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森は静かな幻想迷宮  作者: 風祭
第一章 『風の国セルト』
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第十話

 見鬼(けんき)の間と呼ばれる小さな部屋で、王は目を閉じて座っていた。

 他の部屋は緋色や紫紺など色鮮やかな絨毯が敷かれ、部屋全体も華やかな装飾が施されているというのに、ここだけは鴉の翼のような黒い絨毯が敷かれている。

 黒曜石で造られた荘厳なテーブルも、艶々とその漆黒の輝きを放っていた。

 ここにあるすべての調度品が黒一色で統一されているのである。王が座る椅子もまた、やはり黒い皮でおおわれていた。

 朝だというのに窓には黒いカーテンがひかれ、少しの光も入っては来ない。

 まるで、この部屋に存在するものすべてが影なのではないかという錯覚を覚えるほどだ。

 そのせいか、王の緋色のマントだけが異様なほどに浮いて見えた。

「……ふん。宝珠が失せたな」

 王は目を閉じたまま一人ごち、そしてゆっくりと立ち上がる。それと、慌てた侍従が見鬼の間に飛び込んで来たのは、ほぼ同時だった。

「陛下!! ゼルトゥの館に侵入者あり、例の物は紛失との報告が衛兵からありました。ただし、侵入者は確保しているとのことです」

「わかった。すぐに行く。……お前は、()()を呼んでこい」

「御意」

 短い返答を残し立ち去った侍従をよそに、王はゆっくりと天を仰ぎ、そしておおきく息を吐きだした。

「これは偶然か? それともやはり……」

 まるで誰かに問い掛けるような独り言をもらしながら、胸ポケットに入れた"眼鏡"に長い指でそっと触れる。

 けれどもすぐにそんな自分自身の行為を振り切るよう強く頭を振り、シルクスは律とした足取りで見鬼の間を後にした。

 王がいなくなり本当に黒一色となった見鬼の間には、鈴音のような、童女の笑い声のような、奇妙な音色だけが微かに鳴り響いていた。



「ロン、朝食は取らないのですか?」

 柔らかな女性の声が、廊下を必死に走る少年の背中に降りかかる。

「あ……ごめんなさいミリアさん。食べてる時間はないんです」

 急いでいるだろうに、わざわざ足を止め振り返って応えてくれたロンに、ミリアはくすりと笑った。

 律義というか、優しいというか。とても良い子に育ってくれたと思う。

 けれど、いまだに自分を母と呼んでくれないことは、慣れていることとはいえ少し淋しかった。

 ミリアはロンの義理の母親だった。幼くして病気で母を亡くした息子を不憫に思った父親が、ロンが七歳の時に迎えた後妻だ。

 ツィムス家はロンの父親シンリィの功によって、当代から華族に叙せられたが、彼らの生活は一般庶民とあまり大きくは変わらない。

 ロンの母が亡くなった時点で、他の華族のように乳母に育てさせろという意見もしばしば出されたけれど、シンリィにそのつもりはなく、新たに妻を迎え自分たちで息子を育てようとしたのである。

 とはいっても、ちょうどその頃シルクスが国王として即位した為、外交官だったロンの父は多忙を極めほとんど本国には居らず、ましてや今は最友好国ヴォードに滞在している為、結局はミリア一人でロンを育ててきた。

 ロンはすぐに彼女に懐いたし、ミリアもたくさんの愛情をロンに注ぎ、一ヶ月も経たないうちに仲睦まじい家族になっていた。

 それでもロンは十年間ただの一度も、ミリアのことを「母」と呼んだことはなかったのだ。

「じゃあミリアさん、行って来ます」

「いってらっしゃい」

 笑顔で挨拶をすると、ロンはくるりと身をひるがえし扉を開けて走って行く。

「…………」

 息子の白い大きな外套が扉の向こうに消えていくのを見やりながら、ミリアは深く溜息を吐いた。

 昨夜は夜遅くにぐったり疲れた顔で帰宅した。そして今朝は、まだ日が昇ったばかりだというのに王宮から登城を促す急使が来たのだ。

 まだ十七歳という若さにも関らず、国の中枢に座を置いてしまっている息子が哀れに思う。

 どうして賢王の誉れ高いシルクスが、あんなにも年若な少年の力を必要とするのか、それがミリアは不思議だった。

 ロンが学者として宮仕えするようになったのは、三年前……十四歳の時からだ。

 にもかかわらずシルクスは誰よりもロンの意見を尊重したし、何か事があると真先にロンに話を持ち掛けた。

 そして年若いロンが、学者たちを取りまとめる主任の一人になった時は、王のその寵愛ぶりに良くない噂もたくさん出た。

 国王が何らかの対処をしたのか、それともロンの性質ゆえなのか。いつしかそんな噂はほとんど聞かれなくなってはいたけれど ―― 。

「まあ、あの子も好きでやっているようだから良いのだけれど……」

 門の前で待機していた使者に馬車に乗せられ、城に向かってゆくロンの姿を窓辺で見やりながら、ミリアはもう一度「行ってらっしゃい」と呟いた。



「……今度は、何をやったんです? フィアセルさん」

 審議の間にいるフィアセルの姿を見た時、ロンはがっくりと肩を落とした。

 問題が起こったとだけ聞いて駆けつけたのだが、やはり彼女かという思いがある。昨日から、自分はフィアセルに振り回されてばかりなのだ。

「あのねえ、それってちょっとひどいんじゃない? 私は何もしてないわよっ」

 フィアセルは憤慨したように少年を睨み据えた。

 別に今回は自分が何かしたわけではないのだ。そんなふうに言われる覚えはない。まして「今度は」と言われるほど、ロンに何かした覚えも無かった。

「…………」

 ロンは呆れたように天を仰ぎ、わざとらしい溜息をついた。

 フィアセルは昨夜わかれたときと同じ部屋着のままだ。そんな格好のままで審議の間にいる少女の言葉のどこに、信憑性があるというのだろうか。

「じゃあ、なんでここにいるんです?」

「ティスリーヴ様がいるからよ」

 あっけらかんと、フィアセルは応えた。

 その声に部屋の中を見てみれば、なるほど確かに他にふたりの人間がいた。

 一人は良く見知った衛兵のラルス。そしてもう一人は、見たことのない青年だった。

 緊張した面持ちのラルスとは対照的に、その青年は窓枠に腰掛けて楽しそうに外の鳥などを眺めている。

 これがいったいどういう集まりなのか。そしてなぜ自分が呼ばれたのか。ロンにはさっぱり掴めなかった。

「……あの人のことですか?」

「そうよ。昨日言ったでしょ、麗しのティスリーヴ様」

 夢色全開の表情で、フィアセルはうっとりと頷いた。

「……ふうん」

 確かに、これまでに見たこともないような美しい青年だと、ロンも思った。

 けれども、その雰囲気は"麗しい"と言うよりは、どこかお道化(どけ)たような印象だ。

「あれが噂の、ですか」

 荷物を置き引きにやられても気付かないほど素敵なのだと、彼女にそう言わしめた噂の大道芸人の美貌を、ロンは興味深そうにじっと眺めやった。

「うん?」

 ほけほけと楽しそうに外を眺めていたティスリーヴは、自分を見やるロンの視線に気付いたように、くるりと振り返った。

「 ―― っ!?」

 そのティスリーブの深朱の瞳が、こぼれんばかりに大きく見開かれた。

 信じられないものを見たように視線が揺れて、けれどもすぐに、もとの明るい微笑に戻る。

 それはほんの僅かな。ひとつ瞬きをするくらいの短い間におきた、表情の変化だった。

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