◆4-5 知りたい、今度こそ
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そこまで話して、イベットは息を吐き出した。
話し続けたせいか、喉がからからだった。
口にして、初めて気づいた。
私はずっと、コーエンから目を背けていた。
「知らないあいつ」を埋め尽くすように、上から毎日を塗り重ねて。
「……私、知りたい。今度こそ」
フォルコ兄さんも、サンティス兄さんも黙っている。
でも、もう止められなかった。
アリアナさんは、鼻をひとつすすって、立ち上がった。
紙とペンをもって戻って来ると、イベットの前に置いた。
「コーエンを連れ戻す。考えましょう。できることを」
イベットは、ペンをぐっと握った。
「マテリアル・カンパニーと、ルディックス」
そうつぶやくと、イベットは紙の上にペンを走らせた。
鎖針に巻き付く、気高い黒龍。
「マテカンの制服を着た人と、ルディックスの紋をつけた人が、コーエンの白リリーの近くにいたの」
イベットはそう言って、皆が見えるように紙を反転させた。
フォルコがイベットの描いた紋を覗き込むと、
「つまり、あれか?コーエンは、マテカンかルディックスか、どっちかに連れて行かれたってことか?」
「断定はできないわ。でも、その可能性は高いと思うの」
イベットの耳には今でも残っている。
ひそひそと話す声。雰囲気。あれは、企てごとをしている人間のもの。
マテカンには、誰を訪ねればいいのか分からない。
でもルディックスなら――知っている顔がいる。
オルビス・マクラーゲンが。
オルが視察に来た時、彼の背中は何かに駆り立てられているようだった。
コーエンの献上靴の前で、必死につくろった、あの表情。
絶対、何かある。
イベットはごくりと唾をのむと、アズソールの目をしっかりと見た。
「棟梁。私、ルディックスに行ってきます」
翌日、イベットは、ストア街の中心にあるルディックスの靴工房を訪れた。
同じ靴工房のくせに、ウィズダムの五倍くらいの広さがある。
薄い灰色をした壁石は大きさが妙に揃っていて、カビっぽさがない。
窓枠が紋章と同じモスグリーンなのは、小洒落ていて少しだけ腹が立つ。
軍用品を扱う大商会が母体なのだから、そりゃ規模も違う。
貴族や騎士が好むのは、まあわかる。
「雨漏りとかしないんだろうな……って」
イベットは、ぶんぶん首を左右にふった。
今日は靴職人として来たんじゃない。
久しぶりにセントラルを訪ねた、「オルビスの旧友」だ。
暑苦しいボンネットまでかぶってきたのだ。
収穫ゼロなんてありえない。
イベットは、正面入り口の扉を上品に叩いた。
「ごめんください。私、イベット・ルイシアと申します。どなたか開けてくださいな」
しばらくすると、扉が開いた。
「何用ですか」
中から工房の差配人だと思われる、小綺麗な男が出てきた。
紋章のついた制服には、皺ひとつない。ジャケットまで着ている。
同じ工房勤めなのに、何この差……と、噛みつけないのが残念だ。
「ここに……オルビス・マクラーゲン様がお勤めだと伺ったもので」
「マクラーゲンですか?」
皺なし差配人がわずかに眉をひそめた。
「ああ、おかしなものではありませんの。私、オルビス様のアカデミー時代の旧友でして。今は東部に住んでいるのですけど……明日までこちらに滞在することになったもので」
そこまで言って、恥ずかしそうにボンネットの紐をいじってみた。
「ぜひ、お会いしたくなってしまって」
差配人はあっけにとられた顔で、イベットの方を見た。
「マクラーゲンに、女性の旧友……?」
「いるわよ女性の旧友くらい、私よ!バカ!」と言いかけたが、その前に差配人が丁寧に答えた。
「申し訳ありませんが、マクラーゲンはここ数日工房に来ておりません」
イベットは、ボンネットの紐をいじる手を止めた。
「……は?」
「来ていないんです」
「……何か、連絡は」
「ありません」
イベットは自分の頰から、熱が引くのが分かった。
どういうこと?オルが……無断で?
あの、真面目なオルが?
予想外のことに頭がついて行かず、次の言葉が出てこなかった。
イベットの様子を見た差配人は、申し訳なさそうな顔をした。
そっとイベットの耳元に口を寄せると、囁いた。
「お嬢さん、マクラーゲンを追いかけるのはおよしなさい」
「……え?」
「……女性と、行方不明に」
「それは、どなた」
「そこまでは」
イベットは、ボンネットを目深に下げた。
「ありがとう……助かったわ」
そのまま、踵を返すとルディックスを後にした。
イベットは、アトリエまでの道を速足で進んだ。
どういうこと、どういうこと、どういうこと?
オルが、女と駆け落ち!?
絶対にありえない!……そうよ、絶対に。
イベットは、足を止めた。
コーエンがいなくなった。
オルビスもいなくなった。
……それって、偶然?
そんなわけ、ない。
じゃあ、オルビスとその「女」を見つければ。
もしかしたら、コーエンも……?
イベットの心臓がドクンと音を立てた。
ちょうど昼すぎだから、大丈夫。
シュベルトバイゼン行きなら、まだ最後の一本がある。
目には目を。刃には刃を。権力には、権力を。
イベットは、乗り合い花動車の駅まで走った。
遠くに小さく車体が見える。
間に合え。
イベットは、シュベルトバイゼン行きの車に滑り込んだ。
*
突然の来訪だったにも拘わらず、シュベルトバイゼン家の使用人たちはイベットを応接室に通してくれた。明らかに戸惑っていたのは伝わって来たけど、ここまで来たからには引けない。
「すまない、待たせた」
アーネスト・レヴィックが応接室の扉を開けた。
イベットは立ち上がろうとしたが、アーネストは「そのままでいい」と手で制した。
「来るなら事前に言ってくれ。最近は本家にいないことの方が多い……何、どうした?」
アーネストはそこまで言って口を閉じ、イベットのボンネットや、よそ行きのバレエシューズを一瞥した。
いつもの職人の格好じゃない。
それだけで、何か察したのだと思う。
「アーネスト様、私に力をお貸しください」
イベットは、震える声で切り出した。
そして、椅子から立ち上がると膝をつき、深く頭をさげた。
「やめろ。まずは話せ」
アーネストは、頭を下げたままのイベットの肩を掴み、顔を上げさせた。
「……コーエンを、連れ戻したいんです」
「……連れ戻す?彼は国家職人として王宮で仕えていると聞いたが」
「違うと、思います。いいえ、ちがいます。絶対に」
「分かるように話せ」
イベットは、王宮で拾った白リリーの端切れを鞄の中から取り出し、アーネストに渡した。
「おい、これは活性型デポン引火布……なぜ君がこれを。職人には、こいつの手順書は認可されていないはずだ」
さすがに武門のシュベルトバイゼン家だ。
アーネストは、一瞥しただけで「白リリー」の正式名称を口にした。
「コーエンはそれを王宮に落としていったんです。靴納めの日……彼が、消えた日に」
アーネストの表情が、知人のものから騎士のそれに変わった。
「何だって?……待て。君はその日、なぜ王宮に?」
「……コーエンの代理で舞踏会に。その時、あなたをお見かけしたから、挨拶をしたくて追いかけたら、そのまま……迷子に。それで、偶然……」
アーネストは眉間を押さえた。
「とりあえず経緯は分かった。それで、その布が職人の物だと言える根拠は?」
イベットはアーネストの手から白リリーをするりと抜き取ると、反応残渣の跡を指し示した。背向が乱れ、ハの字を描くように中央から横に流れている。
「これ、私が作ったものなんです。この残渣を見たらすぐにわかります。通気布を作ろうとしたんですけど、反応途中で機械を止めちゃって。そしたらこんな変な模様に……こんな失敗、私以外しません」
「……つまり、君の失敗作が落ちていたことが、証拠という訳だな」
「はい。コーエン、これを見た時、珍しく怒って……私から取り上げたんです」
「……危険物と理解していたわけか」
アーネストは静かに頷いた。
「他に、気になることは」
アーネストに促されて、イベットは一瞬だけ喉が詰まるような感覚を覚えた。
――言いなさい。イベット。あなたの考えを全部。
イベットは呼吸を整えると、アーネストに向き直った。
「この白リリーが落ちていた現場に、マテリアル・カンパニーの人間と、ルディックスの人間がいました。私、見たんです」
アーネストの赤茶色の瞳が、大きく動いた。
「それが事実なら……話が大きくなるぞ」
イベットは頷いた。
目を逸らしてやるものか。絶対に。
「しかも、ルディックスから二名消えました。女性がひとりと……オルビス・マクラーゲン。オルビスは私の旧友です……靴納めの少し前、突然、ウィズダムに視察に来たんです」
「視察……?」
「その時、工房で品質トラブルがあって。みんなで対応している間に、オルビスがいなくなって……探したら」
「探したら、なんだ」
「コーエンの作業台の前にいたんです。顔面蒼白で」
少しの間、沈黙が下りた。
イベットは、手に冷たい汗を握った。
いくら知人だと言え、相手は貴族。
一人の職人が消えたというだけで、貴族が動いてくれるなんて期待してはダメ。
アーネストが立ち上がるのが分かった。
私、このまま帰されるのだろうか――
「数日くれ。直接手は貸せないが、情報の足しになるものくらいは、持って来てやる」
イベットは顔を上げた。
つい、アーネストの顔をまじまじと見てしまった。
「協力、してくださるのですか」
「期待はするな。マテリアル・カンパニーもルディックスも、後ろにいる連中が厄介だ」
「このご恩は……いつかまた、返します」
イベットは目頭を押さえた。
「……また靴でも作ってくれ」
アーネストはそれだけ言うと、使用人に頼んで伯爵家の花動車を出してくれた。




