↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『禁学の靴職人』―手順書しかない国で―  作者: 稲生おこめ
第4幕 「コーエン・キャンベル」編
PR
40/48

◆4-7 王女を解析せよ

 

***

 コーエンは、シグリッドの背中をぼんやり見送った。

 なぜ、俺は嘘をついた?


「王女から、『マザー・リリーを死なせたいから何とかしろ』と命令された」

 なんて、あの男に言ったら……?


 笑われるだけならまだいい。

 シグリッドに歯向かおうとしている、なんて思われたら厄介だ。

 下手したらまた囲われる。昔みたいに。そんなのはもうごめんだ。

 アトリエに帰りたい。誰も傷つけず、何事もなかったように。

 そのために、触れて、感じて、考える。

 シグリッドに背くのは得策ではない。


 ――それだけ?


 コーエンは、手のひらの感覚を思い出した。

 あの時直した、靴。

 くたりと垂れた革の、頼りない柔らかさ。

 削れた底のざらつき。

 その感覚を手繰り寄せるように、指を握る。


 あの日、管理塔で見たエピフィラムが「絶縁靴」と重なった。

 全部が「壊れて」見えた。

 それでも彼女は、

 唯一の縁(よすが)だとでも言うように、あの靴を履き続ける。


 あの毒。

 あの毒のことを、少しでも知ることができたら。

 壊れたものを、繋ぎ止めることができるのだろうか。

 こんな手でも、まだ。


 ――帰りたい。でも。


 コーエンは、扉を開けた。

 エックハルトとクラーラは実験台の傍に立って議論をしていた。

 エルマー室長は窓辺で再び居眠りしている。


「エックハルト様、クラーラ様」

 コーエンが呼びかけると、二人とも顔を上げた。

 エックハルトは問いかけた。

「……シグリッド様は、戻ったか」

「……はい」


 少し間が開いたが、コーエンは声を絞り出した。

「話したいことがあります」


 コーエンは二人の傍まで行くと、実験台の上に置かれた小瓶を初めて手に取った。

 軽かった。

 傾ければ砂時計みたいにさらりと流れる。

 貝殻を細かく砕いたような質感。

 濁った白。曇った白。

 粒子の一つ一つ、色が違う。まるで生きているようだ。


 コーエンは、小さく息を吸った。

「僕も、これのこと知りたいです……だから管理塔で見たこと、話します。必要な情報かもしれないので」

 エックハルトとクラーラは意外そうに顔を見合わせたが、黙って二人の間を開けた。

「紙とペン、使わせてください」

 コーエンはそう言って、小瓶を置き、手近にあった合花紙とガラスペンを手に取った。

 紙を広げると、迷いなく線をひいた。カリッとペン先がこすれる音が実験室に響いた。


 エックハルトとクラーラは、無言でペンの流れを見ていた。

 緩やかな輪郭線、厚みのある底。

 素材の名前を付け加えていく。

 妙に手に汗が出る。

 随分長い間、仕事でしか設計図を引いていない。

 自分の意思で線を描いたのは、いつのことだろう。


 最後の一画をつなげると、紙を反転させ、差し出した。


「これは……アトリエで僕が修理した、エピフィラム様の靴です」

 エックハルトは、突然差し出された設計図を前に、しばらく無言になった。


「……靴?」

 クラーラもその横で首をかしげた。

 コーエンは、やっぱりそうなるよな、と自分に呆れつつも先を続けた。


「エピフィラム様はこの靴を『絶縁靴』と呼びました。彼女の身体、マザー・リリーとつながっているのかもしれません」


 まるで消化不良でも起こしたように、変な沈黙がにじんだ。

「……コーエン、ちょっと話が読めないかも。それは何かの例えかな?人間と植物がつながるはずないでしょ?」

 クラーラは、いつもの熱っぽい目にはならなかった。

 エックハルトも期待していた答えと違っていたのか、淡々と答えた。

「俺たちが知りたいのは、王女がどのようにしてリリーを育てているか。条件、環境。育成方法を手順に落とすための情報だ。お前は言葉が足りなすぎる。順序立てて話せ」


 エックハルトの言っていることは、真っ当だ。

 王族しか関与できない秘密だらけの空間に、コーエンはなぜか入ることを許された。

 当然、彼らが期待しているのは、管理塔の中の情報だろう。そんなことは分かってる。

 暗い横穴、青い光、充満する甘い香気、群生するマザー・リリーの花。

 伝えるべき情報はたくさんある。でも、重要なのはそれじゃない。あの空気に触れてそう感じた。


 マザー・リリーを育てるために必要な条件。

 最も根本的で異常なものは――エピフィラム王女の身体だ。

 だからこの靴を描いたのだ。


 コーエンは、唾を飲み込んだ。

「この靴を履かないと『リリーになる』って言ったんです。ご本人が」


 クラーラがわずかに身を乗り出した。

「リリーになる……?何、それ」

 コーエンは設計図の隣に、毒の小瓶を置いた。


「王女様は……この毒を口にされたそうです」

 コーエンは一度口を閉じた。言うか言わまいか、少し迷った。

「……国王様に命じられて。それからずっと管理塔で生活を」


 エックハルトの瞳がわずかに揺れた。

 片方の口をひきつらせ、笑っているようにも見える。

「……何だよ、それ」

 コーエンは首を横に振った。

「僕が聞いたのはここまでで……それ以上のことはわかりません」


 クラーラは口元に指を添えて思案していたが、しばらくして口を開いた。

「つまり、エピフィラム王女がリリーの『育て』になったのは――この毒のせいってこと?」

「……そこまでは」

 コーエンは言いよどんだが、クラーラは独り言のように続ける。


「毒の作用で『リリーになる』ってこと?ほんと?――それでこの靴?」


 クラーラの独り言を片耳に、コーエンも考えた。

 確かにエピフィラムは『リリーになる』と言った。

 でも、今思うとそれがどういう状態なのかも、絶縁靴との関係性もよくわからない。

 ましてや、それが花を育てられる理由になるのかもわからない。

 笑えるくらい曖昧だ。

 でも――嘘ではないと思う。

 それだけは、自分の手が感じたのだ。あの靴に触れた時。


「――この毒を受け入れた者のみが、リリーの『育て』になれる」

 エックハルトが、小さくつぶやいた。

 その言葉にクラーラが反応した。彼女はどこか楽観的な表情で、エックハルトの顔を覗き込んだ。

「……それ、シグリッド様が言ってた『王族の言い伝え』?」

「……ああ」

 エックハルトは神妙な顔をしているが、クラーラはどこか楽しげに笑っている。


「シグリッド様ってさ、この毒がどう使われてるか多分知ってるんじゃないかな。その上で、調べろって言ってるんだわ。ははっ!」


「……クラーラ様。それは、何が言いたいのでしょうか」

 コーエンは思わずそう問うた。

 なぜ、楽しそうなのだろう。クラーラの笑顔を少し不気味に感じてしまった。

 クラーラは、質問を受けた教師のように、いかにも普通に答えた。

「使われ方は知っているけど、この粉の『作用』が分からないってことよ。詳しく話そうか?」


 クラーラは小瓶とコーエンの描いた設計図をひっつかむと、評議室の中扉を開けた。

 そのままブラックボードの前に立つと、こちらを手招きした。


「シグリッド様もね、エピフィラム王女が毒を口にしたことで、『育て』になったと考えてるんだわ」

 クラーラは白石を持つと、ブラックボードに文字を書き加えていく。


「でも、なぜ毒を飲めば、リリーを育てられるようになるのかが分からない」

 クラーラの声がだんだんと弾んできた。文字を書き込むスピードが早くなってくる。

「だから、この毒が王女の身体にもたらす『作用』を、明らかにしろって言いたいのよ、きっと」


 コーエンは、クラーラの書く文字を見ながら、背筋に妙な寒気が走るのを感じた。

「クラーラ様。それって、目的は……?」

 クラーラはニコッと笑った。

「『作用』が分かれば、奇跡じゃなくなるわ。毒のお(・)か(・)げ(・)でリリーが育てられるようになるなら、作用を解析して手順書にすればいいんじゃないかな。合理的だよね」


 コーエンの胸に、激しい不快感が突き抜けた。

「本気、ですか……?」

 気づけばそう答えていた。

 エックハルトは、コーエンの反応を横目に、厳しい口調で言った。

「クラーラ。お前、自分が言っていること理解できてるか」


 一瞬だけ、クラーラの肩がピクリと動いた。

「……理解してるわよ」

「そうは見えないが」

「私は合理的って言っただけ!闇雲に解析してるだけじゃ、いつまでたってもマザー・リリーを育てられないよ!?私は早く結論を知りたい。先輩だって、早く「ラントル家」に帰りたいでしょ!」

「……知ったこと言うな!お前、少しは学べ!」


 エックハルトが、クラーラに向かって声を荒げた。

 クラーラが、大きな目を少し潤ませた。

 コーエンは、二人の姿を呆然と見つめた。


「……ごめん。また私、いき過ぎた?」

 クラーラはそう言って、静かに白石を置いた。

「……悪い」

 エックハルトは、視線を横にずらした。

「ううん……ちょっと頭ひやす」

 クラーラは、そう言い残すとそのまま評議室を出て行った。


「何の騒ぎじゃ……?」

 背後から声がしたので振り返ると、エルマー室長がぬぼっとした顔で評議室にやって来た。

「……エルじい、今更なんだ」

「クラーラ君が出て行ったぞ、エックハルト」

「……しばらく放っておく。それよりエルマー室長」


 エックハルトはエルマーに詰め寄ると、小瓶を叩くように押し付けた。

「いい加減あなたが決めてくれませんか。シグリッド様の依頼を引き受けるか、受けないか。この解析室の室長はあなただ。いつもいつも、耄碌したふりしやがって。ふざけんな」

 そこまで言って、エックハルトは黙った。


「……知りたかったんじゃないのかね、君は」

 エルマーは押し付けられた瓶を一度受け取ると、脇に置いた。

「そう決めたなら、方法まで考えなさい」

「……俺の質問には答えないんだな」

「耄碌した爺さんの指示など必要ないからの。ふぉふぉっ」


 そういうと、エルマー室長はコーエンの近くにもそもそとやって来た。

 本当に寝てたのか狸寝入りをしていたのか知らないが、髭が折れ曲がってる。

 髭を枕にでもしていたのだろうか。


「君はシグリッド卿に見込まれたが運のつきだの」

「……いつから、あなたは知っていたんですか?僕のこと」

「少しだけだよ。まあ、あの男は腹黒いが荒唐無稽ではないぞ。上手くやれば上手く行くかもしれん。頑張りなさい。ふぉふぉっ」


 いつもの如く妙な笑いを放った直後、エルマーが立ち止まった。

 ブラックボードに張り付けられた、絶縁靴の設計図を手に取った。


「なぜ、君がこれを」

「僕が先ほど書きましたが、何か」

「……そうか。いい設計図だの」


 エルマーは髭をちょいちょいといじると、「どうしようもなくなったら、わしに茶でもいれてくれ」と言って、もそもそと部屋を出て行った。


 コーエンとエックハルトは、微妙な空気になっていた。

 今までやっていた解析の続きをするわけにも行かず、毒の解析の作戦を立てるわけにも行かず。

 コーエンは仕方なしに、ブラックボードから設計図をはがし、文字を消した。文字が書かれていない端の方まで無意味に消した。

 エックハルトは、床をほうきで掃き始めた。


「……なんか悪いな」

「いえ」

「そういえば、俺らのことは何も話していなかったな」

「……突然、実験から始まりましたので」

「すまない、外部から人が来ることなんてないんだよ。今まで」


 エックハルトは掃除の手を止めると、コーエンの方を見ないまま問いかけた。

「その設計図について何も問えなかったが、なぜお前……アルミナイトは、わざわざこの図を描いた?」


 コーエンは、思いもよらない言葉に、純粋に驚いた。


「王女様とリリーの関係を探る手掛かりになると思ったんです。もし、これが本当にリリーと王女様を切り離すものなら……」


 そこまで言うと、エックハルトが何かを思いついたようだった。

 ほうきをその場に放すと、設計図を掴んだ。

 注意深くその素材や、配合の文字を指でたどる。


「革の最上部は、デポン・リリーとイートラ・リリーを重ね合わせている。地面との接地面は、イートラ・リリーのみ。しかし……底の内部に結晶質の何かが埋まっている?底自体の素材は描かれていないな」

 エックハルトは、情報を整理するように早口で呟くと、コーエンに向き直った。


「描かれていない部分は、まだ構造がわからないということか」

「はい。僕は修理しただけなので。一部はわかりません」


 エックハルトが、戸惑いの混じった笑いを浮かべた。

「じゃあ、もし全ての構造が分かれば……」

 コーエンは、小さく頷いた。

「『絶縁』する靴を解析していけば……王女様がマザー・リリーの『何と』とつながっているのか、わかるかもしれません」

「――それが分かるだけでも、大きな進歩だ」

 エックハルトの声には、いつもより熱が感じられた。


「……ただ、僕に作れるのは靴だけです。すみません」

 コーエンがそう断ると、エックハルトは、いつもの涼しい顔に戻った。

「……必要なら、協力する」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。