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『禁学の靴職人』―手順書しかない国で―  作者: 稲生おこめ
第4幕 「コーエン・キャンベル」編
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41/48

◆4-8 切片をください

 

***

「ねえ母様、セントラルのリリー灯には色があるんだって。見たいな。母様、見たいな」

「クラーラ、そのうちね」

「ねえ、メフォイアには、何で白色の灯しかないの?どうして」

「マザー・リリーは畑とけんかしちゃうのよ」

「けんかしないようにすればいいじゃない」

「無理よ。そういう風にできてるの」

「お野菜も、小麦も、セントラルにいっちゃうんでしょ。リリーとけんかしちゃうじゃん」

「死んだ野菜はけんかしないの。かわりにお恵みがあるでしょう。加工されてちゃんと戻って来る」

「少ないじゃん」

「クラーラ」

「母様、メフォイアにもリリーがたくさん欲しい。私、リリーをつくりたい。そうすればもっと……」

「だめよ、絶対に」

「何で」

「そんなことを言う子には――ハノイット様のバチが当たります」


 クラーラはふと、メフォイアにいた頃を思い出した。

「バチ……ね。当たったじゃない、何もしなくても」


 クラーラは、ベンチの背もたれに身体を預けた。砂利がどこまでも転がっている。

 本当は地面に寝ころびたい。ふさふさの草の上で、空を見て。

 ふと、青ツツジの枝が視界に入る。ベンチの背後にぽつんと生えていたのだ。

 指先でつん、とつついてみた。

 メフォイアのものより、茶色くて、カサついて、小さい。

 けんか、ね。


 あーあ。

 変なこと思い出しちゃった。

 先輩に謝らなきゃ。コーエンにも。でも、どうすればいいんだっけ?


 *

 翌朝、コーエンはいつもより早く宿舎を出た。

 朝からエックハルトと「絶縁靴」の解析作戦を立てることになっていたからだ。


 コーエンは、ちょうど正門の前を通りかかった。

 ぽつぽつと、出仕してくる官吏たちが見える。

 乱れのない髪、皺ひとつない制服。同じ服でも彼らが着ると妙に引き締まって見える。アトリエ街みたいに、眠そうにあくびをしている人間などいない。

 通いの官吏は、「手順書管理室」か「司書室」の人間で、たいがい家柄がいいそうだ。

 エックハルトがそう言っていた。とても嫌そうに。


 びゅうっ、と少し涼しい風が吹いた。

 ついこの間まで張り付くような暑さだったのに。


 アトリエ街では、毎年この時期に『秋市』が開かれる。

 アズソールはいつもそこで個展を開く。結構人気で、ウィズダム総出で大忙しなのである。


 ――アズソール。今年は何を作る?


 コーエンはふっと顔を緩めたが、すぐに真顔になった。

 そのまま解析室の方に速足で向かった。


 *

「おはようございま――え?」


 実験台の上には、既に器具がいくつか置かれていた。

 ガラス容器に、測定器、花油のランプに、手順書数冊。クラーラがよく使っている拡大鏡の覆いは取り払われ、埃まできれいにされていた。

 コーエンはつい時計を確認した。約束の時間よりまだ早い。


「……エックハルト様!?」

 コーエンは慌てて中扉を開けた。

 エックハルトは、評議室の机の上に手順書を広げていた。横にはコーエンの描いた設計図がある。

 そして、初めて見る細い金縁の眼鏡をかけていた。


「……来たか。いくつか解析のプランは組んでみた。お前の意見も聞かせろ」


 コーエンは、目の前にアリアナがいるのかと思って面食らった。しかし負けてはいられない。


「……僕も、考えてます。靴ですし」

「そうか。それならまずはすり合わせて、方向性を固める。時間は無駄にしない。はじめるぞ」


 *

 エックハルトは実験台に何冊か手順書を置くと、靴の設計図をコーエンの前に滑らせた。


「気になっているんだが、お前は何を根拠にこの靴を修理したんだ?手順書もないのに」

 そう言って、アッパーの部分——デポンとイートラの複合革を指さした。

 コーエンは、おそるおそるエックハルトの顔色を窺った。

「なんだ、変な顔をして」

「……エックハルト様は、ウィズダムを訴えたりしませんよね……僕が、手順書を見ずに修理したせいで。答える前に、それだけ確認させてください」

 エックハルトは無言になり、少し首をひねった。


「俺は告発しないが、違法にならんとは言い切れない。軽はずみにそういうことをするものじゃない」

「……そうですよね」

「以後慎め。それより早く問いに答えろ」


 絶妙に怪しい結論だと思ったが、エックハルトには断罪されないと解釈した。


「手元に現物がないので、何とも言い辛いのですが……しいて言うなら『ざらつき』です」


 コーエンは、自分の着ていた白衣を脱ぐと実験台の上に広げ、すっと手のひらを滑らせた。


「カンパニーの白衣は、ロベリカ糸、平織り、炉入り三十分未満……くらいの布、使ってます。高級です」


 エックハルトは、コーエンの手元を注意深く見ていたが、

「……分からんな。感覚じゃなくて具体的に話せ」と言った。


 コーエンは、拡大鏡の台座の上に、白衣の袖部分を挟んだ。

「エックハルト様はもちろんご存じだと思いますが……」


 そう言いながら、ハンドルを回してピントを合わせた。

「リリーの加工品には、反応残渣があります。かけた温度や力、リリーの品種によって、残渣の形状や大きさが違います」

 コーエンは、エックハルトに拡大鏡を見るように促した。

 彼は拡大鏡を覗くと、リリーの『反応便覧』と照合した。

 この便覧の抄録はアトリエにも置いてあるが、さすがにカンパニーにあるものは桁違いに分厚い。

 にも拘わらず、エックハルトは目録すら見ずに該当のページを探しあてた。


「ロベリカ、五十度……一時間以内の反応残渣。射程に入っている……」

 エックハルトが口の端を上げて笑った。


「僕は、残渣の特徴を……ほとんど覚えています。手で」


 エックハルトは分厚い便覧と、コーエンの手を見比べた。

 しばらくすると、

「……手で覚えてる?全部をか!?」とわずかに大きな声で問い返した。

「……全部、まではさすがに」


 決まりが悪かったが、そのまま続けた。

「残渣の形状、大きさ。湿度。大方『ざらつき』として識別できます。ある程度基本を覚えたら、逆算で特定できます」

 エックハルトは、新種の生物を見るような目になっていた。


「何をどうしたら、そうなる」

「……」


 コーエンは、答える代わりに、ふと思い出した。


 最初に触れたのは、花結晶だった。

『緑の花結晶はざらつきが大きいのよ。赤は滑らか。ほら触って』

『青は――固くてすきじゃない』

 そう伝えると、笑ってくれた。手の感覚なら会話ができた。

 本当にそれだけのことだった。


「……鍛えたんです、昔。それだけです」

 コーエンは、小さな声で答えた。

 エックハルトは、ちらりとコーエンの顔に目を向けた。

 特に何も問いかけることなく、再び靴の設計図を手に取った。


「……お前は絶縁靴の素材も、『ざらつき』で判断したってことか」


「……はい。ただ……それを直した時、随分靴が摩耗していて。手触りの精度が狂うので、だいぶ微調整しました。本当はもっと精度を上げたかったんですけど、三十分しか時間が……」


 そこまで言って、コーエンは黙った。

 エックハルトは腕を組んだまま無言だったので、コーエンは少し背を丸めた。


「……職人の感覚にも理由があるんだな」


 コーエンは、猫背のまま目を開いた。

 ――もっと話せる気がする。


「悔しいのはこれです」


 手近にあったガラスペンを抜き取ると、二か所印をつけた。

 靴底の厚みをだすための素材部と、底の内側に埋め込まれた結晶部。

 エックハルトはその印を目で追った。


 コーエンは感覚を思い出すように指をこすり合わせた。


「読めませんでした。この二つ」

「……お前の話だと、残渣があれば読めるのだろう?」


 コーエンは首を左右に振った。

「底は残渣の形が複雑すぎて、どういう風に反応させたのかがわかりません」

「……結晶の方は」

「施されたカットが細かすぎて、残渣を読み取れません」


 エックハルトは、少し笑うと急に立ち上がった。

 チェストの中から標本を数種取り出すと、ガラス容器に入れて実験台に置いた。

 次に、反対側の棚の下扉から、鉛筆型のリリー灯を何本か取り出した。


 エックハルトは、コーエンの方を一瞥すると、

「底の材質の検証ならできるかもしれん。保証はしないが」と言った。


 コーエンが驚く間もなく、エックハルトはカーテンを閉め、部屋の灯を消した。

 急に実験室が暗転した。

 前触れもない暗闇に身の毛がよだったが、息をゆっくり吐き出した。昔なら完全にアウトだった。


 間もなく、暗闇から橙色の灯の玉が浮かび上がった。

 エックハルトが持っている鉛筆型のリリー灯。

 しかし、目を凝らすともう一か所だけ、淡く光っていた。

 リリーの標本だった。


 コーエンの身体が、勝手に動いた。

 膝をついて、実験台に置かれた標本に目線を合わせる。


「……すごい。これ、何ですか」

「共鳴、だ」

「……共鳴??」

「マザー・リリーは同じ品種の光が当たると、光る。仕組みは知らん」


 コーエンは、ふと管理塔の中を思い出した。サズカがコーエンの持っていたリリー灯を、

 青いものに取り換えた。あれも何か『共鳴』に関係するのだろうか。


「美しい、ですね」

 コーエンは、ほんのわずかに口元を緩めた。

 エックハルトは小さく「そうだな」と言い、部屋の灯を元に戻した。


「話を続ける。灯を正しく当てて『共鳴』させれば、材質のアタリはつくと思う。期待するな。あくまで、仮説だ。加工品でも反応自体は起こるが……発光強度が弱い」


 コーエンは話を真面目に聞いていたが、思わずこぼれた。

「エックハルト様って、すごいですね。先ほどは、反応便覧は目録も見ずに、照合されてましたし」


 エックハルトは苦虫をかみつぶしたような顔をした。

「……司書室の官吏なら、それくらい普通にできる。特別なことじゃない」

「……そうなんです、か?」


 エックハルトは、コーエンを一瞥すると話題を変えた。


「そんなことより。非常に重要な問題がある。一つ頼まれてくれ」

「……なんでしょう?」


 エックハルトが、わずかに笑った。

「現物がない」

「……あ」

「……エピフィラム王女から、現物をもらいに行ってくれ。切片でいい」


 コーエンは、目線をさまよわせた。

 エピフィラムは、くたびれても破れてもあの靴を履いていた。

 いくら解析のためとはいえ、切片を切り取ることなど許してくれるのだろうか。

 それに、材質も構造も明確になっていないのに、下手に切り取っていいものか。方法を考えなければ。

 もう一度現物を見て。


 管理塔に最後に行ってから半月がたつ。

 あれから、王女が解析室に現れることはなかった。

 ほっとしつつも、ほんのわずかに気になってはいた。彼女は普段、何をしているのだろうと。


「……仕事なら、行きます」


 コーエンはそう答えた。

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