1/4節『改めて、親愛なる異世界へ』
今日の充は、いつにも増して張り切っていた。
朝。
充は盛大な伸びと共に起床すると、ルーチンワークを開始した。
身体をほぐしながら寝室からダイニングキッチンへ移動。
電気ケトルのスイッチを入れると、そのまま洗面所へ。
顔を洗い、歯を磨き、ダイニングキッチンへ戻る。
既に沸いているお湯を急須へ注ぎ、お茶を飲んで頭に朝の号令をかける。
それら全てを終えた後。
今日の充は、いつも以上に気合を入れるよう。
湯気の立つコップを片手に、短く腹から声を出した。
「よし!」
今日は、週末。
毎週恒例、異世界バイトの日である。
それに加え、今回は。
ついに、基礎工事の終わった新生迷宮を見学に行く日でもある。
異世界の初仕事の、初成果の結実を見られる日。
正に、第二の出発の日に相応しい記念日といえるだろう。
気合も入るというものであった。
充は朝食を済ませ、シャワーを浴びて身だしなみを整え。
それから勇んで、寝室へと戻った。
8畳の畳敷きの部屋に入ると、ベッドや本棚の横を通り抜け。
押入れの襖に手をかけ、えいやと横へ滑らせる。
そこには、ずらりと並ぶ書架が奥の奥まで続く、ミヤの書斎が広がり。
そして足元には、綺麗に並べられた室内履きが用意されていた。
勝手知ったるなんとやらと、充は室内履きに足を突っ込み。
迷いなく本棚の列を縫い歩く。
本棚を抜け、開けたスペースにソファが置かれた談話スペースへと到着する。
そしてそこに立つ、すらりとした長身の女性へと、笑顔で挨拶をした。
「こんにちは、ミヤさん。今日もよろしくお願いします」
異世界の魔女ミヤが、その端正な表情に微笑を浮かべ、挨拶を返す。
「充さん。こんにちは」
半年以上続く、お決まりの挨拶を充とミヤは交わし。
こうして今日も一日、充の愉快な異世界バイトが始まる――かと思われたが。
「こんにちは。ミツル」
ソファの陰から別の女性の声が響いた。
充が目をやれば、ソファの背もたれから小さな金髪の頭が覗いていた。
「ジーンも来てたんだ。こんにちは」
馴染みある顔に、充は若干の苦笑いをしながら挨拶をする。
そこにあったのは、最近になってよく見るようになった、新しい友人の姿。
――友人というよりも、押しかけ女房というべきか。
ともあれ、これはどうやら今日もまた、騒がしい一日になるかもしれない。
そのようなことを考える充の表情を、じっとりと水色の目で見つめながら。
子供のように華奢な金髪の女性は、フンと鼻を鳴らした。
「そんな顔してるミツルには悪いけど。私は遊びに来たんじゃないわ」
「うん? “水の国”で何かあったの?」
「ええ、充さん。実は……」
ジーンの言葉に同調するように、ミヤが不安げな声を出す。
充は、いったいどうしたのかと2人の顔を見比べた。
日本では夏が訪れ、毎日をうだる暑さと共に送る季節のこと。
順調に進んでいたという充発案の観光用迷宮の建設予定地が危急の事態であるとの報せが、“古代図書館”の空気を震わせた。
「迷宮が壊されそう?」
「はい……。元々、“水の国”で魔力が切れそうな迷宮のうち、拡張するのに良さそうなものを探して、そこを再開発する形で僕たちの迷宮を造る流れだったってお話はしましたっけ……」
「あの反迷宮主義者、懲りずに迷宮破壊を続けていてね。呆れるわ。ミヤが押さえてた“星空の迷宮”に目をつけたのよ」
ミヤは祈るように両手を胸の前に合わせ、不安そうに。
ジーンはソファに身を沈めたまま、溜息混じりにそう言った。
「また反迷宮主義者かぁ」
“石の国”は“古代図書館”、その一角にあるミヤの書斎にて。
充と大小2人の女性は、揃って嘆息を漏らしていた。
国中の迷宮破壊を標榜し、活発な行動を続ける彼ら。
以前、迷宮で遭難した彼らを充たちが助けたこともあった。
最近も、彼らが壊した迷宮から逃げ出した魔物が周辺の町に被害を出し、その魔物退治を頼まれるなどということもあった。
何かと面倒事を振りまいている印象の、かの団体だが。
「今回は“竜の祝福”なんて自称してる過激な団体ね。ミツルも呆れるでしょ」
ひらひらと手を振り「手がつけられない」のジェスチャーをするジーン。
一報を図書館に持ち込んだ金髪有角の小柄な魔法使いは、ソファの背もたれにのけぞり、額の角を天井に向けている。
「そうだね……」
返事をしながら、充はソファに転がる魔法使いの姿を窺う。
近頃はなにかと図書館に姿を現す、この“魔法蒐集家”ジーン。
ミヤの話では、自分が転送魔法を修得して自力で“石の国”へ行けるようになるまでは余程の理由がない限り図書館へは行かないと言っていたらしい彼女が、このように足繁くここへ通っているのは、まず間違いなく充が目当てである。
以前、思いを隠さずに伝え、相手を怒らせてもおかしくない発言もした充に、それを聞いてなお三日月型に歪めた口で「その気になるまで待つわ」と言った彼女。
その押しの強さと、30~40kgはあろう全身を平然と宙に浮かべて自在に飛行する彼女の魔法の力からして、押し倒されたら抵抗できないだろうという悲しい現実から、涙しつつ「図書館ではお触り禁止」という約束を取り決めてもいる。
約束事を取り決める際、「さすがミツルね。私のこと、よく分かってる」と悪びれもせずに言ってのけた彼女を前に、充は頭を抱えたものであった。
そのような彼女だが、この度は彼女の因縁の相手、反迷宮主義者たちが、近々、また決起するという情報を入手し、大急ぎでここに来たのだという。
反迷宮主義者による“水の国”の迷宮破壊活動。
それだけならば、「ああ、またか」で済ますこともできた話ではある。
だが、今回はその破壊活動の矛先が、ミヤが建設中の迷宮に向いているというのだから、放ってはおけない問題である。
彼女の存在を意識するなというのも難しい話だが、今は目の前の問題をどうにかしよう――充は腹を決め、ジーンの向かいのソファに腰を下ろした。
「りゅーちゃんは、このことは?」
「主人は、今も現地で迷宮内の最終確認中ですが……もし大事になるのなら、自分は“星空の迷宮”を放棄して、また場所を改めても良い、と……」
「甘いわ! あの子の優しさは反迷宮主義者にはもったいないわ」
「僕も、これ以上、主人や充さんをお待たせしたくはないですね……」
甘いお茶の匂いが漂う、ミヤの書斎にて。
充たちの緊急対策会議は続けられていた。
まず、いわゆる責任者のポジションにあたるエンシェの意向の確認。
それから、各々の思いについての確認。
そして、具体的な対処について。
「事前に相手の陣地に飛び込んで、説得するってわけにはいかなそうなの?」
「僕と主人は表立って行動できないので……」
「私も、必要もないのに有名だから……。理由が言えるならいいけど、何も説明せずに止めに入ったら……そうね、変な派閥争いでも生みそうね」
「新しい迷宮を造っていますって言うのは……」
「当然、無理よ。迷宮を造れる者が生きてるって知れたら、それこそ“水の国”が大騒動よ」
「……だよねぇ。初めは全然分かってなかったけど、最近は迷宮の扱われ方を見て、実は迷宮造りってとんでもない異能なんだろうなって、私も気付いた」
3人は銘々に意見を出し合う。
徹底抗戦するか、身を退くか。
戦うのならば、それはどのような手段で。
ミヤもジーンも、それぞれに特別な力を持つ立場の身である。
あまり目立つ行動をしては、事態が一迷宮で収まらない話になってしまう。
「まずは、僕たちの迷宮造りを優先するかどうかから決めますか?」
「優先するに決まってるわ。そうでしょ、ミツル?」
「うーん……私としては、やっぱり、りゅーちゃんがどうしたいか優先かなぁ」
「あら。ミツルも譲る気なの?」
「いや……“帰らずの迷宮”がどれだけエグいものだったか話は聞いているし、そういう迷宮の存在で辛い思いをした人が沢山いるのも事実なんでしょ? そんな人たちからすれば、迷宮を壊したいって、理屈じゃなくて思うのも無理はないだろうしな……って」
「だからこっちが身を退くの?」
「あ、いや! そうだとしても私は譲る気はあまりないけど。りゅーちゃんはそう思っているんじゃないかなーって」
「ああ……確かに。あの子はそうかもしれないわね」
「主人は間違いなくそう考えていますね」
どうしたものかと話を進めるうち、やがてミヤがそっと手を挙げた。
「とりあえず、“竜の祝福”を諦めさせる手段はあります」
「ふうん? どうするの? ミヤもエンシェも、表に出ないのでしょ?」
ジーンの問いに、ミヤは「多段階式迷宮です」と答えた。
「“星空の迷宮”を『多段階式』の迷宮だったことにするんです」
その言葉に、ふうん、とジーンが目を細める。
多段階式とは、と目で疑問を訴える充に、ミヤが言葉を付け加えた。
「今の迷宮に僕の冒険者撃退用迷宮を被せるんです。そうすれば、今の迷宮が魔力切れになったことで起動した新迷宮に、そうと知らずに突っ込んだ“竜の祝福”があえなく撃退された……で、話が収まるかと」
特定の条件を満たしたときに、内部構造がガラリと変わる迷宮。
それを、多段階式迷宮という。
“竜の祝福”が、魔力切れを見込んで迷宮へ突入する腹積もりならば。
その魔力切れが起きた途端に、迷宮の内部構造が激変すれば。
この迷宮は多段階式だったのか、と勘違いさせられる。
後は、ミヤ謹製の迷宮の罠で、侵入者全員にお帰りいただけば良い。
そのような作戦である。
「“帰らずの迷宮”の轍をまた踏んじゃいました! で、反迷宮主義者は尻尾を巻いて帰るわけね。あの事件もそこらじゅうから結構な反感を買ってたし、そうなったら手は出し難くなりそうね」
聞いた感じでは面白そうな作戦だが、と充が身を乗り出す。
「でも、間に合うの? 撃退用迷宮ってそんなに早く用意できるもの?」
その疑問に、ミヤは自信ありげに微笑んでみせた。
「魔法空間の部分だけならすぐです! ほら、充さんと初めて仕事をしたとき」
「ああ! あの仮設迷宮! 確かにあっという間だったっけ」
さすがミヤさん、いえいえそんな、と充とミヤはハイタッチを交わす。
その横でジーンが、「本当ね。ミヤの魔法は凄いわ。羨ましい。でも、私が6000年間ひとりで魔法の研鑽をしたとして正気でいられるか分からないし。難しいわ」と、ぶつぶつ呟く。
魔法を使う者として、ミヤの早技に思うところがあるらしい。
充たちの視線に気付いたジーンはぴたりと独り言をやめ。
それでいけるんじゃないかしら――と評した。
徹底抗戦する場合の作戦の方向性は、定まった。
「では、迷宮を譲らない場合はその作戦で。最終的にどうするかは当日までに主人に決めてもらいますね」
「ちょっと。ちゃんと作戦を推しなさいよ?」
ともあれ、最終決定はエンシェに委ねることとなり。
これならばなんとかなるだろうという雰囲気の中。
この場での作戦会議はお開きとなった。
事態が事態のため、新生迷宮の見学は延期となり。
今日は仕事の予定もなし。
3人ですからパーティーゲームでも――とミヤがゲーム機を持ち出し。
今から焦っていても良いことはない、と充たちがくつろいでいたとき。
「あ、でも」
何を思いついたのか、不意にミヤが声をあげた。
充とジーンの視線がミヤに集まる。
「もし迷宮を守ることになったとして、充さんをその騒動に関わらせてしまうのは申し訳ないのですが……これは誰かから頼まれた仕事でもない、僕たちのワガママの話ですし……」
ミヤが申し訳なさそうに語ったこと。
それは、充への配慮の言葉であった。
「なに、ミヤ? “水の国”のお家騒動に異世界の人間を関わらせたくないって? ミツルは将来“水の国”に骨を埋めるのよ。私がそう決めたの。だから問題ないわ」
そこへジーンの相変わらずの言葉が被さる。
充は笑いながら、それらに応えた。
「骨はとにかく、私はもう部外者じゃないと思ってるよ。だから、大丈夫」
その言葉に、ジーンは満足そうにソファにふんぞり返る。
ミヤはそれでも充を心配そうに見つめたが、充が力強く「大丈夫」ともう一度繰り返したのを聞くと、安心したように微笑んだ。
ミツルの一言を締めの合図として、場は再び和やかな空気となり。
レースゲームが良い、いや相手をビルから叩き落とすゲームが、文字の多いゲームは読めないジーンに不利だ、などと賑やかに3人で笑い合い。
「ああ、そうだ。ミヤさん」
「はい?」
その最中、充がミヤに一声かけた。
反迷宮主義者の件に気を取られ過ぎて忘れてしまわないように。
今日は朝から、とあることをミヤと話そうと、気合を入れていたのだ。
今日こそ言うと決めたのだから、先延ばしするわけにもいかない。
今日という日を、第二の出発の日とするため。
どうしても向き合わなければならないことが、ひとつ、あるのだから。
「後で、またちょっと話したいことがあるんだけど、いいかな?」
「あ、はい、分かりました」
改まってなんだろう、とミヤが目を丸くしながら、その言葉に頷き。
ジーンはその様子をちらりと見て、しかし無言のままTV画面へと視線を戻した。
※星空の迷宮……内部が闇に包まれた、広大な空間の迷宮。星のような光の粒が床、天井、壁で光っているが、時折、この光の粒が一斉に動く。内部にいる者は、光の粒の動きによって方向感覚や平衡感覚を惑わされ、前後不覚の状態で迷宮内を彷徨うこととなる。




