◆4-8 切片をください
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「ねえ母様、セントラルのリリー灯には色があるんだって。見たいな。母様、見たいな」
「クラーラ、そのうちね」
「ねえ、メフォイアには、何で白色の灯しかないの?どうして」
「マザー・リリーは畑とけんかしちゃうのよ」
「けんかしないようにすればいいじゃない」
「無理よ。そういう風にできてるの」
「お野菜も、小麦も、セントラルにいっちゃうんでしょ。リリーとけんかしちゃうじゃん」
「死んだ野菜はけんかしないの。かわりにお恵みがあるでしょう。加工されてちゃんと戻って来る」
「少ないじゃん」
「クラーラ」
「母様、メフォイアにもリリーがたくさん欲しい。私、リリーをつくりたい。そうすればもっと……」
「だめよ、絶対に」
「何で」
「そんなことを言う子には――ハノイット様のバチが当たります」
クラーラはふと、メフォイアにいた頃を思い出した。
「バチ……ね。当たったじゃない、何もしなくても」
クラーラは、ベンチの背もたれに身体を預けた。砂利がどこまでも転がっている。
本当は地面に寝ころびたい。ふさふさの草の上で、空を見て。
ふと、青ツツジの枝が視界に入る。ベンチの背後にぽつんと生えていたのだ。
指先でつん、とつついてみた。
メフォイアのものより、茶色くて、カサついて、小さい。
けんか、ね。
あーあ。
変なこと思い出しちゃった。
先輩に謝らなきゃ。コーエンにも。でも、どうすればいいんだっけ?
*
翌朝、コーエンはいつもより早く宿舎を出た。
朝からエックハルトと「絶縁靴」の解析作戦を立てることになっていたからだ。
コーエンは、ちょうど正門の前を通りかかった。
ぽつぽつと、出仕してくる官吏たちが見える。
乱れのない髪、皺ひとつない制服。同じ服でも彼らが着ると妙に引き締まって見える。アトリエ街みたいに、眠そうにあくびをしている人間などいない。
通いの官吏は、「手順書管理室」か「司書室」の人間で、たいがい家柄がいいそうだ。
エックハルトがそう言っていた。とても嫌そうに。
びゅうっ、と少し涼しい風が吹いた。
ついこの間まで張り付くような暑さだったのに。
アトリエ街では、毎年この時期に『秋市』が開かれる。
アズソールはいつもそこで個展を開く。結構人気で、ウィズダム総出で大忙しなのである。
――アズソール。今年は何を作る?
コーエンはふっと顔を緩めたが、すぐに真顔になった。
そのまま解析室の方に速足で向かった。
*
「おはようございま――え?」
実験台の上には、既に器具がいくつか置かれていた。
ガラス容器に、測定器、花油のランプに、手順書数冊。クラーラがよく使っている拡大鏡の覆いは取り払われ、埃まできれいにされていた。
コーエンはつい時計を確認した。約束の時間よりまだ早い。
「……エックハルト様!?」
コーエンは慌てて中扉を開けた。
エックハルトは、評議室の机の上に手順書を広げていた。横にはコーエンの描いた設計図がある。
そして、初めて見る細い金縁の眼鏡をかけていた。
「……来たか。いくつか解析のプランは組んでみた。お前の意見も聞かせろ」
コーエンは、目の前にアリアナがいるのかと思って面食らった。しかし負けてはいられない。
「……僕も、考えてます。靴ですし」
「そうか。それならまずはすり合わせて、方向性を固める。時間は無駄にしない。はじめるぞ」
*
エックハルトは実験台に何冊か手順書を置くと、靴の設計図をコーエンの前に滑らせた。
「気になっているんだが、お前は何を根拠にこの靴を修理したんだ?手順書もないのに」
そう言って、アッパーの部分——デポンとイートラの複合革を指さした。
コーエンは、おそるおそるエックハルトの顔色を窺った。
「なんだ、変な顔をして」
「……エックハルト様は、ウィズダムを訴えたりしませんよね……僕が、手順書を見ずに修理したせいで。答える前に、それだけ確認させてください」
エックハルトは無言になり、少し首をひねった。
「俺は告発しないが、違法にならんとは言い切れない。軽はずみにそういうことをするものじゃない」
「……そうですよね」
「以後慎め。それより早く問いに答えろ」
絶妙に怪しい結論だと思ったが、エックハルトには断罪されないと解釈した。
「手元に現物がないので、何とも言い辛いのですが……しいて言うなら『ざらつき』です」
コーエンは、自分の着ていた白衣を脱ぐと実験台の上に広げ、すっと手のひらを滑らせた。
「カンパニーの白衣は、ロベリカ糸、平織り、炉入り三十分未満……くらいの布、使ってます。高級です」
エックハルトは、コーエンの手元を注意深く見ていたが、
「……分からんな。感覚じゃなくて具体的に話せ」と言った。
コーエンは、拡大鏡の台座の上に、白衣の袖部分を挟んだ。
「エックハルト様はもちろんご存じだと思いますが……」
そう言いながら、ハンドルを回してピントを合わせた。
「リリーの加工品には、反応残渣があります。かけた温度や力、リリーの品種によって、残渣の形状や大きさが違います」
コーエンは、エックハルトに拡大鏡を見るように促した。
彼は拡大鏡を覗くと、リリーの『反応便覧』と照合した。
この便覧の抄録はアトリエにも置いてあるが、さすがにカンパニーにあるものは桁違いに分厚い。
にも拘わらず、エックハルトは目録すら見ずに該当のページを探しあてた。
「ロベリカ、五十度……一時間以内の反応残渣。射程に入っている……」
エックハルトが口の端を上げて笑った。
「僕は、残渣の特徴を……ほとんど覚えています。手で」
エックハルトは分厚い便覧と、コーエンの手を見比べた。
しばらくすると、
「……手で覚えてる?全部をか!?」とわずかに大きな声で問い返した。
「……全部、まではさすがに」
決まりが悪かったが、そのまま続けた。
「残渣の形状、大きさ。湿度。大方『ざらつき』として識別できます。ある程度基本を覚えたら、逆算で特定できます」
エックハルトは、新種の生物を見るような目になっていた。
「何をどうしたら、そうなる」
「……」
コーエンは、答える代わりに、ふと思い出した。
最初に触れたのは、花結晶だった。
『緑の花結晶はざらつきが大きいのよ。赤は滑らか。ほら触って』
『青は――固くてすきじゃない』
そう伝えると、笑ってくれた。手の感覚なら会話ができた。
本当にそれだけのことだった。
「……鍛えたんです、昔。それだけです」
コーエンは、小さな声で答えた。
エックハルトは、ちらりとコーエンの顔に目を向けた。
特に何も問いかけることなく、再び靴の設計図を手に取った。
「……お前は絶縁靴の素材も、『ざらつき』で判断したってことか」
「……はい。ただ……それを直した時、随分靴が摩耗していて。手触りの精度が狂うので、だいぶ微調整しました。本当はもっと精度を上げたかったんですけど、三十分しか時間が……」
そこまで言って、コーエンは黙った。
エックハルトは腕を組んだまま無言だったので、コーエンは少し背を丸めた。
「……職人の感覚にも理由があるんだな」
コーエンは、猫背のまま目を開いた。
――もっと話せる気がする。
「悔しいのはこれです」
手近にあったガラスペンを抜き取ると、二か所印をつけた。
靴底の厚みをだすための素材部と、底の内側に埋め込まれた結晶部。
エックハルトはその印を目で追った。
コーエンは感覚を思い出すように指をこすり合わせた。
「読めませんでした。この二つ」
「……お前の話だと、残渣があれば読めるのだろう?」
コーエンは首を左右に振った。
「底は残渣の形が複雑すぎて、どういう風に反応させたのかがわかりません」
「……結晶の方は」
「施されたカットが細かすぎて、残渣を読み取れません」
エックハルトは、少し笑うと急に立ち上がった。
チェストの中から標本を数種取り出すと、ガラス容器に入れて実験台に置いた。
次に、反対側の棚の下扉から、鉛筆型のリリー灯を何本か取り出した。
エックハルトは、コーエンの方を一瞥すると、
「底の材質の検証ならできるかもしれん。保証はしないが」と言った。
コーエンが驚く間もなく、エックハルトはカーテンを閉め、部屋の灯を消した。
急に実験室が暗転した。
前触れもない暗闇に身の毛がよだったが、息をゆっくり吐き出した。昔なら完全にアウトだった。
間もなく、暗闇から橙色の灯の玉が浮かび上がった。
エックハルトが持っている鉛筆型のリリー灯。
しかし、目を凝らすともう一か所だけ、淡く光っていた。
リリーの標本だった。
コーエンの身体が、勝手に動いた。
膝をついて、実験台に置かれた標本に目線を合わせる。
「……すごい。これ、何ですか」
「共鳴、だ」
「……共鳴??」
「マザー・リリーは同じ品種の光が当たると、光る。仕組みは知らん」
コーエンは、ふと管理塔の中を思い出した。サズカがコーエンの持っていたリリー灯を、
青いものに取り換えた。あれも何か『共鳴』に関係するのだろうか。
「美しい、ですね」
コーエンは、ほんのわずかに口元を緩めた。
エックハルトは小さく「そうだな」と言い、部屋の灯を元に戻した。
「話を続ける。灯を正しく当てて『共鳴』させれば、材質のアタリはつくと思う。期待するな。あくまで、仮説だ。加工品でも反応自体は起こるが……発光強度が弱い」
コーエンは話を真面目に聞いていたが、思わずこぼれた。
「エックハルト様って、すごいですね。先ほどは、反応便覧は目録も見ずに、照合されてましたし」
エックハルトは苦虫をかみつぶしたような顔をした。
「……司書室の官吏なら、それくらい普通にできる。特別なことじゃない」
「……そうなんです、か?」
エックハルトは、コーエンを一瞥すると話題を変えた。
「そんなことより。非常に重要な問題がある。一つ頼まれてくれ」
「……なんでしょう?」
エックハルトが、わずかに笑った。
「現物がない」
「……あ」
「……エピフィラム王女から、現物をもらいに行ってくれ。切片でいい」
コーエンは、目線をさまよわせた。
エピフィラムは、くたびれても破れてもあの靴を履いていた。
いくら解析のためとはいえ、切片を切り取ることなど許してくれるのだろうか。
それに、材質も構造も明確になっていないのに、下手に切り取っていいものか。方法を考えなければ。
もう一度現物を見て。
管理塔に最後に行ってから半月がたつ。
あれから、王女が解析室に現れることはなかった。
ほっとしつつも、ほんのわずかに気になってはいた。彼女は普段、何をしているのだろうと。
「……仕事なら、行きます」
コーエンはそう答えた。




