◆4-1 しゃべらない少年
***
「いつかこうなると思っていた――多分、何かが動いちまったんだ」
『靴納め』が終わり、コーエンが失踪したあの夜。
アズソールは、やるせなさの混ざった笑いを浮かべた。
リリー灯が、ゆらりと燃えた。
サンティスは、みんなの様子を見まわした後、低い声で言った。
「聞かせてくれ。棟梁。全部」
アズソールは、しばらくして「そうだな」と答えた。
*
十年ほど前。
アズソール・アルミナイトは妙に浮かれていた。
理由は簡単で、『アルミナイト家』が「没落」したからだ。
都市貴族の没落など日常茶飯事。
金がなくなりゃ没落する。
しかし一回落ちてみると、なかなかいいものだ。
金がなければ路銀を稼ぎ、腹が減れば飯をもらう。
美しいと思ったものは、素直に愛でればいい。
短髪で整えていた髪はまばらに伸び、あごひげもなかなか迫力がでてきた。
「様になってきたじゃねえか」
アズソールはにやりと笑った。
「にしても、腹が減った……」
自由になったはいいが、ここ最近、さすがに食わなさ過ぎている。
足どりが重くなり、目の前が暗くなった。
「あ、俺、死んだか?」
*
「大丈夫ですか」
ふわりと優しいのに芯のある声に、アズソールは目を覚ました。
そこには、一人の女がいた。
小さな黒い目に、小さな口。
子爵やら伯爵令嬢やらによくある、きらびやかさがまったくない。
しかし妙にまとまっている女だった。
「さすがに行き倒れを放っておくのも気が引けましたので。そちら、召し上がられたらお引き取りくださいね」
女性が指さした先には、スープが置かれていた。
アズソールは、ありがたくそれに口をつけた。
――とんでもなく、うまかった。
アリアナ・ウィズダムと過ごす日々は、ここから始まった。
そして――「ブロディ」に靴づくりをしごかれる日々も、同じく始まった。
アリアナの父、ブロディは、頑固一徹な靴職人だった。
褒めない、労わない、気に入らない靴はぶっ壊す。
「父さんは、見込んでるのよ」とアリアナは言うが、たまったもんじゃない。
アズソールは、逃げて戻って、作って逃げてを繰り返していた。
そんな時だった。
コーエンと出会ったのは。
*
ある日、アズソールは最大逃走距離をたたき出し、北部地方まで来てしまった。
「完全に戻るタイミングを失ったなあ……アリアナに怒られる、ジジイに殴られる」
項垂れながらも、アズソールは短絡的な考えにたどり着いた。
――土産だ!土産を持って帰ればいい。
北部地方のシュベルトバイゼンはランス石が良く採れる。
これを持ち帰れば、材料好きのブロディは喜ぶだろう。
ランス石を多く採石できるのは――シュベルトバイゼンの山麓。
アズソールは足を向けた。
*
「おおっ、これじゃねえか、ランス石!」
アズソールは、下山を流れる水辺で、大量のランス石を発見した。
一見きれいでも何でもないが、こいつは夜に光る珍しい石。
意気揚々とかき集めていた時、ガサガサっと何かが草を揺らす音がした。
アズソールは手を止め、耳を澄ました。
「猛獣か……?」
様子をうかがったが、その後は何の物音もしない。
アズソールは、念のため、草むらを確かめに行った。
そして、目を疑った。
子供だった。
死んでいる……と思ったが。大丈夫だ、息はしている。
十歳前後の少年だった。
ライトブラウンの髪は、煤と染料でまばらに汚れていた。
手足のあちこちが擦り切れている。
顔はこれでもかと言うほど色を失い、身体は細く、折れてしまいそうだった。
「おい、大丈夫か」
アズソールは、咄嗟に子供の肩をたたき、意識を確認した。
僅かに動いたが、返事はない。
「こりゃ重症だ」
ランス石なんて持って帰っている暇はない。
アズソールは、子供の手を取った。
その時――妙な既視感があった。
彼の手が、ブロディの手によく似ていた。
染料で汚れ、煤で汚れ、それでも美しい。
――死なせちゃ、なんねえな。
アズソールは、そのまま子供を背負い、まっすぐウィズダムに戻った。
アトリエのドアを勢いよく開けると、アリアナがにこにこしていた。
「アズソール?今回はずいぶんと長かったわねえ。八日。記録更新ね」
にこやかであるほど機嫌が悪いのは百も承知だが、今はそれどころではなかった。
「悪い、通してくれねえか。緊急事態だ」
「……何、どうしたの?」
「ちょっと拾いもんしちまった」
アトリエにずんずんと入るアズソールの背中を見て、アリアナは仰天した。
「え!?!ちょっと!?その子何!?」
騒ぎを聞きつけたのか、エプロン姿のブロディが出てきた。
「おい、母屋の方連れてけ、アトリエじゃなくて」
「そうします」
アズソールは頷いた。
その子供は、なかなか意識が戻らなかった。
高熱が下がらず、脈も薄い。
アズソールとアリアナは交代で様子を見た。
当時いた職人たちも手伝った。
ブロディも来た。
誰が指示した訳でもなかったが、みんな黙って手を貸した。
作業室の扉が開くと、アリアナが顔を出した。
「ねえ、アズソール。少し気になったんだけど、いいかしら」
「何だ?」
アズソールは、反応炉をいったん止めた。
「あの子の着ていた服、見えにくい位置にポケットが後付けされてて。これが出てきたの。何かしら――」
アリアナが差し出したものを見て、アズソールは目を見開いた。
小型の空瓶三個。
燃料切れのライター。
汚れたスケッチブック。
白リリー……デポンの端切れ。
アズソールは、その端切れをつまみ上げて細部をよく見ると、
アリアナに向き直った。
「ちょっと広いところ出るぞ」
アズソールは戸棚から燃料瓶を取り出すと、アリアナと一緒に工房の外に出た。
「多分これはこうやって使うやつだ」
アズソールは端切れをほんの数ミリ切り取り、燃料瓶の口をわずかに開けた。
――ポンッ。
白い火花が弾けた。
アリアナが目を見開いた。
「白リリーなんて、ただの素材でしょ。服や、靴にも、なんでも使うでしょう。何で……?」
「制御されてんだよ。俺たちが使うものは大抵。手順書に従っときゃあ、こんなもんできねえよ」
アズソールは、没落しているものの、一応元貴族だ。
軍事教育の一環として白リリーの使い方は教わったことがある。
「じゃあ、これは……何?」
「爆発物だ。違う手順書でつくられた、な」
アリアナは、うろたえた。
「なんでこの子がそんなもの」
「分かんねえ……でも、こんなもの、持たねえほうがいいに決まってる」
*
その四日後のことだった。
「アズソール!来て頂戴!」
アリアナが息を切らしながら、呼びに来た。
アズソールは作業中の靴を置くと、慌てて母屋に向かった。
子供が意識を取り戻していた。
ベッドの上で、半身を起こし虚空を見つめていた。
珍しい、紫がかった灰色の目。
その目には、何の景色も映っていないように見えた。
「意識が、もどったの。本当に、よかったあ……」
アリアナは、張り詰めていたものがほどけたようで、アズソールの横でへたり込んだ。
――何か、おかしい。
アズソールは、そう思った。
「おい、名前を教えてくれ」
アズソールは、子供の目線に合わせて話しかけた。
すると、僅かに体が反応した。
耳が聞こえてないわけではなさそうだ。
――でも、目が合わない。
子供は、一向に口を開かなかった。
次の日も、その次の日も。
まるで、生きているのに死んでいるようだった。




