幕間『異世界観桜 奈良県吉野山』
「それでは新迷宮の完成と、私の人生最大の謎の解決を祝して!」
「ここ、遥か異世界、日本よりお知恵を届けてくださいました充さんの活躍に」
「では、わたしは……充お兄さんが案内してくれた日本の素敵な景色に」
乾杯――充たち3人の声が、桜吹雪に染まる山の斜面に響いた。
充は山道の酒屋で買ったばかりの日本酒で勝利の祝杯をあげ。
向かい合い、芝生に座る銀髪の少女も、透明な酒をそっと口に運ぶ。
少女に寄り添う黒髪の女性は酒が飲めないため、空の杯を手に微笑んでいる。
「いやあ、これは面白いな! まさか夏に桜が見られるなんて!」
「ちゃんと再現できているでしょうか?」
「ばっちりだよ! この足下から桜吹雪が吹き上がってくる感じ、これぞ他じゃ見られない吉野山の桜って感じ!」
「凄く綺麗だよ、ミヤ」
「主人と充さんにそう言ってもらえるなら、やった甲斐があります!」
充と少女は眼前の絶景を、思い思いの言葉で称賛する。
下を見れば、急斜面を飾る桜の花。
左右も上も、画材屋の桜色の絵の具を使い尽くしたかのような花景色。
桜の枝の先、正面に見える山肌も、遠く見渡せる山道も、また桜。
世界の全てが桜色の風に包まれているかのような、異界感。
色付く山並みの中に古風な寺社の屋根が突き出していて、時代の感覚も狂う。
そのような魔法の景色の中で。
季節は七月の終わり。
今年は特に蒸し暑い夏となり、茹だるような酷暑の日。
奈良県は吉野山、春には桜の名所と名高い上千本の一角にて。
日本在住、異世界にて日雇いアルバイトに従事する青年、沙々木充と。
異世界に住む、匂い立つ色香を湛えた妖艶な容姿の魔女。
そして魔女の主人である、星の光を透かすような可憐な白肌の、竜の少女。
3人は、魔女の魔法により彩られた山肌で、季節外れの花見を満喫していた。
充たち3人が吉野山を訪れたのは、夏の盛りであった。
桜の時期ではなく、さらに連日の暑さからか観光客の姿も殆どない山道。
その静けさを幸いと、充は2人の同行者を連れ、ゆったり観光案内していた。
近畿圏の心臓部、大阪から電車で揺られること一時間半。
長閑な景色が車窓に流れる単線の旅の終着駅、吉野。
日帰り温泉旅行に最適な立地の観光名所を満喫する旅である。
「これは……格好良いですね!」
大の日本好きである魔女は、吉野山の山道に並ぶ家々に歓声をあげていた。
坂道の両脇に、日に焼けた木造家屋が軒を連ね、歴史を感じる小路。
鉢植えや雑多な生活用品が並ぶ様子もまた、生活感に満ちていて味がある。
吉野山は、こうした民家や商店が多く並び、古い寺社も多く建つ場所。
そうした光景は、彼女のような嗜好を持つ人にとって最高の癒やしだろう。
「このお寿司、とても可愛い見た目で、それに美味しいですね」
美味しいものに目がない竜の少女は、吉野の美食にご満悦の様子であった。
観光地として整備されている吉野山は、多くの土産物屋が建ち並んでいる。
小さく四角い柿の葉寿司や吉野葛といった名物の他、串ものにアイスなど。
そのまま歩き食いのできるものを買っては、嬉しそうに頬張っていた。
こうして買い集めたものを桜の下で食べるのが、吉野山の最高の贅沢だ。
「今日は暑いけど、人が少ないと落ち着くね。花見の時期とは違うなぁ」
充は、そうした2人の姿を満足気に眺めながら、周囲を見まわして言う。
ゆらゆらと熱気が立ち昇る舗装道を歩いているのは、自分たちだけである。
観光案内役としては、手間がかからず助かる限りではあったが。
「充さんは、いつもはやっぱり花見の季節に来られるんですか?」
「うん。凄い人出になるよ。それだけ桜も綺麗だけど」
「へえ……わたしも、賑やかなところを見てみたいです」
「時期が合えば、春に2人を連れて来たかったんだけどね」
充たちが、桜目当ての観光客で埋まる季節ではなく、夏の吉野へ来た理由。
それは何も、特別なこだわりがあってのことではなかった。
充が異世界で初めてこなした仕事である、魔女と協力しての迷宮造り。
それが先日、この夏の時分に完成を迎え。
「日本でもお祝いをしたいのですが、どうせなら桜の名所でやりませんか? 日本といえば、物事の始まりを祝うのは桜ですよね?」
日本好きの魔女による、この言葉を受け。
「桜といえば、吉野山かなあ。季節が違うけど」
充が吉野の地名をあげた結果。
「せっかくのお祝いですし、魔法で盛大に桜の時期を再現しちゃいますね!」
こうして七月、夏の日に。
そこそこになんでもあり、異世界最高峰の尋常ならざる魔女の実力をもって。
迷宮完成のお祝いパーティーを、吉野山で開くこととなったのである。
花見と、立派な寺や趣ある神社などの名所巡りを終えた昼下がり。
吉野から帰る前に、最後にお茶でも一服していこう、と。
土産物屋の並ぶ通りまで戻ってきた充たちは、茶店に入った。
「やっぱり、次は本物の吉野山の桜が見たいですねぇ……」
「わたしも、お祭りみたいに賑やかなところを、見てみたいです」
「来年の春になったら、また来ようか」
見晴らしの良いテラス席は、早くも再訪の話題で盛り上がる。
吉野山が気に入ったらしい2人の様子に、充も自然と笑顔になった。
「ただ、春の人混みは本当に凄いから、そこは覚悟してね」
「そんなに大変なんです? こんな静かなのに……」
「うん、ミヤさん風に例えるなら……今の吉野山は魔力切れの迷宮で、春の吉野山は稼働中の迷宮みたいなものだから」
「ああー! すっごく伝わりました」
充と、この花咲くように美しい女性たちの親交も、既に深い。
こうして、一緒に日本観光を楽しむのも。
また、日本の事情を、魔女の住む世界の言葉で置き換える会話も。
今や、充にとっては慣れ親しんだ至福の恒例行事であった。
充が今の例え話を苦もなく出せたのも、深い親交の象徴である。
かつて充が魔女へとひとつのコンピューター・ゲームを貸した際。
やれ「難攻不落」だ「誰も帰還しない」と嘯かれる序盤のダンジョン。
それが、大した難易度でもなく、簡単に攻略できてしまう展開があった。
「これ、誰だって攻略できるでしょ」と思わされる、疑惑の展開。
そのような光景が、ゲーム内で繰り広げられたときのこと。
その妥当性について、充は本物の迷宮造りを営む魔女へ質問し。
彼女から「迷宮の魔力が減って罠や魔物が減少した場合に起きる『全盛期は難攻不落で、今や低難度』パターンですね。前例もありますよ」と解説され。
なるほど、と深く頷いた――そのような経験を経てこそのものであった。
「桜の花という『魔力』が満ちていれば難易度が変わる……言い得て妙ですね!」
魔女が感心の声をあげて、場はいっそう華やぎ。
談笑は、いつまでも続いた。
本日の竜と魔女の日本観光、その最後を飾るのは、吉野の甘味。
涼しげな器に盛られた透明な反物――葛切りであった。
「これ……凄く、不思議な食感です!」
箸で摘み上げれば、想像以上の弾力で、ぷるぷると空中で踊り。
夏の陽光を受け、それはキラキラと宝石のように輝く。
その柔らかな一反を黒蜜に浸し、甘く照るそれを口にそっと運ぶ。
瞬間、口の中に広がるのは黒蜜のコクのある甘味。
そして、作りたての葛切り独特の、得も言われぬ食感。
「平たくて透明なうどんかと思いましたけれど、歯応えが違って……求肥のもちもちした感じにゼリーのぷるぷるを合わせたみたいな……凄く美味しいです!」
「それは良かった。りゅーちゃんもすっかり和菓子好きになったよねぇ」
「それはもう、充お兄さんのお陰です」
酷暑には嬉しい、食感も、見た目も涼やかな一品。
それをつるつると啜り、口中で甘味の幸せを噛み締め。
やがて全ての葛切りを食べ終えた竜の少女は、名残惜しそうに箸を置いた。
「ごちそうさまでした」
「ごちそうさま。いやあ、美味しかったね、りゅーちゃん」
「はい、本当に……」
口の中の余韻を楽しみ、竜の少女が目を細め。
食事を楽しむ少女の姿に、魔女もまた蕩けるような微笑を浮かべる。
2人の様子は、まるで2輪の花を描いた西洋絵画のように美しく。
身を寄せ合うところは仲の良い親子か、恋人同士のように微笑ましく。
彼女たちが異世界の“勇者”を遥かに超える実力者であること。
異世界を滅ぼさんとして“勇者”に討伐された“魔神”以上の存在であること。
そのような事実が嘘のように、只々、充の目には愛らしく映った。
そうして今日一日、吉野山を満喫した一同。
最後に、長い黒髪を流す美貌の魔女が、艶やかな声で礼を述べた。
「今日も素敵な一日でした。本当にありがとうございます」
その横で、可憐な竜の少女が声を揃える。
「ありがとうございます、充お兄さん」
いつもながら手厚い2人からの感謝に、これ以上ない達成感を覚えながら。
2人に握られた手から伝わる温もりに、心地良い満足感を覚えながら。
充は笑みを深め、力強く頷き。
「どういたしまして。こちらこそ、楽しい旅行ができて凄く感謝してるよ」
そして彼もまた、2人へと温かな笑顔を返すのであった。
「また、いつでも声をかけて! 不肖、“最終迷宮の隠しボス”こと沙々木充が、全力で案内させてもらうからね!」
* * *
これは日本に住む青年、沙々木充が、異世界に住む魔女と竜の少女と共に日本の観光地を巡り、美観と美食を満喫し、やがて“最終迷宮の隠しボス”になるまでの物語である。
次回、幕間『千夜一夜のその先へ』に続く
※吉野山……奈良県にある桜の名所として名高い山。修験道の霊場としても昔から名を馳せ、山中の寺社仏閣を含め、山全体が「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として世界遺産に認定されている。山下から山上に向かい、下千本、中千本、上千本、奥千本と呼ばれる花見スポットがあり、桜の時期には、視界が桜の花で埋まる圧倒的景観が見られる。また、桜の名所となる以前から雪の名所として知られていた(百人一首にも登場)他、夏には紫陽花、秋には紅葉も見られるため、一年を通して綺麗な景観を楽しめる場所でもある。
※葛……つる性の多年草。根に含まれるデンプンを利用して和菓子が作られる。葛切りや葛餅のような柔らかい菓子や、干菓子である葛菓子の原料。
※柿の葉寿司……一口大の酢飯に魚の切り身を乗せ、柿の葉で包んだ寿司。吉野山の場合、サバとサケの2種類が其処此処で売られている。




