◆4-9 靴を貢ぎなさい
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コーエンは、頭の中で靴底の切り取り方を計算していた。
――靴底本体は、薄く切り取るくらいなら大丈夫だろう。
靴なのだ。底がすり減ることを想定しない職人などいない。
数ミリ切り取っただけで、性能に問題をきたすようでは、靴として成立していない。
問題は結晶だ。あの結晶、何個埋め込まれていたっけ。
そこまで考えて、ふと顔を上げた。
随分、南まで歩いていた。振り返っても誰もいない。
カンパニーの敷地は広大だが、南にはほとんど施設がない。
まばらに植わっていた青ツツジすら姿を消し、乾いた砂利だけが広がっていた。
管理塔を隠すように茂る広葉樹の林だけが、不自然なほど緑色だった。
前にここに来たときは夜だったから、全然気づいていなかった。
樹林を抜けると、管理塔の手前で小さな少女がしゃがみ込んでいるのが見えた。
スコップを使い、土の中にせっせと何かを混ぜ込んでいる。
「サズカ、さん?」
サズカは、手を止めて顔を上げた。
「コーエンさん!?」
「……こんにちは。何をやっているんですか?」
コーエンは、サズカの横にあったバケツを見下ろした。中にはふかふかした茶色い粉がたくさん入っている。
「樹林のお世話です」
「……お世話?たしかに、管理塔の周りだけ、木がたくさん生えていますもんね。サズカさんは庭仕事がお好きなのですか?」
サズカは首を横に振った。その代わりに、エプロンのポケットから手順書を取り出した。
「護衛のお仕事のひとつです」
そう言ってサズカは茶色い粉を手に取ると、コーエンに見せた。
「東部地方の落ち葉を熟成させたものなんです。臭いですよ」
言われてみると、僅かに腐った紅茶のようなにおいがした。
「エピ様のお母さまの、マーガレット様が作った手順書なんです。こうすれば、木が枯れないそうです。理由は分かりません……ってやだ!また私がしゃべりすぎちゃった」
サズカは、パンパン手をはたいて粉を手から落とした。
「それで、コーエンさんはなぜここに?」
「……王女様に、お願いがあって。面談、可能ですか」
サズカは少し考えると、ちらっと管理塔の上の方を見た。
「エピ様に聞いてみます。もしかしたら、無理かもです。まだお休みでしたから」
「……え?今、昼……公務は?」
「エピ様の公務は夜ですから。昼間はお休みしないとダメです。お身体に障りますから」
サズカは、少しだけ語尾を強くした。
「少しお待ちくださいね」
そう言って、小さな身体で扉を開けると、闇の中に消えて行った。
コーエンも、管理塔の最上部を見た。
太陽の光が暖かい。あの時の冷たい青白い光はなかった。
しばらくすると、サズカが手招きした。
「エピ様が、承知なさいました」
コーエンが「ありがとうございます」と頭を下げると、サズカは申し訳なさそうに耳打った。
「気を付けてくださいね。エピ様ご機嫌斜めかもしれません。でも、許してあげてください」
塔に入ると、螺旋階段の上ではなくて、入口の反対側に通された。
わずかだが石壁に穴が開いており、隙間から陽の光が差し込んでいる。
一番奥に、青銅製の扉があった。
サズカは扉を叩いた。
「エピ様、入りますよ」
コーエンの目に、手順書の山が飛び込んできた。左の壁にも、右の壁にも。上から下まで。
背表紙が擦り切れた分厚い書籍、薄くて縦長の形の冊子、横置きに積まれた合花紙の束。
部屋の奥は、ダークグリーンの質の良いカーテンが間仕切りのように引かれている。隙間から僅かに家具のようなものが見えた。
「コーエン・アルミナイト。いい報告でもあるのかしら?王女の部屋に上がり込むからには」
エピフィラムは、部屋の中央のソファに背を預け、優雅に足を組んでいた。
人形のように端正な顔には、いつも通りの高慢な笑みが浮かんでいる。
しかし、特徴的な長い黒髪は、顔の横で簡易的に結ばれているだけで、艶がない。
身に着けている衣服は無地の飾りのないワンピース。お世辞にも王女のそれには見えなかった。
何より、随分顔が青白く見えた。
コーエンは、一拍遅れて答えた。
「……いい報告はありません。お願い事に来ました」
「世の中は、互恵関係でなりたっているのよ。ご存じ?」
「……すみません。お渡しできるものは何もないですが……エピフィラム様の、絶縁靴。少し切り取らせて、下さい」
エピフィラムは足を組むのをやめ、手で靴を庇うようなしぐさをした。
「……なぜ?」
「解析を、したくて」
「なぜ、靴を解析するの」
「……それは」
コーエンは、口をつぐんだ。
――しまった。切り取り方しか考えていなかった。
コーエンはふと思った。
エピフィラムの絶縁靴は、修理したとはいえもうくたびれている。
遠目に分からない程度に、破れた部分がつながっているだけだ。
機能は保っているが、到底満足いく仕上がりだとは言い難い。
もし、絶縁靴を完成させられたら――
コーエンは、ぽろりと口に出した。
「……その、新しい靴を、作りませんか」
「……え?」
エピフィラムのエメラルド色の目が、小さく瞬いた。
しかし、すぐに無表情に戻る。
「レオニダスの差し金ですか」
エピフィラムはもう一度足を組むと、ソファに踏ん反りかえった。
「私は知っています。レオニダスはリリーを増やしたい。だから、あなたたちを使って、育てる方法を解析しようとしている。大方、この靴が何か解析の役に立つと踏んだのでしょう?」
「……」
コーエンは口をつぐんだ。確かに、そうだ。
そうだが――
コーエンは、王女の傍まで行くと、片膝をついた。
「靴、見せてください」
エピフィラムは反射的に距離を開けた。
しかし、表情と声はいたって落ち着いていた。
「靴職人コーエン。あなた、私が頼んだことをもうお忘れで?」
「忘れていません」
「嘘おっしゃい。レオニダスに味方をするなら、私はあなたを『禁学罪』で、訴えることもできるのですよ。立場をわきまえなさい」
エピフィラムは淡々と言い放ったが、緑色の目は、頑固な子供のようだった。
コーエンは、小さく息を吐いた。
「僕の目的は、アトリエに帰ることです。レオニダス家に取り入ることではありません」
エピフィラムが、僅かに足を動かした。コーエンは構わず続けた。
「考えてください。シグリッド様や、そのお父上の公爵様に逆らって、アトリエの皆が無事で済むとお思いですか」
サズカが部屋の隅でモソモソしたのが、視界の端に入った。
エピフィラムは、顔の横で結った髪を後ろにバサッと払った。そして口を僅かにひきつらせる。
「あなたは、私を盾に使えば、レオニダス卿を追い落とすこともできるのですよ。そうしたら、アトリエに帰れるかもしれない」
「僕はあなたと違って、リリーが絶対に絶滅するとは思っていません。手順書と仕上がりがズレているのが、気持ち悪いだけです」
エピフィラムは、ふと顔を曇らせた。
「では、あなたは何をしたいのです――」
「知りたいんです。リリーに何が起こっているのか。本当に絶滅するのか。なぜ、あなただけ育てられるのか。知った上で――アトリエに、帰る」
コーエンは、一息で言い切った。言った傍から喉が渇いてきた。
「……そんな、中途半端な」
エピフィラムが口を開きかけたが、コーエンは続けた。
「それに、靴を作りたいのは、理由があります。少し失礼します」
コーエンは、いかにも自然にエピフィラムの足首に触れると、靴を手前に引き寄せた。
「……無礼者っ!」
「これです」
エピフィラムがきょとんとした。
コーエンの指が指し示していたのは、革と革とが継ぎ合わされた後の、僅かな継ぎ目だった。
「ここです。この継ぎ目。これが気になって仕方ないんです。多分もっとうまく作れます」
部屋がしん、となった。
エピフィラムがあっけにとられた顔をしていた。後ろではサズカが笑いをこらえている。
「何ですか」
サズカが、小さく答えた。
「コーエンさん、不満そうでしたよね。私が、それを受け取ったとき……」
エピフィラムは、少しだけ口元を吊り上げた。
足を大きく跳ね上げ、コーエンの手を蹴り払った。
「いいでしょう、切片でも何でも持っていきなさい。その代わり」
意地悪く笑った。
「私に、最高の絶縁靴を貢ぐのです。エリカに作った献上靴よりも、もっと素敵なものを所望しますよ。納期はひと月。遅延は許しません」




