―閑話②―
***
私は、闇夜をまとった。
濃紺の飾りのないドレスに、同じ色のストールをふわりと巻く。ひだやレースにまみれたドレスより、さっぱりと肌に冷たく心地いい。
淡い色は押し付けがましくて嫌いだ。
ふと、窓の外を見た。
夜が濃い。
「今日は、朔――」
私は、王宮の冷たい廊下を東に進んだ。
バレエシューズはいいわね。
無駄な音がしないもの。
時には物陰に身をひそめ、時には真ん中を堂々と歩いた。
しばらくして、花結晶の扉が見えた。
私は、周囲を見回し、それをゆっくり開いた。
びゅう、と夜風が顔に当たった。
ストールがなびき、私の薄銀の髪が、静かな夜にまきあがった。
夜の箱庭は、草いきれの蒼い香りがする。
私は、東屋の方に足を向けた。
*
東屋には、橙の灯が朧にともっていた。
扉を開けて中に入ると、私の目は大きな窓をとらえた。
箱庭の花たちが、闇を背にして橙色に揺らめいている。
そこに――男の背中があった。
ソファに優雅に腰をかけ、片手にワイングラスを持っていた。
その男は、ゆっくり振り返り、青い目を私に向けた。
「お待ちしてましたよ、エリカ様」
プラチナブロンドのその男は、流れるように紳士の礼をした。
私は、いかにも自然に、上から下まで目を走らせた。
宵闇のようなブラウスに、同じ色のパンタル。
公務の時と全然違う。
でも、飾り気のない衣服すら自分色に染め上げるのだから、大したものだと思う。
「シグリッド様、お会いできて嬉しいわ」
私は、ストールをとると、にこりと花のように微笑んで見せた。
シグリッドは、真っ赤なワインを注ぐと、グラスをすっとこちらによこした。
私は、彼のグラスに音を鳴らすようにすると、少しだけ口をつけた。
シグリッドは、自身もワインに口をつけながら、柔和に問いかけた。
「今日は確か、香の会だったね。好きな香りは見つかったのかな?」
「……ええ。花の香がすきですの。東部地方のご令嬢がお持ちくださったものがすばらしかったわ」
私は、ごく自然にそう答えた。
――においのきついものは、苦手だわ。私は心の中で笑った。
「東部地方か……あそこは、長雨さえなければ、豊かなところだからね。今年は、香の元材の出来が良かったのだろう」
「はい。そのように。嬉しいこと……」
そこまで言った瞬間、気づけば私の身体はシグリッドの腕の中にあった。
「いかがされました」
「君に会いたくてたまらなかったよ」
熱を帯びた声と呼吸が、耳元に触れる。
――こんなこと囁かれたら、皆、上気するわよね。
冷静な表情になっていたかもしれない。でも、声には出さない。
私は、「はい」と答え、彼の腰に手を回してみる。
彼は、私の髪を梳き、肌を撫でた。
*
きっと、朝が近づいていた。
彼は、私の目の前で、寂しそうに目を伏せた。
「もっと、こうしていたいのに――残酷だね。また明日、公務に戻らねば」
私は、彼の目を見つめ返した。
そうして、自分の衣服の中から、ひとつの小瓶を取り出すと、彼の胸に押し付けた。
「例のもの、手に入れましたわ」
その瞬間、シグリッドの目に、冷酷な光が一筋走る。
私は、あえてその変化に気づかないフリをした。
「これがあれば本当に、育て人は『解放』されるの?」
「ああ……きっとね」
シグリッドは、笑った。とても美しく、とてもいびつに。
彼は、私の頬に一つキスを落とすと、ゆっくりと立ち上がった。
「朝が来る前に――戻るよ」
「……ええ、それがいいわ」
そう言って、彼は暁の景色に消えていった。
私は、彼を見送ると、まだ登らぬ朝日を見つめた。
――悪いわね。
あなただけのために、こうしたわけじゃないの。
私には、私のやりたいことがある。
決めたの。
青い靴を履いたから。
コーエン・アルミナイト。
礼装にぼさぼさの髪だったわね。
私はふっと笑った。
私は別に、『白』でいい。
せいぜい『白』らしく色でも変えながら、この道を歩いてやろうって。




