幕間『千夜一夜のその先へ』
私は夢を見ている。
これは夢だ――そう、はっきり自覚できる夢を。
天も地もない、右も左も分からない、自分の身体さえ曖昧な世界で。
私は、これまでの道程を映画鑑賞でもするように眺めていた。
* * *
「この図書館の規模ですか? 蔵書数は10億品目、書架を端から端まで歩けば日本一周するほどの距離になるくらい……でしょうか」
艶々とした、色ガラスとも金属とも思える素材でできた図書館。
ゴシック風建築に近いだろうか、異国情緒たっぷりの巨大建造物。
その様子が眺められる、幾つもある展望室を備えた塔のひとつで。
異世界の魔女が、微笑む。
「え……内容ですか? はい、全て網羅していますよ。6000年間熟読しました」
涼し気な笑顔の似合う、知的な風貌。
それが、不意に窺うように、拗ねるように、眉をハの字に曲げた。
「充さん、もしかして僕のこと、そのわりに馬鹿っぽいとか思ってません!?」
確かに、彼女は子供っぽいところが多々あるが。
それでも、その知性を疑ったことはない。
「そ、そうですか……? いえ、その、照れますね……」
……いや、それなりに彼女のことが心配になったことはあった。
「え? 充さんの世界に行った経験ですか? 充さんと会う前の? ええっと……確か2回行っていて……50年くらい前と30年くらい前だったかと……50年前はどこの国に行ったんでしたっけ……というか、何をしに行ったんだったかな……? 2回目の日本の印象は強いんですけど……」
これは、いつ聞いたことだったか。
異世界の日付から日本の日付を導き出す、天球儀のような見た目の道具。
あれを見つけて、この道具は何かと聞いたときの話の流れだったろうか。
「すみません! 後で原因を調べたんですけど、お伝えしてませんでした! あのときのチラシには、近づいた人を不調にしない程度に『見てはいけない』と思わせる認識阻害の魔法をかけていたんです。ただ、充さんは僕の魔法の薫りを『懐かしい』とか好意的に覚えていたようで、そっちの感情のほうが優先されて……結果的に、認識阻害の魔法の効果があまりなかったというのが本当のところだったようで……」
彼女はわりとそそっかしくて、どこか抜けていて。
「えっ!? ぼ……僕が、主人をどう思っているのか、ですか!? あ、マロー君が主人のことが好きだと聞いて……。充さんは、マロー君の応援をしたいん……ですか? 違う? え、僕を応援したい!?」
6000年以上生きているとは思えないほど、人間味に溢れていた。
そんな彼女に出会えて、本当に良かったと、私は思う。
彼女には、いつも感謝している。
* * *
「普段の生活、ですか?」
王冠か、立派に飾られた額当てさながらの角の下から、銀髪をサラリと流し。
竜の少女が、青緑の双眸を丸くした。
「竜の生態……という面では、充お兄さんの期待に添えないかもしれないですが」
少女は、脚の太さほどもある肉感的な尻尾をふるりと震わせ。
翼をひょいと身体の前に持ってきた。
「最近は“水の国”で充お兄さん案の迷宮の基礎工事をずっとやっていますけれど、その前はローブ探しをしていました。この翼のように竜の皮でできたローブがひとつ、“水の国”のどこかにあるそうなのです」
少女の家族の身体でできた、竜皮のローブ。
それを見つけるのが、今の少女の目標なのだと言う。
「迷宮の外は“水の国”全土をミヤが探索してくれたのですけれど、それでも見つからなかったので……どこかの迷宮の中に埋もれているのだと思います。だから、“水の国”の迷宮巡りをしていました」
“災いの竜”と呼ばれた、竜の身体でできた宇宙船があった。
今は“石の国”で、竜の墓場の下で静かに眠っているのだと言うそれと同じに。
そのローブも、できれば“石の国”で眠らせたいのだと少女は言った。
「“石の国”に持ち帰ったら“水の国”の人たちが困るようなら、せめて見つけるだけでも、と思って……」
20年以上、この小さな身体で広い星の上を渡り歩いてきたのだろう。
当たり前のことだが。
私が少女の住む世界を知る前から、少女はその世界で生きていたのだ。
少女と、間違いなくその隣に居ただろう、かの魔女と。
2人の歩みに、思いを馳せたものだった。
* * *
「冒険者なら必須なのが“身体強化”。魔法使いなら“拾得魔法”もね。一流と呼ばれるにはそこに“身体制御”、“魔法耐性”、“念話魔法”が加わるわ」
白い角を陽の光に晒す、少女人形のような魔法使いが言う。
「“身体強化”で素早く動き、重いものを運び、高く跳ぶ。これはいいわね。でも、ただ身体を強化するだけだと駄目なの。走るときも、跳ねるときも、いくら足を速く動かせても、足が地面から離れて着地するまでは自由落下に身を任せるだけでしょ? それじゃ遅すぎるのよ。だから“身体制御”が必要になるの」
音もなく空中に浮かび魔法を語るのは、歴戦の女魔法使い。
けれど、純白のワンピース姿の彼女は、まるで争いとは無縁の無垢な少女だ。
「大概の冒険者は足の裏を瞬間的に固定する感じで使うわね。イメージしやすいから。空中を蹴ったり、腰を落とすときに足裏を固定して素早くしゃがんだり。私みたいに全身を自由に制御できるようになれば、“浮遊魔法”なんて呼ばれるようにもなるわ」
けれどやっぱり、横合いから襲いかかってきた野良岩人形を瞬時に瓦礫に変える彼女の姿は、威風堂々とした救国の勇者だった。
「あと、これができないと体格差の大きい魔物の相手が無理ね。“身体強化”で無傷だろうと、下からすくい上げる打撃を受けたら遥か遠くに吹き飛ばされるから」
場面が唐突に切り替わり、そこには自分と並んで座る彼女が居た。
「どう? この服。ミヤに聞いて、ミツルの国の服を選んでみたのだけど。ミツルの国の服でもないの? まあいいわ。似合っている? そう。良かった」
いつもはフードに隠れて見えない彼女の照れ顔が、額の白い角がよく見えた。
「ふうん? ミツルはどっちかというと角のほうが気になるの? そうね……ミツルなら、触ってみてもいいわよ?」
「――んぅぅっ!」
「……いえ、違うの。謝らなくていいわ……前に言ったでしょ? この角は目に見える感覚器官なの。だから敏感なのよ。普段はちゃんとガードしているわ。でも、ミツルだから特別よ」
「ねぇ、ミツル? 私のそんなところまで触ったんだから、責任を……」
「冗談よ。そういうことは先に言っておかないとずるいわよね」
触れたことのなかった、新しい常識に触れ。
世界はどんどんと広がっていった。
* * *
「お姉様方と会ったときのこと?」
ウネウネと伸ばされた腕の上を歩く私に、植物の魔物が下から聞き返した。
下を向けば、頭に生える広葉の隙間からいつものゆるい笑顔を見せる彼女の顔。
「いやァー、衝撃だったねェ! 地上近くの扉から、いきなりアタシの居る深層に扉をつなげてきてね! ここ、丁度この温泉のある部屋だよ! 予想もしない侵入者に、ホンット驚いたよォ」
人ひとりの体重を支えて小揺るぎもしない腕を、部屋全体に巡らせ。
蔓製の吊橋を歩くような気分でその上を歩く私に、カラカラと笑いかける彼女。
「人じゃないってのは分かるからねェ。コイツは今までで一番ヤバイ相手だ! アタシの縄張りを奪いに来たのか!? って、ビビったよ。先手必勝ってな感じに、出会い頭にアタシの全力の絶叫をぶつけたさァ……」
呪術植物の最大の武器、死の絶叫。
「そうしたらさァ! ミヤお姉様ったら、『あっ、ごめんなさい! ここはお風呂場ですか!?』って、アタシの声をただの悲鳴だと勘違いしてね! アタシ、そんな裸を見られた生娘扱いされたのは初めてだったよ! ハァ……もうあれからずっと、アタシはお姉様にメロメロさァ……」
枝分かれした腕のうち、余った腕で自分の胸を抱き、身をよじる彼女。
“水の国”で出会った人たちは、皆が皆、人間離れをしていて。
そもそも人ではない彼女のような存在もいて。
「水滴が垂れてくる理由は分かったー? ひび割れ? 隙間風でその辺だけ冷えてるの? 直せそうー? 助かるゥー! アタシが適当にやってもダメでさー!」
とにかく、凄いなって感心しきりだった。
* * *
「俺の今の目標は、ミヤに一太刀浴びせることだ」
燃えるような瞳で、勇者は言った。
「エンシェと付き合いたいなら、せめて力を示せって言われてな。そりゃあな、エンシェに撫でられただけで死ぬような脆弱な身体じゃ、付き合ったところで何かの間違いで死んでエンシェを悲しませるだけだからな。当然だと俺も思う」
酒場が満席だったため、店先の地面へ適当に座って。
路上で好き勝手に食事をしている人々に混じって、私たちは酒を飲んでいた。
「俺たちが冒険者学校の生徒だったときはな、丁度、ミヤが路銀稼ぎに学校の臨時講師をやっていてな……俺もミトラもビィミィも、ミヤの生徒だったわけだ」
「ああ。変わった雰囲気の先生だと思ってたよ。学校の裏手の水源で湧水を見ているのを見つけて、声をかけたら『水が湧くところを見ていたんだ。面白いものだと思ってね』なんて言われたこともあって、不思議な人だと思ったもんだったが……今考えりゃ、本当に子供っぽいだけだったんだなって笑える話だがな」
「そのときのミヤ先生に俺は誓ったんだ。先生に勝ってエンシェに告白するってな。……ああそうだ。ビィミィはそれに対抗して俺に腕相撲勝負を持ちかけたんだ。俺も……まだ、ミヤに勝てたことはない」
路上の客たちへ料理を届ける酒場の店員が、横を通り抜けた。
「これだけ人も増えて、家が足りないくらいになって。俺は俺の成したことには胸を張れる。だが、それで妥協する気はない。誰に無理だと言われようと、俺は本気で鍛えるだけだ」
節くれだった、とてつもなく硬い巌のような拳を突き出して。
私の拳に、ゴツリとぶつけて。
「君も、そういう性分だろ?」
豪快に、酒盃を空にしていた。
* * *
「――! ――!」
「――!?」
「――!」
町外れで、騒ぎが起こっていた。
野良岩人形が、町へと近づいてきていたのだ。
「オウオウ、オレの町にやってくるたぁ、いい度胸してんな。鉄鋼製岩人形ってこたぁ、オレたちの獲物で間違いなさそうだぜ」
近くの迷宮が壊され、中に居た岩人形が地上へ逃げ出したので、町に被害が及ぶ前に退治をお願いしたい――そんな仕事を、この筋骨隆々、豊かな髭の戦士と一緒に引き受けたときのことだ。
「――! ――! ――!」
――おらよっ!
――みんな退いてな!
――オレがちゃっちゃと片付けるからなぁ!
日本語訳すればそんな感じの、気合の一声と共に。
工事現場で見かける大型ハンマーをさらに巨大にしたような大槌を放り投げ、一撃で鉄の巨人を吹き飛ばす彼の姿は、正に神話に登場する戦士のようだった。
「なんだ? オレの戦ってる姿に痺れたってか? アッハッハァ! そういやぁ、少年はオレの冒険者っぽいところを見るのは初めてだったな! もう結構長い付き合いだが、いつも剣を叩いてるとこだとか、ヒツジの毛刈りだとか、大酒飲んでるとこだとか、そんなんばっかだったっけか!」
「オレのこと、ただの町人だと思ってたかい? どうだ、見直したろ?」
どう見ても常人とは思えない、凄まじい威圧感の肉体を披露しながら。
そんなことを言ってのけた彼は。
私に、改めて異世界の計り知れなさを教えてくれた。
* * *
沢山の、本当に沢山の素晴らしい体験ができた。
私がずっと抱えていた「期待感」を満たしてくれた。
異世界の経験が、友人が、私の人生を彩りあるものに、変えてくれた。
だから――。
* * *
「冒険者は筋肉がなきゃ駄目かって? あたしが言っても説得力ないかもだけど、そんなことはないさ。ジーンだって子供みたいな見た目で、あたしより大した冒険者をやってるよ?」
赤銅色の腕を叩いて見せながら、赤毛の女戦士は笑って言った。
「あたしは女だてらに体格に恵まれてたし、筋肉もつきやすい体質だったから、鍛えてこうなったけどさ。ミツルはミヤから魔力を借りて、魔法使いとして充分にやっていけるんだろ? 筋肉がありゃ役にも立つさ。ただ、無理する必要はないよ」
「魔物の前に飛び出して戦う騎士に憧れてるってのかい? 難儀なもんだね」
「でも、ミツルは岩人形や動く骸骨相手は得意だけど、イヌとかネコみたいな動物の見た目をしてる魔物相手になると途端に動きが鈍るだろ? 平和な世界で育ったからだろうけど、動物に怪我させられないんだろ? 魔物を殺さず制するなんてのは、前衛をやるならかなりキツイよ?」
そういう無理を通したがるやつをよく知ってるから止めないけどさ、と。
彼女は笑って、ただし眼差しは真剣に、言う。
「あたしは自分に合ったことをしろだとか、つまらないことは言わない。そういう無茶をするやつが、あたしは好きだからさ」
「あたしら勇者一行はね、色んな町から偉い人になりませんかーって誘われたもんさ。それでもあたしらは全員、好きに生きるって言って断ったのさ。20年以上経って、全員いい歳になって……誰も未だに結婚すらしてなくて、馬鹿やってるのさ。笑っちゃうだろう?」
「でも、それが平気でまかり通ってるのはね、ミツル。あたしらが無茶を通せるだけの力を持ってるからさ。アンタも自分の主義を貫き通すなら、それだけ頑張って強くなるんだね」
* * *
「みっちゃんってさぁ、クッソ真面目だよねぇ。やっぱ、なんかあったの?」
綾絹荘の友人が、畳に寝転んで頬杖をつきながら、そんなことを言った。
海外旅行の土産に、日本では手に入らない書籍をリクエストされ、それが税関を通過できるものか、細かくチェックしていたときのことだったと思う。
「えー要するに、子供の頃から『正しいことをしろ』って散々言われて? なのに小学校の道徳の授業で習うようなことや、ヒーローみたいな正義の味方は馬鹿にされて? 反抗期で真面目な性格になった……ってこと? みっちゃんらしいー!」
「なんで正しいことをしてる筈なのに『正しいことをしろ』って怒ってた親が褒めてくれないのか、可怪しいと思ってたって? 子供のときからみっちゃんは頭でっかちだったんだねー」
「可怪しいと思ったってことはさ、前提が間違ってるんでしょ? 周囲の考える『正しさ』とみっちゃんの『正しさ』が同じものじゃないってだけで。あ、その辺はもう分かってる? そりゃそうか」
友人の言葉を思い出す。
「困ったことがあったら久保内匠、いつでも久保内匠をよろしくお願いします。どうぞ久保内匠をよろしくお願いします……ってね。みっちゃんは一番気の合う男友達だから、全力でなんとかするよ!」
もう夏になったことだし、またモモでも差し入れしようかな。
* * *
そこは見覚えのない文字の書かれた背表紙が並ぶ本棚、本棚、本棚の列。
本棚の上にはよく分からない実験器具らしきものが並んでいる。
埃ひとつ舞っていない部屋は壁面もまた本棚となっていた。
およそ二階建ての高さの天井まで壁面の本棚には本がぎっしりと詰まり。
床と天井の中間辺りには、手すり付きの通路がぐるりと四方を巡っていた。
淡く青い光に満たされた室内に、実験器具や手すりの金色が走る世界。
どれも鮮明に確認できるその光景は、日常感こそ皆無。
だが、とても夢とは思えない現実感があった。
「沙々木様ですね。こちらから先に連絡をできず、失礼しました。空間をつなぎ終えてすぐに沙々木様から来ていただけるなんて……」
そのとき、背後から突然声がかかった。
驚き振り返った先、部屋の奥から姿を表したのは。
色鮮やかな、裾も袖も末広がりのローブを身にまとった女性。
その声は、電話で聞き覚えのある声だった。
「僕がこの“古代図書館”に住む司書、兼ダンジョンデザイナーのミヤと申します。ようこそ“古代図書館”へお越しくださいました、沙々木様」
その女性は切れ長の涼やかな目元に微笑を宿し、長い睫毛を伏せて一礼をした。
豊かな長い黒髪が肩口から流れる光景は、あまりにも鮮やかで、艶やかで。
もう一生、忘れられないだろう――そう思った。
異世界生活は、この日から始まった。
この日以来、私は最高の異世界生活を送れていると思う。
だから――。
* * *
なんで今頃になって、こんな夢を見ているのだろう。
――理由なんて、決まっている。
私が幼い頃から抱えていた、自分の生活への「違和感」。
異世界生活へと真摯に向き合い、本気で考えていくならば。
今こそ、それと真正面から向き合うときなのだ、と私自身が自覚しているのだ。
* * *
自室のベッドで目を覚ました充は、枕元のデジタル時計を見て、今日の曜日と時刻を確認すると、気合をひとつ、身体に掛かっていたタオルケットを跳ね除け、盛大に伸びをした。
「……よしっ」
断片的な夢の内容を思い出しながら、充は呟く。
これまで素晴らしい体験をもたらしてくれた異世界と、改めて向き合うため。
今後、自分がどのように生きるべきかを考える上で、どうしても避けて通れない、とある問題と向き合うため。
充はこの日、決意を固め、ベッドから起き上がった。
* 千夜一夜のその先へ 了 *
※竜皮のローブ探索……ミヤが探索魔法により“水の国”全土(水中や土中も含む)を調査して、現存する竜の身体で出来た物体は迷宮内を除けば剣、盾、兜の3品目のみであることまでは確認済みとなっている。ただし、迷宮内は外からの探索魔法では調査できないため、伝承上存在する筈のローブを求め、各地の迷宮を実際に訪れて探索を進めている。
※迷宮内への魔法使用……迷宮は、基本的に、外部から内部へ(または内部から外部へ)魔法による干渉ができない。そのため、迷宮内を探索魔法により調査しようと考えた場合、その迷宮の内部へ潜る必要がある。ただし、ミヤは例外的に迷宮内へ「魔法の中継機」的な魔法を仕込むことで、一度訪れたことのある迷宮に限るが、外部から内部へ魔法による干渉を可能としている。




