◆4-12 集合する三人
***
「イグニス・フォージは爆発したの」
「……爆、発?」
オルビスは、周囲を見回した。
もしここが工房なら、倉庫を二つ置いても十分余裕がある。
でも今は――
ものづくりの音も、活気も、人のいた気配さえ。すべてが遠くに霞んでいる。
足首ほどまで伸びた尾花色の草だけが、ただ時を刻んでいた。
オルビスは再び、灰桜色の頭巾をかぶった女性に向き合った。
「なぜ、でしょうか」
「……忘れてしまったわ」
女性は、石に刻まれた溝を優しくなでた。
「……エレミア・アボットをご存じですか」
女性の手が止まった。ゆっくりとオルビスの方を振り返る。
「あなた、エレミアちゃんを」
「エレミアを、ご存じなんですか」
オルビスは、女性の声を追い越すように問うた。
「……あなたは、誰?」
女性は、オルビスを訝しむように、さっと視線を走らせた。
オルビスは言葉に詰まった。
当然だ。自分はアーセナル街の外からやって来た。見ず知らずの人間に矢継ぎ早に問われれば、警戒するに決まっている。
「エレミアの同僚です」
「……同僚?じゃあ、エレミアちゃんは、お仕事をしているの?どこで」
「ルディックスの――靴工房です」
そう告げた途端、頭巾の奥の表情が暗く濁った。
「なんで、ルディックスなんかに――」
女性はふいに言葉を切った。
頭巾の紐を整えると、ゆっくり立ち上がった。
「キンポウゲの花。セドリックが好きだったの」
石の前には、キンポウゲの花が二つ。
女性は、踵を返そうとした。
「彼女は、僕が盗んだものを――盗みました」
女性は踏み出しかけた足を、止めた。
「取り返すのは、僕の責任です。彼女のことを教えてくれますか」
「エレミアちゃんは、あの男……サイモンの娘だった。サイモンは……」
女性は、地面に足を擦り付けた。
「サイモンのせいで、ルディックスのせいで、グレイス侯爵のせいで、あの銃のせいで……違う、この国のせいで!」
忌まわしいものを見るように、尾花色の雑草を見回した。
「セドリックは死んだのに!」
**
「この銃の手順書は、誰も見つけられなかったらしい」
イベットは、グリップに刻まれた『ルディックスの黒龍』に触れた。
鎖針に巻き付く竜の絵柄。鱗の一片一片の彫の深さは均一で、繊細。
生き物を殺す道具には、どうしても見えなかった。
「では、この銃の手順書は捨てられてしまったのでしょうか」
「……意図的に排除したとは考えにくい。何しろ強化政策のただ中だ」
「じゃあ」
イベットは、答えを促すようにアーネストに視線を送った。
「……はじめから、手順書がないのかもしれない」
「そんなこと!ありえない。国策のために作ったものに、手順書がないんなんて!」
イベットは、はっと口に手を当てると、小さくなった。
「その通りだ。もしそうなら問題だが……さすがに事実は分からない」
アーネストは一丁ずつ、銃の薬室に残液が残っていないか確認し始めた。
「このリリー銃は……どこで作られたのですか」
「北部地方グレイスの――イグニス・フォージだ」
アーネストが、十年式リリー銃の薬室を開けた。
ザクロみたいに赤茶色い液と、淡黄色の液。
イベットの唇が震えた。同時に身体が震え始めた。
咄嗟に自分の手首を掴んだ。
「アーネスト様。この液……なんですか」
「混合花通液……リリー銃の弾薬だが、何か」
「……これ、金属を溶かしたりしますか」
「金属……?それは知らない」
イベットの頭の中には、あの『小瓶』が浮かんでいた。
十年前、花動車の中で、コーエンが取り出した小瓶。
中には液体が入っていた。ちょうどこんな感じの。
昔の記憶だから、実際は違う色だったかもしれない。確実じゃない。
――ただ、あの時。花動車が向かっていた先は、北部だった。
イベットの中で、音を立てて記憶の断片がつながり始めた。
イベットは、掴んだ手首にさらに力を込めた。
顔を上げて、精一杯に笑った。
「アーネスト様。あなたの、おかげです」
アーネストは、銃を片づけていた手を止めた。
「……これくらいしか、分からなくて悪いな」
イベットは首を左右に振った。そして丁寧に頭を下げた。
「ありがとうございました」
椅子に置いていた荷物を取ると、部屋を出て行こうとした。
「――待て。どこに行く」
アーネストがイベットの手首を掴んだ。
「……グレイスに」
「先ほどの話がどこまでコーエン・アルミナイトに関係しているかは分からない。無駄足になるかもしれないぞ」
イベットは、アーネストの手からそっと手首を引いた。
「――もう、決めたんです。今度こそ」
イベットは再び笑うと、頭を下げて部屋を出た。
**
オルビスは、今日も枯れたキンポウゲの前に来た。
風が湿っている。雲が厚い。見上げると額に雨粒が当たった。
グレイスの地は、いつも薄暗い。
オルビスがここに滞在して数日経つが、晴れ間なんて数えるほどだった。
頭巾の女性の話を聞いてから――
オルビスは、この地を立ち去ることができなくなってしまった。
少なくとも、エレミアに会うまでは。
頭巾の女性は、アーセナル街の近辺にある宿を教えてくれた。
靴職人は意外と重宝されるようで、その女性の紹介で、アーセナル街の住民の靴をいくらか修理して回った。
皆、随分くたびれた靴を履いていた。
合花素材みたいに良質ではない。麻を編み上げた粗末なものだった。
材料を調達するのにも難儀した。セントラルみたいに、ストア街など存在しない。
自分でも、なぜここまでするのか、説明がつかない。
ただ、キンポウゲの前で待っていれば、いつかエレミアに会えるのではないかと思ってしまった。
オルビスは、傘をさした。パラパラと音がする。
――意外と降っている。雨の強さは、傘をさしてみて初めて、気づくものなのかもしれない。
「あら、懐かしい人がいるじゃない」
パラパラとはじける雨粒の音に、女の声が混ざった。
傘を傾けると――エレミアが、立っていた。
キンポウゲの花を、片手に。
「らしくないな、花なんか持って」
「……そう?」
エレミアは、すっとオルビスの横に来ると、腰をかがめてキンポウゲを取り換えた。
「俺がここに来た理由、分かるだろ?」
エレミアは、相変わらず真っ赤に染めた唇を吊り上げた。
「執念深い男は、嫌われるわよ」
「スケッチブックをどこにやった」
「金に換え……」
「『セドリック』の母親に会った」
エレミアが、僅かに傘の柄を握り直した。
「……へえ。ずいぶん歳とったんじゃない?」
「キンポウゲの花、お前じゃないかって」
エレミアは黙って花を見つめた。
傘を打つ雨の音が強くなってきた。
「悪いけど、スケッチブックは渡しちゃったわよ。マテカンに」
オルビスは僅かに足を引いた。水滴を蓄えた草が、足元を湿らせる。
「……なぜカンパニー?」
「頼まれたんだから仕方がないでしょう。私、レオニダス公爵家のご慈悲で食ってきたんだし」
「……それだけか?」
「どういう意味」
「お前、そんな律儀なやつじゃないだろ」
エレミアは、少し目を細めた後、ふふっと鼻で笑った。
「真面目なだけかと思ってた」
彼女は笑いを収めると、面倒臭そうに言った。
「ねえ、雨うっとうしいしさ。あんたの宿に行かせてよ」
「は?」
「私今、ルディックスの本部に世話になってるの。ここから少し遠いし――どうせ、あんた、今そこにいきたくないでしょ?」
*
オルビスは、グレイス中央駅の最寄りにある宿に戻って来た。
黒ずんだ石造りで縦に長い。入口の扉を開けるとすぐ階段になっていた。
宿と言っても、人はほぼおらずオルビスの独占状態だった。
「さびれた宿ね」
「仕方ないだろ」
エレミアは階段を上り終えると、オルビスに断らずに勝手に扉を開けた。
部屋の中には擦り切れたカーペットが敷かれ、木造りのベッド、天井から下がる白色のリリー灯。中央におかれたやたらと目立つストーブ。
エレミアは、ストーブに近寄ると、くすくす笑った。
「花油のストーブ、なつかし」
エレミアは、カーペットの上で胡坐をかくと、すっと静かになった。
あの時の――セドリックの母親のような濁った目だった。
「……コーエン・アルミナイトが『靴納め』に選ばれたときさ、普通に興味があったのよ。男だし、若いし。媚でも売っとこうかと思って」
オルビスは一拍遅れて反応した。
「……ゲスだな」
「笑っちゃった。背は伸びてたし髪も変わってたけど……面影ありすぎ。もう本人じゃんって」
オルビスは、エレミアが何を言っているのか理解ができなかった。
傘の水を払って部屋の隅に立てかけると、ただ無言でベッドの端に座った。
エレミアは、オルビスを横目に見た。
「紫色の目、いいわよねって言ったわよね、ワタシ」
「それ、あの時……」
エレミアが笑った。
「あんたは顔を見るな、靴を見ろって言ったけどさ、靴どころじゃないっての。だって、十年前の消えた神童が、目の前に現れたんだからさ。驚くどころじゃないわよ」
「……消えた神童って」
「十年式リリー銃。あの弾薬の調合をしていたのは、コーエン・アルミナイト――いや、コーエン・キャンベルくんですもの」
オルビスの中にあった妙な違和感に、名前がついた気がした。
コーエン・アルミナイトが嫌いだった。
緑から紫に変わった布、献上靴、十年式リリー銃。
嫌いなんじゃなくて――嫌いになるほどの、感動だったのかもしれない。
「彼も可哀そうにね。親は死んで、自分は売られ、売られた先では監禁生活。ああ、泣けちゃうわ。しかも、コーエン君を閉じ込めて働かせてたの、ワタシの父さんだし」
オルビスの胸に生まれた高揚は、一瞬で冷えた。
「……は、それ」
「十年前さ、アーセナル街の職人たちはこぞって武器の性能を競い合ってたんだよね」
エレミアは薄いカーペットの床が痛いのか、今度は立ち上がった。
そのまま、カーテンを開けて窓の外を覗く。
水の粒がガラスを滑っていった。
「当時のグレイス侯爵様とレオニダス公爵様がさ、アーセナル街に来たのよ。直々にね。『コクボウ』に力を貸してくれってさ。結果を残せば、報奨金をよこすって」
「当時の……って、リッカルド様と、ダンカード様か」
「名前なんて覚えてないわ。その時は『えらいひと』が来た、としか」
オルビスは、苦笑いをした。それしかできなかった。
「その時さ、徒弟くんを何人か置いて行ってくれたわけ。うちにやってきたのが――」
「まさか……」
「コーエンと、セドリックだよ」
**
イベットは、アズソールとアリアナさんに二日だけ休みをもらった。
北部地方のグレイス領へ行きたい、と正直に言ったのだ。アーネスト様に教えてもらった話もちゃんと報告した。そうしたら、二人ともアーネスト様と同じことを言った。
「無駄足になる」と。
でも、最後には折れてくれた。心のどこかで、イベットと似たような思いを抱いていたのかもしれない。
――まあ、『暗くなったら出歩かない』という子供じみた制限つきだけど。
イベットは、グレイス中央駅で下車すると、あまりの寒さに上着の襟元を寄せた。
「さむいっっっ!バカ!風、ふくんじゃないわよ!」
悪態をつきながら、中央駅の近くにあるこじんまりしたお店の爺さんに、イグニス・フォージの場所を聞いた。
爺さんは訝し気にイベットを見た。
「何か前も同じようなことを尋ねてきた奴がいるねえ」
「……え?」
イベットは、少し身を乗り出した。
「セントラルから来た、真面目そうな兄ちゃんだったなあ。オリーブアッシュの髪の」
イベットは乗り出したまま固まった。肩がわなわなし始めた。
まずい、叫びそうだ、叫び――
イベットは机をバンっと叩いて、さらに身を乗り出した。
「爺さん!オルビス・マクラーゲンです!!!それ!!」
爺さんは、目をしょぼしょぼさせた。
「その真面目な男、どこにいるかわかりますか?」
「どこって……あの辺じゃないか?」
そう言って、爺さんは中央駅の西側の方向を指さした。
「何で分かるんですか!怪しすぎる!」
「怒らないでくれよ。姉ちゃんが聞いてきたんじゃないか」
イベットは、ぐっと言葉を詰まらせると、すごすごと身を引いた。
「ここいらに長いこと滞在する人なんか、いないからね。あの辺りしか泊まれるところが、ないんだよ……何、知り合いかい?」
「その男、この駅の前を通りますか」
「……はい?姉ちゃん?」
イベットはふうっと気持ちを少し落ち着けると、爺さんの横に立ってじっとした。
「……何してるの?」
「待つんです。彼が通るまで。ここで」
「嘘でしょ」




