◆4-11 禁学の靴職人
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「納期はひと月。遅延は許しません」
鼻で笑うエピフィラムをよそに、コーエンはアリアナの言葉を反芻していた。
(お尻から考えるのよ。コーエン。あなたは序盤に時間が――)
「……はい。納期は、守ります」
エピフィラムは、追い込みが足りなかったと判断したらしい。ソファに背中を預けながら、ソファテーブルの上にゴンっと足を乗せた。靴のまま。
「まずはこの靴の解析からでしょう? 切片。持っていきなさいな」
「履いたまま……切り取れとおっしゃってますか」
「そうね、不満でも?」
コーエンは頷きも否定もせず、まずは靴底の状態を確認した。右手のひとさし指ですっと撫でてみる。
「なにやってるの、それ」
「いえ、別に。どう切ろうかな、と」
やっぱり。残渣の向きが複雑すぎる。残渣周期はイートラ種の高温反応に近い気がするが、本来ならもっと一定方向に走るはずだ。こんなに右に行ったり、左に行ったりしない。読み取るのは諦めるか。
コーエンは、白衣の胸ポケットからハサミとカッターを取り出した。
「あら、妙なところから妙なものが出てくるのね」
「道具入れ、カンパニーにはないので」
コーエンは、カッターの刃を繰り出そうとしたが、手を止め、そのままポケットにしまい直した。
「王女様」
「何よ」
「やっぱり靴、脱げますか」
エピフィラムの高圧的な顔に、さっと不安の色が走った。
コーエンは、おや?と思った。でも間違ったことは言ってない。靴を履かせたままでは危ないし、俺が作業しにくい。
「脱げない訳ではないでしょう?」
「……随分な言い方ね。王女に向かって」
「じゃあ、どう言えばいいんですか……」
コーエンが目を伏せると、サズカが「あのう」と言ってモソモソ動いた。
「エピ様は、靴を脱ぐと耳鳴りがするんです。時々、眩暈も……。靴を履けば治まるんですけど」
エピフィラムは机に乗せていた足を『ぴょいっ』とひっこめた。
「コラっ!サズカ!余計なことを……言うんじゃありません」
「だって、エピ様。靴が壊れた時大変だったじゃないですか」
「それは、幻影ね」
コーエンは会話を片耳に聞きながら考えた。
絶縁靴が、耳鳴りと眩暈を防いでいる?
そんな機能があるのか?
――これでは、いけない。もっと知らなくては。
絶縁靴がエピフィラム様に何をもたらすのか。具体的に。
そうじゃなきゃ、靴の解析なんてできないし、新しい絶縁靴など作れない。『コピー』だけしても、そんなのハリボテだ。
コーエンは、顔を上げた。
「王女様」
サズカと言い合いをしていたエピフィラムが、こちらを向いた。
「……何よ。急に喋り出して」
「耳鳴りと眩暈。それ、『リリーになる』ことと関係ありますか?」
エピフィラムの色のない唇が、僅かに震えた。
「……覚えてたの?」
「はい」
コーエンが頷くと、エピフィラムは急に黙り込んだ。不機嫌にむくれているというより、何か思案しているような表情だった。
「……それ、聞いてどうするの、あなたは」
「靴のために聞きました。履き心地は、履く人しかわからないから」
エピフィラムが口の端を僅かに持ち上げた。
「……あなた、職人バカ?」
呆れたようにそう言うと、彼女は自ら靴紐をほどき始めた。
サズカが「エピ様……」と心配そうな声を出したが、エピフィラムは首を横に振った。
そのまま靴を脱ぐと、コーエンに手渡した。
「いいこと、コーエン。今日からあなたは『禁学の靴職人』です。これを見たからには、逃げられませんよ。私の陣営につくのです」
「陣営……?僕はそんなつもりは」
エピフィラムはその答えを聞かぬまま、ソファから立ち上がる。白い裸足でゆっくりと歩き、奥のカーテンを開けた。
そこは、エピフィラムの居室になっていた。ここにも大量の手順書が本棚に収まっている。
数冊は、先ほどまで読まれていたかのように、ベッドの上に開かれた状態になっている。
彼女は左脇にあったドレッサーの引き出しを開けると、中から白いリリーのコサージュを取り出した。
再びこちらへ戻って来ると、エピフィラムはすうっと息を吸った。
その瞬間、白いリリーのコサージュが発光した。
そして――エピフィラムの身体も一緒に光っていた。
白く。淡く。身体の輪郭に沿うように。
「……エピフィラム、王女様、それは……」
「共鳴」
「……共鳴?」
「私、全てのリリーと共鳴できるのよ、絶縁靴を脱ぐと」
コーエンには既視感があった。
そうだ。管理塔の最上階で見た、エピフィラムの姿。あの時は青白い光だった。
コーエンは気づいていなかった。
リリーの花畑の中にいるエピフィラムは、靴を――履いていなかったことに。
エピフィラムの表情は、相手を小ばかにするようないつものそれだ。
でも、その顔色は明らかに青白く、僅かに息が荒い。
「花を育てるときは――靴を脱いで『リリーになる』のよ。こうすれば、リリーの声が……」
そう言いかけて、エピフィラムは僅かに表情を崩すと、こめかみに指をあてた。
「王女様、靴履きましょう。すみません」
コーエンは、エピフィラムをソファの方に誘導し、慣れた手つきで靴の履き口を広げた。
「何、そのカオ。化け物でもみたような顔して」
「思っていません。靴、履いた方がいいと思っただけです」
エピフィラムは決まり悪そうに、足の指をぐっと丸めた後、足を靴に滑り込ませた。
そのまま軽く目を閉じると、小さく息を吐いた。
「切片はどうするのよ」
「王女様が公務の時にお借りします」
「来るの……?」
「お邪魔はしません。採取して帰ります」
コーエンは、靴紐を結びながら答えた。
エピフィラムは、均等な結び目を作る職人の手に目線を落としながら、ぽつりとこぼした。
「私にも、この靴の仕組みを教えなさい」
コーエンは紐から手を離した。
「なぜ……?」
「......もしリリーが絶滅したら。私の身体も一緒に死ぬかもしれないからよ。そろそろ知っておかなくてはね」
温度のない無表情に、人を小ばかにする高圧的な態度。
ぞっとするほどいつも通りだった。
まるで政治の話でもしているのかと思ったくらいだ。
「……ご冗談を」
彼女のエメラルド色の目は、壁中に並べられた背表紙を追う。
「手順書にはどこにも書いてなかった。私の身体のことなんて。リリーがなくなった後のことなんて」
エピフィラムの口元は、緩やかに弧を描いていた。
でも彼女の指先は、ワンピースを皺が寄るくらい握りしめていた。
コーエンはふと、ベッドの上に開かれたままの手順書を見た。
探して、見つからなくて、また探して。そんな焦りが見えるような。
コーエンは、胸ポケットからペンと――設計図を取り出した。
「納期、一か月ですよね」
エピフィラムの握りしめた指が緩んだ。
同時に、狐につままれたようにこちらを見上げた。
「……納期!?」
「はい。先ほど決めましたよね」
「……この期に及んで寝言かしら?」
コーエンは、エピフィラムの前に設計図を広げた。
十センチほどある厚い底。波を描くように規則的に埋め込まれた結晶石。少し幅広の形状。
エピフィラムは、自分の足元と設計図を見比べた。
「これ、この靴?うそ。いつのまに……」
「この靴が、あなたとリリーの間にある、何を遮断しているのか。まずはそこから考えましょう。調べる場所は三つ」
コーエンは、ペン先で、それぞれを指し示した。
「アッパー部、底部、そしてこの結晶石」
エピフィラムは、真剣にコーエンのペン先を追いかけた。
「外側は、イートラとデポン、底と結晶石は不明……なによ、三分の二も分かってないじゃない。ポンコツ」
「だから、切片をもらいに来たんですよ。予定が変わりましたけど」
「夜の公務の時は、靴使えないから。サッサと採取でもなんでもするのね」
エピフィラムは、ふんっと息を吐くと、腕を組んだ。
「僕もまだ、全体図は見えてないです」
コーエンは、設計図を裏返すと、静かにメモを書き始めた。
「靴だったら、一つずつ組み立てていきます。まず、材質の特定。次に反応条件と縫製方法の特定、最後はフィッティング。だめなら戻って最初から」
整っていない右ひねりの文字が、書き加えられる。
エピフィラムが、僅かに笑った。
「靴のことなら、随分しゃべるのね。あなた。ところで、一か月で間に合うのかしら」
コーエンは、設計図を折りたたんで胸ポケットに入れると、立ち上がった。
「まずはやってみます。手順書がないので、手探りです」




