4/4節『異世界霊峰 富士山』
あるいは途方もないほどの大きな秘密だったかもしれない、世界の真実を得て。
それを、「まあ、そういうこともあるよね」で済ませた充。
だが――。
それでも、その真実は、彼の思考にちょっとした変革をもたらしていた。
「りゅーちゃん。私を担いで、今から日の出までに富士山に飛んでいけるかな?」
それは、唐突とも思える提案だった。
寝室の押入れを開け、日本へとやってきた竜の少女、“竜王”エンシェ。
その少女へ、君が心配することは何もないと告げた充であったが。
それだけで元の世界へ帰してしまうのも申し訳ない、と。
お茶とチョコレートを振る舞い、歓迎したところから、その事態は始まった。
ティータイムの最中。
充が、それまでに旅行先で撮影した写真画像を披露していたとき。
目を輝かせてそれを眺めていた少女が、富士山の写真を見つけ、声をあげた。
「これ、あのときの綺麗な山ですね」
その嬉しそうな声音に、充は先頃に少女と行った山梨旅行を思い出した。
雪化粧で白く染まった富士山を見て、あそこに登ってみたいと言う少女の姿。
雪のために富士山の五合目への道が閉鎖されており、Uターンをしたあの日。
当然、竜であるエンシェは行こうと思えば危険もなく行ける。
それこそ、車を担いででも空を飛んで行きたいと残念そうにしながらも。
きっと夏に登ろうという充との約束によって、素直に登頂を諦めた竜の少女。
それらをまざまざと思い出した充は。
気付けば日本地図を広げ、先の突発的な空の旅を提案していたのであった。
「はい、いけます」
ゆらゆらと揺らめかせる尻尾と翼で、言葉より先に快諾の意を表しながら。
エンシェはそれに、こくりと頷いた。
一度、海へ出て旋回しながら加速して、あとは真っ直ぐ――。
それだけの手順で日本最高峰へ到達できると、竜の少女は言い。
話はトントン拍子に進んだ。
「充お兄さんが目をまわさないよう、“身体強化”の他に感覚の強化もしておきます。感覚の強化は少し負担がかかりますが、“念話魔法”が使える充お兄さんなら大丈夫だと思いますので」
「OK。よろしく頼むよ」
エンシェが、充の手を取り。
突然の、全身を襲う反動もない浮遊感に、充はつい少女の小さな手を強く握り。
下を向けば、既に充の足は畳から浮いていた。
2階の窓から、ふわりと音もなく2つの影が夜の街の上空へと浮き上がる。
街にはちらほらと明かりの灯る家もあり、夜も寝ずに道行く人影もある。
だが、充たちは誰に見咎められることもなく。
糸の切れた風船のようにゆっくりと空へ舞い上がった。
見慣れた街並みを、見慣れぬ角度から見る、不思議な感覚。
街のミニチュア模型を眺める気分を充が味わい始めた頃。
「それでは、出発します!」
「よろしくお願いします!」
号令を一声。
前方に広がる黒々とした海へ向かい、その上空の更なる上へと向かい。
翼を開いた竜の少女は、猛烈な加速と共に一筋の弧を描く流星となった。
――今日を第二の出発の日としようと心に定めた充。
そんな彼の心情に訪れた、僅かな変化。
それは、彼が真面目だったゆえにこれまで自粛してきたことの解禁。
すなわちこの日。
この世界が迷宮の中だというのなら、少しくらいはファンタジックなことを日本でやってしまってもよいだろう――そんな、彼の新しい旅行スタイルの始まりを招いたのであった。
「ああ! 地図で見覚えのある日本の形が見えるな!」
眼下には、地図で見たままの海岸線の形に明かりが灯る日本の姿。
飛行機でしか見られない景色を生身のままで眺め、充は歓声をあげた。
「本当に、一晩中、明かりが灯っているのですね。それも、こんなに沢山……」
エンシェも、一直線に前へと飛びながら、感動の言葉を口にする。
あたりに漂う雲の間を凄まじい速度で進む空の旅。
青黒い夜空に、樹氷のように屹立する雲の林を翔け抜ける。
足元では、日本の山々の頂が次々に流れては去っていく。
地上を走る車など目でもない速度で飛行しながらも。
充は風圧を感じるでもなく、風の音に悩まされるでもなく。
自分の手を握り空を翔ける少女と平然と会話もできる快適さに感心していた。
これも魔法の賜物なのだろうが、いったいどうなっているのだろうか。
“拾得魔法”を応用して静かに飛びます、とエンシェは言っていたが。
例えば、前方の空気を魔法空間に取り込んでは後方に送り出す、など。
そのような手段で空気抵抗をゼロに近づけているのか。
発想としては、内部を真空にしたチューブの中を走る、「真空チューブ列車」と似たものだろうか。
あれもいよいよ、海外では似たものの試運転に成功して、そろそろ商業化の噂もあるけれど。
あまりの静音飛行に、充が意識を傾けていたとき。
「充お兄さん! 見えました。あれが富士山、ですよね?」
エンシェの弾む声が頭上で響いた。
「早っ!?」
まだ明らかに10分も経っていないのに――驚き慌てて、充が前方を確認する。
そこには確かに、星明かりに青白く浮かぶ霊峰の威容があった。
日本を知る者に対してであれば、「言わずと知れた」の形容が最も相応しい場所と表現してもおかしくはないであろう、日本の最高峰、霊峰富士。
芙蓉峰とも称されるその姿は、美しく広がる裾野、他を圧倒する大きさでもって、遠く眺める者たちを魅了する雄大なものである。
また、実際に登山をする場合でも、高さ3776mある山の五合目、2300m付近までは車でアクセスが可能であり、多くの人が一泊二日のスケジュールで休憩しながら登頂できるよう、観光客の多い登山道では五合目から八合目の間に多数の山小屋が用意され、登山者を助ける設備が整えられている。
毎年、その設備に助けられながら老若男女が登頂し、登山道に行列のような人の列ができる盛況ぶりを見せる場所である。
ただし、子供から老人まで登っているからといって、気軽に登れる山かというと、まったくもってそんなことはない。
最低限の登山用品は勿論、かなりの時間と体力を消費しなければ山頂に辿り着けない、険しい場所でもある。
山頂の気温は真夏でも一桁。
吹きつける風は猛烈なもので、それが更に体感気温を下げる。
なにせ雲と同じ高さまで峰が伸びているだけに、数秒前まで晴れていようと雨雲に体当たりされれば土砂降りの大雨、下手をすると落雷が真横に走る地獄絵図となり、命にかかわる。
空気も薄く、五合目の時点で軽く階段を往復してみれば、妙に息切れが早いとすぐに分かり、平地とは比較にならないほど体力の消耗が激しい。
ついでに、女性のお肌の天敵である日焼けも非常にしやすいため要注意。
そんな場所である。
登山者の数と登山の危険性の高さについて、かつて充がミヤにした例え話が「山小屋が大量にあるから登山初心者でもなんとか登山できるだけで、山そのものはかなり過酷な場所」である。
ミヤは神妙な面持ちで、「やはり罠の質の高い迷宮でも、セーブポイントを多く用意することで、多くの来訪者を見込めるわけですね」と、自分の仕事に関連する知識と関連づけて頷いていたものだが――。
「充お兄さん、山肌に明かりが……ギザギザと列になって動いています」
「あれは山頂で日の出を見るために夜のうちに登っている人たちの明かりだよ」
足元には山頂までの道を浮き上がらせる、登山客のヘッドライトの列。
あの長大な登山道を、こうして生身で上空から見下ろす日が来ようとは。
寒さにも、空気の薄さにも、山道の長さにも苦しめられることなく。
こうもあっさりと富士山頂にアクセスできてしまうエンシェと、エンシェの扱う魔法の力の凄さを再認識しながら、充は眼下を眺めた。
富士山上空を大きく旋回しながら高度と速度を落とし、徐々に山頂へと近づき。
やがて、充の足がしっかりと富士山頂の土を踏んだ。
周囲を見た限り、場所は、伊豆ヶ岳と呼ばれるあたり。
日の出直前の東の空を目の前にして。
充とエンシェは富士山の特徴ともいえる赤い土の上に並んで立っていた。
「遠くから見ると、青色と白色の山でしたけれど、こうして近くで見ると、富士山というのは、赤い山なのですね」
「そうだねぇ。富士山の土はとにかく赤くて、登ると服から靴まで赤い砂まみれになるのがお決まりだよ」
太陽が現れるまでの時間、2人は雑談をして過ごした。
「午前3時くらいに山頂に着いちゃうと、山小屋が開くまでの時間がとにかく寒くて大変でね……自動販売機で温かい飲み物を買っても、プルタブを開けるために手袋を外して、缶を開けるまでのほんの少しの間に指先がかじかむくらいで……」
「かじかむ……」
「あ、りゅーちゃんはもしかして、かじかむって感覚が分からないのか」
人間にとって、富士山の環境がいかに過酷であるか。
薄い空気、寒さ、突風、雷雨。
それらを実体験を元に、苦笑いしながら充は紹介する。
「でも、ついまた富士山に登りに来ちゃうんだ。私は」
それでも、自分はこの山に登ってしまうという充に。
エンシェは、不思議そうに首を傾げる。
「その理由が――見てみて」
充は前を指差した。
その瞬間、充とエンシェの見つめる先、東の空から太陽の光が溢れ出した。
山小屋のあたりから、人々の歓声があがる。
富士山頂から拝む朝日――御来光である。
灰色にくすんでいた世界が、一気に色づく。
藍色、紫色、朱色に空が染まり、視界が開ける。
そこに見えるのは一面の雲海。
白く、綿のような薄雲が、どこまでも純白の世界を形作っている。
「わあ……」
「この景色があんまりにも好きで、だから辛くてもまた見たくなるんだ」
金色に輝く朝日がゆっくりと膨らみ、光が満ちた世界。
それは広く、高く、白く、そして綺麗。
複雑な形容など思い浮かばない、ただ圧倒的な自然の景色がそこにあった。
「辛いことや悩みごとがあるときは山登りとか旅行すれば良いって、日本ではよく聞く言葉なんだけど」
「はい」
太陽が姿を全て現し、まぶしくて直視できなくなった頃。
雲海の隙間から緑の大地が覗く様子も見え、すっかり朝模様の中。
充はエンシェに言った。
「山とか海とか、雄大な景色を見ると『自分の悩みなんてちっぽけなものだ』って感じるって言われるんだけど、私の場合はちょっと違ってね」
絶景を背にする竜の少女は、こくりと次の言葉を待つ。
「あんまり綺麗だったり凄かったりする景色を見ると、とにかくそれを見るのに精一杯になるんだ。凄い! 綺麗! 格好良い! って、感動するのに手一杯で、他のことが頭から抜け落ちちゃうって言うのかな。悩みだろうとなんだろうと、頭に思い浮かべる余裕もなくなるの」
悩みが頭から抜け落ちるのは本当にその一瞬だけだが。
だが、その一瞬が得られることが重要なのだ。
「後になるとすぐに悩みを思い出すんだけど、ただ旅行前と違って、どんなに深刻だと思っていた悩みでも『その悩みを忘れていた自分が1秒でも確かに存在した』って事実が、未来を明るい気分にさせてくれるんだ。『さっき自分は悩みを忘れられたんだから、また何かあればこの悩みも忘れられるさ』ってね」
だから、と充は笑う。
「私があっちこっち旅行している限り、どんな深刻そうな悩みがあっても、私は大丈夫だよ。だから、今日は心配して来てくれてありがとう。でも、安心して」
充が語った、彼なりの人生訓。
学生時代から今に至るまで、旅行を趣味としてきて得た知見。
それを聞いて、エンシェは翼を揺すり、驚きの声をあげた。
「充お兄さん……それを伝えるために、わたしと富士山まで……?」
「うん、まあ、そうだね」
充からの、突然の富士登山の提案――その真意を理解して。
ありがとうございます、と少女は頭を下げた。
「本当に、本当に言葉を忘れるような、素敵な景色を見られました」
嬉しそうにゆらゆらと揺れる少女の尻尾を見ながら。
どういたしまして、と充も軽く頭を下げた。
そして――。
「せっかく来たんだし、お鉢めぐりしていこうか」
「はい! よろしくお願いします、充お兄さん!」
それじゃあ、と再び気合を入れた充たちは。
それから、街着のままの青年と有角、有翼の少女という、富士山頂で見るにはあまりに場違いな姿の2人は仲良く連れ立ち。
日本最高峰をぐるりと巡る、散歩に出たのであった。
エンシェはとても楽しそうに。
充もまた、楽しそうに。
ただし、彼の場合はその頭の中で、ちょっとした寸劇を繰り広げながら――。
『だから、ミヤさん。安心してね。さっきの言葉は殆どミヤさん宛だから』
『――っ!? ば、バレていました? 僕も一緒だったって』
『姿は見えないけど、まあ、最初からりゅーちゃんについて来ているだろうなってことは分かってたよ。ジーンの言葉を守るりゅーちゃんの意思を尊重して、こっそり見守っているんだろうなぁって』
『あ、あの、後で充さんには同行していたことをそっとお伝えするつもりだったんですが……と言いますか、なんで僕がいるって分かったんです?』
『だって、私のことをあれだけ心配するミヤさんが、ひとりでこっちに行くりゅーちゃんを放っておくわけがないでしょ』
『言われてみれば、確かに……!』
『心配性だねぇミヤさんも』
『あの、なんだか恐縮です……』
『でも』
『はい』
『ありがとう』
『そんな、あの、はい……どういたしまして、です』
そして、この日。
世界の真実を得た充と、魔女ミヤとの間に。
『充さん』
『うん? なに?』
『改めて、充さんにお願いしたいことがあります。迷宮造りのための取材旅行は、もう、おしまいですから』
『ああ、そっかぁ。迷宮も完成だもんね』
『それで、充さんからすれば、聞かれるまでもないことって、笑って言われることかもしれませんが……』
『いいよ、言ってみて』
『では……充さん』
『うん』
『これからは、僕と一緒に、この世界を救う旅をしてもらえませんか?』
『――もちろん。喜んで!』
新たな契約が結ばれたのであった。
「広くて、青空がいっぱいで、清々しいですね。充お兄さん」
「だね! こんなに体力たっぷりで山頂に居られると走りまわりたくなるよ」
『あの……遅まきながら、さっきの御来光、本当に素晴らしかったです!』
「うん、御来光も綺麗だったし、やっぱり山は爽快だなぁ!」
* 子供心の疑問の答え 了 *
次回、『第5章 ~旅の軌跡~』に続く
※富士山……いわずと知れた日本最高峰の山。世界文化遺産としても登録されている。巨大な独立峰のため、美しい山体を誇る。登山シーズンの夏季には多くの登山客が訪れる観光地としても有名。麓から登る登山道もありはするが、五合目(静岡県側、山梨県側併せて4つの登山道がある)まで車でアクセスし、そこから登るのが基本的登山スタイル。(県名は50音順に列記)
※真空チューブ列車……SF作品の街並みで頻繁に見かける、チューブの中を走る乗り物。チューブの中を真空にすることで空気抵抗を無くし、いわゆる低燃費での高速移動を実現する仕組みである。日本の存在する世界では、減圧されたチューブ内を走行する乗り物についてはテスト走行も行われ、実現間近といわれている。
※御来光……山の上で見る日の出の異称。富士山ではこの御来光を見ることを目的とした登山客が多く、七~八合目の山小屋で夕方に寝て、深夜にそこから山頂を目指す人のヘッドライトの明かりは、遠く山裾の街からも眺められる。
※お鉢めぐり……富士山の山頂にある火口の周囲をぐるりと一周すること。歩いて一時間以上は掛かり、富士山の大きさ、広さが実感できる。




