◆1-4 一級職人の噂
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コーエン選抜の噂は、アトリエ街を飛び越え、ストア街にまで広がっていた。
そのせいか、ウィズダムの前には珍しく見物人まで集まっている。
さすがはナターシャである。
味方にすると頼もしいが、絶対に敵に回したくない。
「一級職人だってよ。」
「アズソールじゃないの?じゃあ、誰なの?」
そんな声が工房の外から聞こえてくる。
コーエン・アルミナイトは、見るからに疲れた顔をしていた。
「コーエン、大丈夫ぅ?顔色、死んでるよ。」
「あまり大丈夫じゃないかな……」
見習いのリジェットにまで死人扱いされる始末である。
正直、こうなることは予想していた。できることなら、今すぐ逃げたい。
でも…断る選択肢などなかったのだ。
(アトリエを巻き込むわけには、いかないじゃないか。)
「御用のない方はお引き取りください!お客様の迷惑になります!」
店舗の方からイベットの鋭い声が響く。
ほどなくすると、窓が閉まり、さらにはカーテンまで閉じられた。
どうやら相当機嫌が悪いらしい。
(機嫌が悪くなりたいのはこっちだよ。)
コーエンはため息をつきながら、縫製機を動かした。
*
その頃――。
一級職人選抜の噂は、「ルディックス」にも届いていた。
軍用靴で名高い老舗工房。
その作業場で、オルビス・マクラーゲンは手を止めた。
「……今、なんて?」
大切に磨いていた六連反応炉から顔を上げる。
眼鏡を押し上げながら、同僚のエレミアを見た。
「だからぁ」
エレミアは面白そうに唇を吊り上げる。
「ウィズダムのコーエン・アルミナイトが一級職人に選ばれたんだって。」
「コーエン・アルミナイト…?アズソールじゃなくて?」
「そう、アズソールじゃないの。最年少じゃない? 彼。まだ二十くらいだって聞いたわよ。」
オルビスは眉をひそめた。
コーエン・アルミナイト。
一度だけ、ウィズダムの店頭で見たことがある。
灰紫の、妙に冷めた目をした男だ。
眠そうで顔色が悪い。
「やる気あるのかこいつ」と苦笑したことしか覚えていない。
実績もなければ、華もない。
ウィズダムと言えば、名物職人は、アズソール。
なぜ、彼ではなくて、コーエンなのだ。
オルビスは、なぜか不快な気分になった。
彼は軽く咳払いをすると、再び反応炉を磨いた。
「その男、アカデミーにも通えなかった職人でしょう。知識も経験も浅い。そんな人間を取り立てるとは、シグリッド様も、エリカ王女も変わっていますね」
オルビスがぶっきら棒に答えると、エレミアがくすりと笑った。
「そうかしら? わたし、結構いい男だと思うけど。」
「は…?…どこが。」
エレミアは顔を緩ませながら言った。
「だって。お顔がきれいじゃな~い。あの紫色の目、いいわよねえ。地味だけど。」
オルビスはあきれてため息をついた。
「あなたは、まあ…そこだけですよね。というか、いつ見たんです。」
「そんなの、調査済みに決まってるでしょ。」
「そんな暇があるなら、仕事をしてください。エレミア嬢。とにかく、僕は認めません。彼の仕事には華がない。ウィズダムで評価されるべきはアズソールだ」
オルビスは吐き捨てるように言った。
コーエン・アルミナイトを好きにはなれない。
きっと彼は、自分のことを知らないだろう。
でも、オルビスは知っていた。
――いつも、彼女が話すから。
琥珀色の瞳に、負けん気をたぎらせて、嬉しそうに話すから。
『オル、実技試験満点だったの? すごいじゃない』
『わたしね、ウィズダムに行きたいの』
『棟梁も素敵だけど――すごいやつがいるの』
『認めたくないけど、かっこいいんだ』
『わたし、コーエンに負けたくないわ』
いつからだろう。
あの瞳が、自分ではなく別の誰かを追うようになったのは。
彼女は、今回の話を聞いただろうか。
悔しがっているだろうか。
それとも喜んでいるだろうか。
いっそ職人になることなど諦めてしまえばいい。
コーエンのことなど忘れてしまえばいい。
そう思う。
だが同時に――。
彼女が目を輝かせている姿をもう一度、見たいとも思ってしまう。
自分でも、この感情が何なのか分からなかった。
オルビスは立ち上がった。
――イベットに会いに行こう。
そう思った。
ルディックスは大きな組織の一部に靴工房を抱えています。
次回、「儀式の準備」編です。
主人公のオタク質がアクセル踏みます。多分。




