◆4-10 十年式リリー銃
***
『靴納めの儀』の数日前。
オルビスは、北部地方のグレイス中央駅に到着した。
すでに辺りは薄暗かった。夕焼けが一筋だけ、山の稜線に残っていた。
突如、ビュオっと音をたてて風が吹き抜けた。オルビスは、思わず身震いした。
「……さっぶ!!」
上着を持って来ればよかった。セントラルなら、長袖一枚で十分だから油断していた。
予定外にやって来てしまったせいで、何も調べていなかった。
いつもの自分なら、行先の気候は意識するし、宿屋の下調べも万端である。
でも今は、すぐにでも足を向けなければ気が済まなかった。
イグニス・フォージ。
ルディックスの抱える下請け工房の一つ。小さな工房だったから、
今やだれも覚えていないかもしれない。
でもオルビスは覚えていた。あの「リリー銃」を見たことがあったから。
オルビスは、正面の山を見据えた。
あの麓に位置するのが「アーセナル街」。
ライターも、銃も、爆弾も――ハノイットの火工製品の多くは、ここで生み出されている。
もちろん、エレミアが帰って来ているとは思っていない。
でも、無駄な寄り道ではないと思う。
エレミアのことを知る手掛かりになるかもしれない。それと――
重なるのだ。
布が緑から紫に変わったとき、献上靴を見た時、スケッチブックを見た時――
背筋にゾクっと何かが這い上がる、あの感覚。
コーエン・アルミナイトと、あの『銃』が重なるのだ。
*
あの時、普段から厳格な父が、感情を高ぶらせていた。
「ルディックスが、とんでもないもん扱い始めたぞ!」
「……私も聞いたわ、あなた」
「あのリリー銃、出所はグレイスの町工房らしいぞ」
マクラーゲン家は、ストア街の中ではそれなりに名の通った商会だった。
花通液——リリー灯の原料を取り扱う、かなりマニアックな商売をしていたせいだろう。
一応軍需品も扱っていた。非常ライターとか、非常灯とか。
こまごましたものをそれなりに。
だから父も母も、同じ業種の動きには、意識を向けていたのだろう。
「命中率も、威力も桁違いだ。並みの職人には無理。恐ろしいくらいだ」
「そうね……威力を上げると暴発しやすくなるものね」
「これは、面白いことになるぞ」
父の予想は大当たりだった。
ルディックスのブランドのついたこの銃は、瞬く間にハノイットに広がった。
各地の騎士団はもちろん、金のある貴族たちも興味を持ち始めた。
「十年式リリー銃」
それが、この銃の二つ名だった。
オルビスも、父の仕事場で一度だけこの銃を見た。
身震いするほど、ゾクリとした。
オルビスの顔を映し出すほど澄んだ黒。グリップ部に彫られたルディックスの黒龍。
細く水平線のようにまっすぐに伸びるボディ。こんなにまっすぐなボディからは、さぞかしまっすぐな弾が飛ぶのだろう。
しかし、この銃は、突然市場に出回らなくなった。
愛好家たちは惜しみ、手元にある銃を大切に保管したそうだ。オルビスも寂しいと思った。
*
アーセナル街は坂道に沿うように立ち並んでいた。
どこまで行っても灰色の石壁づくり。工房を見分けるものは、入口にかけられた木札くらいだ。
アトリエ街や、ストア街みたいに棚先売りをしないからだろう。どこも門は閉じている。
もはや石壁ではなくて城塞のように見えた。
オルビスは一通り木札を確認してみたが、イグニス・フォージと思わしき工房は見つからなかった。
「おかしいな……」
だんだん坂がきつくなってくる。ぽつぽつとあった白いリリー灯の数も減っている。
これ以上進んでも、山に入ってしまうだけだ。
念のため、オルビスは地図を開いた。
直進したら山の中だが、よく見ると一つだけ細い脇道がある。
「こっち曲がって何もなければ、明日出直すか……」
オルビスは坂道の中心から逸れて、その脇道に入った。
整えられていない砂利道をしばらく歩くと、急に視界が開けた。
「なんだ、ここ……」
そこは、何もない荒地だった。
工房らしい建物も、倉庫も。人もいない。
雑草が辺りを覆い、リンリンと澄んだ虫の声が、やたら鮮明に聞こえる。
ぽつりと薄グレーの石があった。
その周りだけ雑草が抜き取られている。誰かが置いたのか、枯れかけた黄色い花が横たわっていた。
『Here lies Cedric. Aged 10(セドリック 享年十歳 ここに眠る)』
オルビスは、石の前で膝をついた。
「どなた?」
オルビスは振り返った。
そこに、黄色い野花を手にもった女性が立っていた。
灰桜色の頭巾をかぶり、同じ色のエプロンをしている。顔や手には少し煤がついている。
「仕事でこちらに……イグニス・フォージを探しているのですが」
女性の手に持っている花が、小さく震えた。
「……何か、お間違えでは?」
「それは、どういう……」
オルビスが問い返す前に、女性は黙って石の前に花を置いた。
目を閉じ、マザー・リリーを象徴する円環を胸の前で描く。
「……なくなったのよ、十年前に」
女性は、目を開けるとそう言った。
「イグニス・フォージは、爆発したの」
*
『靴納めの儀』が終わって数日後のセントラル。
イベットは、公園のベンチに座って待っていた。
昨日、アーネストから早伝をもらったのだ。
『明日、セントラルに私用がある。頼まれていた件、いくつか思いあたることがある。王立西公園のオーディナル側、正午。――アーネスト』
思い当たることって何だろう。
矢も楯もたまらず、随分早く来てしまった。
イベットは、手持ち無沙汰になり、周囲をギロリと見回した。
……公園という場所は、どうしてこうものんびりしているのだ。
噴水を挟んで正面にいる男女。
何をするわけでもなく、ただ肩を預けあってぼんやりしている。
こちとら忙しいのに。木型でぶったたいてやりたい。
殺気をたぎらせた時、背後から肩を叩かれた。
「待たせたな」
一瞬、だれか分からなかった。
ダークグリーンのシャツに、栗色のパンタル。赤茶の髪に、低身長。
「……アーネスト様っ」
イベットは弾かれたように立ち上がり、頭を下げようとした。
「やめろ」
アーネストが制した。
「あまり、仰々しくしないでくれ。今日は伯爵家の人間ではなく、個人的に来ている。とりあえず行くぞ」
「……はい?」
イベットは首を傾げた。
アーネストはイベットに一瞥を投げると、行き先も告げずに歩き出した。
「アーネスト様、どこに……!」
イベットはアーネストの背中を追う。
こんな時でも、観察してしまう。
重心が傾かないわ。歩行のリズムも格段によくなっている。
『もっと早く歩けるのかしらこの人?』と余計なことを考えてしまった。
西公園を抜けて、さらに西に進むと、石畳の道に差し掛かった。
鼻を突く、果実の酸っぱ渋い匂い。
道の両脇には、蔵と酒場が一体化した「サジェ」と呼ばれる建物が立ち並んでいる。
花結晶で装飾が施されたものから、木造蔵の古びたものまで雑然と入り混じる。
――ここ、ルビー・ロード……何でこんな所にきてんの!?私!
「アーネスト様!止まって下さい!」
アーネストが振り返った。
「ルイシア嬢、どうした」
「何でルビー・ロードなんかに……私、いくらコーエンのことが心配でも、お酒飲みたいわけじゃないですよ!」
イベットは仁王立ちになって言い放った。
アーネストは目を丸くした。
しばらくして、「ふ」と息を吐くと、そのまま「はははっ」と笑った。
「何で笑ってるんですか!私は真剣にコーエンのこと……」
「分かってる。だから来たんだよ」
アーネストは、呼吸を整えると、「ついてきてくれ。話したいことがあるんだ」と言った。
アーネストは、ルビー・ロードの一画にある、小さな店の中へ手招きした。
木造でところどころ木が腐っている。店内には誰もいない。
店舗の突き当りには階段があった。どうやら地下に続くらしい。
「ここから下りる。暗いし急だから気を付けろ」
「……アーネスト様の方が、気を付けてください、足、まだ完全じゃないです」
「……余計なお世話だ」
アーネストはイベットに手を貸してくれた。
階段を降りると、地下通路になっていた。
「……なんですか、ここ」
アーネストはそれには答えず、歩きながら言った。
「カンパニーとルディックスの間で、気になる動きがないか調べた」
喉のあたりがぎゅっと縮まった。
「……それで」
「結論を言うと、特段目立つものはなかった」
「……そう、ですか。じゃあ……」
「だから、視野を広げてみた」
「……視野?」
そう言ったところで、突き当りに扉が見えた。アーネストは、ためらいもなくその扉を開ける。
彼に続いて中に入る。
右手には、誰もいないカウンター。ザクロ酒や山ブドウ酒の瓶が立ち並んでいる。
正面には、二人掛けのテーブルが四つ。奥には鉄扉があった。
クラブ――なのかしら。
左右の壁面を見て、イベットは声を上げた。
「……ひっ!」
棚を埋め尽くすように、銃が並んでいた。
太い銃口のピストルに、重そうな黒い猟銃、イベットでも担げそうなほど細い猟銃。
まるで展示品のように、ところ狭しと並んでいる。
棚のところどころに、小さなリリー灯が備え付けられ、艶やかなボディが浮かび上がっている。
イベットは、おそるおそる棚に近づいた。
しっとりとした光沢。弧を描くようになめらかなボディ。澄んだ黒。濁った黒。どっしりした茶。
靴みたい。イベットは並んだ銃の一つひとつに、心が吸い寄せられた。
「ここ、レヴィック家が懇意にしている、射撃場なんだ。まあ、社交場の一つだよ」
アーネストが、イベットの背後でそう言った。
「私、入っても大丈夫で……?」
「気にするな。マスターには話を通してある……まあ、詳しいことは今はいい。そこ、座れ」
アーネストはイベットが座れるように、椅子を引いてくれた。
「カンパニーとルディックスが密接に関係していたのは、二十年前だ」
アーネストは、当時のニュースペーパーを鞄から取り出した。
イベットは、少し緊張しながら手に取った。
アトリエ街にはかわら版しかない。こんな厚い合花紙を使い捨て。生活が違う。
そう思いながらも、目を走らせた。
「『防衛手順書の強化』と『武器強化』……何ですか、これ」
初めて聞く単語の羅列だった。
「ルイシア嬢は、職人階級だから知らないと思う。二十年前、ハノイットは他国の攻撃を受けた。北部地方のグレイスで」
「……え?他国?」
「『グレイスリリー戦争』と呼ばれる悲惨な事件だ。グレイスの一部は焼け落ちたし、当時の国王と王妃は退位している」
イベットは、何だか足が宙に浮いたような気がしてきた。
忘れてはいけないが、目の前のアーネストは、北部騎士団の一人だ。
イベットは、ぐっと手に力をこめると、アーネストに聞いた。
「だから、強化、ですか?武器を?」
アーネストは「そうだ」と頷くと、立ち上がった。
「その二つの強化政策の結果、十年かけて……模範のような武器が出来上がった」
アーネストは棚の中央から、銃を二丁抜き取った。
そのまま部屋の奥まで歩いて行き、鉄扉を開く。
鉄扉の向こうは射撃区画になっており、奥に二つの的が並んでいた。
アーネストは、イベットに防音の耳当てをよこすと、的と距離を取った。
「それぞれ三発ずつ撃つ。危ないから俺の背後に回れ」
言われた通りに背後に回ると、アーネストが銃を構えた。
イベットは息を止めた。
パンパンパンっ!!
軽やかで素早い銃声がとんだ。
アーネストは銃を持ち替え、もう一つの的を狙う。
パンっ、パンっ、パンっ!
今度は少し重たい音がした。発砲の間が長い。
イベットは、震える足で的の状態を見に行った。
最初の銃は、三発全て的の中央。弾丸の跡は驚くほど小さいのに的が焦げていた。
二つ目の銃は、的に当たっているが、中央からは微妙に逸れている。弾丸の跡は大きい。
「アーネスト様、これ……」
「最初に撃ったのが、十年式リリー銃。ハノイットで最も性能がいいと言われた、幻の銃だ」
「十年式、リリー銃……」
アーネストは、細くて黒いボディを見つめた。
「この銃の手順書は、誰も見つけられなかったらしい」




