2/4節『名翻訳をありがとう』
「そういえば、りゅーちゃんには、もう作戦は伝えているんでしょ?」
「はい。話し合った内容をまとめて“念話魔法”で伝えてありますよ」
「りゅーちゃんの反応はどんな感じ?」
「やっぱり、悩んでいますねぇ……どうぞ、お茶です」
「ありがとう。まぁ、そうだろうねぇ……」
ジーンが“水の国”に帰り、日本は深夜になろうという時間帯。
いつもならば既に帰宅している時間だが。
今日に限って、充はのんびりと図書館で過ごしていた。
ミヤは、かいがいしくお茶を淹れたり、ゲームの話をしたり。
はたまた、これまで充がこなしたバイトの話などをして、充をもてなしていた。
充の様子から、これはおそらく聞き辛いことを聞こうとしているのだろう、と。
そう察しての配慮であった。
「初めてこの世界に来て、初めてやったバイトが迷宮造りの手伝いだったね」
「そうでしたね。僕が充さんを魔法使いだと勘違いして……」
「私が年明けに、日本の観光旅行にミヤさんを誘ったっけ」
「山梨県は、洞窟も花火も池も、どれも楽しかったです」
「それからも色んなところを観てまわったよねぇ」
「僕も、主人も、いつも感謝しています」
“石の国”と“水の国”、2つの星で働いてきた日々について。
日本を巡り、美観と美食と、ときに奇景と奇食とを満喫してきたこと。
ひとしきり、2人で笑い合った後。
ミヤは、思い切って自分から切り出そうと、口を開いた。
「それで、話したいことというのはなんでしょうか?」
「ああ、そうだった。うん……前から、ずっと言おうと思っていたことがあって」
水を向けられた充は、額に手を当て、はたまた顎に手を当て。
暫く、言いあぐねている様子であった。
だが、やがて決心をしたように頷くと。
「ここ最近、私がこれからもずっと、このミヤさんたちが住む世界と関わっていくなら、ちゃんと向き合っておかなきゃならないなって思うことがあって……それを、話そうと思ったんだ。延期になっちゃったけど、新迷宮の基礎工事完成記念に、今日を第二の出発の日にしようって決めてたからさ」
彼はミヤの顔を正面から見つめた。
「え、ええと、なんでしょう……? そんな改まってされる話といいますと……? 身体と中身の性別が一致していないって話とか、愛さえあれば性別なんてって話とか……あるいはジーンさん推薦の“水の国”に永住するかって話とか、冒険者を始める年齢の話とか……充さんと僕とでお話したことで重い内容といえば、この辺ですか……?」
「そうやって並べられると、10年来の親友かってくらいにミヤさんとは色んなことを語り合ってるって実感するねぇ。まだ出会って一年経ってないなんて信じられないや。うん……でも、その辺のことじゃなくて」
ミヤは緊張の面持ちで、その視線を受け止めた。
「ミヤさん」
「は、はい」
そして、充が放った言葉。
それはミヤについてでも、エンシェについてでもなく。
充の衣食住についてでも、将来についてでもなく。
あるいは、それら全ての基盤になる――。
「私の住む世界とこの世界とは異なる世界だって教えてくれたでしょ? 『異世界』って言葉を使って。その『異世界』っていうのは、なんなのかな?」
充が抱いていた、この世界の最大の疑問。
それは、そもそもこの世界の根本的な話。
すなわち、異世界とは何か、であった。
「それは……」
この問いに、ミヤの表情が強張るのを充は見逃さなかった。
彼女に質問する手順を踏みはしたが。
充の頭には既に、この疑問の答えについて、ひとつの予想があった。
彼女の反応は、その予想を裏付けるようなものであった。
「ミヤさん、やっぱり私に遠慮……というか配慮してくれているよね? きっと……『迷宮』と『異世界』って言葉のあたりで」
充は慎重に言葉を選び、問いの方向を変えた。
その口調には、細心の注意が払われていた。
だが、その充の言葉を聞いた瞬間。
ミヤは両肩をびくりと震わせ――そのまま頭を下げた。
すみません、と謝罪の言葉が、うなだれた黒髪の中から聞こえた。
「今日、ジーンさんと一緒だったときの会話の中で、充さんが『もう部外者じゃない』って言われたのを聞いたとき、ああ、もう充さんは気付いているのかなって、薄っすらと……思ってはいました」
「ミヤさん。そんな頭を下げないで!」
ミヤの態度から自分の予想が正しかったことを確信しながら。
充は、大慌てで言った。
「私は怒ってなんかいないし、むしろ、これまでミヤさんが私のことを心配して気を遣っていてくれたんだろうなって、その優しさに感謝しているくらいだから」
「ですが、僕は充さんを騙していたようなもので……」
縮こまるミヤに、恐れていた事態になってしまったなと充は思う。
今日、ここまで充が話を切り出すのに時間を掛けていたのも。
この話をすればミヤをこのような平謝り状態にさせてしまうのではないか、と。
それを危惧していたためである。
「ミヤさん、聞いて」
ここで大恩人に頭を下げさせ続けては、人間が廃る。
とにかく、自分はミヤに対して感謝しているだけなのだと。
どうにか安心してもらいたいと、充が語りかける。
「私は子供の頃から英雄譚や冒険譚が大好きで、岩に突き刺さった聖剣を抜いて英雄になったアーサー王伝説や、魔法の合言葉で盗賊の宝物庫に忍び込んだ男が大富豪になる千夜一夜物語や、たくさんの危機を仲間の妖怪たちと協力して乗り越える西遊記なんて本を、大喜びで読んでいたんだけど」
何の話が始まったのかと、ミヤは顔を上げた。
自分の正体が本であるからか。
本の名前が列挙されたことに親近感なり安心感なりを覚えたのか。
ともあれ、顔を上げてくれたことを幸いと、充は声に力を入れる。
「そんな私が子供の頃からずっと疑問に思っていたことがあったんだ。きっと、そういう冒険譚が好きな子供だったら誰でも疑問に思うだろうことなんだけどね」
潤んだ目で見つめてくるミヤに、充は柔らかく笑いかける。
「ミヤさんが私をこの世界に連れてきてくれたお陰で、その疑問の答えを知ることができたんだ。これは、どれだけ感謝しても足りないくらいに、ありがたいことだと思ってる。この世界に来られて、ミヤさんと出会えて、それだけでも本当に良かったと思ってるし……」
それ以上に。
「ミヤさんやりゅーちゃんと楽しい毎日を過ごせたことに、感謝している」
ありがとう――充は最後まで笑顔で言い切った。
どうかこれで、彼女の不安を取り払えれば良いのだが。
果たしてミヤは。
どういたしまして――と。
ようやく落ち着いたのか、なんとか言葉を返し。
そして、これ以上は充に心配をかけまいと、背筋を伸ばして微笑んだ。
それを見て、充も、ほっと力の抜けた笑い顔になった。
それからは、落ち着きを取り戻したミヤが温かいお茶を淹れ直し。
2人で改めての、深夜のティータイムが開催されることとなった。
「一番の切欠は、“帰らずの迷宮”で魔力切れの遺構を見たことだったかなぁ」
「充さんが迷宮の遺構を見たのは、あれが初ですもんね」
「まあ、そもそも色々と不思議に思ってはいたんだよね。異世界なんだったら、町にどうみても人間って種族が沢山住んでいるのも出来過ぎだなぁとか。異世界人というより、『海を渡って別の大陸の住民に出会った』くらいの感覚だよなぁとか。米っぽい食べ物や麦っぽい食べ物もあるし」
「“水の国”には迷宮以外にも、“古代の民”が持ち込んだ動植物が住み着いていますから」
充は、お茶を啜りながら、これで一安心とこれまで避けてきた話題を語り。
ミヤが、それにあれこれと補足や回答をする。
いつもの和やかな空気が、ミヤの書斎に戻っていた。
「あと、ミヤさんはいつも気軽にこの世界と日本を行き来しているのに、そんな気軽に行き来できる異世界が、なぜ私の世界で認識されていないんだろうとか。ミヤさん以外に私の世界を訪れる異世界人がいないのはなぜだろうとか。なぜ私だけ気軽に異世界を行き来しているんだろうとか」
異世界のことは法整備がされてなくて色々と困ってね、と充が笑う。
その言葉に、ミヤがばつの悪そうな顔で応える。
「“石の国”に、僕と主人しかいなくて、僕が、充さんをお誘いしているから……」
「うん。そう考えれば納得できるって思ってた。後は……ジーンに『結婚は置いておいても“水の国”へは移住するように』って言われて、本格的に意識するようになったかな」
充はつとめて明るく、自分が疑問を持つに至った経緯を語った。
「まだ短い付き合いだけど、あの人、他人の生き方にはなるべく干渉しない主義だろうなー、ただ一度関わっちゃうと凄い面倒見がいい人なんだろうなーって思っていたから……きっと、干渉するだけの理由があるんだろうなって」
「充さん……ジーンさんのことをよく見ていますね」
感心したように言うミヤに、まあそんなところかなと充は照れた声を返す。
そして、彼は小さく頷いた。
「――だから、ミヤさん!」
「はい! なんでしょうか?」
これくらいで前置きは充分だろう。
あらかじめ話しておきたいことも話し終えたところで。
充は再び姿勢を正してミヤを見つめる。
ミヤもまた、背筋を伸ばして正面から充の視線を受け止めた。
「私は今日、この世界と自分の世界について気になっていた最大の疑問にはっきりと決着をつけて、改めて全力でこの世界と付き合っていきたいと考えています!」
「は、はい! よろしくお願いします!」
充の改まった口調に、ミヤも勢い良く返事をする。
それから、僕がよろしくと言うのも変ですか、と頬を染めるミヤに、充も笑う。
本当に、この人と一緒だと、真剣な表情は長時間保たないらしい。
そう思いながら、充はその言葉を口にした。
「だからミヤさん。もう一度、聞き直します。どうか私の質問に答えてください」
「……はい! いつでもどうぞ!」
* * *
それは、夢見る子供らしい、本当に素朴な疑問だった。
その疑問があったからこそ、人生に根拠のない「期待感」を抱き。
その疑問があったからこそ、人生に尽きない「違和感」を覚えていた。
「ミヤさんは『迷宮』とか『ボス』とか『宝箱』とか、この世界の仕組みのことを、私にとって分かりやすい言葉に翻訳してくれていたよね」
「はい」
子供の頃から親しんできた、英雄譚や冒険譚。
どの時代にも、どの大陸でも、伝説や昔話には魔法の力がつきものである。
「ただ、“水の国”の町の名前は、もとの雰囲気を失わせないようにって、直訳っぽく教えてくれていたよね」
「はい。“終焉と始まりの町”や“天使を歓待した町”ですね」
妖精の加護を受ける騎士の物語。
ランプの魔神を従える王の物語。
妖怪と共に旅をする物語。
「ミヤさん」
「なんでしょうか」
「迷宮って言葉は、直訳するとどうなるのかな」
「そうですね……“古代の民の遺跡内における魔力方向異相物質空間”、でしょうか」
「長い」
「長いですね」
なぜ、伝説や昔話では沢山の魔法が世界を彩っていて。
なぜ、伝説や昔話では沢山の怪物や魔法使いが登場して。
なぜ、近頃は怪物にも魔法にも出会えないのだろうか。
全ての「期待感」と「違和感」の正体。
「ミヤさん」
「なんでしょうか」
「ミヤさんは、私の生まれ育った世界のことを、『異世界』と呼んでいたよね」
「……はい」
「そのとき使った異世界って言葉は、直訳するとどうなるのかな」
答えはもう、分かっていた。
「“古代の民の遺跡内における魔力方向異相物質空間”……です」
充はゆっくりと頷いた。
「私の生まれ育った日本は――私の住む世界は、“石の国”に造られて、とうの昔に魔力が枯れ果ててしまった迷宮だったんだね」
日本……1都1道2府43県の都道府県(地方公共団体)を持つ島国。人口約1億2700万人の巨大国家。“石の国”にある“主のいない迷宮”内に存在する。
主のいない迷宮……“石の国”に造られた超巨大迷宮。“水の国”側の認識では“最終迷宮”の一部にあたる。その規模は星を覆うほど。人と竜の戦争時に打ち捨てられ、以来、6000年以上放置され続けたため、既に魔力切れで外部と内部を繋ぐ出入り口は失われており、迷宮の遺構と呼ばれる状態にある。ここ数十年は、エンシェと出会うことで図書館の外へも意識を向けるようになったミヤにより、内部調査が進められている。




