◆4-7 王女を解析せよ
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コーエンは、シグリッドの背中をぼんやり見送った。
なぜ、俺は嘘をついた?
「王女から、『マザー・リリーを死なせたいから何とかしろ』と命令された」
なんて、あの男に言ったら……?
笑われるだけならまだいい。
シグリッドに歯向かおうとしている、なんて思われたら厄介だ。
下手したらまた囲われる。昔みたいに。そんなのはもうごめんだ。
アトリエに帰りたい。誰も傷つけず、何事もなかったように。
そのために、触れて、感じて、考える。
シグリッドに背くのは得策ではない。
――それだけ?
コーエンは、手のひらの感覚を思い出した。
あの時直した、靴。
くたりと垂れた革の、頼りない柔らかさ。
削れた底のざらつき。
その感覚を手繰り寄せるように、指を握る。
あの日、管理塔で見たエピフィラムが「絶縁靴」と重なった。
全部が「壊れて」見えた。
それでも彼女は、
唯一の縁だとでも言うように、あの靴を履き続ける。
あの毒。
あの毒のことを、少しでも知ることができたら。
壊れたものを、繋ぎ止めることができるのだろうか。
こんな手でも、まだ。
――帰りたい。でも。
コーエンは、扉を開けた。
エックハルトとクラーラは実験台の傍に立って議論をしていた。
エルマー室長は窓辺で再び居眠りしている。
「エックハルト様、クラーラ様」
コーエンが呼びかけると、二人とも顔を上げた。
エックハルトは問いかけた。
「……シグリッド様は、戻ったか」
「……はい」
少し間が開いたが、コーエンは声を絞り出した。
「話したいことがあります」
コーエンは二人の傍まで行くと、実験台の上に置かれた小瓶を初めて手に取った。
軽かった。
傾ければ砂時計みたいにさらりと流れる。
貝殻を細かく砕いたような質感。
濁った白。曇った白。
粒子の一つ一つ、色が違う。まるで生きているようだ。
コーエンは、小さく息を吸った。
「僕も、これのこと知りたいです……だから管理塔で見たこと、話します。必要な情報かもしれないので」
エックハルトとクラーラは意外そうに顔を見合わせたが、黙って二人の間を開けた。
「紙とペン、使わせてください」
コーエンはそう言って、小瓶を置き、手近にあった合花紙とガラスペンを手に取った。
紙を広げると、迷いなく線をひいた。カリッとペン先がこすれる音が実験室に響いた。
エックハルトとクラーラは、無言でペンの流れを見ていた。
緩やかな輪郭線、厚みのある底。
素材の名前を付け加えていく。
妙に手に汗が出る。
随分長い間、仕事でしか設計図を引いていない。
自分の意思で線を描いたのは、いつのことだろう。
最後の一画をつなげると、紙を反転させ、差し出した。
「これは……アトリエで僕が修理した、エピフィラム様の靴です」
エックハルトは、突然差し出された設計図を前に、しばらく無言になった。
「……靴?」
クラーラもその横で首をかしげた。
コーエンは、やっぱりそうなるよな、と自分に呆れつつも先を続けた。
「エピフィラム様はこの靴を『絶縁靴』と呼びました。彼女の身体、マザー・リリーとつながっているのかもしれません」
まるで消化不良でも起こしたように、変な沈黙がにじんだ。
「……コーエン、ちょっと話が読めないかも。それは何かの例えかな?人間と植物がつながるはずないでしょ?」
クラーラは、いつもの熱っぽい目にはならなかった。
エックハルトも期待していた答えと違っていたのか、淡々と答えた。
「俺たちが知りたいのは、王女がどのようにしてリリーを育てているか。条件、環境。育成方法を手順に落とすための情報だ。お前は言葉が足りなすぎる。順序立てて話せ」
エックハルトの言っていることは、真っ当だ。
王族しか関与できない秘密だらけの空間に、コーエンはなぜか入ることを許された。
当然、彼らが期待しているのは、管理塔の中の情報だろう。そんなことは分かってる。
暗い横穴、青い光、充満する甘い香気、群生するマザー・リリーの花。
伝えるべき情報はたくさんある。でも、重要なのはそれじゃない。あの空気に触れてそう感じた。
マザー・リリーを育てるために必要な条件。
最も根本的で異常なものは――エピフィラム王女の身体だ。
だからこの靴を描いたのだ。
コーエンは、唾を飲み込んだ。
「この靴を履かないと『リリーになる』って言ったんです。ご本人が」
クラーラがわずかに身を乗り出した。
「リリーになる……?何、それ」
コーエンは設計図の隣に、毒の小瓶を置いた。
「王女様は……この毒を口にされたそうです」
コーエンは一度口を閉じた。言うか言わまいか、少し迷った。
「……国王様に命じられて。それからずっと管理塔で生活を」
エックハルトの瞳がわずかに揺れた。
片方の口をひきつらせ、笑っているようにも見える。
「……何だよ、それ」
コーエンは首を横に振った。
「僕が聞いたのはここまでで……それ以上のことはわかりません」
クラーラは口元に指を添えて思案していたが、しばらくして口を開いた。
「つまり、エピフィラム王女がリリーの『育て』になったのは――この毒のせいってこと?」
「……そこまでは」
コーエンは言いよどんだが、クラーラは独り言のように続ける。
「毒の作用で『リリーになる』ってこと?ほんと?――それでこの靴?」
クラーラの独り言を片耳に、コーエンも考えた。
確かにエピフィラムは『リリーになる』と言った。
でも、今思うとそれがどういう状態なのかも、絶縁靴との関係性もよくわからない。
ましてや、それが花を育てられる理由になるのかもわからない。
笑えるくらい曖昧だ。
でも――嘘ではないと思う。
それだけは、自分の手が感じたのだ。あの靴に触れた時。
「――この毒を受け入れた者のみが、リリーの『育て』になれる」
エックハルトが、小さくつぶやいた。
その言葉にクラーラが反応した。彼女はどこか楽観的な表情で、エックハルトの顔を覗き込んだ。
「……それ、シグリッド様が言ってた『王族の言い伝え』?」
「……ああ」
エックハルトは神妙な顔をしているが、クラーラはどこか楽しげに笑っている。
「シグリッド様ってさ、この毒がどう使われてるか多分知ってるんじゃないかな。その上で、調べろって言ってるんだわ。ははっ!」
「……クラーラ様。それは、何が言いたいのでしょうか」
コーエンは思わずそう問うた。
なぜ、楽しそうなのだろう。クラーラの笑顔を少し不気味に感じてしまった。
クラーラは、質問を受けた教師のように、いかにも普通に答えた。
「使われ方は知っているけど、この粉の『作用』が分からないってことよ。詳しく話そうか?」
クラーラは小瓶とコーエンの描いた設計図をひっつかむと、評議室の中扉を開けた。
そのままブラックボードの前に立つと、こちらを手招きした。
「シグリッド様もね、エピフィラム王女が毒を口にしたことで、『育て』になったと考えてるんだわ」
クラーラは白石を持つと、ブラックボードに文字を書き加えていく。
「でも、なぜ毒を飲めば、リリーを育てられるようになるのかが分からない」
クラーラの声がだんだんと弾んできた。文字を書き込むスピードが早くなってくる。
「だから、この毒が王女の身体にもたらす『作用』を、明らかにしろって言いたいのよ、きっと」
コーエンは、クラーラの書く文字を見ながら、背筋に妙な寒気が走るのを感じた。
「クラーラ様。それって、目的は……?」
クラーラはニコッと笑った。
「『作用』が分かれば、奇跡じゃなくなるわ。毒のおかげでリリーが育てられるようになるなら、作用を解析して手順書にすればいいんじゃないかな。合理的だよね」
コーエンの胸に、激しい不快感が突き抜けた。
「本気、ですか……?」
気づけばそう答えていた。
エックハルトは、コーエンの反応を横目に、厳しい口調で言った。
「クラーラ。お前、自分が言っていること理解できてるか」
一瞬だけ、クラーラの肩がピクリと動いた。
「……理解してるわよ」
「そうは見えないが」
「私は合理的って言っただけ!闇雲に解析してるだけじゃ、いつまでたってもマザー・リリーを育てられないよ!?私は早く結論を知りたい。先輩だって、早く「ラントル家」に帰りたいでしょ!」
「……知ったこと言うな!お前、少しは学べ!」
エックハルトが、クラーラに向かって声を荒げた。
クラーラが、大きな目を少し潤ませた。
コーエンは、二人の姿を呆然と見つめた。
「……ごめん。また私、いき過ぎた?」
クラーラはそう言って、静かに白石を置いた。
「……悪い」
エックハルトは、視線を横にずらした。
「ううん……ちょっと頭ひやす」
クラーラは、そう言い残すとそのまま評議室を出て行った。
「何の騒ぎじゃ……?」
背後から声がしたので振り返ると、エルマー室長がぬぼっとした顔で評議室にやって来た。
「……エルじい、今更なんだ」
「クラーラ君が出て行ったぞ、エックハルト」
「……しばらく放っておく。それよりエルマー室長」
エックハルトはエルマーに詰め寄ると、小瓶を叩くように押し付けた。
「いい加減あなたが決めてくれませんか。シグリッド様の依頼を引き受けるか、受けないか。この解析室の室長はあなただ。いつもいつも、耄碌したふりしやがって。ふざけんな」
そこまで言って、エックハルトは黙った。
「……知りたかったんじゃないのかね、君は」
エルマーは押し付けられた瓶を一度受け取ると、脇に置いた。
「そう決めたなら、方法まで考えなさい」
「……俺の質問には答えないんだな」
「耄碌した爺さんの指示など必要ないからの。ふぉふぉっ」
そういうと、エルマー室長はコーエンの近くにもそもそとやって来た。
本当に寝てたのか狸寝入りをしていたのか知らないが、髭が折れ曲がってる。
髭を枕にでもしていたのだろうか。
「君はシグリッド卿に見込まれたが運のつきだの」
「……いつから、あなたは知っていたんですか?僕のこと」
「少しだけだよ。まあ、あの男は腹黒いが荒唐無稽ではないぞ。上手くやれば上手く行くかもしれん。頑張りなさい。ふぉふぉっ」
いつもの如く妙な笑いを放った直後、エルマーが立ち止まった。
ブラックボードに張り付けられた、絶縁靴の設計図を手に取った。
「なぜ、君がこれを」
「僕が先ほど書きましたが、何か」
「……そうか。いい設計図だの」
エルマーは髭をちょいちょいといじると、「どうしようもなくなったら、わしに茶でもいれてくれ」と言って、もそもそと部屋を出て行った。
コーエンとエックハルトは、微妙な空気になっていた。
今までやっていた解析の続きをするわけにも行かず、毒の解析の作戦を立てるわけにも行かず。
コーエンは仕方なしに、ブラックボードから設計図をはがし、文字を消した。文字が書かれていない端の方まで無意味に消した。
エックハルトは、床をほうきで掃き始めた。
「……なんか悪いな」
「いえ」
「そういえば、俺らのことは何も話していなかったな」
「……突然、実験から始まりましたので」
「すまない、外部から人が来ることなんてないんだよ。今まで」
エックハルトは掃除の手を止めると、コーエンの方を見ないまま問いかけた。
「その設計図について何も問えなかったが、なぜお前……アルミナイトは、わざわざこの図を描いた?」
コーエンは、思いもよらない言葉に、純粋に驚いた。
「王女様とリリーの関係を探る手掛かりになると思ったんです。もし、これが本当にリリーと王女様を切り離すものなら……」
そこまで言うと、エックハルトが何かを思いついたようだった。
ほうきをその場に放すと、設計図を掴んだ。
注意深くその素材や、配合の文字を指でたどる。
「革の最上部は、デポン・リリーとイートラ・リリーを重ね合わせている。地面との接地面は、イートラ・リリーのみ。しかし……底の内部に結晶質の何かが埋まっている?底自体の素材は描かれていないな」
エックハルトは、情報を整理するように早口で呟くと、コーエンに向き直った。
「描かれていない部分は、まだ構造がわからないということか」
「はい。僕は修理しただけなので。一部はわかりません」
エックハルトが、戸惑いの混じった笑いを浮かべた。
「じゃあ、もし全ての構造が分かれば……」
コーエンは、小さく頷いた。
「『絶縁』する靴を解析していけば……王女様がマザー・リリーの『何と』とつながっているのか、わかるかもしれません」
「――それが分かるだけでも、大きな進歩だ」
エックハルトの声には、いつもより熱が感じられた。
「……ただ、僕に作れるのは靴だけです。すみません」
コーエンがそう断ると、エックハルトは、いつもの涼しい顔に戻った。
「……必要なら、協力する」




