◆4-4 コーエン・アルミナイトの誕生
***
アトリエに沈黙が訪れた。
サンティスは、ぽつりとつぶやいた。
「なんか……すげえ経緯だな」
いつものように上手い言葉が出てこない。
これではまるで、コーエンだ。
フォルコはしばらく眉をひそめていたが、アズソールとアリアナに向かって聞いた。
「つまり、棟梁もアリアナさんも、コーエンがどこから来たのか知らないってことか?」
アズソールとアリアナは顔を見合わせると、頷いた。
「コーエンには、何度も聞いたわ。でも……だめなの」
フォルコは、続けて聞いた。
「記憶喪失……ってわけじゃないんだろう?」
「そういう訳ではないのだけど……」
「あいつ、大概のことは覚えてるわよ。発作おこすから、誰も聞かなくなっただけ」
アリアナの代わりに答えたのは、イベットだった。
「……寂しい、でしょ」
イベットは、そう言って俯いた。
隣にいたテオが心配そうにきょろっと見た。
服を少しつまむと、イベットに聞いた。
「姉さん。コーエンは、いつ、コーエンだって分かったの?」
イベットはきょとんとした目でテオを見ると、少しだけ笑った。
「自分で言ったのよ。コーエンだってね」
*
イベットは、不思議でたまらなかった。
こいつは、なぜしゃべらないのかと。
いつもいつも、辛気臭い顔しちゃって。
せっかく綺麗な目がついているんだから、しっかり見なさいよ。
口があるなら、しゃべりなさいよ。
なぜだか悔しくって、しょうがない。
声が、聞きたかった。
イベットは、来る日も来る日も、しゃべりかけた。
たまには、虫もおいてみた。石もおいてみた。
やっぱりしゃべらない。
でも、進歩はある。
少しずつ、イベットの目を見てくれるようになったのだ。
灰色のような、紫色のような。
きれいな色ね、と思った。
みんなから大目玉を食らったあの喧嘩の後、
あいつは、一言「ごめん」と言った。
そして、自分のことを「コーエン」だと言った。
イベットは、純粋に嬉しかった。
コーエン、ごめんね。よろしく。
そう思った。
*
コーエンが回復するのと同時に、祖母の体調も良くなった。
イベットは、アトリエに行く理由がなくなってしまった。
アトリエの雰囲気が好きだった。
いろんな音がするし、リリーの匂いがする。
布をつまんで引っ張ったとき、すっと皺が伸びるのが好き。
革を磨くと、光るのが好き。
お客さんと話している、アリアナさんが好き。
あと。
もっと「コーエン」をしゃべらせてやりたい。
イベットは、メルノに頼んだ。
迷惑はかけないから、アトリエに遊びに行かせてほしいと。
メルノは困った顔をしたけど、アリアナさんは笑って受け入れてくれた。
*
コーエンは元気になり、すっかり動けるようになっていた。
覇気はないけど、これは治らないようね。
イベットは、コーエンとよく遊んだ。
抜け殻集め競争をしたり、
アトリエの草むしりの速さを競ったり。
泥団子の競争なんかもした。
イベットの泥団子はすぐ壊れるけど、コーエンのは全然壊れない。
なんか悔しかったので、上から砂をかけてやった。
イベットは気づいたことがある。
コーエンには苦手なものがある。
「暗闇」だ。
コーエンは、倉庫に入れない。
かくれんぼをして、イベットはアトリエの倉庫に隠れた。
一向に見つからないから、悪態をついてやった。
コーエンは謝った。
「倉庫にだけは入れなくって。ごめん、イベット」
*
あの日。
イベットは、コーエンを「靴磨き作戦」につき合わせた。
イベットが靴職人で、コーエンはお客さん。
ずっと、やってみたかった。
皆の磨く靴の光沢が、大好きだったから。
イベットは、花油とブラシ、それからクロスを拝借して床に広げた。
道具を手に取っただけで、なんだか身体が熱くなった。
まずは埃を払う。それから汚れを落とす。
最後に花油を二種類塗り込む。それだけ。
コーエンはイベットの磨いた靴をチョン、と指で触ると、
「光り方……鈍いね」と言った。
イベットは、コーエンの方をギロリと睨むと、髪をわしわしにしてやった。
「おいイベット、コーエン。お前らそれ、どこからとった」
ブロディがしかめっ面で花油を指さした。
「ブロディさん……これは、その棚から……」
イベットがごにょごにょ答えると、
「アホ、お前!それ今日使う分だぞ!」と言って、イベットの頭を軽くどついた。
ブロディは不機嫌そうに店舗のアリアナの方を見やった。
しかし、彼女も熱心に客と話している最中で、手が空くようには見えなかった。
イベットは、ブロディとアリアナを交互に見ると、おずおずと申し出た。
「ブロディさん……わたしとコーエンで花油、買ってきます」
お金と袋を持ってアトリエを出ると、道を挟んで向かい側に、立派な黒い花動車が停まっていた。
イベットには何の違和感もなかったが、コーエンはその車を一瞥すると、急に足を速めた。
「早く、いこう。ブロディさんが、困る」
それだけ言って、イベットに背を向けた。
二人は、ストア街の材料の店に入ると、いつも使っている花油を探した。
大きなお店だから、コーエンと手分けしたけど見つからなかった。
「君たち、兄弟かい?おつかいえらいねえ」
困っていることが伝わったのか、お店の人が後ろから声をかけてきた。
「こんな奴!兄弟じゃないです」
「そうなのかい、髪色が同じだからついそうだと」
「よく、言われます」
そう言って、イベットは毛先をつまんだ。ツヤのないライトブラウン。
確かにコーエンと似ている。本当はもっとつやつやのブロンドが良かったけど。
お店の人は、コーエンがアトリエから持ってきた花油の空瓶を手に取ると、
「ああ、これかい。残念だけど、切らしててね。入荷は明後日なんだ。急ぎなら、林の向こうの専門店に行くといい。」
店の人は手近にあった紙の裏に簡単な地図を書いてくれた。
「大人と行くんだぞ。あっちの方は人通りが少ないから」
*
そうは言われたけど、もちろんイベットはコーエンを引っ張った。
たしかに、だんだんお店が減っていき、人も少なくなってくる。
でもその分、冒険しているような気分になった。
普段、林の向こうまで足を延ばすことなんて、ないんだもの。ちょっと楽しいじゃない。
「この林の先ね……」
イベットは、足を止めると先を見やった。
車が一台やっと通れるほどの細さの道。
その脇に鬱蒼と木が生い茂り、暗い影を落としている。
こういう道の先って、だいたい素敵な出会いがある。
きっと、いつもより良くて安い花油があるわ。
「イベット、本当に行くの……?」
林にさしかかると、コーエンは視線を後ろにやったり横にやったりした。
少し暗いからだろうか。
イベットは、気分がそがれた気がして、つい小言を言おうとした。
「ねえコーエン、このくらいの暗闇なんて――」
その時、正面から黒い花動車が走ってくるのが見えた。
アトリエの前に停まっていたものと同じ。
コーエンは顔を急に青くすると、ぐいっとイベットの手を引っ張った。
「走って、イベット、戻る」
「え!??」
しかし、林を出るより早く、車が追い付いた。
とっさにコーエンは、自分の背後にイベットを押しやった。
あまりに強い力で、何が何だか分からなかった。
よろけて尻餅をついたが、慌てて前を向く。
車から黒い服の男が、二人出てくる。
「脱走者候補ってこいつか?痩せた少年、明るい茶髪」
「あやしい奴は全部つれていけ」
危険だ。
イベットにもそれだけはわかった。
誰かーー
そう叫びたかったのに、喉からは掠れた声しか出なかった。
男たちは一歩一歩、こちらに歩み寄ってくる。
イベットは後退りした。
コーエンが、危ない。
助けなきゃいけないのに――
イベットはぎゅっと目をつぶった。
*
イベットは目を覚ました。
揺れている。
ここは、どこだろう。
暗いし、暑い。
手をさまよわせると、冷たいものにあたった。
汗がぐっしょりの額。
「……コーエン?」
「うん」
「……どうしよう、コーエン」
コーエンはその問いには答えなかった。
しばらくして、小さな声で「ごめん」と言い、そのまま俯いた。
「何で……?」
「暴れた方が、危ないから……巻き込んでごめん。……この車なら仕組みがわかるから」
「しく、み……?」
「後ろ扉を開けるから。そこから出る」
コーエンは袖口から、「あの小瓶」を取り出した。
イベットと喧嘩になったときの小瓶。
あの時は空だったけど、今は中に液体が入っていた。
「そんなの、どこから……」
「……聞かないで」
そう言って瓶を握りしめたコーエンの手は、小刻みに震えていた。
コーエンは瓶に入っていた液体を接合部にかけた。
今度は服の内側から、「白リリーの端切れ」とライターを取り出して、火をつけた。
小さな炎が液体の部分を這うように、さあっと広がった。
緑の火花が散って、金属が溶けた。
コーエンは、金属の隙間に何かを差し込み、軽く手をひねった。
すると、カチリと小さく音がした。
外の空気が細く入ってくる。
あんなに震えていたのに。
迷いのない「手さばき」だった。
「逃げるよ、イベット」
イベットは、コーエンの冷たい手に引かれ、車の外へ転がり出た。
地面へ叩きつけられた衝撃と、ヒヤリとした冷気。
あたりはもう薄暗くなっていた。
イベットは、呆然と去っていく黒い車を見つめた。
あまりにも静かに逃げたせいか、車は気づく様子もない。
――助かった。
そう思ったとたん、急に身体が寒くなってきた。
つい嗚咽が溢れそうになった時、隣からヒューヒューと、荒い呼吸の音が聞こえた。
「コーエン!?」
一緒に転がり出たコーエンが、喉を抑えている。
まるで毒でも飲んだみたいに。
息が吸えていないし、吐けていない。
「だ、だれかあ!!!」
イベットは大声で助けを呼んだ。
ひたすら、コーエンの背中をさすった。
*
幸い大きな通りだったから、商人の花動車が通りかかった。二人の姿を見て驚いたようで、親切にもお店の一部屋を開けてくれた。
もう夜になっていた。
二人が投げ出された場所は、北部地方のシュベルトバイゼンだった。
商人は、イベットたちの身元を確認すると、すぐにアトリエに早伝を打った。
北部。
なんでこんなところまで。
コーエンは気を失ったように眠っていて、目を覚まさなかった。
イベットは眠ることができなかった。
*
翌日、アリアナ、アズソール、メルノが、乗り合い花動車に乗ってすっ飛んできた。
彼らは、次々に商人に謝罪し、イベットとコーエンを叱り飛ばした。
そして、二人をぎゅっと抱きしめた。
こんなことがあったから、アズソールもアリアナさんも、さすがにコーエンのことを調べたらしい。
でも、手掛かりがなかったらしい。コーエンはそんな二人の姿をちゃんと見ていた。
何か言いたそうにしているのに、いざとなると発作が起きる。
コーエンは、外を出歩かなくなってしまった。
いつもアトリエの中にいて、「ごめん」ばかり言っている。
イベットは涙が出そうになった。
でも、なんで自分が泣くのか分からなかった。
季節が巡って、雪が降った。
その日、イベットがアトリエに初めて来た日から、ちょうど一年だった。
久しぶりにアトリエに行くと、イベットの靴磨きセットが、見たことのない合花革の入れ物に入れられていた。
腰に着けられるタイプの、職人さんが使うもの。
アズソールたちが付けている茶色いものじゃなくて、若草色。
形は凝ったものではないけれど、イベットの身長に合うように一回り小さく作られていた。
イベットが思わずその入れ物を手に取ると、後ろからアズソールがやって来た。
「おうイベット。それ、一年祝いだってさ」
「え?」
「この間、あいつに『何か縫ってろ』って、針渡したんだよ。そしたら……」
そこまで聞いて、イベットは革の入れ物を腰につけた。
そのまま母屋に行き、二階の扉を勢いよく開く。
「コーエン!」
コーエンは突然やって来たイベットに、目を丸くしていた。
イベットは構わず、ずいっと歩み寄った。
「競争だから!私、靴職人になる!あんたもよ!負けないから……絶対に!」
そう言ったあと、腰に付けた革の入れ物を見せた。
「これ、ありがとう」
そう言ったとき、コーエンが、一筋だけ、涙を流した。
*
その翌日、イベットは目を見張った。
指を指して、口をわなわなと震わせた。
「え、だ、だれ!?え!?」
そこに、知らない灰色の髪の少年がいた。
「アズソールに、染めてもらったんだ。本当は金色にするつもりだったけど、手順書間違えたらしくて」
少年は恥ずかしそうに頭を掻くと、イベットに針を見せた。
「アズソールにもらったこれで、俺も、靴、つくってみる」
後になって知った。
アズソールは、自分の没落した家名をコーエンに名乗らせたのだという。
その日から、コーエンは『コーエン・アルミナイト』になった。




