んで落ち込むな、ラルス」
シルクスは快活に笑い、石像と化している衛兵の肩を強く叩いた。




